2の55の1「闇と光」
ニャツキが困っていると、カゲトラが口を開いた。
「あのさニャツキ」
「何ですか……!」
悩んでいるのに、気を散らさないで欲しい。
八つ当たりのような怒りを、ニャツキはカゲトラに向けた。
「タケベさんが行けって言ってるし、そろそろ行くよ」
「っ……!」
カゲトラは加速した。
まだゴールは遠い。
スパートではない。
ニャツキは今までずっと、ギリギリの走りをしていた。
だがカゲトラは、まだ余力を残していた。
ニャツキの限界は、カゲトラの限界ではなかった。
カゲトラが少しずつ、ニャツキを追い抜いていく。
「にゃ……! にゃっ……!」
嫌だ。
置いていかれたくない。
だが、中盤でこれ以上の速度を出せば、ニャツキの脚は潰れてしまう。
加速は不可能だ。
「そこがキミの限界?
キミがヒナタさんが凄い言ってたの、
あのときは理解できなかったけど……。
なるほど。今の状況を見ると、
あながち間違いでもなかったのかもしれないね。
あの人と勝負しに行ってみるよ。
……じゃあね。ニャツキ」
ニャツキの最強の手札は、鍛え抜かれた最速の脚だ。
それが覆された。
最速でないニャツキは、カース攻撃も持たない凡庸な猫だ。
今の彼女には、信頼できるパートニャーすら存在しない。
何もない。
カゲトラは完全にニャツキを抜いた。
両者の距離が離れていく。
カーブが終わると、リリスが右110度のコーナーを曲がった。
右方の柵越しに、ニャツキはヒナタの横顔を見た。
無邪気な子供のように、楽しそうに笑っていた。
「ヒニャタさん……!」
重くドス黒い濁った気持ちが、ニャツキの内を支配していった。
「行かせない行かせない行かせない行かせない……!
ぜったいに行かせませんよ……!
あなたは他の誰のものでもなく、
私のパートニャーなのですから……!」
ニャツキの体から、黒い魔力が湧き上がった。
「ニャツキ……!?」
闇の気配が、シャルロットの背筋を冷やした。
ニャツキの背からカースの翼が伸びた。
純白だった翼は、瞬時に真っ黒に染まった。
鳥のようだった翼が、コウモリの羽のような形に変化していった。
(ニャツキがねこ進化を……!?
けど……この禍々しさは……?)
シャルロットが見守る中、翼はさらに異常な変形を始めた。
翼は翼であることをやめ、ニャツキの体に巻きつきはじめた。
「ニャツキ……!」
シャルロットの心配は、何も良い影響をもたらさなかった。
彼女は傍観者であり、置き物でしかなかった。
翼は変形を続け、黒い鎧のような形になった。
ニャツキの顔は、鬼のような面に覆われた。
地の底でうごめく怨嗟を表現したような、恨めしげな面だ。
新たな姿で、ニャツキは加速した。
普通に脚を動かす走りではない。
外側の鎧に無理やり走らされるようにして、ニャツキは走っていた。
鎧はぎゅうぎゅうと、ニャツキの体を締め付けていた。
ニャツキの全身に痛みが走った。
「ぐうっ……!」
「ちょっと……! だいじょうぶなの……!?」
「これしきの痛み……!
レースに勝てればそれで良いのです!」
痛い。苦しい。死にたい。
……それがどうした?
鬼面の下で、ニャツキは獰猛に笑った。
コーナーを抜けたニャツキは、直線を駆けた。
今の彼女は、今までよりもずっと速い。
すぐにカゲトラに追いつくことができた。
「ニャツキ……?」
併走してきたニャツキを見て、カゲトラは目を見開いた。
「その姿は……」
「ふっ……ふふっ……あははははははっ!
追いつきましたよ! カゲトラさん!」
カゲトラはしばらくニャツキを見た後、哀れむようにこう言った。
「ねえ、その走り方、楽しい?」




