2の52の1「みんなとねこ聖杯当日」
「ふぇ?」
「俺はあなたを喜ばせたいわけじゃない。
あなたたちに会場で応援してもらったほうが、
こいつは勝てる。
これは勝つための努力であって、
善意でやるわけじゃない。
娘さんのキャリアために、母親として努力してください。
できませんか?」
「それは……んぅ……重いよぉ? 私……」
「力仕事は得意です。任せてください」
……。
レース二日前の夜。
「ぐ……! うぅ……が……っ!」
ヒナタがベッドの上で、胸を押さえて苦しんでいた。
彼の症状は以前より悪化していた。
部屋に居るのはヒナタ一人だ。
心配してくれる者は誰もいない。
孤独な苦しみに、ヒナタは苛まれ続けていた。
(ああ……良かった……)
つらいはずのヒナタの顔に、なぜか笑みが紛れた。
(重い症状が出たのがレースの日じゃなくて……ほんとに良かった……)
……。
ねこ聖杯の当日。
キョートの山岳部に浮かぶキョートねこフロート。
競ニャ場の控え室で、シャルロットがニャツキに声をかけた。
「今日はよろしくね。ニャツキ」
「はい。よろしくお願いします」
ニャツキはシャルロットに、わだかまりなく答えた。
そしてすぐに興味がなくなった様子で、控え室を見回した。
(ヒニャタさん……それにリリスさんも。
いったいどこへ行ってしまったのでしょうか?)
大事なレース前だ。
余裕を持って入場し、待機しておくのが普通だろう。
だというのに控え室には、ヒナタもリリスも見当たらなかった。
選手の中には、個室で集中力を高める者も居る。
だがニャツキが知る限り、ヒナタたちはそういうタイプでもないはずだが……?
……。
ねこフロートにある通り。
ヒナタがリニャの巨体を抱きかかえ、駆けていた。
「すごいねぇ。力持ちだねぇ」
のんびりとした声で、リニャが感心を見せた。
猫の体重は、100キログラムを軽く超える。
普通の人間であれば、米農家でも難儀する重さだ。
特級冒険者であるヒナタにとっては、この程度は重荷のうちに入らない。
「ジョッキーですから」
車両扱いのヒナタは、リニャを抱えたまま車道を駆けていった。
その後をリリスが追う。
リリスは猫化しており、既に装鞍を終えていた。
リリスの鞍の上には、ナオヤが腰をおろしていた。
一行は法定速度を守り、道を進んでいった。
ヒナタたちは、やがて競ニャ場に入った。
Sランクレースのため、競ニャ場には多くの人が集まっている。
ねこを抱えたヒナタに、注目の視線が向けられた。
「キタヒナさん?」
「なんで猫を運んでるんだろ」
「ふつくしい……」
「後ろに居るの、リリスちゃんじゃない? かわい~」
「あの! サインください!」
Sランクジョッキーであるヒナタは、既に業界の有名人だ。
ヒナタのパートニャーであるリリスも、相当に知名度は高まっている。
興奮したファンに対処しつつ、一行は客席のほうへ向かった。
「この指定席に座……るのは難しそうですね」
リニャを抱えたまま、ヒナタは悩みを見せた。
人間用の狭い椅子に、猫の巨体はおさまりきらないのだった。
「どうしましょうか……」
リリスも困惑を見せた。
リニャはのんびりとこう言った。
「ん~とねぇ。テーブルの上にでも、
置いといてもらえれば良いよぉ」
指定席の前には、テーブルが設置されていた。
それほど大きくもない簡素なものだ。
ナオヤの席のテーブルと合わせれば、座席よりはスペースがある。
だがやはり、猫の巨体を乗せるには心許ないように思われるのだが……。
「……どう思う? ニャカメグロ」
「お母さんは寝相が良いので、なんとかなると思います。……たぶん」
「やっちゃってください。キタカゼさん」
ナオヤまでがそう言ったので、ヒナタは覚悟を固めた。
「じゃあやるけど……」
ヒナタは客席テーブルの上に、おそるおそるとリニャを配置した。
溢れんばかりの巨体は、何故かテーブルの上で安定してしまった。
「……なんとか収まったかな。
それじゃ、レースを楽しんでいってください。
ナオヤくんも」




