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越前の形見  作者: 麻呂
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滅亡

 元亀元年6月、朝倉軍は浅井家救援のため近江大依山に陣を敷き、三田村での決戦に向けて突き進む。だが、この戦の朝倉家総大将は朝倉景健であり、義景ではない。とは言え越前で呆けていた訳でなく、織田家の足元を調べ上げ、同時に浅井との連絡を密にし、後方支援に注力していたのである。

 だが、織田家は当主の信長が、その援軍徳川家も当主家康が戦場に赴いており、各陣営の温度差が表れてしまった面も否めない。

 後に姉川の戦いと称されるこの戦においては、真柄直隆、直澄兄弟の活躍が朝倉家の面目躍如と言ったところだろうか。


 姉川での敗北を受け、義景を始めとする朝倉家は大きな衝撃を受けた。だが、失意の中にいる義景に大きな幸福が訪れる。次男愛王丸が誕生したのである。元亀元年の後半から、義景は憑き物が落ちたかのように活動し、織田との直接対決に挑んでいる。8月には自ら近江坂本に出陣するなど、これまでにない積極性を見せ出したのである。

 ところが、翌元亀2年には近江横山城を攻めて失敗、更に翌3年には小谷城防衛戦に協力するも、家臣の寝返りを招き失敗。そして12月には甲斐の武田と歩調を合わせての織田包囲網において、越冬を拒否して撤退するなど、醜態ばかりを晒すこととなってしまったのである。



 これだけ聞けば、義景は戦下手の腰抜けよと思われるかもしれない。しかし、以前にも述べた通り京の情報を逸早く入手し、外交力で信長を危機一髪のところまで追い詰め、一門間に不協和音が流れる越前を治め続けた彼の技量は並大抵のものではない。

 また、義景は小谷で信長と直接対決して以降、正面からの戦を避けている。強兵で知られる越前兵に頼るのではなく、足元の危うい信長に対して時間稼ぎをしているのである。義景は都を中心とした近畿の情報を越前一乗谷にいながら把握し、信長の立場を十分理解していた。だからこそ猫が鼠で遊ぶかのように、信長をじわじわと痛め付け、その力を削ぐための包囲網を作り上げたのである。

 外交面から言えば、戦国時代のトップを争う武将と言って良い。

 しかし、信長には「運」があった。元亀4年4月、武田信玄が病没したのである。



 元号が変わり、天正元年8月、遂に織田軍は近江に攻め込んだ。義景はこれに応じて出兵しようとしたが、これまでの失態から一門衆たる朝倉景鏡を始め、家臣は義景に見切りをつけており、参陣要請に応じない者が出ていたのである。義景は山崎吉家ら一部の家臣を率いて信長に立ち向かうが、信長の奇襲や兵の逃亡により、越前へと逃亡。しかし、信長はこれを好機と見、浅井を半ば放置して、義景らを執拗に追いかけたのである。

 刀根坂での激戦では山崎吉家ら忠臣が多く亡くなり、義景は死神に導かれるかの如く、越前に辿り着いたのであった。




「愛王丸」

 一乗谷では日に日に成長する愛王丸を慈しむ、幸せな家族の姿があった。

「姉さま」

 たどたどしくも己を呼ぶ弟の姿に、四葩の顔が綻ぶ。時が戦国でなければ、天正元年8月の一乗谷でなければ、どれほど微笑ましい光景であろうか。手毬を両腕で掻い抱くようにし、万歳の姿勢で投げる愛王丸の姿は、その名の通り愛情を一身に受け止めるに相応しい様子であった。

 だが、その幸せが仮初のことであることを知らしめるかのように、くめの悲鳴にも近い声が届いたのである。

「姫様っ!」

 息を切らせるほど走ったのであろう。くめは呼吸を荒くして四葩の手を強く握ってきた。

「急ぎ御仕度を!」

――何の支度を

 と、問いかける間も無く、二人の護衛と3人の侍女に付き従われ、四葩達は一乗谷から南へと足を進めることとなった。既に父は大野に向かっており、本来であれば知らせを待って向かうとのことであったが様子がおかしい。

――織田家が攻めてきたのか

 だとすれば分かる。大野は一門たる景鏡の本拠であり、そこで織田との抗戦をすると聞いている。織田は兵の少ない一乗谷を先に攻めてきたのであろう。だが、何故山へと逃げるのか。

「くめ」

 これまで幾度も呼んだ侍女の名を改めて呼ぶ。

「大野に参るのではないのか」

 くめはチラリと四葩の顔に目を遣るが、直ぐにその首を反対側に向けた。勿論姫に答えぬのは失礼と分かっており、自らの感情と理性を必死に調整し、

「御屋形様は」

 と、声を震わせながら言葉を紡ぎ、

「御自害なされました」

 と、告げた。



――アア、ソウ

 突然のことに気の利いた言葉も無く、かと言って悲しみに暮れるでもなく、四葩は淡々と応える。自分がどうすれば良いのか、これからどうなってしまうのか、考えることが多過ぎて、思考が停止してしまったのである。

――愛王丸

 突然のことで別々に館を離れることになったが、愛王丸は元気であろうか。と、現実逃避のようなことを考えてしまう。

――また手毬で遊べようか

 必死に甘い夢に逃げようとする深窓の姫に、受け入れ難い残酷な現実が襲いかかる。四葩らが山を駆け上がる中、織田家の柴田勝家軍が一乗谷に雪崩れ込んできたのである。

 谷の風に乗り、煙が山の斜面を舐めるように昇る。幼い子らの悲鳴は焼け落ちる家々の音に消され、荒々しい雄叫びが遠くに聞こえる。四葩が見たことの無い、地獄絵図であった。



――負けたのだ

 四葩は十分に理解できた。

 朝倉家は一向一揆と長年争い続け、近年では織田家と争いを続けていた。この世で最も安全である一乗谷の館が焼かれたということは、つまり、朝倉家が敗北したということである。

 聞けば義景は一門の景鏡に寝返られ、討たれたという。

――景鏡の小父様が?

 分からない。会うことは少なかったが、それでも血縁として親しみを持っていた。同じ朝倉家だからこそ、その血は貴く守り合わねばならぬと思っていた。

――何故

 四葩の問いに答える者は居ない。皆、必死の形相で山を駆けていた。

――美濃へ行くのか

 煌々と輝く陽に向かって走っている。古来より美濃で変があれば、敗れた者は越前に逃げる。越前で敗れた自分達が美濃に行くのも道理であろう。だが、

――美濃は織田の地

 敵地に入っては元も子も無いのでは、という思いがある。かと言って「くめが織田に通じている」などとは思わない。四葩には幼い頃から付き従う侍女を「疑う」という感覚は無かったのである。

 既に他の侍女は居ない。山狩りではなく、純粋に置いて行かれたのである。

 織田の乱捕りに遭うか、野犬に食い殺されるか。護衛の一人は介錯を申し出たが、侍女は「姫の前なれば」と首を振った。忠義の心からか、それとも越前の関係者に拾われ、何とか生きられることに賭けたのか。


 何日歩いたか分からない。最初は昼間歩いていたが、途中からは日暮れ間際と早朝の移動になった。

 幸い身を隠す所が所々に存在しており、四葩が織田兵と直接遭遇することは無かったが、ある朝気付くと護衛が一人減っていた。くめが言うには食事を探しに出た際、何者かに殺されたのだと言う。

「あと少しであったのに」

 残された護衛が惜しそうに言うには、目的地まで僅かであり、そこには一向宗の者がいるというのである。

「一向宗!?」

 四葩は思わず声を上げてしまった。命からがら逃げてきたというのに、一向宗の元へ行っては殺されるだけではないか、と。

「姫、何を仰る」

 日頃であれば口答えなどせぬであろう護衛は、厳しい声で返す。

「御屋形様は一向宗と和平を結ばれ、姫様が嫁がれると、とうに決まっておりまする」

 あっ、と、四葩は思い出した。確かに以前そんな話があったが、近畿を織田が抑えており、縁組も先になっていたのである。

「されば妾は」

「左様」

 と、護衛は頷き、石山に逃れます、と、続けた。

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