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越前の形見  作者: 麻呂
2/7

家族

 朝倉義景は家族運の無い男であった。正室は細川晴元の娘であったが、間に一女を儲けるものの、産後の肥立ちが悪く帰らぬ人となってしまう。継室となったのが「容色無双にして、夭桃の春の園に綻る粧ひ深め、垂柳の風を含める御形」と謳われた、近衛稙家の娘、ひ文字姫であった。


「のう、ひぃ」

 野心家の義景であったが、家族への愛情は深いものがあった。それは近衛家の姫に対しても同様で、館で会えば愛称で呼びかけ、彼なりに気遣いを欠かさなかったのである。

「…はい」

 自己主張の術を知らぬ姫は、嫁いできた日からずっとこの調子である。物静かと言えば聞こえは良いが、自ら考えることができない、相手の意向に沿うだけの女性であった。無論、彼女が悪い訳では無く、近衛家と言う帝に近い血筋の中で苦労を知らず、周囲が全て事をこなしてくれる世界にいれば、当然のことであったろう。有力な大名家に嫁ぐ際、彼女に求められていたのはその血であり、自ら考え動く様な()()()()性格は望まれていないのである。

 そんな彼女の様子も、義景からすれば「高貴な姫であるから」の一言で片付けられるものであり、彼はその美しい姫との子を願い幾度も体を重ねたが、残念ながらひ文字姫との間には子が出来なかった。


 家臣達は焦る。朝倉家に限ったことではないが、跡取り不在は家中を揺るがす大問題であり、かつ、朝倉家には一枚岩とは言えぬ小さな綻びがある。一日も早い男子誕生を願うのは当然のことであった。

 義景は家臣の勧めもあり、高徳院(義景の母)に仕える小宰相を側室とし、ようやく四葩よひらしずかの二女に恵まれたのである。

 一方、ひ文字姫とは離縁することとなり、義景はその屋敷跡に「諏訪館」と呼ばれる小宰相のための部屋を作った。そしてその寵愛振りに応えるかのように、永禄4年、待望の男子である阿君丸くまぎみまるが誕生する。


 だが、幸せは長く続かない。小宰相は阿君丸を産んだ後、産後の肥立ちが悪く世を去ってしまったのである。寵愛した側室の死に嘆き悲しむ義景であったが、彼を更に追い詰めたのは心無い噂話であった。

「阿君丸様は呪い殺されたのであろう」

「小宰相様も」

「ひ文字姫が陰陽師に」

 何時の世も人の噂とは無責任なものである。記憶違いや適当な辻褄合わせであっても、さも真実の様に言い触らし、更には秘匿された情報であるが如く、その虚報を飾り立てる。

 小宰相が世を去ったのは、阿君丸を産んだ直後のことであり、ひ文字姫が妬んで呪い殺したのではないかと噂された。過去に近衛家が祈祷師や陰陽師を一乗谷に送り、娘の為に男子を授かれるよう祈願をしていたため、祈祷師達の出入りを見た者が、子宝祈願では無く呪いを行っていたのではと言い出したのである。

――戯けたことを

――ひ文字は左様な

 人を恨むことや、憎むことができぬ性質たちであろう。義景はその美しい正室を理解しており、彼女を疑うことなく、また、彼女の血の価値も分かっていたからこそ、すぐには離縁せず、暫くの間越前に留め置いていたのである。

 義景は家中の噂に心を痛めつつも、敢えて何事も無かったかのように振る舞い、家中の噂を黙殺した。

 そして、彼は悲しみを忘れるかの如く加賀の一向宗を攻め、朝倉家の威容を外に示すと共に、家中における自らの足場固めを進めていったのである。

 覚慶が一乗谷を訪れたのは、義景が立ち直り、その実力を遺憾なく発揮していたこの頃であった。

 だが、天は義景に心満たされる時間を与える気は毛頭無く、再び義景を不幸が襲う。




 永禄11年、阿君丸、夭逝。




 今で言う小学2年生程であろうか。元気で、危な気で、時に生意気で、小宰相の面影を残す愛おしい我が子の死は、義景の思考を大きく蝕んだ。

――もう良い

 諸事、思うように進まない。武田家から実権を奪わんと若狭に兵を進めたものの、当主元明を()()したと言うのに武田家旧臣は抗戦の構えを崩さず、手駒と思っていた義昭も先頃越前を去った。状況や立場を弁えず散々出兵を求めておきながら、美濃の織田家に向かったのである。

 なまじ聡い男であるが故に、義景は我が意が天に通じぬと諦めの中に居た。見よ、史書に書かれる者達は、皆天運を持っており、自らの意が天を動かすではないか、と。我が子の成長を見守ることさえ許されぬ己に、一体何ができるのか、と。

御申おもう様」

 ふと、失望の淵に沈む義景に声を掛ける者がいた。四葩である。

「その様に嘆かれ過ぎては」

 御多々(おたた)様や阿君丸が不憫であると、義景に代わるかのように呟き、やがてはらはらと涙を流し、嗚咽した。

 娘の涙を前にした父の本能であろうか、義景はいつの間にか我に返っている。気丈にも父を励まそうと訪れたこの娘こそ、小宰相の忘れ形見であり、越前を去った義昭が残した本願寺との「和平」の証――政略結婚の姫――であった。

「四葩よ」

 そう声を掛ける義景は、先程までの様子とは打って変わって、朝倉家当主として相応しい貫録であり、また、子に対する愛に満ちたものであった。

「そなたは、良き心を持っておる」

 そう言い、

「母や弟の分まで」

――幸せになって欲しい

 と、そう言うべきであった。だが、一度蝕まれた彼の思考は、後の言葉を僅かに変えた。

「儂を助けてくれるか」

 と。

「はい」

 即座に答えた既に四葩の涙は止まっている。今にも何処か遠くに行ってしまいそうな義景を心配し、思い切って声を掛けたが、思いが溢れ泣く事しかできなかった。だが、父に優しく名を呼ばれ安心したのか、時折袖で涙を押さえながらも、父の目を見ることができている。

「御家のため、御申様のため」



 朝倉家滅亡まで、あと5年のことであった。

今川義元公と比較し、朝倉義景に対する愛情が薄いようで、なかなかイメージが湧いてこないです…

素直に四葩中心にしてみようかな…と、思いつつも、戦国とは言え9歳10歳くらいなので難しく…

次回辺りなら年齢的に行けるかな?と、悩み悩みやっております。

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