青い電車
青い電車
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
「久しぶり」
朋大は力なく頷くと屈託のない笑顔を見せた。朋大の部屋は昔のよう物が散乱しており、綺麗に整頓されていた少し前の様相とは大分違った。
「なんか飲む?」
朋大は缶チューハイを片手に雄平に尋ねた。
「じゃあそっちの」
手渡された缶を開け、小さく乾杯をした。
「はー」
示し合わせたかのように唸った二人は視線を交差させ微笑した。
「で、どうよ最近」
「いやーまいったね…ほんと」
朋大は髪をかき上げくしゃくしゃと頭を掻いた。
「まあそゆこともあるって、元気出しなよ」
「…おう」
返事だけは勢いあったが、中身が伴ってないのを雄平は知っている。
朋大からの電話を受けたのが二日前の水曜日。長らく付き合っていた彼女と別れたようだった。
「いやーもうね、なんか楽しいことしたいね」
「しよう。やってみようをやってみようじゃん」
「はは…じゃあマジでベネチア行こうかな」
「いいじゃん。行こうぜ」
「あーなんか今ならすぐにでもいけそうな気がする。ちょっと楽しみだわ」
朋大は顎を上げ勢いよくビールを口の流し込んだ。
吹っ切ったように見せても空元気なのはすぐにわかった。
「元気出せって」
雄平は朋大の肩を抱き寄せ、力強く言った。
「おう」
それに応じるように朋大も笑って言った。
それからしばらく色々な話で盛り上がった。語り尽くす想い出なら腐るほどある。馬鹿みたいな話を延々と語り尽くし笑い合った。
「いやー飲み過ぎた」
雄平は煙草を吸いにベランダに出た。
窓越しに見える朋大はうなだれていた。お酒のせいもあるだろうが、きっとそうではない。飲みかけの缶チューハイを灰皿にして、灰を落とす。
彼はもうしばらく煙草を吸っていない。雄平がいくら勧めても首を縦には振らなかった。
「寂しいね」
雄平は煙と共に溢れ出た感情を吐露した。呟いてから自分が言った言葉の真意がどこにあるのだろうかと思案した。
「涼しいな」
窓がガラリと開いて、朋大がやってきた
「吸う?」
雄平は煙草を差し出したが、朋大はそれを手にしなかった。
「まあ煙草は一緒に吸えないけどせっかくだからさ」
「そうかい」
二人は黙って夜空を見上げた。
音もなく静かな夜だった。澄んだ空には雲一つなく皓々と輝く三日月が浮かんでいた。
「なあ、俺どうなるんだろうな」
朋大がおどけるように雄平に尋ねた。だが、態度とは裏腹に朋大が真剣に悩んでいるのを雄平は察していた。
「大丈夫だって」
雄平はこともなげに答える。
「…大丈夫か。本当にそうかな…もう俺結構きてるんだよな、きっと」
朋大は堰き止められたダムが放流したように数々の思いを曝け出した。
哀しみや不安、怒りや恐怖、取り戻せない過去や見えない未来について感情のままに激白した。
雄平はそれらにただ頷いた。特別何も語らずただ黙ってそれを聞いていた。
二人は横に並んで互いの顔を見ようとはしなかった。
「………結構愚痴ったな」
「そういうときもあるさ」
「ありがとう」
「構わんよ」
「いやマジで…急に来てくれて感謝してる」
朋大は手を合わせて言った
「別に良いって…いつだって俺が側にいるだろ」
雄平は朋大の肩を優しく叩いた。
「だよな」
朋大は雄平の言葉の真意に気づかなかった。無理もないだろう。いつもこうしてふざけあっていたのだから。
「…やっぱり通じないか」
ぼやくようにした呟いた雄平は窓ガラスに朋大を押しつけた。
「ちょ…えっ…どうした」
朋大は雄平が酔っ払ってぶつかってきたのだと勘違いした。
だが、実際は違った。
朋大を覆うようにして窓ガラスに手をついて、顔を覗き込むようにして立ちはだかった。
「…おい、まじでどうしたんだよ」
雄平の表情を見てただの冗談ではないと察した。
だが、その先までは想像できなかった。
「黙って」
雄平は小さく呟くと、開きかけた朋大の唇を唇で無理矢理閉ざした。
懐かしい煙草の味が朋大の口腔に広がる。それから、肉感的な唇の柔らかさを感じた。
「っん…ちょっ」
朋大は思わず顔を仰け反った。しかし、それでも雄平は止めなかった。
更に身体を密着させ、逃げ場をなくし、左手で朋大の顔を触れた。
「雄平」
朋大は彼の名前を呼んだが、雄平は応えなかった。
ただ黙って朋大の瞳を見つめた。
雄平はもう一度朋大の顔に近づいたが、朋大は目を瞑るだけで、逃げようとはしなかった。「んん…っ…ちゅ」
雄平は朋大の唇を味わうようにして啄んだ。少し乾いた朋大の唇を雄平の唾液が濡らす。
静謐な空気の中、湿った音が響く。朋大は戸惑いながらも、何故か心が安堵していくのを実感していた。
互いの唾液で濡れた唇が離れ、光る糸が架かった。
「雄平」
もう一度彼の名を呼んだ。雄平は先ほどと違っておどけるように笑って、何事もなかったかのように部屋へ押し入った。
雄平の態度に呆然とした朋大は追いかけて肩を掴んだ。
「…え、いやまじで今のどういうこと…」
困惑と羞恥、そして僅かな悦楽が朋大の表情に浮かんでいた。
「いや、キスだけど」
雄平は平然と答えるとスミノフを手に取り、喉を鳴らして飲んだ。
「…いや、それはわかるけども…」
雄平の態度に自分がどう反応すれば良いのか全くわからなかった。しかし、朋大の視線は先ほどキスをした彼の唇を注視していた。
「まあ、飲めって」
雄平から受け取ったスミノフを一気に口に流し込む。
「…なんでキスしたの」
「なんでって…したかったから」
「いや、したかったからって…普通あんな…」
「あんな?」
先ほどのキスを思い出す。重厚的でねっとりとしたキス。だが朋大は何故か自分が物足りないと感じているのに気づいた。
「いや、したかったら誰とでもするのかよ」「はは…子どもみたいなこと言うんだな」
朋大も自分の言葉が幼稚に聞こえて少し恥ずかしくなった。
「…好きだからだよ」
雄平は朋大の目をまっすぐ見て言った。飾りのないまっすぐな自分の気持ち。
「…それって俺のことを」
朋大のあどけない表情が雄平に刺さる。
「馬鹿、逆だよ。お前が俺のことを好きだからだよ」
雄平は自分の性分に内心呆れた。本当は自分の気持ちを誰よりも曝け出したいのに恥やプライドが邪魔をする。ここまですれば晒せると思ったのに逃げてしまう。
「はー何だよそれ」
「じゃあ違うの。俺のこと好きじゃないの」
「…いや、それは」
そしてそれには自分の性分とは別に朋大の性分も起因している。嗜虐心をそそる彼の幼気な性格。雄平は朋大を前にするとからかったりせずにはいられなかった。
「じゃあいいじゃん」
雄平は敢えて平然と言った。言葉に隠れた心を悟られたくなかったからだ。
「嫌なのかよ」
「別に嫌じゃないけどさ…」
「けど?」
「もうちょっと雰囲気というかそういうのあるじゃん」
朋大の耳は真っ赤に染まっており、照れくさそうに顔を俯いた。
「はは。やっぱ可愛いよお前」
「何だよさっきから自分ばっか」
朋大は負けじと自分から雄平にキスをしようと近づいた。
だが、雄平はそれを躱すと朋大の両腕を掴んでベッドに押し倒した。
「俺だけを見ろよ」
きしむベッドの上で二人は愛を交わした。
外はすっかり明るくなっていた。月の代わりに太陽がゆっくりと上りはじめ、辺りを燦然と照らしている。
「ふー」
二人分の煙がベランダから立ちのぼる。
「こほっこほっ」
朋大が久しぶりの煙草に咽せた。
「はは、美味いだろう」
「あぁ、美味いね」
二人は笑って紫煙を燻らす。
「でもまさかこんなことになるとは思わなかったな」
朋大は階下を見下ろしながら呟いた。
「こんなことって?」
「こんなことはこんなことだよ」
二人は顔を見合わせると声を上げて笑った。「…企業理念に則ってみたんだよ」
「企業理念?」
朋大は少しばかり思案したが、すぐに納得して顔を綻ばせた。
「やってみようをやってみよう、ね」
声を合わせた二人の呟きは青白い煙の向こうに溶けていった。