3. 人を轢いてしまいましょう
久しぶりの第三話。
過去編は一旦ここで区切りです。
あらすじ:胸を揉ませろ!
「人を轢いてもらいます」
「何故二回言った」
「結構間が空いたので……前回から……」
「前回?」
「こちらの話です。えっとですね、人を轢くというのは少し語弊があるかもしれませんね。別に人殺しするんじゃないんです」
「まるで意味わからんが。トラックなんかで轢いたら人間の一人や二人簡単に死ぬぞ」
「あぁはい普通はそうなんですけど、我々が轢くのはですね。実は既に死んだ人なんです」
「は? 死んだ人間をさらにミンチにするのか? 気分悪いなそりゃ」
「あぁん、だから違うんです。その人の魂を……」
「魂ってなんだよ。お前、やっぱり変な新興宗教とかなんじゃねぇのか……?」
「うぐぅ……凄い物分りの悪い人です……先代はあ、あの転生的なやつですか! ってすぐにわかってくれたのに」
「転生だぁ?」
「そうです。生まれ変わりです。結論から言うと、私達は成仏しきれない魂を解放し、新たなる世界への旅路に案内するお仕事をしているのです」
男は全身から汗が吹き出している事に気がついた。
これはまずい。話が通じない上に、女の口から出てくる言葉の全てが、なんだかカルトじみている。
男の脳内にある危険信号は、激しく真っ赤に点滅していた。だが男は逃げ出すことは出来なかった。
いや、女から目を離す事すら出来なかったのだ。まるで金縛りにでもあったかのような感覚を、男は感じていた。
故に、男は観念し、重い口を開かざるを得なかった。
「あ~なんだ……あんたの話はわかったよ。でも悪い、俺、パスだわ」
「えっ」
女は大層意外そうな顔をしていた。
「あんた、俺が受けると思ってたのか……?」
「もう十中八九は……」
「頭悪すぎるだろ……」
男は自分の察しの悪さを自覚してはいたが、それでもやはりこの女には敵わない、そう思った。
「裏の稼業かなんか知らんが、誘うにしたってもう少しまともな誘い方があったんじゃねぇか? 誘う人間だって選んだ方が良い。俺には無理だ」
「あ、あ、いや、でも……えぇぇっと……」
女は取り乱しながらも懐から紙切れを取り出し、熱心にそれを眺めている。
男は、その一連の動きの中で女の乳房が見えてしまったので、目がより一層離せなくなったのは言うまでもなかった。
この男は、この手の誘惑にはめっぽう弱いらしい。
「もう帰っていいか……」
「あの!」
「うるさい……耳が痛い……」
「実際に見てみて下さい!」
「何を」
「イメージ映像……というか、お話というか……」
「……」
「もう見てくれただけでもお金出しますから……」
女は男に向け、右手の指を全て開いた状態で突きつける。
「5万円……?」
「500万円……」
「!」
女の部屋の片隅にあったアタッシュケースを開けながら、女がそう言った瞬間、男はあっという間に手のひらを返した。
「本当に貰うからな。これ」
「どーぞどーぞ! 後で返せとかも言いませんから!」
「それで、俺はこの漫画を読めばいいのか?」
「そうですよっ。漫画じゃなくてライトノベルって言うんですけどね」
「はぁ……」
男はライトノベルという単語に聞き覚えが無かったらしく、イマイチ要領を得ないようだった。まだ一抹の不安を抱きつつも、男は女に手渡されたライトノベルなるものを開く。すると男は開口一番、
「文字ばっかりじゃねぇか……」
「文字苦手ですか?」
「苦手だわなぁ……」
「ん~……あ、そうだ。確かコミカライズされたのもあったような…………ちょっと待ってて下さいね」
「こみからいず」
またもや謎の単語が出てきて、男の顔はさらに困惑に染まった。
そんな男を尻目に、女は自分の下着が見えている事も気にせず、雑然と本が並べられた本棚に頭を突っ込んでいた。
「あぁありましたありました! これならいいんじゃないですか?」
「……あぁ漫画だな。これなら大丈夫だ」
「ちょっとこれ読んでみて下さいよ。そうすれば私が言わんとする事、わかってくれると思いますので」
「はいはい」
漫画を読むだけで500万円を貰って、しかもかなり上玉の美少女が横で密着しながら座っている状況、男が断る理由はどこにも無かったのである。
「なぁ……」
「はい」
「いや、お前の言わんとする事は良くわかったんだがよ……」
「それは良かったです」
「この主人公……どうしようもねぇな」
「ん~、でもこれが今の流行なんですよ」
男は、漫画をある程度読み進めて女に疑問を投げかけた。どうしてもこの主人公の立ち居振る舞いに納得がいかないらしい。
要約すると、男が見た漫画はこういう内容だ。ある平凡な学生が、突如トラックに轢かれ、命を落としてしまう。
目が覚めた時、その学生は一面真っ暗な空間へ飛ばされており、目の前には一人の女。その女は女神を名乗り、学生に「異世界への転生」を提案してくる。
そしてもう一つ、異世界に行くにあたって女神は一つだけ素晴らしい能力を与えてくれる、との事だ。
そこまで行って、男は読み進めるのを止めたようだ。
「この異世界とやらに行って、そいつらは何をするつもりなんだよ」
「与えられたチート能力を使って、自分の思い通りの展開に舌鼓をうちます」
「例えば」
「可愛い女の子が何しなくても好いてくれて期せずしてハーレムが構築されたり、凄まじい魔法をさも軽くやってみた風に発動させて『さすが!』って言ってもらったりしたり、何か運良く偉い人に目をかけてもらって大金持ちになったり、圧倒的な身体能力を手に入れて向かってくるモンスター達を一掃して感謝状を貰いまくったり……」
「うっわ」
「中々ドン引きしてますね」
「あと、言葉とかどうすんだ。こんな異世界で日本語なわけないだろ」
「日本語です」
「何でだ」
「彼らが日本語以外話せるような優秀な人間じゃないからに決まってるじゃないですか!」
「~~~~~」
男は思わず頭を抱えてしまった。
「ま~日本語も話せてるかどうか怪しいもんですけどねぇ」
「で、本題だが、じゃあこいつらみたいに異世界に行って好き放題やってる連中ってのが、ゴロゴロ居るって言いたいのか?」
「そうですね」
「信じられんが……でもなんか……わかる気もする……」
男もまた、現実の世界に嫌気がさした所ではあった。そんな状況にあるのであれば、いっそ異世界で誰にも文句も言われずに好き放題出来る、というのは魅力的だ。
尤も、この一連の主人公達には、そんな暗い過去を感じさせない、ごく普通の学生である事が大半だが……そこはフィクションとノンフィクションの差なのかもしれない、と男は勝手に納得した。
「あと……」
「はいはい」
「何故、こいつらに引導を渡すのがいつもトラックなんだ!?」
「ん~、何かちょうどいいんじゃないですか? 説得力あるというか……乗用車レベルだと最悪生きてるかもしれませんし……その点、トラックなら必殺です」
「雑だな……それで……」
「はい」
「これはどっちが先なんだ」
「どっちが……と言うと」
「お前らが仕事でトラック使って轢き始めたのが先なのか、こういう漫画が出て来るようになったのが先なのか、どっちなんだよ」
「そんなの私達が先に決まってるじゃないですか」
「マジかよ」
「ついでに言うと、今まで読んでた漫画、全部実話ですから」
「は?」
「全部実話ですよ。それを、我々の関係者が面白おかしく書いてくれたのが、こうして世に出回っている訳です」
「マジかよ!」
この話、男にとってはもう理解の範疇を著しく逸脱した内容になり始めていた。
そのあまりの奇想天外さに、男は信じる、信じないではなく、ただただ驚くしかなくなっていた。
「おい、ちょっと待てよ。もしかしてこの轢かれた後に時々出てくる女神とかいうのは……」
「一部は、私ですね! ふんす!」
胸を張って、女はそう言った。
「そうだ。だいぶ緊張もほぐれた所で、そろそろ自己紹介させて頂きますね」
「私は『いつもあなたのお側に臥する死の恐怖』タナトスと申します」
「タナトスさんねぇ。日本人じゃないってか」
強引に自己紹介へと誘導した女は、スッと地面を蹴ると、そのまま身体を浮かべ、空中で寝転びながら口を開いた。
「日本人じゃないと言うか、人間じゃないです。いわゆる神様のような存在ですね」
「神様! あんたが? そりゃ面白い」
「私の収入は、主にこの漫画・ライトノベルのネタ提供報酬と、女神様ごっこの給料です。それで富豪と名乗るには十分な量のお金を貰えてます。勿論、あなたに500万円程度分け与えた所でそこまで痛手はありません」
「……」
「どうです? 私と手を組んでみませんか? 今なら、私の『ぱふぱふ』付きですよ」
「…………」
タナトスは男に急接近し、身体を男に擦りつけてきた。上目遣いの目線は、どこか挑発的だ。その仕草に、男はまた鼻息を荒くしてしまう。
「あはは、揺れ動いてる……」
「うるせー」
「んじゃあ、この話は無かった事に……」
「や、やるよ……」
「聞こえませ~ん。もう少し大きな声でお願いしま~す」
「やるから! 俺がやる! 取り敢えず胸を揉ませてくれ!」
異常な状況にもはや恥も外聞も無くなったのか、男は自分の最大の欲求を発散させてしまった。
「……人にものを頼む態度じゃないですね~」
「どうすればいい!」
「土下座して、僕にこのお仕事をやらせて下さいって情けなくお願いしてくれたら、考えてあげますよ」
「僕にこのお仕事をやらせて下さい! 胸も揉ませて下さい!」
男は早送りの映像のような俊敏さで額を床に擦りつけ、大声でそう言い放った。
タナトスは邪悪な笑みを浮かべながらその姿を見下ろし、そして足を男の頭に乗せグリグリと動かしていた。
「はい決定ですね~。それじゃ……約束の……ぱh」
自主規制が入りました。