校舎裏に呼び出されました
自らの腰に帯びている愛刀を撫でながら指定された場所に着くと、既に相手は待っていたようであった。
「よう参ってくれた。誠に感謝する」
そう言い、深々と頭を下げる一人の乙女。彼女こそ、自らを呼び出した七瀬カナであると、美月ミキはひと目で理解した。
華奢な乙女だ。平均的なカナよりも、一回りは小さいだろう。守りたくなる乙女とは、彼女の事を言うのだろうとカナは思った。
だが、侮るな。彼女も立派な恋する乙女。恋は乙女を強くする。身に秘めた恋が大きいほど、乙女は無限に強くなれるのだ。
「このような場所ですまぬ。侮蔑されても仕方なし」
「否。某も一人の恋する乙女故」
「……然り。我輩も一人の恋する乙女故」
校舎裏など、恋の決着をつけるのには相応しくない。恋の決着をつけるならば、堂々と、真正面から挑むべきである。
しかし、七瀬カナは内気故そのようなことが出来なかった。堂々と勝負を挑めぬその心意気は、性根が曲がっているととられても仕方ない。
だが、ミキは理解した。友人がそのような性格である故、カナもそのような乙女なのだろうと理解できた。
「このようなことしか出来ぬ我輩の未熟を許されよ」
「応、許すとも。それもまた恋の道よ」
寛容に頷いてみせたミキを見て、カナは感謝の涙を流した。
たっぷり十秒は泣いていただろうか。カナは改めて用件を伝えた。
「既に承知しておろう。我輩、生徒会長に恋をしておる」
「うむ、承知している」
ミキは理解していた。自らをこのような場所に呼び出すなど、用件は一つしかないと確信していた。それ故に、次にカナが告げるであろう言葉も、理解していた。
「鞘当てを」
そう告げて、カナは背中に括り付けていた長刀を取り外す。それを見たミキは、表情には出さなかったが、驚愕を隠せなかった。
とにかく、長い。一般的な刀の二倍以上はあるだろうか。明らかにカナの身長よりも大きい。武器を隠す暗記術について知識はあったが、カナはその使い手ということだろうか。極めれば自らより大きい獲物を隠すことも出来るのだと、ミキははじめて理解した。
そして、それほど巨大な長刀を鞘ごと軽々と振り回す身体能力。長刀に振り回されることなく、優雅に、流麗に、見事に振るってみせている。
「さあ、ミキ殿」
「心得た。今より某、貴殿と恋の鞘当てを所望するなり」
「かたじけない。そしてありがたく」
カナが長刀の鞘を突き出す。それに答えるようにミキも刀を――こちらは名刀とはいえ普通の長さである――腰から外し、ゆっくりと鞘を近づける。
そして、
お互いの鞘が……、
鳴った。
「シィッ!」
「ハァッ!」
お互いに飛び退き、気合と共に一閃。刀がぶつかると同時に、痺れがお互いの腕を伝う。
良い気迫だと、ミキは凄惨に笑った。これぞ恋する乙女。これぞ恋の鞘当て。これこそが、一人の男を奪い合う、恋する乙女の決闘である。
古来より、刀の鞘を当てるのは、侮辱であるとされてきた。斬り殺されても文句の言えない名誉を貶める行為であるとされてきた。
鞘が当てられたとして、無礼討ちした例は数多い。そして、鞘が当てられ侮辱されたとして、決闘に至った例もまた多い。
このことから転じて、鞘当ては恋する乙女の決闘の合図としても用いられるようになったのだ。
「良い刀よ! 某の短命乙女の一撃に耐えるか!」
「我輩の刀に名はないが、数打ちの粗悪品と一緒にされるな! 貴殿の刀に劣らぬ一品よ!」
「まさしく!」
ミキの持つ刀は、家に代々伝わる名刀「短命乙女」である。
美月家の乙女は、代々短命であった。それは美月家の乙女には恋多き乙女が多かったからであり、それだけ恋の鞘当てを繰り返してきたということである。
それ故、いつしか美月家に伝わる刀には「短命乙女」と名がつけられた。皮肉のような名ではあるが、美月家の乙女はそれを誇りに恋をしてきた。恋の鞘当てを繰り返してきた。
そして、それはミキも同様である。ミキは今まで五度の恋の鞘当てを挑まれ、いずれも勝利してきた。いずれも強敵ばかりであったが、ミキは全て勝ち抜けてきたのだ。
だから、一人の恋する乙女として、負けるわけにはいかないのだ。
その意地で、猛攻と呼ぶに相応しい連撃をミキは防ぎ、流し、避け、捌く。避けても避けても、カナの速度は衰える気配を見せない。それどころかますます速度を増し、反撃する隙を与えない。
「見事! 我輩の長刀を尽く受けきるか!」
「この程度で敗れるならば、某は生徒会長に恋をしておらぬ!」
しかし、それ以上に厄介なのは、カナの持つ長刀である。百戦錬磨のミキであるが、こういった獲物を持つ相手ははじめてだ。
例えるならば、刀対槍。槍対弓。獲物の長さは、それだけ有利になるということだ。
幸いにも、槍の距離で振るわれる長刀は、当たり前だが普通の刀よりもはるかに重い。それを棒のように自由自在に振り回すカナの身体能力は驚愕に値するが、それでも普通の刀を振るうよりも若干速度が劣っている。その分威力は凄まじいことになっているが、防げないわけではない。
それよりも、真に驚愕すべきはその体力か。どれだけ動いても動きが全く鈍らないのだから、まさに底なしだ。
「埒が明かん」
呟き、距離を取るカナ。追って仕留めたいところだったが、カナの鋭い眼光が、ミキの動きを止めていた。ミキが動いていたら、おそらくカナの長刀で貫かれていたことだろう。
「決めに入るぞ!」
叫んでから屈み、足をバネにして飛び出すカナ。恐るべき脚力。恐るべき速度。一瞬の勘で横に飛び出していなかったら、ミキの心臓は抉られていただろう。
追撃は、ない。光の如き速度で飛び出したのだ。一撃で仕留めるのが、あの攻撃の肝だろう。
「恐ろしいのう」
ミキの背中を冷たい汗が流れる。しかし、ミキの顔には、やはり凄惨な笑みが浮かんでいた。
これが、恋の鞘当てである。これこそが、恋する乙女の本懐である。乙女は恋をしたその瞬間に、全ての覚悟を決めているのだ。
恋の道とは修羅の道。
死して屍拾う者なし。
生きて恋を実らせよ。
ならばこそ、ここで死ぬわけにはいかんのだ。輝く生を掴み取り、より激しく、より華々しく、恋の炎を燃え上がらせるのだ。
「故に、死の道こそが生へと繋がる」
故に、ミキは覚悟を決めた。ここで死することを決めた。
ミキは死ぬ。ここで死ぬ。そう決めた。そう決まった。ミキが死する運命を、ミキはこの時点で見切ったのだ。
今のミキにあるのは、晴れ晴れとした穏やかな気持ちだけである。ミキは、既に死を見た。ならば、これ以上何を恐れることがあろうか。既に死したミキに、恐れるものなどもはやない。
たとえ神が相手だろうと、ミキは笑って切ることだろう。たとえ死神が相手だろうと、ミキは笑って死ぬことだろう。
ミキが死を見たのと同時に、カナの準備も完了した。今にもミキの心臓を貫かんと、カナは鋭い眼光で照準を定めている。
「今度は避けられんぞ!」
溜めに溜めた勢いは、先ほどをはるかに凌駕していた。
音を置き去りにして、光の如き速さでカナが迫る。ミキの心臓を抉らんと、恋の勝者とならんとして、カナがミキに迫る。
速い、速い、速い。とても避けられない。避けることなど不可能だ。一秒もせずに、ミキの心臓は抉られてしまうだろう。
カナの宣言通りである。避けることなどとても出来ない。ミキの死は、既に決まってしまっていた。ミキの見たとおりに、ミキの死はここで決まっていた。
だから、それでいいのだ。
ミキは既に、ここで死ぬと決めている。ミキは既に、己の死を見切っている。ここで死ぬと、ミキは既に見て、その死に方を理解していた。そして、その死に立ち向かう覚悟を決めていた。
故に、死の道こそが生へと繋がる。
ミキは、避けなかった。避けようともしなかった。その代わり、姿勢を低くして、カナへと突っ込んだ。
死の道こそが生へと繋がる。回避が出来ないならば、あえて死中へと突っ込めばいい。
その差、紙一枚分。ミキの頭上スレスレを、カナの長刀が通り過ぎる。カナの突撃は一撃必殺であるが故に、放たれた後の修正が利かない。弓矢と同じで、一撃放てばそれしか出来ないのだ。
死を見たミキは、この瞬間においても静かな水面の如き心を保っていた。平静な心であるため、突き出された「短命乙女」は、寸分の狂いなくカナの胸の中心を貫いた。奇しくもそれは、ミキが見た己の死に様と同じである。ミキが見切った死の運命は、代わりにカナに降り掛かったのだ。
「恋の鞘当て、これにて終了」
呟き、ミキは刀を抜く。支えを失ったカナの身体はゆっくりと崩れ、仰向けに倒れた。
カナの言葉はない。心臓を真っ直ぐに貫かれたのだ。その体は既に死しており、その魂は天へと昇った。
だが、カナの表情は雄弁に物語っていた。おそらく、カナもその瞬間に死を見たのだろう。全てを受け入れる柔らかな笑みを浮かべ、カナは恋する乙女として見事な散り華を咲かせていた。
「七瀬カナ。貴殿のことは、生涯忘れぬ。一人の恋する乙女として、貴殿は見事に闘ったのだ」
告げてから礼をして、ミキはその場を立ち去る。ミキは勝ち、カナは負けた。そして、カナは敗北を潔く受け入れ、恋する乙女として見事に散った。
ならば、これ以上の言葉は不要である。七瀬カナという一人の偉大なる恋する乙女の生き様を忘れることなく、ミキは己の恋を貫き続けるだけである。
それが乙女の恋の道。恋する乙女の生き様故に。
嗚呼、恋よ。なんと険しき恋の道よ。
恋とは、まっこと酷よなぁ。