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幻花  作者: MASA
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(3)       

私は学校では友達が少なく、時には苛めを受けることもありました。そのことを母に訴えると母は

「いじめをするような子はあなたより不幸なんです。あなたを妬んで意地悪をするのです。だから無視しなさい。それでも苛めが続くようなら先生に相談しなさい。それでも駄目なときは私が学校に話します。」

と言いました。幸い私は苛めを苦に不登校に陥るようなことはありませんでした。母の助言はいつも前向きで的確でした。

今にして思えば幸せな日々だったのでしょう。私は学校から帰るとその日の出来事を母に話しました。母は私のとりとめのない話を辛抱強く聞いてくれました。外で嫌なことがあっても母の優しい笑顔を見れば忘れることができました。

すべて移り行くのが人の世の常です。良いことも悪いことも長続きはしないのです。がん検診で母に乳がんが見つかったのは私が小学6年生の時でした。母は生来健康でそれまで病気らしい病気はしたことがなかったのです。そのためまさかという油断があったのでしょう。末期のがんで治癒は不可能、余命1年との事でした。母は私が中学2年の時に亡くなりました。手術も放射線治療も受けず余計な苦しみを受けることなく死んでいったのがせめてもの慰めでした。

母が死んでも私は涙一つ流れませんでした。母の亡骸をみて眠っているようにしか見えませんでした。遺体が焼き場で焼かれた後には骨しか残らないということがとても残酷なことに思えました。

母はこの世界から永久に消えてなくなったのです。私にできるのは母の笑顔、母の声、母の涙、母の言葉それたすべてを記憶に留め決して忘れないこと。それによって母は私の心の中に生き続けるのです。

私の父は商社マンで当時はドイツに単身赴任中で父方の祖母が私の家に来て、まだ5歳であった妹の陽子の世話をしてくれました。幼い陽子はすぐに祖母に懐きましたが、私は中々祖母に心を開くことができませんでした。祖母は良い人でしたが、財閥の家の一人娘として育っただけに気位の高い人でした。

私に対しても何かというと

「里見家の息子なのだから」

と言いました。(私の名前は里見恒一と言います)

次第に私は家族にも同級生にも心を開かぬ孤独な少年になっていきました。

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