アウリンダ陥落
一五年及んだ戦いが終結
アウリンダの城は砲煙に包まれ白く霞んでいた。
城はニンリルとアスボルスを繋ぐ街道に面し、森に囲まれた小高い丘陵に築かれ、要衝として古くに造られたものだった。
城郭はほぼ正方形に近く、高い城壁には胸壁・矢狭間・歩廊・側防塔を効果的に配し、城壁内部には城壁より更に高い二重の天守塔を備え、極めて高い防御機能を有していた。
その丘陵の裾には街があり、住民は戦を避けて既に避難していたが、閑散とした街の中で武具屋と鍛冶屋、そして盗人は商売が繁盛していた様だ。
暴力的な轟音と空振を伴って砲声が鳴り響き、今や城壁の歩廊では砲兵が所狭しと、進軍せんとするニンリル軍に対し、威嚇を主とした任務を遂行中だった。
大砲は胸壁凹部から砲門を覗かせ発射され、発射後はその反動の勢いで台座の木製の車輪が回転し、胸壁内部の歩廊に引込まれた。
大砲は一門に対し五名の砲兵が付き、砲内部の火の粉と煤を払い、火薬が包まれた薬包を詰めて押込み、砲の内径と同等の球状の弾丸を転がし込み、弾丸と薬包の隙間を突き固める。
その間砲撃手は砲尾で、火薬を含ませた羽毛の軸の導火線を薬包に当たる様に差し込み、五名が力を合わせ、胸壁に取付けられた滑車を通して台座を繋いだ綱を、台座の両側から引張り砲門を胸壁凹部の外に押出すと、先程の弾着位置から仰角と俯角を、角材を台座の下に宛がいテコの原理の応用で左右の方向を調整し、発射の準備が完了する。
一連の動作は速度と精度が求められ、故に歩廊では怒号の声が砲兵を急かし、切れ間の無い射撃間隔と命中精度が優秀な砲兵の判断材料となっていた。
「撃てっ。」
単眼鏡を持った砲術長が発射を号令し、砲撃主が硝石を含ませた火縄を導火線に点火。
全員が耳を塞ぎ、稍時間差有って暴力的な轟音と空振を伴って再び砲声が鳴り響く。
火薬のガス圧によって撃ち出された砲弾は、風を斬って鈍く高い異音を放ち、弾着と同時に巨大な土柱と土埃を舞き上げ、弾着の地形によっては跳弾し、その先の兵を容赦無く薙ぎ倒した。
まるで魔法の様なその異音と事象が、如何に勇敢なニンリル兵であってしても、恐怖に陥れるには充分な効果を発揮した。
その射程距離は火薬の量と射撃位置にもよるが、投石器の約五倍、平衡錘投石機の約三倍、長弓の約二倍を有し、大砲の登場により投石器の類は攻城塔と共に既に廃れつつ、新たな戦争の時代を呈していた。
故に未だ黎明期にある大砲と飛竜騎兵を、同時に一定数導入・配備・運用を出来る国は列強国と呼ばれてた。
大砲の決定的な弱点を上げるとするならば、雨天時等火薬が濡れて砲撃出来ない状況位なのだろうが、この日は快晴で、絶好の砲撃日和だった。
アスボルス軍の布陣は城の守備兵千人・歩兵二万人・弓兵五千人・騎兵五千騎と少なく、城外の兵は城壁の弓兵からの援護を可能とした範囲、城下町の前衛から歩兵、弓兵、その両翼に騎兵の順で布陣していた。
対するニンリル軍は歩兵三万人・弓兵一万人・騎兵一万騎と数の上で勝り、中央に騎兵、弓兵その両翼に歩兵を配して、両翼を森に挟まれた僅かな平野部に布陣を敷いていたが、大砲と城内外の弓兵による三重から成る射線を突破した上で、敵本体と攻城戦を展開しなくてはならなかった。
が、迂闊にも敵砲撃の射程距離に入り、既に平衡錘投石機と攻城塔は破壊され、眼前で瓦礫の山を築ていた。
数十名の犠牲者を出し混乱を鎮め、現在は砲撃の射程圏外に布陣し、今や遅しと空の英雄達の登場を待ち望んでいた。
「敵騎来襲っ。」
アウリンダ城天守塔最上部から索敵していた守備兵が、ニンリルの飛竜騎兵を発見し警報と共に激しく警鐘を打ち鳴らした。
その警鐘は城壁の歩廊各所でも打ち鳴らされ、今や蜂の巣を突いた状態に陥り、その鐘の音はニンリル軍の布陣先まで届き、歓声が沸き起った。
「全騎、射撃用意。」
敵の直掩騎警戒の為、先行していたウィリス率いる四騎が、アウリンダ城上空に達したのを確認したアウグストは、凛とした声音で全騎に号令を掛けると、左膝前部に装備した革製の弓鞘から釦を外して合成弓を取り出し、鞍の後部に配した矢筒の蓋を釦を外して開放し射撃に備え、城の西側から侵入を試みる。
合成弓は獣の骨・腱・角・鉄等の素材で構成され、小振りで軽量ながら弦を肘まで引くだけで、長弓と同等以上の飛距離と威力を備え速射性に優れていたが、高価且つ構造の複雑さから長弓ほど普及していなかった。
矢筒は二本携行し各百本の矢が収められている。
眼下に見える城の守備兵は剣を帯し甲冑を身に着け、自軍の飛竜騎兵同様の配色が施された長丈の上着纏って既に配置に付き、天守塔と城郭の四隅に配されたアスボルス旗が風に戦ぐ。
「撃てっ。」
城の守備兵が、接近するアウグスト率いる飛竜騎兵一九騎に対し一斉に矢を放った。
直上に長弓から放たれた矢は風を斬り甲高い音を発し飛翔するが、やがて限界高度に達すると山なりの放物線を描いて地上に落下した。
背負った矢筒から給弾し一定間隔で放たれる矢は、弓兵の練度高さを窺わせたが、アウグスト達が射程圏外に位置している事を証明し、直上に放った矢は敵の自滅行為を誘引していた。
「行くぞレム。」
「はっ。」
アウグストがレムリクールを促すと、空戦とは逆に左の鐙に力を掛け、愛機に左横転の指示を出し、僅かに尻を右翼側にずらして射撃位置に移行し矢を番え、城の上空を左旋回するように愛機を誘導し射界に敵兵を捕らえる。
後続のレムリクール達もそれに従い、騎体を左横転させると射撃体勢をとった。
「放てっ。」
アウグストの号令でニンリルの飛竜乗り達も一斉に矢を放つ。
長弓以上の威力を持つ合成弓から放たれた矢は、高度も相俟って威力を増し容易に敵兵の甲冑を射抜いた。
一方的と言っても過言では無いその攻撃は、如何に高い防御機能を有する城であっても、空の要である飛竜騎兵を失っては、最早その能力を発揮する事は無かった。
惜しむらくは絶対的な騎数が足りない事で有ろうか。
矢継ぎ早に放たれた矢が猛威を振るい、不意に歩廊に集積された薬包を射抜き、矢と石造りの歩廊が火花を発し、ニンリル軍が布陣する北側の城壁が、轟音と空振を伴い守備兵諸共吹き飛ばし、城門の右側に攻め手側からして見れば、城内への侵入に恰好の損害を齎した。
火薬が焼ける異臭を伴って、上がった爆風と爆炎の熱気がアウグスト率いる飛竜乗り達を襲ったが、それは手で庇うだけで大事は無く、騎体が僅かに煽られただけで、ニンリルの全軍がアウグストが唱える、『空を制する者は陸を制す。』の意味を十分に解した瞬間であった。
「凄い。」
爆風の熱気を庇った手越しにレムリクールが感嘆を洩らすが、その思いは彼だけでは無かった。
同時にアスボルス兵が悲嘆を洩らし、焦燥を誘ったのは言うまでも無かった。
アウグスト達が矢筒の一本を討ち終える頃には、流血に染まる天守塔と歩廊で反撃を試みる者は無く、ただ這いずる者や仲間に肩を貸し避難する者しか居なかった。
「殿下、敵の直掩は居ない模様。
我々も攻撃に参加します。」
アウグスト達を上空援護していたウィリスが、頃合いを見て手持ち無沙汰に騎体を寄せて、進言し指示を乞う。
「ウィリス、後は任せる。
全騎率いて陸の敵部隊を頼む。」
一定の戦果を確認したアウグストは、次なる標的の攻撃をウィリスに引き継ぐと、合成弓を弓鞘に収め愛騎の両腕の翼膜に孕んだ大気に任せて高度をとった。
「我々の勝利は目前だ。
全騎、私に続け。」
ウィリスが剣を掲げ、全騎に号令を掛け乗騎に拍車を掛けると、自らも剣を鞘に収め弓鞘から合成弓を取り出し射撃に備え、目と鼻の先の敵の地上部隊を目指して真直ぐ騎首を巡らせた。
城壁からの砲撃と弓による援護射撃を当てにして、城外に布陣したアスボルスの地上部隊は、ニンリルの地上部隊に対しての戦力は健在だったが、空に対しての戦力は皆無であった。
が、飛来したウィリス率いる飛竜乗り達に対し、弓兵は本能的に迫る敵を射らざるを得なかった。
「全騎撃てっ。」
ウィリスの号令で全騎が矢継ぎ早に矢を放ち、アスボルスの兵は俄かに混乱し、歩兵と騎兵が盾で身を庇い弓兵が応戦する。
敵の弓兵が空への反撃に釘付けになったのを確認したアウグストは、満を持して鞘から剣を抜き放ち天に掲げ、切先が円を描く様に振った。
「将軍来ました、合図です。」
「来たか。」
アウグストの突撃の合図に、地上に展開したニンリル軍の副官が叫び、甲冑を身に着け陣羽織を纏った将軍と呼ばれた男が胸躍らせ呼応する。
「諸君、時は来た。
アウリンダの陥落は近い。
全軍進めっ。」
将軍と呼ばれた男が鞍上から腰の剣を抜き敵軍を指し、威厳に満ちた声音で号令を発する。
同時に前進を知らせる喇叭が二音吹き鳴らされた。
ニンリル兵は甲冑に緑地の長丈の上着を纏い、将軍の号令に全軍が雄叫びを上げ、各兵種が五列横隊で将軍とその護衛三〇〇騎を残し、地竜含む騎兵が斧槍の柄頭を鐙の側面に付いた支環に差して盾を装備し、速足で前進を開始し、それに歩兵と弓兵が続いた。
弓兵はアスボルス軍を射程距離に捕らえると、前進を止め長弓に矢を番え、騎兵と歩兵の進軍の援護射撃を開始した。
「準備っ。」
弓兵の一斉射目の矢の弾着位置を確認した騎兵隊長は、次の号令を発し同時に喇叭が三音吹かれ、騎兵達は斧槍の柄頭を支環から抜いて矛先を上に向け、駈足で更に速度を上げ前進する。
敵の歩兵が長槍を構えニンリルの騎兵の進軍を阻まんと備えるが、友軍の弓兵と飛竜乗り達が放つ矢の雨が、容赦無く襲いかかりそれを許さなかった。
「突撃っ。」
愈々敵の前面に近づいたニンリル軍は、騎兵隊長の再号令と同時に喇叭が四音吹かれ、甲冑の脇下に付いた昔名残の柄掛けに斧槍の矛先の重さを利用し柄を引っ掛けると、拍車を掛け前傾姿勢で襲歩で前進し、蹄鉄が大地を踏締める轟音と土埃を上げ、敵の前線に突撃を開始した。
それを合図に弓兵と飛竜乗りは同士討ちを避け、援護射撃を終了した。
騎兵が装備した斧槍は先端の矛で敵を突き、その下部の斧頭で敵を薙ぎ払い、斧頭と対の鉤で騎乗の敵の甲冑に引っ掛け、落馬させると言った三拍子揃った極めて洗練された武器だった。
鉄製の面当て・胸甲・頸当てを装備した軍馬と地竜は、体高が人の背丈よりも高く強靭な体力と持久力を有し、敵の歩兵と騎兵を蹴散らして薙ぎ倒し、既に飛竜乗り達の空襲で混乱しきったアスボルス軍の布陣を、容易に突破する事が出来た。
遅れて突撃してきた歩兵部隊は片手剣又は槍と盾を装備し、騎兵隊の突破口を起点に敵を駆逐していった。
「やりましたな殿下。」
地上部隊の援護を終え戦況を尻目に、ウィリスが意気揚々とアウグストの愛騎に騎体を寄せる。
そしてレムリクールとその他の面々も、ウィリスに倣ってアウグストの許へ集結する。
役目を終えた飛竜乗り達は、既に兜の面当てを開け放っていた。
今や戦の流れはニンリル軍に有って、アウリンダの落城は目前に迫っていた。
「君達の勝利だな。」
アウグストは微笑を浮かべ、ニンリルの飛竜乗り達を労った。
「これで一五年に及んだ戦争が終わるんですね。」
感慨深い面持ちで誰ともなしに声を洩らし、レムリクールが地上に視線を落とす。
「一五年か、長かった。
思えばアスボルスとの開戦当初から従軍し、失った戦友の数は知れず、ましてこの戦いの行末をこの目で見る事になるとは思ってもいなかったよ。」
虚空を見上げたウィリスの感慨は一入であった。
「陛下も敵の王都侵攻までは、望んでおられない様だ。」
アウグストはこの戦いに疲弊しきった飛竜乗り達を思って、敵の出方次第ではあるが既知の事実を洩らした。
「あれ、泣いてるんですかウィリス。」
不意に虚空を見上げるウィリスに視線を向けると、傾き掛けた陽に晒されて、その頬から伝い落ちるものが目に映った。
歴戦の戦士が涙を流す等、露程にも思っていなかったレムリクールが我が目を疑った。
「馬鹿、泣いて無い。目にゴミが入っただけだ。」
涙は疾うに涸れた筈だったが、咄嗟に我に返ったウィリスは顔を伏せて目頭を押さえる。
溢れ出る思いが止め処無く流れる。
「ほら、やっぱり泣いてるじゃないですか。」
歴戦の戦士が肩を震わせ涙を流しているのだから、レムリクールは悪戯心に茶化さずに居られなかった。
「うるさい馬鹿、こっち見るな。」
無様を呈している自覚は有ったが、溢れ出る思いは止められなかった。
『無粋な奴め。』と心の中でウィリスは罵った。
「あ、あれ、可笑しいな、私も涙が。」
緊張の箍が外れたのか、頬を流れ伝うものを感じ、レムリクール自身最早感情を抑える事は出来なかった。
気が付けば、共に死線を超えてきた者達がすすり泣き、生を噛み締めていた。
「さあ諸君、陸の戦いは未だ終わっていないぞ。」
許されるならば気の済むまで泣かせてやりたいところだが、この場の指揮官としての立場がそれを許さなかった。
アウグストは大地に視線を落とし、そしてニンリルの飛竜乗り達を見渡した。
「も、申し訳ありません殿下。御恥かしいところを・・・。」
飛竜騎兵団の暫定的な副官の立場にあるウィリスは、咄嗟に我に返り溢れ出る思いを胸に押し込め、謝罪と共に赤く充血した視線をアウグストに向けた。
「未だあそこに旗が立っていない。」
眼下のアウリンダの天守塔を指差しアウグストが笑みを零す。
「・・・まさか殿下。」
ウィリスは嫌な予感と不安が同時に押し寄せた。アウグストが戦場で笑みを見せる時は決まって、何か好からぬ考えがある時だった。
「そのまさかだ、我々なら出来ると思うが。」
今や戦意を喪失し崩壊する陸のアスボルス軍を尻目に、澄んだ熱い瞳をウィリスに向けた。
「いけません殿下、それは陸兵の仕事です。
未だ占領が終わっていない天守塔に降りるなどと。」
ウィリスの予感は的中した。確かに城の守備兵は鳴りを潜め、時折二重目の天守塔から戦況確認に姿を現すに留めていたが。
「いけません殿下、城内に残った兵数は未知数です。」
「やはり、駄目か。」
必死にその考えを諫めるウィリスに、半ば折れて俯くアウグスト。
「駄目です、危険です、今度は退きませんぞ。」
唯でさえ前線に出てその身を危険に晒す、この異邦の若い王子の意向に様々思考を巡らせたが、やはり答えは否だった。
騎士シェスタークの一件も相俟って、ウィリスは断固としてアウグストの意向を撥ね付けた。
「ふふ、それでこそ何時もの君だな。」
これ以上戦友を危険に晒す気は毛頭無く、場の湿った空気を一掃しようと一計を案じたものだったが、必死な形相で諫めようとするウィリスに、アウグストは失笑を禁じ得なかった。
「なっ。」
瞬時にアウグストの意向を解したウィリスであったが、それまでの感情と同時に訪れた安堵が混然一体となって顔が引き攣り、暫し時が止まった。
「あはは、一本取られましたねウィリス。」
歴戦の戦士もこの異邦の若い王子には敵わないなと無様な様子に、潤んだ瞳のレムリクールが悪戯心に追打ちを掛けた。
気が付けばニンリルの飛竜乗り達が声を上げて笑っていた。
「お前等、笑いすぎだ。」
羞恥を覚え場都合が悪いとばかりに、ウィリスは吐き捨てそっぽを向いた。
何時しか場の湿った空気は一掃されていた。
陸のアスボルス軍は壊走を始めていた。
飛竜乗りからの空襲と、数に勝る陸のニンリル軍の連携が、功を奏し戦意を挫いていた。
大地を赤黒く染め人馬の躯が散乱し、血臭が不吉の鳥と獣を誘っていた。
主を失た無数の武具や戦旗が墓標を醸し、凄惨を極めた戦の後を呈していた。
ニンリル軍が城外の敵を駆逐し、アウリンダ城にその矛先が向けられた頃、固く閉ざされていた城門は開け放たれ、白旗を掲げて守備兵が投降した。
その日の夕刻、アウリンダの天守塔にニンリルの御旗が掲げられ、ニンリル全軍が勝鬨を上げた。
ここに、ニンリル王国とアスボルス王国の一五年に及んだ戦いに、事実上の終止符が打たれた。
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