8.栄誉あるタンポポ団員
*前回までのお話*
ラブタームーラの町はいよいよ歪みがひどくなってきた。こうしてはいられないと、美奈子は緑を今日中にでも元の世界へ帰すことを決心する。
美奈子が早足で歩いていると、四辻の別の道から浩と元之にバッタリ出くわした。
「なんだ、美奈子。まだ、帰ってなかったのか」背負っているランドセルを見て、浩が驚いたように言う。
「そうよ、それがひどいんだから。校門を出たら、いきなりデパートに飛ばされちゃったのよ。中も歪みがひどくって、なかなか外に出られなかったの。そのあと、やっと表に出てみれば、また学校の外。だから、こうして急いでるの」
「わたし達もそうなんです。あちこち道を惑わされた上、ピラミッドの頂上に来ていました。そのあとも大変なものでしたよ」
「もう、家の近くだからあとちょっとね。また、いきなり飛ばされない限りは」
「とにかく帰りましょう。ランドセルを置いてきたら、美奈ちゃんの家の前に集合と言うことで」
そのあとはとくに道に迷ったりはしなかったが、商店街はおかしな具合になっていた。魚屋が八百屋になっていたり、肉屋が布団屋になっていたりと、見覚えのある道なのに、まるで違って見えるのだった。
ようやく3人は家に着き、浩と元之はランドセルを置きに、いったん戻った。
「ただいまあ」美奈子が家に帰ると、
「あら、緑は? 一緒じゃなかったの?」とおかあさんに聞かれた。
「緑がどうしたの?」今度はこっちが聞く番だった。
「ついさっき和久ちゃんが来て、緑を連れて行ったわ」
それを聞いて、美奈子はハッとした。もしかしたら、自分が緑と一緒に1億年の昔へ行くつもりなのでは? なんにしても、緑を連れ帰るのは自分の役目だ。そう思うと、急に悲しくなった。
美奈子はおかあさんにいきなり抱きつくと、
「おかあさん、いつもありがとうね。あたし、おかあさんのこともおとうさんのことも、絶対に忘れないから」
「まあ、どうしたの美奈子。まるで、どこか遠くへ行ってしまうみたいじゃないの」
「ううん、なんでもないわ。ただ、言葉には出さなかったけれど、いつも感謝してるって言いたかったの」そう言って、そっと目を拭った。
外に出ると、浩と元之がやって来たので、今聞いたことを話した。
「あいつめ、弱虫のくせに思い切ったことをしたな」浩が口元をきゅっと結んだ。
「とにかく、博物館へ向かいましょう」と元之。「わたしは道に迷いながら、ある発見をしたのです。思い出の小路の上では歪みが起こらないことをね」
「よし、あの道は博物館へ真っ直ぐ続いているから、ちょうどいい。もっとも、そこへ行き着くまでが問題だが」
3人はカエデ大通りを歩いて行き、思い出の小路へと出ることにした。今頃、和久だって道に迷ってうろうろしているはずだ。そう急ぐこともないだろう。
幸いなことに、思い出の小路までの間、歪みに引っ掛かることもなかった。だが、みんなの気持ちは焦っていた。
「万に一つ、和久が『魔女の家』に着いたとしても、怖がって引き返すか、うろうろしているだけだろうな」
「いや、そうとも限りませんよ。彼だって、本気になればきっと勇気を出すかも知れません」と元之。
「とにかく、この道を行く限り、あたし達は道に迷わないのね?」思い出の小路を歩きながら、美奈子が聞いた。
「ええ、ここは昔川だったそうです。今もこのレンガ敷きの道の下を水が流れているのです。思うに、星降り湖から分流しているおかげで、歪みが起こらないのでしょう。あの湖は不思議なところですからね」
思い出の小路はウネウネと町を横切っていて、普通に博物館へ行くには少々遠回りになる。それでも、歪んだ道を行くよりは、ずっと早いはずだった。
小路の両脇にはブロンズ像が点々と並んでおり、中には命を持っていて少しの間だけ空を飛べるワシのサリーナもいた。かつて、浩はサリーナの背に乗って、空からラブタームーラを見て回ったものだ。
また、ナナイロサウルスの感性の1つを見つけたのもこの通りである。だから、5人にとって、まさに「思い出の小路」なのだった。
3人は、レンガの道をどんどん歩いていった。両側には花が咲き乱れ、所々に背の高いヒマワリの花が咲いていた。
「ヒマワリを見ると、ああ、夏なんだなと思うね」浩は汗を拭きながら言った。
「あたしは、季節の中で夏が1番好き。暑いのは嫌だけど、木陰に座って本を読んだり、汗びっしょりになりながらコンビニや図書館へ入ったときの、あのほっとした感じがいいわ」
「突然雷とにわか雨が降ることもあるぜ」浩が冷やかすと、
「あら、それもいいものよ。どこかへ雨宿りしたり、走って帰ったり、それも夏、あれも夏よ」と言い返すのだった。
その時、元之が「おやっ」と声を出した。みんなが一斉に脇道を見ると、和久が緑の手を引いて歩いているのだった。
「先回りしましょ」美奈子が思い出の小路の、もう1つの脇道で待っていると、通るはずがいつまで経っても姿を見せない。
「いないわ……」
「きっと、歪みに引っ掛かってしまったのでしょう。わたし達はわたし達で先を急ぎましょう。和久君より先に、金の鍵を手に入れなくてはなりませんからね」
この時、誰も――和久さえも――気付いていなかったが、何も博物館へ行って鍵を受け取る必要はなかったのである。
何しろ、和久も美奈子も魔法使いなのだ。魔法で呼び寄せれば済むだけのことだったのに。
誰もが今後のことで頭がいっぱいだった。それで気がつかなかったのだ。
2丁目にある学校のそばを過ぎ、1丁目の林へ出た。ここまで来れば、博物館ももうすぐだ。
「ここら辺はもう星降り湖の近くだから、歪みは起こらないでしょうね」と元之がつぶやいた。
実際、思い出の小路から、博物館へと続く脇道へ出ても、なんの異変もなさそうだった。
3人は急に足早となり、博物館を目指した。
タンポポ団の5人は、いつ来ても無料で入場できた。それは、例のナナイロサウルスを発見した貢献によるものだった。
入り口の券売所でも、「あ、どうもいらっしゃい」と言われただけである。
3人も会釈して、中へと入っていった。町中が歪んでいるせいか、ほとんど客がいなかった。辺りを見回したが、館長の姿は見えない。きっと、館長室だ。
美奈子はノックと同時にドアを開けた。
「おや、君達かね」館長はイスに座ったまま振り返った。
「館長、このあいだ預けた金の鍵を返してもらえますか?」と美奈子が頼むと、館長はちょっと驚いた顔をした。
「鍵だって? つい今しがた、和久君が取りに来たが?」
「しまった、先を越されたか」と浩。
「失礼します」元之はお辞儀をして部屋を出て行った。そのあとを2人が追う。
「やっぱり、和久君は自分が犠牲になるつもりなのですよ。さあ、急ぎましょう」元之を先頭に、3人は湖畔を走る。通称「魔女の家」をめざすのだ。
右側にキラキラと美しく輝く夕方の星降り湖を望みながら、誰もがいつになく真剣に走った。
星降り湖を挟んで、博物館のちょうど反対側に魔女の家があった。館長は密かに、彼女こそが5人の魔法使いの1人だと信じている。もっとも、本人は否定しているのだが。
森の中はうっそうとしていて、本物の魔女が住んでいても不思議ではない様相を呈していた。薄暗く、どこか気味が悪い。
いつもの和久なら、例え緑が一緒だとしても尻込みしてしまうだろう。
森の中をうろうろとしながら、獣道さながらの細い1本道を見つけ、やっと走るのをやめた。
「はあはあ、着きましたね」元之は膝に手を当てて息を切らせている。
美奈子も浩もそれは同じだった。
「ふうふう、やっと……ふうふう、ついたわ……」
「はあはあ、じゃあ、行こうとしようぜ」浩が真っ先に立ち上がる。その一声を合図に、全員がぞろぞろと魔女の家へと続く細い道を進んだ。
元之がドアをノックする。
「すみませーん」
しかし、誰も出てくる様子がない。取っ手を回してみると、鍵は開いていた。
「この際です。仕方がないので入りましょう」元之はドアを開け、入っていった。そのあとを浩、美奈子とついていく。
中は誰もいなかった。ただ、前に来たときに見た大きな柱時計の掛かった壁が、まるでドアのように開いている。
「隠し扉ですよ」ひそひそと元之がささやく。「どうやら、地下へ続いているらしいですね。下りてみましょう」
一同が下りていくと、レンガで周りを固めた狭い部屋があり、三本刺しロウソクの光だけが周囲を照らしていた。
「どなたです?」声がする方を見ると、例の魔女と噂されている老婆が立っていた。
「和久って子が来てませんか? 小さな男の子を連れて」美奈子は早口で尋ねた。
「きてますとも。ほら、奥に金の扉が見えるでしょう? 今、あの中に2人とも入りました」
言われた方を見ると、確かに金色に輝く扉が見えた。閉まりかけた扉の向こうに、和久と、そして緑がいた!
「待って! 扉を閉めないでっ!」美奈子は大声で叫んだ。一瞬、和久がニコッと笑ったかのように見えた。そして、扉は閉まった――。
美奈子は慌てて扉のノブを回したが、うんともすんとも言わなかった。
「あなた方は、前にもここへ来た子供達ですね。金の鍵がなければ、その扉は決して開きませんよ」老婆は落ち着いた声で答えた。
「その鍵はどこですかっ」老婆に迫るように美奈子が言う。
「先代からの言い伝えですけれども、役目を終えれば虹のたもとに返っていくそうですよ」
「あたし、このあいだの場所へ行って、鍵を取ってくる!」そう言って出て行こうとする美奈子の腕を、浩が力強く引き留める。
「お前が行ってどうする? それに、あそこにゃ鍵なんかねえよ。あくまでも虹のたもとなんだからな」
「あたし――あたし――」美奈子はしゃがみ込むと、両手で顔を覆ってわんわんと泣いた。
「おれ、和久に悪いことを言っちまったな。あんな勇気のあるやつ、他に見たことがねえよ」
「まさしく、栄誉あるタンポポ団員ですね」浩も元之も、流れこぼれる涙を拭くことさえ忘れていた。
*次回のお話*
9.運動会