7.美奈子の決心
*前回までのお話*
虹のたもとで見つけた金の鍵には魔法文字が書かれていた。博物館の館長に解読してもらうと……。
美奈子はいつものように学校へ向かった。ところが、昨日以上に道が歪んでいて、何度も言ったり来たりを繰り返すはめになる。
それも、昨日までは、その場で待っていれば数秒から数分で元に戻るのだったが、今日に限ってそうはならなかった。いつまでも歪んだままなのである。
「ますますひどくなってるなあ」辺りに誰もいないことを確認して、「ピュアリス! 道よ、元に戻れ!」とつぶやいてみた。
ところが、まったく効果が現れなかった。1億年の時の重みのせいか、さもなければ魔法の性質が違うのだろう。
「だめかぁ。これで歪みが解消できるんだったら、町中歩き回っても、魔法で修正していくんだけどなあ」そうすれば、何も緑を元の世界へ帰す必要も無くなるのに。
あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら、ようやく学校に着いた頃には、30分も遅刻してしまっていた。
しかし、生徒は半数しかいない。おまけに担任の小倉先生もまだ来ていないようだ。みんな、道の歪みに惑わされて来るのが遅れているのだった。
暇なので窓から外を見渡してみると、まるで動くパズルのように道が入れ替わるのがわかった。せっかく校門までやって来たのに、どこかへ飛ばされる生徒もいた。
席の方で話す声がする。
「早く魔法使い達が元に戻してくれればいいのに」
「そうよ、こういう時のための魔法使いでしょ? それも5人いるっていうのにさ」
美奈子は胸がちくちくと痛んだ。自分がその1人で、しかも役にも立っていないどころか、元はといえば魔法昆虫で緑を呼び出してしまったのが原因なのだ。
2時間目の始業チャイムが鳴る頃、ようやく全員が揃った。小倉先生も慌てたようにやって来て教壇に立つ。
「クルマで走ってたら、四辻で角から来たよそのクルマとぶつかりそうになっちゃってね」と先生。「幸い、このところの道の歪みのせいで、お互いに用心して走っていたから事故にはならなかったけれど」
そうか、車道も歪むから、いつ大事故が起きてもおかしくないんだわ、と美奈子はゾッとした。こうなったら、日曜日までなんてのんきなことは言っていられない。今日、帰ったらさっそく緑を連れて1億年前に戻さなければ。
とたんに悲しくなり、思わず涙をこぼしそうになった。緑を連れて帰るのは自分の役割だ。それはもう、とっくに決めていることだった。
同時に、大好きなこのラブタームーラの町を去ることになるのである。親とも友人とも離ればなれになり、緑と一生を過ごすのだ。
そのとき、放送が始まった。
「全校生徒の皆さん、この異常事態が収まるまで、学校を休みにします。家に帰ったら、できるだけ外には出ないようお願いします」
教室中、不安感を残しながらも、ワーッと喜びの合唱が起きた。
「みんなー、帰り道も十分に気をつけるのよ。とくに曲がり角は歪みが起こりやすいから注意してね。じゃあ、各自、準備が整ったら帰っていいですよ」小倉先生は心配そうにそう告げた。
下駄箱では、浩、元之、和久が美奈子を待っていた。
「おい、美奈子。驚く話があるんだ。誰にも聞かれないように、校舎の裏へ行こうぜ」浩がそうせかす。
「わたしも、初めは信じられませんでしたよ」そう言って元之が肩をすくめた。
「なんなの、いったい? あたし、急いで帰りたいんだけど」
「まあ、そう言うなって。すぐに済む話だからよ」
美奈子は渋々3人についていった。
校舎裏に着くと、浩は堰を切ったように話し出した。
「あのな、例の雨降りお化けのフラリっていたろ? あいつ、旅に出ちまったんだってさ」
「梅雨が晴れたって言うのに?」
「梅雨が晴れたからでしょう、きっと。どこか湿ったところでも探しに行ったのかもしれませんね」元之が口を挟む。
「そのフラリがね、実は5人の魔法使いの1人だったんだ!」思わず声が大きくなった和久を、みんなが慌てて止める。「ごめん、ごめん。つい興奮しちゃってさ」
「フラリがいなくなって、ちょっと寂しくなるわね。でも、びっくりするほどのことじゃない気がするけど」美奈子が言うと、待ってましたとばかりに浩が続きを話し出した。
「そのフラリがよ、なんと和久を魔法使いに任命したんだ」
「なんですって!?」今度は美奈子がみんなにたしなめられる番だった。
「静かに、静かにですよ、美奈ちゃん。ごらんなさい、驚いたでしょう?」
「そりゃあ、驚くわよ」そのあとに心の中で、タンポポ団の中で1番臆病で、判断力にも欠けた和久が、よりにもよって魔法使いだなんて、とつぶやいた。
「やはり、あなたが校長先生から聞いたという、タンポポ団の5人が魔法使いになるというあの話、本当になるかも知れませんね」
「5人揃えば、この異変を止められるかしら?」
「美奈ちゃん、あなたこのあいだ自分で言っていたではありませんか。5人揃っても、多分無理だろう、そう校長先生に聞かされたのではなかったですか?」
「ああ……そうだったわ」美奈子は一瞬湧いた希望がガラガラと崩れる音を聞いた。
「それで、誰が緑君と向こうへ行くか決心のついた人はいますか?」
元之が尋ねると、美奈子が堂々と、「あたしが行くわ。もう覚悟はできてるの。それに、元はといえばあたしのせいなんだもん」
「そんなに軽く決めちまっていいのか。お前が行くのは1億年前なんだ。そして、2度と帰ってこれねえんだ」いつになく真剣な面差しで浩が言った。
「そうですよ、美奈ちゃん。なんなら、ジャンケンでもかまいませんが。和久君はどうですか。震えているじゃありませんか。ジャンケンに加わらなくてもいいのですよ」
「いいえ、あたしが行くわ。ほかの人を犠牲にしたくないしね」
あんまり断固とした態度で言う者だから、浩と元之は顔を見合わせた。
「本気なのか、美奈子。よく考えて決めろよな。それに、もしかしたら、他に方法があるかもしれないし――」浩が言いかけると、
「もちろん、本気よ。昨日博物館で鍵に書かれている文字を聞いてから、ずっとそう考えてたの。それに、他に方法っていったって、何も見つからないじゃないの。このままじゃ、ラブタームーラはめちゃめちゃよ。早いところ終わらせなくちゃ」
「わかりました。そこまで言うのなら、あなたに頼むとしましょう。せめて、見送らせてください。全員で博物館へ行って鍵を受け取り、『魔女の家』で別れを告げさせてください」
その時、和久がダダッと走り出し、先に学校を出て行ってしまった。
「ふん、弱虫めが。だから、あんなやつ、初めからタンポポ団になんか入れなきゃよかったんだ」浩は軽蔑しきったように鼻を鳴らした。
「まあまあ、人それぞれですから。わたしだって恐ろしいですよ。和久君の気持ち、よくわかります。ですから、そう攻めないでやってください」
「それで、いつやるんだ?」浩が聞いた。
「今からよ。家に帰って緑を連れ、博物館に行くの。それから『魔女の家』へ出発よ」
「では、参りましょうか。あなたと別れるのは胸が痛いですが、決心が固いようですから、もう止めません」
3人は校門目指して歩き出した。先に浩、元之と通学路に出たが、美奈子が出た先はまったく別の場所だった。
「何よ、これ!? デパートの中じゃない」確かにそこは、いつも行く駅前のデパートだった。服売り場で、洋服がきれいに並べられている。
「早く帰らなくちゃ」美奈子はエレベーターに向かった。エレベーターはすぐにやって来たので、急いで乗り込み、1階のボタンを押した。
「1階に参ります」とアナウンスがあり、階数がどんどん下がっていく。
ようやく1階について、外へ駆け出すと、なんと屋上だった。
「ここも捻れているんだわ。仕方ない、階段で行こうっ」美奈子は階段を駆け下りていった。7階建てのデパートだったので、帰って遠回りになってしまった。
はあはあと息を切らせながら、ようやく1階に着いたが、今度はおもちゃ売り場に出てしまう。
「困っちゃうな、これじゃいつまで経っても出られやしない」今度はエスカレーターに乗って下りることにした。しかし、おもちゃ売り場の下は家具売り場なのに、なぜか地下の食品売り場へ来てしまった。
「このすぐ上なのになあ」美奈子は階段で上へ上がってみた。すると、レストランへ出てしまう。
試しにトイレのドアを開けてみた。ドアを開けると、そこは校門だった。
「やれやれだわ。早く、家に戻らなくちゃ」結局、そこまで行き着くのにたっぷり30分はかかってしまった。そこからおよそ15分歩くのだが、またしても歪みにはまってしまい、どうしても帰ることができずにいた。
一方、浩と元之も歪みに悩まされていた。見晴らしの塔まで来たのはいいが、プラタナスの林を出ると、なぜか三角山――通称ピラミッドのてっぺんにいたり、苦労して下りると、よりにもよっていつも避けて通る大きなイヌのいる通りに出ていた。
「どうする? 引き返すか、このまま行くか」浩は立ち止まって元之に相談した。
「このまま行きましょう。いくら大きなイヌだからと行っても、ちゃんと鎖でつながれているので大丈夫ですよ」
2人がびくびくしながら通ると、塀の上からイヌが顔を出し、ワンワンと吠えだした。本当に大きなイヌだった。牛ぐらいありそうである。噂を聞いて、前に探検に来たことがあったのだが、実物を見て肝を冷やしたものだった。
浩と元之は慌てて逃げ進んだ。
その頃和久は、とぼとぼと家路についていた。
心の中では後悔でいっぱいだった。どうして逃げてしまったんだろう。やっぱりぼくは弱虫で臆病なんだ……。
「だけど、ぼくは魔法使いになったんだ。今までとは違う。それに臆病者だって、心の中の勇気をかき集めれば、きっと行動ができるはずだ。そうだ、今こそぼくがやらなければならないときなんだ。このままでは、心の底から卑怯者になってしまうもの。ぼくがやらなければ美奈ちゃんがきっと行ってしまう。そうなったら、ぼくは今後生涯、後悔し続けなければならない。やろう。ぼくがいなくなったって、どうせ誰も気にかけたりはしないし、まさにうってつけじゃないか。こんなぼくだって、タンポポ団の一員なんだからな」
和久は家には寄らず、そのまま素通りして美奈子の家へ向かった。幸い、ほとんど歪みに出くわさなかったので、誰よりも1番に着いた。
美奈子の家をチャイムが鳴り響く。
「はぁい、どちらさまですか?」美奈子の母が洗い物の手を休め、エプロンで手を拭きながらドアを開けた。
そこには和久が立っていた。
「あのう……緑ちゃんはいますか?」
*次回のお話*
8.栄誉あるタンポポ団員