6.フラリの旅立ち
*前回のお話*
鍵に刻まれた魔法文字を解読してもらおうと博物館へ行くと、それどころではない大事件が待ち受けていた。
7月も半ば、長かった梅雨もやっと明けた。そんな放課後の帰りだった。
「昨日はさんざんだったわね」美奈子が言う。
「今日こそは鍵に書かれた魔法文字を解読してもらおうぜ」と浩。
「鍵にはおそらく、過去へと導く呪文が書いてあるのでしょう。ただ、このなかで魔法が使えるのは美奈ちゃんだけなので、頼りにしていますよ」元之が美奈子にうなずいてみせた。
博物館は夕方5時までなので、まだ人が出たり入ったりしていた。
「人が多いなあ。魔法を使うんだったら、裏の森でやろうね」和久がそう提案する。
「そりゃあそうだ。人前じゃ、美奈子が魔法使いだってことがばれちまう」
「まあ、とにかく館長に会いに行きましょう」元之がせかす。「あの人のことだから、すぐには読み解けないでしょう。その間、わたし達は博物館の中をうろうろして待つことにしましょう」
中に入ると、館長が中空を見上げてぼんやり立っていた。ついこのあいだまで、ナナイロサウルスの骨格があったところだ。きっと、先週の日曜日も、三つ子山へ行って穴を掘ってきたのだろう。そして、今回も収穫がなく、がっかりして帰ってきたのに違いない。
「館長っ」できるだけ明るい調子で美奈子は呼びかけた。館長はハッとしたように振り返る。
「やあ、また君達か。そうそう、昨日の騒ぎは無事収まったよ。君達が出かけていって1時間も経たないうちに図書館から電話があってね、日本語大辞典が秘密の部屋に戻ってきたそうだ。しかも、誰も触れられないように魔法がかけてあったそうだ。わしが思うに、あれは5人の魔法使いの誰かが取り戻し、そして今後2度と盗まれないよう、そうしたんだと思う」
美奈子達は互いの顔を見合った。思わず笑い出してしまいそうなのを我慢して、
「それで、犯人は見つかったんですか?」ととぼけて聞いてみる。
「いやあ、それが手がかり1つ見つからなかったそうだ。日本の警察は優秀だと聞いたんだがなあ」
「そうなんですか。でも、もう誰にも触ることができないんじゃ、そのドロボウもあきらめるしかないでしょうね」
「うむ、その点は安心できるな。秘密の部屋はさらに厳重な鍵を付けるそうだしね」そう言ってから、「そういえば君達、昨日はわしに何か用事があるんじゃなかったのかね?」
「ええ、実はこれなんですけれど……」美奈子はポケットから例の金の鍵を取り出すと、館長に渡した。
「ふうむ、なにやら魔法文字が書いてあるな。これをどこで?」
「話がややこしくなるので、簡潔に説明します」と元之が割って入った。「実は、緑君がこっちの世界へ無理やり連れてこられてしまったため、ラブタームーラの町中がおかしなことになっているんですよ」
「ああ、それはわしも気付いておる。道が急に変わったりする現象のことだね?」そう言って、困ったようにあごをなでる。
「この鍵には、緑君を元の世界へと戻す魔法の呪文が書かれているらしいんです。どうか、解読していただけないでしょうか」
「なるほど、そういうことか。よし、さっそく取りかかってみよう」館長はちらっと緑を見下ろした。今にも泣き出しそうな顔でうつむいている。そして美奈子もまた、絶望のどん底にでも突き落とされたような悲しげな顔で溜め息をついていた。
館長は内心、2人ともつらかろうな。本当の姉弟のように、あんなに仲がよかったのだから、と同情した。しかし、このまま放っておけば、ラブタームーラ中がますます混乱しかねない。かわいそうだが、緑には元の世界へ戻ってもらうしかあるまい。
全員は、館長室へと入っていった。隅っこには、今もあの百虫樹が置いてある。よく見ると、1つだけ割れたままの繭がぶら下がっていた。今思えば皮肉なことに、それこそが緑をこの世界へ呼んだ魔法昆虫、ヒカリアゲハなのだった。
しかし、まったく害のない魔法昆虫とわかり、緑のたっての願いもあって、わざと逃がしてしまったのだった。
「魔法辞典で調べるからな。しばらく時間がかかるかも知れん。閉館になっても鍵は開けたままにしておくよう、助手に言っておくから、館内を見て歩くといい。もっとも、とっくに見飽きたろうがね」そう言って笑いかけたが、みんなのあとをとぼとぼとあとをついていく緑を見ると、額にしわを寄せるのだった。
フロアに出た5人は、見慣れた剥製やレプリカ、骨格標本などをつまらなそうに見て歩いた。こんな気分でもなければ、何度見ても面白いものなのに。
「せめて、シャルルーが帰ってきてくれたらなあ」ぼそっと美奈子がつぶやいた。
「そうですね。彼女の背中に乗って、再び星降り湖の底にあるという、1億年前の世界へ緑君を帰してやれるでしょうに」
「いったい、どこへ行っちまったんだ、あの恐竜はっ」浩がいらだったように片足を踏み鳴らした。
「恐竜ではありませんよ、浩君。クビナガリュウです。まあ、そんなこと、今さらどうでもかまいませんが」元之が肩をすくめる。
「きっと、死んじゃったんだよ……」悲観的な和久が首をうなだれる。
「ばかなことを言うんじゃないわよっ。シャルルーは魔法の生き物なのよ。そう簡単に死んでたまるもんですか」
「だって、約束の場所を何度掘っても出てこないって言うじゃないか」
「そりゃあ――」美奈子は言葉に詰まった。「きっと、何か事情があってあそこにいないのよ。そのうち、ひょっこり現れるわ、きっと」最後の「きっと」は、ぜひそうあって欲しいという、美奈子の願いでもあった。
一同は、2階へ上がって類人猿の作り物を見たり、1階へ戻って館内を一周してみたりを繰り返した。
そのうち客もいなくなり、閉館の時間がやって来た。学芸員達があちこちを点検しながら、出入り口に鍵を掛け始めた。ただ1箇所、正面の入り口だけを残して。
「お姉ちゃん、ぼく、なんだか不安になってきちゃった」と緑が美奈子の手を握る。「向こうに戻れるかどうかもわからないんでしょ? それに、ちゃんと帰れたとしても、もうお姉ちゃんも浩兄ちゃん達もいないんだもん。シャルルーだって、もしかしたらどこかへ行っちゃってるかもしれないんだよ」
美奈子はしゃがんで緑の目をじっと見つめた。
「あんた、男の子でしょ。ちゃんとしてなきゃダメよ。大丈夫、あんたを元の世界へ必ず戻してあげる。それに、シャルルーだって、きっとあんたを待ってるに違いないわ」
浩も元之も言葉がなかった。和久など、目から光るものをハンカチでそっと拭いている始末である。
そのとき、館長室から、「わかったぞっ。鍵に書いてある文字がすべて解読できわい!」と大声が響き渡った。
5人は我先にとばかり、館長室へと駆けていった。
「それで、それでっ」美奈子は大いに館長をせかした。
「いったい、なんて書いてあったんですか」1番落ち着いている元之が尋ねた。
「慌てなさんな。ここには呪文など書いてなかったよ」
それを聞いて、一同はがっかりした。
「こう書いてあったのだ。『星降り湖の森の家の地下に、1億年もの昔へ旅をする金の扉がある』とな」
全員の顔がぱあっと明るくなった。1億年昔、それこそ緑の故郷なのだった。そして、星降り湖の森の家といえば、いわゆる「魔女の家」に違いなかった。
「よし、今すぐみんなで行こう!」浩はもうドアから出かかっていた。
「まてまてっ。話はまだ済んでない。いいかね、よく聞きなさい。『扉は2人一緒に入らねばならない。そして、行った者は2度と戻ってはこれない』」
「ラブタームーラは過去へしかいけないんだな、まったく!」浩は悔しそうに言った。
「未来はこれから作られるものなのですよ、浩君。行くことなど不可能です」
「しかも、2人同時に部屋に入らなければならないなんてっ」美奈子はもうどうしていいかわからなくなっていた。これじゃ、緑だけ送り返してやることもできやしない。
「館長、しばらく鍵を預かっていてください。わたし達で何か妙案がないか、考えてみますから」元之が頼んだ。
「それはかまわないが、誰が一緒に行くというんだね?」
「それはわかりませんが、きっと考えついて見せます。いいえ、考えなければならないんです」元之はキッと口元を固く結んだ。
博物館からの帰り道、誰1人として口をきく者はなかった。行くとしたら、緑を除いて4人の中の1人である。みんな、それぞれに考えをまとめようとしていた。
ただ1人、美奈子は、それは自分の役目だと思っていた。仮にも緑の姉であり、これまでもずっと面倒を見てきたのである。
けれど、ひとりいなくなった魔法使いはどうしよう? 残りの3人から選ぼうか。
緑に言わせれば、向こうの世界も住み心地がよいそうだ。2度と帰れなくても、緑と一緒に暮らせれば、それはそれで幸せなことかも知れない。
いずれにしても、美奈子にはそれだけの覚悟がで来ていた。今度の日曜日まで名残を惜しんで、それから旅立とう。緑も、きっと喜んでくれるはずである。
和久も真剣に悩んでいた。誰が一緒に行くか。本当は大人がいいんだけどなあ、と思うのだが、知らない土地へ、しかも2度と戻れないなんて、引き受けてくれる者がいるはずもない。
第一、緑が好きなのはこの4人なのだ。もちろん、美奈子の父や母も大好きだとは思うが、それでは美奈子を悲しませてしまう。
魔法を使って、1億年前から戻ってこられないだろうか? いや、それはだめだ。元之が言っていたように、未来は作られるものだ。ありもしない世界へ行くことなど、できやしない。第一、彼は魔法使いでもなんでもないのだ。
そんなことをぼんやり考えているうちに、他の4人からずいぶん離れてしまっていた。
「待ってよーっ」和久が駆け出すと同時に、4人は角を曲がって行ってしまった。急いで角を曲がると、もうそこには誰もいなかった。というより、まったく別の道が続いていた。
「あーあ、また例の歪みかあ」幸い、そこは自分の知っている道だった。中央公園のそばである。ずいぶん飛ばされてしまったが、引き返せば済むことである。
そのとき、手前を雨だれ模様に緑のローブ、白いチューリップハットをかぶった、やせて背の高い人物が歩いて行くのに気がついた。雨降りお化けのフラリ、実はスズランの精霊である。
「おーい、フラリー」和久が呼ぶと、立ち止まって振り返った。
「おや、和久君じゃありませんか。今頃の時間にどうしたんですか?」
「ラブタームーラの道が歪んでてね、それでこっちまで飛ばされてきちゃったんだ。フラリこそどうしたの? 雨どころか、こんなに晴れているのに出歩いていてさあ」
「梅雨も上がったことだし、わたし、ちょっと旅に出ようと思いまして」
「旅って、どこまで?」
「さあ、気の向くまま、足の向くままです」
「そっかあ、寂しくなるね」
「そうだ、あなたに贈り物があるんです。受け取ってもらえませんか?」フラリが近づいてきた。
「ぼくに贈り物? それ、なんなの?」
フラリは答える代わりに、呪文を唱えた。
「リリウス! この者の本当の言葉を思い出させたまえ!」
「えっ?!」和久はびっくりした。フラリこそ5人の魔法使いの1人だったのだ。
「さあ、あなたの本当の名前を言ってごらんなさい。それでわたしの名前を忘れさせてください。今度はあなたが魔法使いです」
「ぼくの本当の名前……シノラアス、そう、シノラアスだ」和久はフラリに指を指し、こう唱えた。
「シノラアス! この者の本当の名前を忘れさせたまえ!」
こうして、和久とフラリは魔法使いの資格を互いに交換した。
「元気でね、フラリ」和久は思わず手を振って別れを告げた。
フラリもペコリと会釈をすると、「また、いつか会えるといいですね」
そう言って去って行ったのだった。
*次回のお話*
7.美奈子の決心