4.虹のたもと
*前回までのお話*
このあいだまで何もなかったところに、「海の家」ができていた。一見、銭湯のようだが、入ってみると、なんと本当の海が広がっていた。
学校の帰り、さっきまで降っていた雨がやみ、中央公園の方角に虹が架かっていた。
「虹のたもとには、宝物が埋まっているという伝説がありますね」元之がそうつぶやくと、
「ほんとかよ、じゃあ、今すぐ行って探しに行こうぜ」と浩が鼻息を荒くする。
「そんなの迷信に決まってるじゃないの。第一、虹には決して近づけないのよ。ウソだと思ったら、追いかけてみなさいよ」美奈子はばかにするようにそう言った。
「ようし、見てろよっ」そう言うと、浩は虹に向かって駆け出していった。遙か向こうの角を曲がって、しばらく帰ってこないな、と思っていたら、とぼとぼと歩いて戻ってきた。
「どうなってんだ、ありゃあ。美奈子の言う通り、いくら走っても近づけやしねえ」
「浩君、虹はですね、太陽光線を受けた水滴が光を四方に発散して七色に見えているのですよ。だから、どんなに近づいても常に同じ場所に見えているというわけです」元之がそう説明する。
「ちっ、じゃあ虹の宝物なんか探せっこないじゃねえかよ」浩はそう口を尖らせた。
「浩君、だから、あれは伝説なんだってば。ぼくも、絵本で読んだことがあるけどね」和久は、もしそれが本当だったらいいな、そんな口調で浩を慰める。
4人が虹を見上げていると、次第に薄くなっていき、ついには消えてしまった。
「さあ、帰りましょうか」と元之。
「おばかなが1つ利口になったということで、それが虹の宝物だったと思えばいいじゃない」美奈子が皮肉交じりに言う。
「ばかで悪かったな。でもよ、やっぱり不思議なものは不思議だぜ。まるで星を取ろうと高いところに上っていくようなものだもんな」
「星の場合は遠くに見えるだけでなく、実際に遠くにあるのですよ、浩君。どんなに近い星でも、地球から光の速度で数年から数十年かかるのです。虹とはわけが違います」
「そんなことはわかってるけどよ、虹ってまるで手を伸ばせば届きそうな気がしないか?」
「ああ、それはあるなあ。鳥にでもなってビューンと飛んでいったら、虹をくぐれそうな気がするもん」和久は夢見るように瞳を輝かせた。
「そうね。鳥になれたら虹に追いつけそう」美奈子までそんなことを言い出す。
「それでもそばへ行けないのが虹なのです。科学的に考えれば単純なことなのですが、でも、実際に眺めていると確かに幻想的ですよね」元之が締めくくった。
次の朝、学校へ行こうとした美奈子が、いつもの道を通って角を曲がった途端、行き止まりになっていた。
「あれ、道を間違えたみたい」
いったん引き返し、もう1度角を曲がってみると、そこは見慣れた通学路だった。
「それにしても、なんで間違えたりしたんだろう。毎日通る道なのに」そう独り言を言いながら首を傾げるのだった。
教室に入り、机にランドセルを引っ掛けると、納得のいかない顔をしながら浩がやって来た。
「どうしたの、浩?」
「それがさあ、今日はどうも寝ぼけていたらしく、道を間違えたんだよ。カエデ大通りを歩いていたつもりが、いつの間にか思い出の小路に出ちゃってな。慌てて引き返したけど、もう少しで遅刻するところだったぜ」
「あら、あたしも今日、道を間違えたのよ。なんなのかしら、2人揃って迷うなんて。おかしな偶然があるものね」
道が勝手に移動するはずもないし、お互い、勘違いということでその場は話が済んだ。
帰り道は何事もなく無事、家にたどり着いた。美奈子はドアを開け、中に入ろうとしてギョッとした。自分の家ではなかったのだ。
そこへ、本来の家の主である元之が帰ってきた。鉢合わせて、お互いに驚いた顔をする。
「いらっしゃい、美奈ちゃん。何か用でもありましたか?」戸惑いながらも元之がそう言う。
「違うの。あたし、自分の家に帰ったつもりなのに、ドアを開けたら元君の家にいたのよ。これって一体、どういうこと?」反対に聞き返す美奈子。
「うーん、美奈ちゃんの家はすぐそばだから、きっとうっかりしてしまったんでしょう。何か考え事でもしながら歩いていたんじゃありませんか?」
「そうかなあ。確かにあたしの家だったんだけどなあ……」
「そうと考えるより仕方ありませんよ。家は動いたりしないですからね」
「そうね。今日は朝からぼんやりしてるわ、あたし。道は間違えるしね。とにかく、失礼しました。次は間違えず自分の家に戻るとするわ」
美奈子は恥ずかしさと混乱で、とにかく早く帰りたくてたまらなかった。
元之の家を早足で出て行くと、およそ30秒で自分の家にたどり着く。しばらく家を見上げ、今度こそ本当に自分の家だと確信してドアを開いた。
「お姉ちゃん、お帰りー」奧から緑が走ってくる。間違いない。自分の家だった。
「これってどういうこと? あたし、そんなに疲れてたのかなあ。それとも、まさか頭の病気じゃないでしょうね」美奈子は不安に襲われた。
次の日、内心ハラハラしながら通学する美奈子。いちいち、場所の確認をしながら進んでいく。どこも毎日通る見知った道だ。
結局、何事も起こらず、無事に学校へ着くことがで来た。
ところが、和久が今日はまだ来ていない。いつも誰よりも早く来るのに。
1時間目が15分ほど過ぎてから、息せき切って、和久がやって来た。
「あなたが遅刻なんて珍しいわね」小倉先生は叱るのも忘れて、すっかり驚いている。
「すみません、先生。でも、途中で迷子になってしまって」と鳴きそうな声で詫びる和久。「いつもの道を歩いていたのに、気がついたら4丁目の原っぱに来ていたんです。ぼくも、なんでそうなったのかさっぱりわからなくって」
「4丁目っていったら、あなた。学校とはまったく反対方向じゃないの。体は大丈夫なの? 気分が悪いんだったら、帰ってもいいのよ」
「いいえ、大丈夫です。ちょっと走ったので息が切れているだけですから」
ここにいたって、これはただ事ではないな、と美奈子はきづいた。きっと自然魔法に違いない。しかし、そうだとしても、こんなに頻繁に起こるものだろうか。
学校が終わって、美奈子は1人、残ることにした。
「あたし、校長先生に会ってくるわ。あの人なら、魔法に詳しいし、きっと何かわかるに違いないわ」
「わかりました。力になれることがあったら言ってください。何しろ、魔法使いはあなただけなのです。それでも、協力できることがあるでしょうから」
美奈子は放課後の学校を校長室に向かって歩いた。校長室につき、ノックをしようとすると、中から「お入りなさい」と声が聞こえてきた。
おそるおそるドアを開けると、校長が落ち着いたそぶりで座っていた。
「校長先生、あのう、相談したいことがありまして――」
「まあ、お座りなさい。深呼吸をして、少し落ち着きなさいな」
美奈子は、言われたとおり、深呼吸をして気持ちを整えた。
「それで相談とはなんでしょう?」校長は優しく尋ねた。
「実は、町に異変が起こっているんです。道が変わってしまったり、家のドアがよそのうちになってしまったり。もっとも、すぐに元に戻るんですけれど……」美奈子は自分のみの周りに起きた出来事を話した。
校長は目を閉じ、しばらくの間うつむいていた。やがて顔を上げ、静かにこう言った。
「こうなるのではないか思っていました」
「どういうことですか?」
「わたくしと博物館の館長とは親しい間柄です。当然、緑ちゃんのことも聞いています。なんでも、1億年前から連れてこられたそうですね」
「はい、そうなんです。何度か故郷に戻る手段があったんですが、ラブタームーラに残りたいというので、あたしの弟ということにしてこちらに住んでいます。もちろん、あたしもあたしの家族も大歓迎なんですが」
「わたくしが思うには、緑ちゃんが無理やり時を超えてこちらへやって来てしまったので、時間と空間が歪んできているのだと思いますよ。いまはまだこの程度で済んでいますが、そのうちにもっと大変なことになるでしょうね」
「どうしたらいいでしょう?」
「緑ちゃんを1億年前に返すしかありません」
それを聞いて、美奈子は頭を金槌で殴られたような気がした。
「緑がここにいたまま、この異常な現象を止める方法はないでしょうか?」ダメは元々で聞いてみた。
「緑ちゃんがラブタームーラにいる限り、この異変は続くでしょう。たとえ、魔法使いが5人集まっても、それを正すことは不可能だと思います」
美奈子は絶望のどん底に突き落とされてしまった。しかし――。
「ああ、でも、緑を元の世界へ帰す方法はもうないんです。光アゲハはどこかへ飛んでいってしまったし、ナナイロサウルスは帰ってしまったし」
「困りましたね」校長は言った。「けれど、可能性は低いですが、2つ方法があります」
「あるんですか?!」顔では喜んで見せたが、内心、ひどくがっかりした。
「1つは5人の魔法使いを集め、集合魔法を使う方法です。もう1つは、虹のたもとにあるという宝物を手に入れることです。その宝物は過去へ戻ることができる力があると言われています」
「でも、虹には近づくことがで来ませんが」美奈子が反論すると、校長は引き出しからヒスイのペンダントを取り出した。
「これを持ってお行きなさい。あなた方を虹へと導いてくれるでしょう」
美奈子はペンダントを受け取った。
次の日の教室で、美奈子はタンポポ団のみんなに校長先生と話したことをすべて伝えた。
「緑が原因だったとはな……」浩も元之も和久も、美奈子を慰める言葉が見つからなかった。
「しかし、やらなくてはなりません。このままでは、ラブタームーラは崩壊してしまいます」合理的な元之が断固とした態度を見せる。
「わかってる。このヒスイのペンダントで、きっとその宝物を見つけ出し、緑を元の世界へ帰さなきゃ」美奈子はペンダントを握りしめた。
よく晴れた日曜日、4丁目の野原に5人が集まった。緑は泣きべそをかいていたが、美奈子の話をよく納得し、歯を食いしばって耐えていた。
「じゃあ、いいわね。虹を出すわよ」美奈子も涙を溜めながら、そうみんなに声を掛ける。
「よし、やってくれ」と浩。態度にこそ表さなかったが、浩もつらかった。和久など、男のくせに誰彼遠慮なく泣いていた。ただ、元之だけはいつものように冷静な様子だったが、その内面を知る者はなかった。
「ピュアリス! 虹よ現れよ!」
美奈子が呪文を唱えると、目の前に鮮やかな虹が出現した。
「さあ、虹のたもとを掘るわよ」持ってきたシャベルで、虹のたもとを囲むように立つ5人。
地面から、まるで蒸気のように七色の光が立ち上る。5人はしゃがむと、光の源をせっせと掘り始めた。
しばらく掘ると、美奈子のシャベルが何かにカチンとあたった。更に掘り進むと、それは金色をした鍵だった。
「これが宝か?」浩は怪訝そうに鍵を見つめる。
「ほかに見つからないところを見ると、どうやらそのようですね」と元之。
「これをどう使うのかしら?」
「どう使うのかというより、どこで使うのかというべきかもしれませんよ」元之は言った。
「ラブタームーラ中の家に差し込んでみるわけにも行かねえしな。さあて、どうすっか」
「あたし、これを持って校長先生のところへ行ってみるわ。きっと、答えが見つかるはずよ」美奈子は悲しみを忘れようと、緑を思い切り抱きしめた。
*次回のお話*
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