1.星降り祭
今週から3年生になった美奈子達。授業もいっそう難しくなり、宿題の量も増えた。
けれど、今日はそんなことで憂うつになっている場合ではなかった。夜の6時から星降り湖で、「星降り祭」があるのだ。
美奈子を初め、クラス中がそわそわしていた。顔にこそ出さなかったが、あの元之すらきっと、心の中では落ち着かない気持ちだったに違いない。
星降り祭は、その名の通り、年に1度、流れ星がシャワーのように降り注ぐ晩だった。それも、星降り湖の中だけに落ちてくるのだ。星降り湖の名の由来はそこから来ている。
湖畔は人でいっぱいになり、湖へ続く小道には綿菓子やたいこ焼きなどの夜店がならぶ。
子供はもちろん、大人達にとっても大変な楽しみなのだった。
そんなわけで、今日の授業はいつにも増して長く感じられた。
やっと学校が終わり、放課後の下駄箱で、美奈子達タンポポ団は、
「じゃあ、6時までに星降り湖へ集合な」という浩の掛け声とともに帰っていった。
美奈子が自宅の近くまで来たとき、何か焦げ臭い匂いがしてきた。間もなく、消防車がのサイレンが近づいてくる。
急いで角を曲がると、1軒の家が燃えていた。
「火事だわっ!」恐ろしさと好奇心とで、美奈子はその場にばかのように突っ立った。
消防車が放水するが、火はまるで消える様子がない。
「まずいぞっ、こいつは魔法火事だ!」消防士の1人が叫んだ。空気中を漂う魔法元素が集まり、何らかのきっかけで魔法を引き起こすことがある。それが自然魔法障害とよばれるものだった。
魔法で起きた火事はやっかいで、普通の水では消すことができないのだ。
そのとき、あんなに盛んに燃えていた炎がすうーっと消えていった。後にはぷすぷすといぶる焦げ跡と、いっそうツンと鼻を刺激する焦げた匂いばかりだった。
「おお、魔法使いがきてくれたんだ!」
「たすかった。本当に魔法使いはすごいな」
これが魔法使いの力かあ、と美奈子は感心した。学校では魔法を使わないための勉強をしている。もし、魔法を悪用したらとんでもないことになるからである。
まだどこかにいるかもしれないと、辺りをキョロキョロと見回すが、それらしい人物はどこにもいなかった。あるいは、この集団の中に潜んでいるのかも知れないが、いったい誰が魔法使いなのかわからない。
諸々の理由から、誰が魔法使いか秘密にされているのだった。
ああ、魔法使いってかっこいいな、美奈子は改めてそう思った。もし、自分が魔法使いだったら、どんなにか素晴らしいことだろう。
実を言えば、誰にもでも魔法を使う素質があった。この空気中には魔法を起こすための5つの元素があった。それらをうまく操って、イメージに結びつけでやりさえすればいいのだ。
ただ、そのためには自分の本当の名前が必要だった。美奈子にしてもそうだが、それは親が付けた名前に過ぎない。そうでなく、生まれたときから持っている名前、それがわからないと魔法は使えないのだった。
かつて、ラブタームーラでは誰もが自分の本当の名前を知っていた。当然、全員が魔法を使えた。ところが、中には魔法を悪に使う者もあった。そこで、力ある魔法使いの1人が選び抜いた5人以外から、本当の名前を忘れさせてしまったのである。
その5人は、それぞれ身分を隠し、ラブタームーラに時折り起こる魔法障害を取り除く役目を仰せられた。
彼らもいつかは歳を取る。すると、魔法使いにふさわしい者と立場を交換するのだった。
こうして長い間、常に町には5人の魔法使いが住み続けることとなったのだ。特別な例外を除いて。
ごくたまに、生まれたときから自分の名前を知っている者があった。すると、5人の魔法使いの中の誰かがそれを知り、身を引くのである。
町には常に5人の魔法使い。それ以上でも、それ以下でもいけないのだった。
家に戻ると、緑が玄関まで走ってで向かいに来た。
「お姉ちゃん、今日、星降り祭なんでしょ? ぼくも連れて行ってよ」その必死なほどの真剣なまなざしに見つめられ、美奈子は思わず緑を抱きしめた。
「もちろんよっ。みんなで行きましょ。あんたは見たことがないから知らないでしょうけど、すっごくきれいなのよ。あれ以上に素敵な様子は見たことがないわ」
途端に緑はは美奈子の腕を振りほどき、小躍りを始めた。どこかで聞いたような鼻歌を歌いながら。
よっぽどうれしいんだろうなあ、と美奈子は微笑ましくその様子を見ていた。自分も、始めて星降り祭に連れて行ってもらったときはああだったのかなあ。
そろそろ5時半になろうとしていた。美奈子の家からだと、星降り湖まで歩いて20分ばかり。元之ならとっくに出かけている時間だ。
「おかあさん、あたし達、そろそろ行ってくるから」美奈子は夜風に当たっても大丈夫なように、自分と緑に暖かいオーバーを用意した。
「わたしとおとうさんも、もうちょっとしたら行くからね」夕食の用意をしながら母が答える。
「じゃあ、行ってくるから」美奈子はブーツを履きながら家の奥に向かって叫んだ。「さあ、行こう、緑。向こうに着いたら、タコ焼きでも食べようか。それとも、たいこ焼きにする? ほかにも色々あるから、着いたら決めようか」
「うんっ」うれしそうに首をこっくりさせる緑。考えてみれば、緑がラブタームーラに来てから、イベントらしいことなど何1つしてやれなかったのだ。夢中になるのも当然である。
道々、学校の帰りに見た火事の現場の前を通りかかった。まだ、かすかに焦げ臭い。
「今日ね、学校の帰りにここで火事があったのよ」と美奈子。「それもただの火事じゃなくて、魔法火事。消防車が来たけど、水じゃ消えないの。とても怖かったわ。そこへ魔法使いが現れて、一瞬で火を消してくれたの」
「ふうーん。お姉ちゃん、魔法使い見たの?」
「それが、誰が魔法使いかわからなくてね。ほら、あんたに前にも話してあげたでしょ? ラブタームーラには5人の魔法使いがいるんだけど、正体を知られちゃいけないの」
「なんで?」と緑が聞く。
「いろいろ具合が悪いんだって。秘密にしていた方がいいことが、この世にはあるってことね、きっと」
美奈子達が星降り湖に着くと、小道のあちこちに屋台や出店が置かれ、まるで昼間のように明るく染まっていた。もちろん、湖畔は流れ星がよく見えるようにと、いつものように真っ暗だった。
星が降り始めるまでまだ時間があったので、美奈子は緑の手をつないで夜店を見て回った。
「何食べようか?」と美奈子が聞くと、ちょっとあちこち見ながら、「あれがいい」と言った。マスタードとケチャップのたっぷり付いたフランクフルトだった。
「いいわね。あたしもそれにしようっと」
フランクフルトを食べながらぶらぶらしていると、向こうから元之がやって来た。たい焼きをしっぽの方からかじっている。
「おや、2人ともはやいですね。ちょうど3っつ買ったので、1つずついかがですか」元之が袋ごとたい焼きをわたす。
「ありがとう、元君。和久君もそろそろ来るころね。あの人、意外と時間には細かいから」
「それに引き替え、浩君は間違いなく10分は遅れてくるでしょうね」くすっと元之が笑った。
「浩は首に時計でもぶら下げておけばいいんだわ。もっとも、時計を見るのと時間通りに来るのとでは意味が違うけど」美奈子は嫌みたっぷりに言う。
林の最後に立つ焼きそば屋の前で待っていると、和久がやって来た。
「今日が晴れで本当によかったね」あいさつも忘れて、まずそう言った。
「星降り祭の日は、今まで雨や曇りだったことがないんですって。不思議よね。これも魔法の力かしら?」
「まあ、魔法と言えば魔法なんでしょうね。そもそも、流れ星が星降り湖だけに降ってくること自体、自然魔法以外の何ものでもないですが」
「自然魔法って言えば、今日、学校の帰りに魔法火事を見たわ。あれって、水じゃ消せないのね。どこからか魔法使いが見ていて、あっと言う間に消してくれたからよかったけど、さもなければ全焼しているところだったわ」美奈子は腕を絡ませて、そのときの恐ろしさを体で表した。
「それは不幸中の幸いでしたね。それにしても、魔法使いはどこにいたんでしょうか」
「わからないわ。たまたま通りかかったのかも知れないし、あの大勢の中に、何食わぬ顔をして立っていたのかも知れないし」
湖畔に並ぶ人々の間から、おーっと声がもれた。流れ星が落ちてきたのだ。
流れ星は湖面に当たると、シュッと音を立てて消えてしまった。
「そろそろ天体ショーの始まりですよ」元之はきびすを返して湖畔へ向かった。
「あたし達も行きましょう」まだフランクフルトを半分しか食べていない上、もう片手には元之からもらったたい焼きをぶら下げながら、緑は美奈子の後を急ぎ足でついていった。
星降り湖の真上を見ていると、1つ、また1つと流れ星が落ちてくるのが見えた。
「きれいねえ……」美奈子はたい焼きを食べながら、まるで夢でも見ているように言った。
「空の星が全部無くなっちゃわない?」心配そうに緑が言う。やっとフランクフルトを食べ終わったが、口の周りはマスタードとケチャップでべったりだった。美奈子はそれをハンカチで拭いてやりながら、
「大丈夫よ、緑。夜の星はここに落ちてくる数の何億倍もあるんだから」
流れ星は、真っ暗な空の中から線を描くようにしてどんどん降ってくる。もう1つや2つどころではない。1度に数十と落ちてきては湖に消えていった。
小さな流れ星は水に当たった瞬間になくなってしまうが、ごくたまに少し大きめのが降ってくると、揺れながら湖底へと沈んでいった。
「この流れ星は不思議でしてね」と元之。「たいていは湖面にぶつかった衝撃で消えてしまうのですよ。ですが、ある程度大きいと――めったにありませんが――そのまま沈んで湖底につもるのですね。月のない晩に星降り湖を眺めると、かすかではありますが、ボーッと光って見えるそうです。今までに降った流れ星のせいです」
そのとき、後ろから息せき切って走ってくる者がいた。
「ああ、いたいた。すまん、遅くなっちまった。大急ぎで駆けてきたところだ」美奈子達全員が振り返ると、やっぱりというか、案の定、浩だった。本当に全速力で走ってきたらしく、膝に両手を突いて背中で息をしている。
彼がやっと空を見上げられるようになったとき、流れ星はまるで滝のように降り注ぎ始めているところだった。
「きれいねー」美奈子は持ってきたデジカメで、何度もシャッターを切った。
「きれいですねえ。ラブタームーラに住んでいて、本当によかったと思える、そんな晩ですよ」元之にしては珍しく、心から感動していた。
*次回のお話*
2.校長室