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四話目

「ど、どうしたんですか!?」


 店先に、だらだらと額から血を流す一慶(いっけい)さんが見知らぬ男の肩を借りて立っている。

 私は慌てて傍に駆け寄った。


「あは、ちょっと」

「ちょっと、じゃないですよ!」


 なんで笑ってるの、信じられない!


「どうしたの、花ちゃん」

「あ、彩子さん、一慶さんが……」

「ケガしちゃった」


 てへっと言わんばかりに軽く笑う一慶さんに彩子さんは顔をしかめた。


「一慶、アンタって子は……! またケンカしたわけ!?」

「あ、あ、ちょと待って下さいッス! これにはワケがあるんスよ!」


 一慶さんを支えていた男が慌てて空いた片手と声を上げた。


「あら、元輝(もとき)君じゃない。お久しぶり。ウチのバカ息子がまた何かしたのかな?」


 彩子さん、笑ってるけど、怖い。


「お、お久しぶりッス。あの、先輩を怒る前に説明、説明させて欲しいッス」


 彼は、ぴるぴる震えていた。

 きっと、一慶さんが重いんだ。……そういうことにしておこう。


「……はあ、分かった。いつまでも店先に血まみれ男を置いとくワケにもいかないしね。ほらバカ、さっさと居間に上がる!」

「はーい」

「ああ、あと元輝君、このバカ運んでもらっていい?」

「りょ、了解ッス!」

「それと花ちゃん」

「は、はい!?」

「コイツの傷の手当まかしていいかな? 私は店があるし」

「わ、分かりました」


 有無を言わせぬ彩子さんの笑顔に、私と見知らぬ男は何度も頷いた。

 気にしていないのは、当の本人である一慶さんくらいだった。

 ……この人、本当になんなの。


  》》》 《《《


「痛い、ですか?」

「え? うーん、痛くないよ」


 額にガーゼを当てて、消毒液をかける。

 一慶さんは言葉通り痛くないのかピクリとも動かず、いつも通りにケロリとしている。


「なんで、こんなことになったんですか」


 配達に行っていただけなのに。

 説明をすると言っていた彼は、ここに一慶さんを運んだあと彩子さんに引きずられるようにして店の方へ行ってしまったから、怪我の原因は聞けずじまいだ。


「うーん? ゲンキが……あ、さっきのヤツね。中高と後輩だったんだ。で、えーっと、配達が終わった後そのゲンキとたまたま会ってさ、ちょっと話してるうちに、なんかゲンキのサークルの先輩? とかっていう奴らに囲まれて、それで気が付いたらこうなってたかな」


 うん、意味が分からない。


「えっと、喧嘩に巻き込まれたってことですか?」

「そうなのかな? でも一人を大勢で囲むのはケンカって言うのか……? 良く分かんないや! ごめん」


 消毒液を拭うと傷口がハッキリと見えた。

 流れていた血の量から思っていたほど、ひどい傷ではないみたいだ。


「一慶さんって、変です」

「え、そう? でもよく言われるな」


 よく言われるんだったら少しは気にしろよ!


「…………」

「………………」


 会話が途切れる。


「……ねえ、花ちゃん」


 急に、しおらしい声で私を呼んだ。

 畳に胡坐(あぐら)をかいた彼と、膝立ちの私。自然と彼を見下ろすことになる。

 私の顔色を窺うように上目づかいで見上げてくる彼と目が合った。


「あのさ、ごめんね」

「……何がですか?」

「この間、さ、泣かしちゃったから」


 今する話だろうか。

 自分が怪我していることより、そっちの方が彼の中では大きい出来事なのかもしれない。

 …………。


「別に、泣いてませんよ」

「でもあの時、目元に涙が溜まってた」


 ……泣いてない。私は決して泣いてない。確かにちょっと涙目にはなったかもしれないけど! そういうことは、黙ってるものじゃない!?


「それに、君、ずっと怒ってただろ? 俺、君になんかしちゃった?」


 この人は、本気で言ってるんだろうか。


「ずっと考えてたんだ。でも、やっぱり分からなくて」


 しょんぼりとうな垂れるその姿は親に怒られた子供の様だった。


「……もう、いいですよ。気にしていません」


 何だか、この人のこと深く考えるのがバカらしくなってきた。

 私が考えているほど、この人は何も考えていない。きっと。

 あの言葉も、他意はなかったんだろう。


「本当?」

「はい」

「もう怒ってない?」

「はい」

「……そっか」


 ほっと息をついた一慶さんは、へにゃりと締まりのない顔で笑った。

 ……なんか、私より年上なはずなのに、子供のような人だな。


「あれ? ……一慶さん、腕も怪我してるじゃないですか!」

「ん? ああ、本当だ気が付かなかった」

「気が付かなかったって、なんか痛いな、とかあるでしょ? 言ってくれなきゃ!」


 私は腕の擦り傷に消毒液を吹きかけて、一慶さんを睨んだ。


「ごめん、でも本当に何にも感じなかったんだ、ケガしてるなんて気が付かなかった」


 感じない?

 何を、言っているんだろうか。


「感じないって、少しは痛いものじゃないですか」


 そう言うと、彼は困ったように眉を下げて笑う。


「うんと、なんていうか、俺、痛みを感じずらい体質なんだよ。だからこれくらいの傷じゃ、痛くないんだよ」

「痛くないって……」


 ふと、初めて会った時、キャッチセールスの男に彼が言っていたことを思い出した。


『これくらいの力じゃあねぇ? 痛みなんて、感じられないよ』


 私は、冗談だと笑い飛ばすことができなかった。


「そんな、そんなことってあるんですか?」

「どうだろう。でも俺はそうだし、あるんじゃない?」


 まるで他人事だ。


「じゃ、じゃあ、なんで私に殴られよとするんですか?」


 痛みが欲しいと、私に迫っていた姿を思い出す。


「別に痛みを全く感じないワケじゃないんだ。ただ、人より痛みに鈍いだけ」

「なら、良いじゃないですか、痛みを感じるより、感じない方が良いじゃないですか。なんで自分から傷つこうとするんですか」

「本当に、そう思う?」

「え?」


 だって、そうじゃないか。痛いより、痛くない方が良いに決まってる。


「俺は、そうは思わない」

「…………」


 笑顔じゃない。真剣な眼差しを私に向けてくる。

 しかし、それもすぐにいつも通りの笑顔に戻った。


「これでもマシになった方なんだよ。昔は痛みを感じたくて、ケンカばっかしてたし。でも流石にこの年になって殴り合いのケンカする訳にもいかないからね。……だから、君なら、花ちゃんなら、力の強い子なら、俺に痛みを与えてくれるんじゃないかって思ったんだ」

「い、嫌ですよ。私、殴りません」


 必死に首を横に振る。


「うん、分かった」


 一慶さんは、案外すんなりと頷いた。

 ……もっと、粘られるかと思ったのに。流石に、分かってくれたのかな?


「もう殴ってなんて言わない」

「そ、そうですか、それなら別にい――」

「その代り、引っ叩いてくれないかな!?」

「なぜそうなる!!」


 キラキラした眼差しで、私の両手を手に取る一慶さん。

 殴るから叩くに変わっただけじゃねーか! それ分かったって言わないから!

 なんにも分かってないだろアンタ!!


「だって殴りたくないんだろ? だったら叩くしかないじゃん! ……あ、いや、絞めるっていう手もあるよ!」

「そんなこと、爛々と語るの止めてくれません!? てか、殴らないし、叩かないし、絞めません!!」

「そんなこと言わずにさ!」

「嫌です!」


 私の両手を離さない一慶さんは、それどころか胡坐を崩して身を乗り出してきた。

 それに身を引くが、お構いなしにグイグイくる一慶さんに私の膝立ちしたままの足が耐えきれなくなった。

 ズルッ。


「きゃっ!」

「わ」


 ドタンッ。

 足元が滑り、体が傾いてそのまま私たちは畳に倒れ込んだ。


「い、いたい……」

「ごめん、大丈夫?」

「は、はい、大丈夫で――」


 ギョッとした。

 一慶さんの顔がすぐ目の前にある。

 気が付けば、私は彼に押し倒されたような形になってしまっていた。

 潰さないようにとっさに動いてくれたのか、私の手を握っていた彼の手は今、私の顔の横で肘をついている。

 顔が、かなり近い。

 ガラッ。


「あー。彩子さんってば相変わらず人使いが荒いッスねー。店、手伝わされ――」


 居間とお店を区切るすりガラスの戸が開いたと思ったら、一慶さんの後輩の人がいた。

 目が合う。


「あ、ゲンキ、お疲れ」

「……オジャマシマシタ」


 彼はそのまま戸を閉めようとする。


「わぁー! 待って、待って! お邪魔じゃないから! 違うから! とにかく行かないで!」


 羞恥心やらなんやらでいっぱい、いっぱいになりながら私は叫んだ。


  》》》 《《《


「あー、びっくりした! ついに先輩にも春が来たのかと思っちゃったッス!」


 ビックリしたのは私の方だよ!

 後輩さんは剥き出しのコタツの前で行儀よく正座をして、のんびりと笑っている。


「で、実際はどこまでイッてるんスか?」

「? どこにも行ってないけど」

「だから、違いますから!」


 にやりと笑った後輩さんが憎い。

 それと、一慶さんは真面目に言っているんだろうか。

 全く状況を理解していないようだった。


「クク、ギャハハハハ!」


 ビクッ。

 え、なに……? この後輩さん、笑い方怖っ!


「先輩は相変わらず鈍いッスねー。高校出て暴れなくなったから少しはマシになったと思ってたんスけど……こりゃダメだ」

「まあ、きっきも暴れちゃったしねー」

「さっきのはノーカンッスよ。オレが悪いんだし」

「あ、あの」


 いつまで私はここにいればいいんだろうか。そろそろ店に戻りたい。


「ん? あ、そういえば自己紹介がまだッスね!」


 あ、いや、そういうつもりで声かけたんじゃないんだけど。


「オレは春山(はるやま)元輝(もとき)っていうッス。一慶さんとは中高と一緒で、後輩でした。今は大学に通ってるッス!」


 黒髪を刈り上げた短髪に笑った時に見える八重歯が印象的な人だ。


「もとき? でも一慶さんはゲンキって……」

「ああ、それ俺の読み間違いなんだ」

「そうなんスよー。オレの名前って下から輝く元って書くんスけど、この人、それをゲンキって読んだんスよ。しかも違うって言っても聞かなくて、そのままあだ名になっちまったんス」

「まあ、いいじゃん。合ってるよ」

「なんスかその言い方。まるでオレがいつも元気みたいじゃないッスか」

「間違ってなくない?」

「オレだって、落ち込むことぐらいあるッス!」


 プンスカと怒るその姿は何だか幼い。

 ジッと元輝さんを見ていると、バチッと目が合った。


「あ、そうだ。それでアンタは?」

「私ですか? えっと、私は――」

「花ちゃんだよ」


 私の言葉に被せたのは一慶さんだった。


「この間からウチでバイトしてる子」

「バイトの子と……先輩もなかなか罪に置けないッスね」

「だーかーら! 違いますからね!?」


 この人は何度言ったら分かるんだろうか。


「いや、だって先輩が女の子と一緒にいるのなんて、なかなかレアなんで、つい。だって、いっつも女の子からのアピールに気が付かなくて、最終的に平手打くらってたんスよ?」


 どうしよう、なんとなく想像つく。


「ゲンキ」

「なんスか?」

「花ちゃんはそんな子じゃないよ」


 真顔で後輩を見る一慶さん。

 なんだ、急に何を言い出す気なんだこの人。


「花ちゃんはこっちが頼んでも、叩いてくれない!」

「…………うわー、先輩。うわー」


 元輝さんの先輩を見る目が変わった。

 ドン引きだ。


〈続〉

この話以降は気まぐれ更新です。

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