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三話目

 店を出て少し。私と一慶さんは横並びで道路脇を歩いていた。


「あったかくなってきたとは言え、夜は少し冷えるね」

「そう、ですね」


 私の横を歩く一慶さんは呑気に空を見上げている。

 私は緊張でそれどころじゃない。

 いや、だって初対面の時が時だからね。いきなり「殴って」とか言ってきた人と二人っきりで、緊張しない方がおかしい。


「うーん。けっこう星が出てるけど、俺星座とか分かんないや。花ちゃんは分かる?」

「いえ、私も星座はちょっと分からないです。えっと、分かるのは北斗七星ぐらいですかね」

「そっか、俺も夏と冬の大三角形ぐらいしか分かんないなぁ」

「それ、星座じゃありませんよ」

「え、そうなの!? ビックリ!」

「なんでそこでそんなに驚くんですか!? 私の方がビックリなんですけど!」

「だって星座だと思ってた」

「マジですか」

「マジ」


 二人そろって黙り込む。

 けど、静寂は続かなかった。


「くっ」

「ぷっ」


 こらえ切れなかった笑いが口先から吹き出す。


「はは、おかしい」

「ふふ、なんか、バカみたいな会話ですね」

「え、そう? 俺は楽しいよ」


 街灯が照らす彼の表情は、まるで子供のように無邪気な笑顔だった。

 ……気が抜けた。なんか、拍子抜けだ。


 この人は出会った時のことが嘘のように、普通、だった。

 仕事中は分からないことがあれば、教えてくれるし、こうやって何でもない会話もする。

 「殴ってくれ」といって迫ってくることなんて、バイトを初めてから一度もなかった。

 一慶さんという人が、良く分からない。


「あ、花ちゃん」

「はい? なんです――」


 ガクッ。

 足を踏み出した先には何もなかった。思ってもみなかったことに体が大きく傾く。そしてそのまま私は地面と「こんにちは」をするはめになる。

 ……つまり盛大にこけた。


「いっ……」


 痛いやら、恥ずかしいやらで言葉が出てこない。


「あーあ。前の水路の溝、フタが無いって言おうと思ったのに」


 いつもと変わらない、のんびりした声が上から降ってくる。


「間に合わなかったなあ」


 なんなんだろう、この人は。

 一緒にいた人が転んだっていうのになんでこんな、いつもと変わらない態度なんだろう。

 心配するとか、バカにするとか、他にあるだろう。

 私は溝に片足を突っ込んだまま、地面に手をついて、動けずにいた。


「花ちゃん? どうしたの、立たないの?」


 一慶さんが不思議そうにしながら私の前でしゃがみ込んだ。


「もしかして怪我しちゃった? 痛い? ねえ」


 背中に、冷たい物が走った気がした。

 彼は、いつも通りに、笑っている。


「だ、だいじょうぶです」

「そう? 立てる?」

「す、すみませ――」

「よいしょ」


 言い終わる前に私の脇の下へと手を入れた彼はそのまま私を持ち上げた。


「うっ」


 持ち上げられた時、溝の縁に足の(すね)がガツリとぶつかって擦れた。


「うん、よし!」


 何がよし、なのか聞きたいんだけど! 痛い!

 一慶さんによって立たされた私は、ジンジンと痛みを主張してくる足が気になってしょうがなかった。


「あー、ちょっと汚れちゃったね」


 そこ!? 気にするところ、そこなの!?

 私の服をポンポンと払ってくれるのはありがたいけど、でも今気にするところかな!?


「ん、あれ? ……あーあ、足擦り剥いちゃってるね。痛い?」

「へ、平気です」

「あ、そうなの? じゃあいこっか」


 ちょっと待て。あっさり過ぎないか!? いや、平気って言ったのは私だけど、私だけど! 普通、もっと気に掛ける物じゃないの!?

 一慶さんは私の手を握ると歩き出した。


 ……もう、いいや。我慢すればいいだけだ。家まであとちょっとだし。

 そうしてトボトボと歩けばすぐに私が住むアパートが見えてきた。


「あ、私の家、ここです」

「もう着いちゃったのか」


 私はすぐに着いて嬉しいです。早く傷口を洗って手当したい。

 繋がれていた手が離れる。


「あの、それじゃあ、送ってもらっちゃって、ありがとうございました」

「あ、待って」


 離れたはずの手が、私の手首を掴む。

 一慶さんの真剣な眼差しが私に突き刺さった。


「ちょっと一発殴ってくれるかな」


 ………………。


「はい?」

「あ、やってくれるの? やった」

「い、いやいやいや! やりませんよ!? 何言っちゃってんですか!? 絶対殴りませんから!!」

「えー」


 不服そうな顔すんな。


「ホント、ちょっとだけでいいからさ。お試しで!」

「お試しってなんだよ! そういうことは、そういう店行ってやってくれません!?」


 だからそんな「カモン!」みたいに意気揚々と構えないで。


「お試しでもダメ?」

「ダメです!」


 だからそんな萎れた顔したって無駄だ。

 目の前にいる山吹一慶という男がどういう人なのか、本当に分からない。

 最初はヤバい変態だと思った。次は案外普通だと思った。さっきはなんだか怖いと思った。


「ホントにもう、なんなんですか、急に!」


 けど、やっぱり分からない。


「……なんかさ、初めて花ちゃんと会った時のことが夢だったんじゃないかって思ったんだ」


 それは私が言いたいわ! てか、本音を言うなら夢か幻にしたかった! なかったことにしたかった!


「だって君、全然普通の女の子なんだもん」

「何が、言いたいんですか」


 グッと、心臓を掴まれた気がした。


「だからあの化け物じみた怪力が本当かどうか、確かめたいんだ!」


 化け物。

 掴まれた手首から、すうっと体が冷たくなっていく。


「……だったら、なんだって言うんですか」


 頭に上っていた血も、冷えていく。


「私が化け物だったら、なんだって言うんですか!」

「は、花ちゃん?」


 私の様子が変わったことに驚いたのか、一慶さんは目を見開く。


「化け物だから、平気で人を傷つけるとでも思ってるんですか!? だったら期待外れです、ごめんなさいね! 私は、誰も傷つけない!!」


 目の前が、彼の顔が、ぐにゃりと歪む。

 手首を掴む力が緩んだ。そのまま手を引けば、簡単に彼の手が離れていった。


「あ、花ちゃん!」


 一慶さんの声を無視して私は自分の部屋へと駈けこんだ。


  》》》 《《《


「花ちゃん」


 一慶さんに呼ばれて振り返る。


「ちょっとそこにある青いリボンとってもらっていい?」

「はい、これですか?」

「そう、それ。ありがとう」

「…………」

「…………」


 お店にお客さんはいない。彩子さんは奥の方に引っこんじゃってて、今、ここには私と彼しかいなかった。

 チラチラと一慶さんが私の様子を伺う視線を感じるが、私はそれを無視する。


「あ、あのさ、花ちゃ――」

「花ちゃん、ちょっといい?」


 彩子さんに呼び出された私は奥の居間へと上がる。

 一慶さんが何か言いかけていたが、聞こえなかったフリをした。


「なんですか?」

「いや、ちょっと一緒に休憩にしようかと思って」

「もう、そんな時間? 気が付きませんでした」

「まあ、そうだろうね」


 なんだか含みのある言い方だ。


「あの、でも二人とも休んじゃったらお店……」

「だいじょーぶ、アイツにさしとけばいいんだって!」


 店の方を見れば、お客さんの対応をしている一慶さんの後姿が目に入る。

 コト。

 ふと気が付くと目の前に湯呑が置かれていた。


「はい、お茶」

「あ、すみません。ありがとうございます」

「ふふふ、ジャジャーン。今日のお茶請けは豆大福でーす」


 彩子さんはそう言いながら透明なプラスチックパックを開くとお皿に豆大福を取り分けて私に差し出してくれた。


「わ、美味しそう」

「でしょ? 近所の和菓子屋のなんだけど、アタシここの豆大福大好きなのよ」


 彼女が豆大福にかぶりついたのを見て、私もかぶりつく。


「ん、柔らかくて、程よく甘いですね。美味しい」

「気に入ってくれた?」

「はい!」

「良かった…………ねえ、花ちゃん」

「なんですか?」

「一慶となんかあった?」


 あの、家まで送ってもらった日から二日。

 私は変わらず花屋のバイトを続けていたし、一慶さんも変わらず仕事をしている。


「……どうしたんですか、急に。何もありませんよ」


 私は笑えているだろうか。

 そんな私の顔を彩子さんはジッと見透かすような目で見てくる。


「…………」

「…………」

「そう、花ちゃんが言うなら、そうなんだろうね」

「ははは……」

「でもまあ、もしアイツに何か嫌なことされたら、怒るなり、叩くなりしちゃっていいからね」

「い、いや、叩くのはちょっと」


 むしろ喜ばれそうで嫌だ。とは流石に言えない。


「いーのいーの! アイツはそれぐらいしないと気が付かないから。ほんと、バカと言うか、にぶちんと言うか……とにかく呆れかえるほど鈍感なのよ」

「……鈍感」

「そーなの! しかも誰に似たのか、デリカシーもないのよ! 全く、我が息子ながら情けないわ。……だから花ちゃんを傷つけてないか、ちょっと心配だったのよ」


 笑う彩子さんの顔は、なんというか、母親の顔とでも言うのかな。優しい顔だった。


「ちょっといい?」


 不意に、別の声が割り込む。

 ひょっこりと居間に顔だけを出した一慶さんだ。


「そろそろ、時間だから配達行って来る」

「ああ、例のアジサイ?」


 彩子さんが湯呑を持ったまま息子を見上げる。


「そう、アジサイの」

「車出す?」

「いや、近所だし歩いて行く」

「そう? 気を付けるのよ。アジサイ傷つけないように」

「はいはい……あ」


 頭を引っ込めようとした一慶さんと目が合う。

 しかし、何か言いたげな顔をしただけで、何も言わずに行ってしまった。

 なんだか、迷子の子どもみたいな顔だった。


「それじゃあ、店に戻りましょうか」

「はい」


 》》》 《《《


 一慶さんが配達に出てから、一時間はたった。


「アイツ、おっそいわね」

「そうですね」

「全く、仕事中って忘れて遊んでるんじゃないでしょうね」

「さ、流石にそれはないんじゃないですか……?」


 子供じゃあるまいし。

 それにしても、近所だって言ってたのに、少し遅いとは思う。

 そんなことを思っていたら、ふと、店に並ぶアジサイが目に入った。


「あの、アジサイの配達ってこのあいだ電話があったお客さんですか?」

「そうそう、あのお客さん、毎年この時期になると注文が入るの」

「アジサイが好きなんですかね」

「うーん、どうだろうね。アジサイって梅雨のイメージあるけど、最近じゃ通年出回るようになったのよ。」

「え、そうなんですか? アジサイって梅雨だけの花だと思ってました」

「物によるけど今は大体の花が季節関係なく出回ってるのよ。まあ、それでいつだか、この時期じゃなくても手に入りますよって売り込んだら断られちゃった」

「この季節に咲くアジサイが好きなのかもしれませんね」


 鮮やかな空色の花を咲かすアジサイをまじまじと見る。


「あら、そうね。そうかもしれない」

「素敵なお客さんですね」

「うん、ご贔屓にしてもらってる」


 彩子さんが笑う。

 そうしてお客さんが入っていないのをいいことに、二人でのんびり話している時だった。


「すみませーん」


 店先から声がかかった。


「はーい」

「あ、私が行きます」


 そうして私は声がした方へと小走りで行く。


「あれ? 見ない顔ッスね」


 そこには、きょとんとした顔でこっちを見つめる見知らぬ男と。


「い、一慶さん!?」


 その男の肩を借りて立つ、額から血を流した一慶さんの姿があった。


〈続〉

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