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一話目

「どうか俺を殴って!」


 目の前の髪型ツーブロック金パな男は私の右手を両手で包み込み、のたまった。

 ネオンが輝く夜の繁華街。その少し脇に逸れた薄暗い路地には私と目の前の男、そして彼の後方、壁際にぐったりと倒れ込んでいるスーツ姿の男の三人しかいない。


「ひい……! い、嫌です」

「そんないけずなこと言わずにさ! あそこで伸びてる男にしたみたいにこう、一発ガツンと!」


 この人なんかヤバい。

 一歩引いた私の手を男はグイッと自分の方に引いてキラキラとした眼差しを向けてくる。

 怖くて振り払うことができない。


「い、意味が分かりません、てか貴方誰ですか!? なんなんですか、しつこいキャッチの次は新手のキャッチ? 私そういうのに興味ないんで他の人あたってくれません!?」

「ああ、そうだ、自己紹介がまだだったか」


 何か納得したように、うんうんと頷く男。

 私が言いたいのはそういう事じゃない。


「俺の名前は山吹(やまぶき)一慶(いっけい)。歳は今年で二十歳(はたち)。えーっと、今は実家の手伝いをしていて、他の仕事はしてないかな」


 軽薄そうな見た目のわりに、にっこりと人好きしそうな顔で笑った。キラリと耳のピアスが光る。

 こんな状況でなければ、好印象だ。こんな状況でなければ。


「は、はあ……キャッチじゃないんですか、そうですか。ならこの手を離して――」

「よし、自己紹介は終わったね。では一発よろしく!」

「では、じゃありませんよ! 意味が分かりませんし、よろしくってなんですか、嫌ですよ!」


 だからそんな「バッチコーイ!」みたいに構えないで。


「え! なんで!?」


 ピシャーンと、まるで雷にでも撃たれたみたいに山吹と名乗った男は目を見開いて驚く。

 しかし、それでも彼は手を離さない。


「むしろ、なんでって聞きたいのはこっちなんですけど!?」

「運命を感じたんだ!」

「ますます意味分かんねーよ!」


 つい荒くなった私の言葉使いを気にも留めず山吹は語り出した。


「え? うーんっとさ、女の子がチャッチセールスみたいなのに裏路地へ引きずり込まれていくのが見えたから、ヤバそーだなあって思って」


 え、そこから? そこから見てたのに助けてくれなかったの、この男。


「あ、見捨てようとしたわけじゃないよ? けど俺が追いかけてこの路地入ったらさ、君がキャッチの男を殴り飛ばしてたわけ。いやー初めて見た。人間ってあんな綺麗に吹っ飛ぶんだね!」


 山吹の小さな黒目の中のキラキラが増した。

 ついでに鼻息も荒くなる。


「こんな細腕で大の男をブッ飛ばすなんて!」

「ぎゃ……!」


 私の手を握っていた片手でするりと腕を撫でてきた。寒くもないのに鳥肌が立つ。

 もう片方の手は相変わらず離してくれないせいで引っ込めることもできない。

 なんで今日に限って七分袖にしちゃったかな……!


「もう、君しかいないって思ったんだ」


 山吹はうっとりと目を細めて私を見つめる。

 鳥肌は収まってくれないどころか、背筋に悪寒が走った。


「俺に痛みを与えてくれるのは」


 あ、この人ヤバいどころか、かなり、ヤバい。

 手を握る力がギュッと増した。山吹の手が異様に熱い。いや、私の手が冷たいんだ。そのくせじっとりと汗が滲む。

 力任せに振り払ってしまいたい。けど、そんなことをしたらどうなるか分からなくて、怖くて、できない。

 鼻の奥と目の辺りが熱くなる。視界がしょっぱい水で歪んだ。


 ……もう、やだ。


「わ、わたし……むっ……」

「む?」


 唇が震える。

 ああ、今日は厄日だ。

 人に暴力を振るってしまった上に、それを他の人に見られてしまった。しかも、変態に。

 もう、誰も傷つけないって、あの日に決めたのに。


「無理です!!」


 そう叫んで、彼の手を無理やりにでも振り払おうとした時だった。


「いってぇ……」


 山吹の背後でゆらりと人影が動いた。

 のびていたキャッチセールスの男が血まみれの顔を抑えて立ち上がったところだった。


「うげっ! 血ぃ? どーりでいてぇわけだよ……くそ!」


 最悪のタイミングだ。

 もともと引いていた血の気がさらにサッと引いていく。

 キャッチの男と視線がかち合った。


「あ! このクソアマ……!」


 男はフラフラと頼りない足取りでこっちに向かって来る。血に濡れたその顔は薄暗い中でもハッキリと分かるぐらい怒りで歪んでいた。


「ひっ……」


 こわい。

 ガラの悪いキャッチと変態。私にはもう、どうしたらいいか分からない。


「はぁ……まったくさぁ」


 ずっと握られたままだった手が離れる。


「あ? なんだよお前」

「あともうちょっと、あそこでのびてれば良かったのに」


 それは激しく同意。


「あんだってぇ?」


 山吹は私に背を向けてキャッチと向き合った。

 そんな彼をキャッチの男は訝しげに見る。


「はあ……お兄さんさぁ、誰か知んないけど痛い目にあいたくなかったらそこどいてくんない? オレ、そこの女に用があんだよ」

「俺もこの子に用があるんだよね」

「こっちは仕事なんだよ。女の前だからってカッコつけても、いいことねーぞ」


 キャッチの声がワントーン下がる。

 それに対して山吹はどこ吹く風で、飄々とした口調のままだ。

 こっちからだと顔が見れないけど、きっと表情も変わらずにっこり笑顔なんだろう。


「うーん、別にそういうつもりじゃないんだけどな……それに、きっとアンタじゃ俺に痛い目を見させることなんてできないと思うよ」

「はぁい? 言ってくれるじゃねーか。ナメやがって!」


 キャッチの男が山吹に殴りかかろうと(こぶし)を振りかぶった。

 けれど山吹はそれを避けようともせず、ただその場に突っ立っている。


 なに!? やっぱりこの人そういう趣味!? 自分から殴られようとしてるの!?

 私の頭の中はすでにキャパシティーオーバー。パニック状態だった。

 見ていられなくて、ギュッと目をつぶる。

 バシッ!


「くっそ!」

「ほら、これくらいの力じゃあねぇ? 痛みなんて、感じられないよ」


 そろりと瞼を開くと、キャッチの男の拳を片手で受け止めている山吹の姿が目に映った。

「それとも、これは単なる小手調べってやつ? ねえ、どうやって俺を痛めつけてくれるの?」


 ギリッ。

 山吹の手に力がこもる。


「いっ……!」

「で、アンタが俺を満足させてくれるの? そうじゃないなら、ジャマしないでほしいんだよな。アンタさ、この子に吹っ飛ばされたの覚えてない? 頭打ちつけて忘れちゃった? こんな華奢な子が片手でだよ? 凄い腕力だよね! それでビビッときたんだ。この子なら俺に痛みを与えてくれるって。なんたって自分より大きな相手を軽々とブッ飛ばしちゃうほどの怪力! こんな怪力の持ち主、今まで会ったことない! きっとこの機会を逃したらこんな子、二度と巡り会えないと思うんだよね、分かる?」


『『わっかんねーよ!』』


 たぶんこの瞬間、私とキャッチの男の心の声が重なった。


「運命なんて信じたことなかったけど、今この瞬間を運命と感じざるを得ないな。だってそうだろ? 理想の相手が目の前にいるんだからさ」


 ググッ。

 さらに力が加わったのか、キャッチの男の顔が痛みに歪む。


「いててて!」

「で、どうする?」

「ぐっ……は、離せ!」


 キャッチの男が掴まれた手を引くと、山吹はあっさりとそれを離した。


「早く帰って、その怪我、手当した方がいいんじゃないかな? 顔、血まみれだよ」


 体が大きく後ろにふらついたキャッチの男は数歩後ずさりして掴まれていた自分の手を抑え込んだ。


「くそ、なんなんだよお前ら……!」

「ほら、仕事の最中なんだろ? いつまでもここにいていいの? ……それとも俺の相手、してくれる?」

「……ってめぇみたいな気持ちわりぃヤツ、相手にしてられっか! ちくしょう!」


 ぐしゃりと歪むキャッチの男の顔に浮かぶのは、恐怖だ。

 よろよろと頼りない足取りでつんのめりながら逃げ出した。


「ふぅ、びっくりしたぁ。心臓縮むかと思った」


 全然そんな風には見えませんでしたけど。

 くるりと山吹がこっちを振り返る。

 ビクッ。

 思わず体が跳ね上がった。心臓が縮みそうなのはむしろこっちだよ。


「大丈夫?」

「だ、だだだ……!」


 大丈夫じゃねーよ!

 顎がガクガクする。

 さっきのイザコザん時に逃げ出しとけば良かった……! なんでまだここにいるの私! バカだろ、絶対バカだろ!


「? ……ねえ」


 山吹の手が私に向かって伸びてくる。

 ここでこの手に捕まったら、今度こそ逃げ出すチャンスがなくなる。


「ご、ごめんなさああああい!」


 私はダッシュで逃げ出した。

 この時の私を突き動かしたのは紛れもない恐怖だった。

 SMプレイは他でやってください。


  》》》 《《《


 この春、高校を卒業した私、桜田(さくらだ)(はな)はイラストの専門学校に入学した。

 それと同時に実家を出て、生まれて初めての一人暮らしライフを開始したのは良かったものの、自由にできるお金があまりにも少ない。


 両親にこれ以上おねだりする訳にもいかず、バイトをすることにした。

 高校の時は校則でバイトは禁止だったから、これまた生まれて初めての経験だ。


「うう、昨日はキャッチと変態に絡まれ、今日はバイトの面接……お腹痛い」


 恐怖体験から一夜明け、私は自宅近くの道路沿いを歩いていた。

 日頃の運動不足がたたって、昨日の全力疾走が今頃筋肉痛となって私を襲っていた。

 体がだるい……。


「なんで今日なんだろ、いや、バイトの面接は自分から電話して取りつけたけど、やっぱり緊張するし、体しんどいし……」


 トボトボと歩いていると目的の店が見えてきた。

 『フラワーショップやまぶき』小さな花屋さんだ。


「ひっひっふー」


 息を整えて気合を入れる。

 開きっぱなしになっている出入り口から店の中を覗き込んで見ると、奥の方に人影が見えた。


「あ、あのー。すみませーん」


 ドキドキする胸を抑え込んで声をかける。


「あ、はーい。ちょっと待ってくださーい」


 呑気な男の人の声だ。

 花に囲まれた私は、そわそわと落ち着かない気分でお店の人が来るのを待つ。


「いらっしゃーい、お待たせしまし……あれ」

「……へ」


 時間が止まった気がした。

 襟足が刈り上げられたツーブロックの金髪。耳には輝く銀色のピアスが何個もついている。吊上がった目を見開いた、一見チャラそうな男。その手の鉢には真っ赤な花が風で揺れていた。

 昨日の、出来事がフラッシュバックする。


「君、昨日の……」


 目の前に現れた店員は、昨夜、山吹とか名乗った変態だった。


〈続〉

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