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死にたがりな僕と殺したがりの彼女

作者: 8ki29

完成したので。


僕(主人公) 死にたがり

彼女(弓崎ゆうみ) 殺したがり

霧咲きりり 完全請負制殺人鬼

マイケル・ウエッソン 陰陽師

九尾崎 殺し屋

 1


 明日から夏休みだというのに、帰宅部の僕は憂鬱だった。


 がちゃり、と扉を開いて屋上へとたどり着いた。

 とある場所の、とある高校。その三階建ての校舎のその屋上に僕はいつものごとくやってきた。

 地上十メートルほどの高さからの眺めは、僕如きの矮小な人間にちっぽけな優越感を与えてくれるので、密かに気に入っている。

 眼下には下校しだした生徒の群れが、校門めざし歩いている。

 今日は終業式だったので、いつもより早い時間にこの屋上へやってきたのだが、そこからの景色は特に普段と変わるところは無く、しいて言えば夕暮れ時かそうでないかの違いのみだった。

 さて、僕がなぜこんな所で黄昏ているかと言うとそれには事情があった。下校時刻に僕が一人でいる理由。

 友達がいない、だとか。教師に呼び出しを喰らっているだとか。

 大穴で、ある女生徒に屋上へ呼び出されたとか。

 断じてそんな理由ではない。

 僕がこの屋上に、一人でいる理由。

 それは単純明快にして、もっともらしい理由だった。少なくとも僕にとってはだけれども。

 屋上からの飛び降り自殺。

 それが僕の性能の低い頭で考え抜いた、最適解なのだから。

 幾度となくやってきては、何度も断念した高所からの落下に、今日こそは成功させたいと思う。この日に死ぬことは、たぶんこれから夏休みの生徒たちにきっと小さくない衝撃を与えられるはずだ。

 屋上を囲うようにしてそびえるフェンスによじ登る。

 高所からの眺めは、優越感を与えると言ったが、それはあくまで安全が確保されている場合だけだ。少なくとも僕はそう思っている。

 しかし、その安全が確保されていない場合はどうだろうか。

 普通の精神状態の人間であれば恐怖だろう。

 だけど。僕がフェンスを登り切り、その上に二本足で立った事で得られた感情は、開放感だったのだ。

 やっと。やっと、この生き難い世界から逃れられる。

 この飛び降りは僕の闘争手段にして逃走手段。僕がこの世界に穿つ小さく、とても小さい穴だけれど、きっと、これで僕は本物に成れるのだから。

 みていろよ偽物ども。僕は一足先に、本物に成るから。

「あれ、開いてんじゃん」

 凛と、声がした。

 僕は振り向いてその声の出所を確認した。そこには、この学校一の美少女と名高き存在が居た。長い、流れるような黒いロングヘアー。小柄だが、しっかりと女性を感じさせる肢体。美少女の極致と言っても過言でもないだろうと、僕は思う。といっても僕はその名前すら知らないのだけれど。

 視界が流れる。彼女の顔が上へと流れていく。フェンスの分だけ滑落した僕は、必然的に屋上へとたたきつけられた。

「いっ――――たぁ」

「キミ、何やってるの。新手の芸事?」

 そんな間抜けな質問に僕は痛みをこらえるので精一杯で答えられない。

 なんてことだ。死のう死のうと、どれだけ思ってきた。その集大成が今日だと思っていたが、違った。まだその時ではないと言うことか。

 遠い。まだ死には遠い。

 彼女は一体どうしてこんな屋上へやってきたのだろうか。

「ちょっと。聞いてる?」

 彼女の問いかけに僕は答える。

「僕が何をしようと、初対面の君に関係があるのかわからないけれど、そもそも答える必要性があるか疑問だけど、まあ簡単に言えば、飛び降りようとした」

 なんて事は無い事情説明。

 彼女が困ったように笑う。

「あははは。こんな昼間に飛び降りかあ」

 珍しいね、と言って彼女は笑い続ける。

 僕はなんて失礼な奴だと思った。少なくとも人が真剣に死のうと考えているのに、それを笑いものにするなんて。

「じゃあ、キミ。死にたいってことなの」

 唐突に、彼女が言った。

 死にたい。死にたがり、そう僕が昔呼ばれていたのを思い出す。

「たぶん。そうだとおもう。昔からそうなんだよ。いつからなのか、それは思い出せないけど。僕は――ね。死にたがり、なんだ」

 そう。僕は死にたいのだ、死にたがりなのだ。

 この薄汚く見苦しい、偽物だらけの世の中で生きることに疲れた。ただそれだけだけど僕にとってはとてつもない大問題に。僕は逃走を持って抵抗することにしたから。死と言う闘争。

 その闘争手段にして逃走手段こそが、死だったのだ。

「じゃあ、私たち息が合うね」

 彼女が小さく笑って言う。

 その笑みはとても冷たくて、彼女の瞳はこの世の全てを見透かした暗さを持っていた。

「キミを、殺してあげるよ。この殺したがりの私が、キミみたいな死にたがりと出会うなんてね。それは――――運命なんだから」

 前言撤回。先ほど失礼な奴と言ったのは気の迷いだった。

 こんな女神のような人に向かって、まったく僕はなんて失礼なんだ。しかし、まさしく彼女の言う通り運命だ。どこかで、きっと彼女のような人が現れるのを僕は待っていたんだから。

 死ぬ、と言うことに僕は憧れている。きっとそれは楽だと思うから。だから僕は死にたいのだけれど、でも自分で死ぬっていう事は、なかなかに難しくて。

 だからまさしく運命の出会いだ。

 死にたい僕と、殺したい彼女。

 彼女に殺してもらえるなら、きっと僕は本当になれる。彼女もきっと同じだ。

「僕は、君に殺してほしい。もう死にたいんだ」

 そう答えた。

 彼女はうなずいて。小さく震えた。

「じゃあ。三日後に、ここへ来て。鍵は開けておくから」

 そう言って彼女は屋上を後にした。その顔は、とても笑顔だった。

「三日後、かあ」

 そう言って僕は屋上に一人取り残された。その顔は、とても笑顔だった。


 これが死にたがりと殺したがりの、二人の出会い。



 ※


「知ってる? 弓さんと、えーと誰だっけ。三組の冴えない男子」

「知ってるよー。有名だもの。付き合ってるんだよねえ。あの二人」

「そうそう」

「あーすごいよねー。底辺男子と超お嬢様の恋愛って、あんたらどこの漫画の住人よって話ー」

「夏休み開けて、びっくりしたよー」



 2


 三日後。僕は待ちきれずに朝の早くに屋上へと向かっていた。夏休みの、さらに早朝だと言うのに。屋上までのルート上の扉は全て開錠されていた。

 彼女が待っているのだ。

 僕は心躍らせて階段を駆け上る。

 果たして、彼女はそこに居た。

 手には無骨な、サバイバルナイフ。その小柄に似合わぬ大きな得物。

「やあ」

「うん、まってたよ」

 少ない言葉を交わす。

 一歩、彼女へと足を進める。

 彼女も一歩進む。

 それを何度か繰り返せば、二人の距離はゼロに等しい。

 目と鼻の先まで近づいた僕らは、どちらからともなく抱き合った。

「僕は、君みたいな人を待っていた」

「私は、キミみたいな人を待っていた」

 僕らは口をそろえて言う。

 死にたがりの僕は、殺したがりの彼女を。

 殺したがりの彼女は、死にたがりの僕を。

 需要と供給。その僕と彼女の思惑が一致した。まさしく運命と、呼べる出会い。

「殺してくれ」

「死なせてあげる」

 抱き合ったまま、彼女がナイフを振り上げる。ナイフは僕の背後にある。きっと死ねるはずだ。彼女も僕を殺せるはずだ。目的はここに果される。だけど、本当に良いのか?

 僕は目を閉じる。

 ここで、死んで良いのか。殺していいのか。殺されていいのか。死なせていいのか。

 ぐるぐる。思考が回って。やっぱり思う。

 これでいいのだと。

 数秒。数十秒。数分。

 彼女はナイフを振り下ろさない。振り下ろせない。

「痛いよ。抱きしめすぎ」

 どうやら、力を込めすぎていたらしい。男子と女子の体格差や力の差。

 単純な力関係が、彼女のナイフ捌きの邪魔をしていたか。

「ああ、ごめん。ていうか。震えすぎだよ」

 僕が彼女の様子を見ると、まさしく今言った通りのありさまだった。

 彼女は、かたかたと震えている。両肩を抱きしめるようにして、怯えている。

 その手には、もうナイフは握られていない。

「どうして、だろうね」

「どうしても、なんだろうよ」

 そう、僕らは本物には、本当には成れない。偽物。

 なんだ。こんな好機を逃してしまうなんて。

 彼女を見ると。彼女も同じような感情だったのか。そんな表情をしている。

 ああ、そういうことか。死にたい、殺したい。なんて戯言を吐いているうちは、結局僕らは本物に成れないってわけだ。

「どうやら、僕は死にたくないみたいだ」

「うん。私は殺したくないみたい」

 二人で言い合って、笑う。

 でも、僕が死にたいっていう気持ちは、決して消えないし。彼女の殺人衝動も消えないのだろう。

「僕は、それでもいつか君に殺されるよ」

「うん。私はいつか、キミを死なせてあげるよ」

 僕らの運命は、まさに今。回りだしたのだった。


 これは本物に成りたい、偽物のお話。



 3


「たぶんだけど。僕は君が殺してくれるまでは死なないと思う」

「うん?」

 目の前でオレンジジュースを飲む彼女が首をかしげる。

 さらりと長い髪が揺れて、いい香りが僕の下へ届く。

 ここは某ファミレスの一席。ちょっと遅めの朝ご飯を僕らは摂りに来ていた。

「何それ。当たり前だよ」

 彼女が言ってのける。さも当然であると。君を殺すのは私なんだとでも言うように。

 そりゃそうだ。僕だってそのつもりでいま嫌々ながらも生きているんだから。彼女に殺してもらうために。

「お待たせしました。夏野菜のカレーでございます」

 店員が料理を持ってやってきていた。彼女はわーいとはしゃいで笑っている。

 カレー。僕はあまり好きではない。辛いのは、だめだ。

 彼女は待ってましたと言わんばかりにカレーを食し始める。

 にこにこと、楽しげに。

 しばらくして、手を止めて僕を見つめる彼女。

「キミは私の物だから。勝手には死なないでね。とと、違うや。殺されないでね」

 カレーを口に運ぶ彼女。そう。僕らは死にたがりと殺したがりの偽物。

 僕は彼女に殺されたい、死にたがりで。彼女は僕を殺したい、殺したがり。

 もくもくとカレーを食べる彼女。

 しばらくして食べきった彼女は僕に問いかける。

「さて、どうしようか」

 彼女の言葉の意味は、簡単な事だ。

 ようするにどこで僕を殺すか、そういうことである。

「そうだな。広いところが良い。そして僕の存在をたくさんの人に認識してもらえるような――――」

 そんな場所が良い。

 僕は言い切る前に、言葉を止めた。

「そうねえ。駅前の広場、とか。ショッピングモールの中とかかしら」

「だね。そう言う所は人がたくさんいるし」

 僕の、いや僕たちが本物であると知らしめるためにはそういったたくさんの人が居る場所の方が都合がいいのだ。

 どうしようもなく偽物な僕らは、そうでもしないと、生きられない。

 いや、死ねない。殺せない。かな。

「でも、なんでキミはそんなに自分の死を見せつけたいの?」

「そんなことは言うまでも無いと事だと、思っていたんだけれど。だって君も同じだろうし」

 そう、僕らは同じなんだ。本物に成りたい、成れない偽物の僕らは、自分の行為を他者に見せつけることによって、僕らの空想ではなく実際の、現実であると。本物であると、そう見せつけたいのだ。

 場面は移って駅前広場。休日の午後のこの場所は、いろんな人であふれていた。と言ってもこの地方都市。決して都会ほどではなくて、いうなれば田舎にしてみれば人が多い。って話だけれど。

「まあ、此処なら目立つかな」

 僕が小さく言って彼女を見る。彼女も同じような事を言うところだったようで、僕に先を越されたことに対してむくれていた。

 何とはなしに、彼女の手を取る。

 彼女は握り返してくれた。

「どうする?」

 彼女の問い。

 たったの四文字の問いではあるが、僕にはその意味が分かった。

 ここで事を済ませるか否か。

 正直、気が乗らない。うん、その表現が一番だ。

 今日と言う日は、死ぬにはあまりよくない日だった。と言うよりはここしばらくはそうなるだろうけど。

 彼女も同じことを思っていたようで、乗り気じゃなさそうだ。

 なんでも今街を騒がす殺人鬼は、とてつもない虐殺癖だとかで。僕らみたいな偽物が殺し殺されたところで、対して騒ぎにはならないだろうと。僕らは結論付けたのだ。

 大きな川に、小さな川の流れが飲み込まれるように。僕らの行いが殺人鬼の行いに、混じってしまうのが僕らはたまらなく嫌だった。

 だから、しばらくお預けだ。

 「駅前で暇つぶしもアレだし、どこか見て回ろうよ」

 僕が言う。これじゃあまるでデートだと思った。

 でも、どうだろう。僕らの関係は、とてもではないが恋人ではないだろう。かといって友達と言うわけでもないし。

 いうなれば目的を同じとする同志、とでもいえばいいだろうか。

「いいね、それ。デートみたいで」

 彼女が小さく笑って言った。

 デート。悪くはない。むしろ良い。

「僕は、自分で言うのもアレだけど、地味で根暗で目立たないやつで。友達だって実は、いないんだよ。そんな風に見えないと思うけど。死にたがりなんて頭のおかしいやつに近づくのは、普通じゃないだろう」

 僕が言った。そう。僕は影で、彼女は日なた。

 彼女は学校一の美少女で、友達だって多い。彼氏の一人や二人だっていただろう。

 対して僕はド底辺の根暗ボッチ。天と地の差だ。

 まったく正反対の二人だけど。いやだからこそか。

「んー。まあ、キミがどう思ったところで変わらない事実があるんだけどね」

 彼女が意味ありげに言う。

「私は、普通じゃないよ」

 彼女が言った。それは知っている。僕だって普通じゃないから。

「じゃあ、僕らはお似合いってことかな」

「うん。少なくともそこらの有象無象に惚れちゃだめだよ。キミはもう私の物だから」

 ……なんて情熱的にして熱狂的な告白めいた言葉なのだろう。

 正直、他人にここまで好意だとかを持って接されたことはない僕にとって、なんというかとてもそれは重い、言葉だった。

 好きってことじゃあない。恋だとか、愛だとか。そういう話ではなくて、僕らの間に交わされるのはもっと欲深いもの。

 独占欲。お互いがお互いに初めてを捧げたい。そういう執着心。

「当然。君こそ僕以外になびかないでくれよ」

 僕がそう返すと彼女は微笑んで、僕の左腕に自分の右腕を絡ませた。

 はたから見れば、バカップルと言うやつかな。

「当然じゃん」

 彼女の笑顔を僕は直視できなかった。

 

僕が死にぞこない、彼女が殺しそこなった今日と言う日。

 なんとは無く、河川敷を歩いて交わしたいくつかの会話。

「僕は偽物だ。だから本物に成りたい」

「私は偽物よ。だから本物に成りたい」

 順番に、自分の思いのたけをぶつける。

「僕の死にたがりを、本当に死ぬことで本物にする」

「私の殺したがりを、本当に殺すことで本物にする」

 どこまでも正反対の二人だと思った。

 でも、向きが違うだけで、本質/0は同じなんだ。それがプラスかマイナスか、ほんの少しの違い。

 どうしようもなく偽物な僕らは、どこまでも似た者同士だった。



 4


 思い出している。

 じりじりと暑い夏だった。

「ねえ、なにしてるの」

 僕が話しかけたのは一人の少女。

 麦わら帽子に白いワンピースの彼女。黒いロングヘアーの彼女。

 その彼女はしゃがみこんで、こぶし大の石を握りしめて、地面とにらめっこしていた。

「ねえ」

 僕が質問した。

 彼女はけだるそうにこっちを向いて言う。

「れんしゅう」

「なんの」

「人殺し」

 へえと。たぶんのその時は、それしか思わなかった。

「じゃあ人を殺すためのれんしゅうが、虫を殺すことなんだ」

「うん。かあさまもとうさまも言っていたよ」

 彼女の視線の先。先ほどまでにらめっこしていた場所には、お菓子に群がるアリの姿があった。見たところ、何もしていないようだけれど。

「でもさ。やめておいた方がいいよ」

「え?」

「命ってさ。命って一つだけなんだよ」

 そうだ。

「そんな大事なものは、やっぱり壊しちゃいけないよ」

「はじめてだわ。そんなコト聞いたの」

 彼女が驚く。

 何度かうなずいて、顔を上げる。

「そっか。命は大事なもので、一つだけなんだね」

「うん。僕のにいさんが言っていたよ」

「にいさん。それは家族?」

「うん。大事な。君には、居ないの?」

「私にはとおさまとかあさまだけだから」

 彼女は手に握った石をそっと地面に置く。きっと落とした拍子に、アリにぶつからないようにだろう。

「じゃあ。私は殺さない。殺したいけど、まだ我慢する」

「うん。そうだね。じゃあ僕も―――」

 目が覚める。

  


 5


 なんというか、迂闊だった。


 殺人鬼。僕らが言う所の本物が、この街にはいる。

 高岡市連続殺人事件。誰ともなくそう称した事件が、僕らの住む都市で起こっていた。被害者の数は十人を超えて十一人となって日が浅い。

 この事件、とても性質が悪くて。なんでも被害者はみんながみんなばらばらなのだ。

 当然のように首が胴体と別れていて。胴体と四肢は、これもやっぱり別れているのだと言う。

 とてもじゃないが尋常ではない。

 そんな殺人鬼がこの街に居ると言うのだから、当然殺人鬼の主な活動時間と考えられる夜中に出歩くべきではないのだけれど。

 何を思ったか僕は僕の彼女には黙って、その殺人鬼と出会おうと考えていた。

 浮気ではない。断じて。

 なんて言い訳をしてみても、意味は無いのだろう。

 所詮、人は一人だから。僕の思考は僕だけのもので、決して読み取られることは、無いのだから。

 途中、道路脇に置かれた自販機でブラックコーヒーを買う。がこんと吐き出された缶を取り出す。

 にがい。やっぱりブラックは駄目だな。

 しばらくその場でじっと、コーヒーを飲む。

 飲み切ってそのスチール缶をゴミ箱へと放り込んだ。

「どうしたものかな」

 あの日。彼女と出会って以来、僕は彼女に出合ったのは五回。あの殺したがりの彼女が僕の彼女らしき存在に成って、なってしまってから五回。

 いや、五日と言うべきかな。

 あの日以来、毎日デートしてる。

 あまりのバカップルっぷりに僕はめまいがした。

 なんだ僕は。死にたいなんて言いながら、案外、心の奥底では死にたいなんて思ってないんじゃないだろうか。案外に今を楽しんでいるじゃあないか。

 跳梁跋扈する、僕の大嫌いな偽物たちと、何が違うのだろうか。

 不安になる。

 僕はやっぱり偽物で、本物に成れずに終わっていくのだろうか。

 それはいやだ。僕が僕でなくなるのは嫌だ。いや、もともと僕なんて無いんだろうか。

 堂々巡りもいいところだった。

 ため息。ため息にため息。

 歩きながらため息。

 だから気が付かなかった。

「なんていうか、辛気臭そうなやつだな、お前」

 だから、迂闊だった。

 完全に視野の外。蚊帳の外だと思っていたけれど。

 案外僕にも運って奴はあったらしい。

 目の前に現れた存在は、きっと死神で。劣悪な悪魔で。

 それはきっと殺人鬼だった。

 女がいた。肩口程度で切りそろえられた真っ赤な髪の毛。返り血といって信じられるほどの真紅。殺人鬼だと言うことを合わせて、そう思った。

 顔立ちはかわいいと言うよりは、きれい系の物で。そこらのモデルを遥かに凌駕したスタイルだった。

「こんなのが十二人目なのかよ」

 やれやれと、ジェスチャーする殺人鬼。

 十二人目。つまりはそういうこと。

「殺人鬼、本物か」

「あん?」

 僕や彼女のような偽物ではなく、本物中の本物。

 殺人鬼。人殺しの最上位クラス。

 息をするように殺すのだろう。

 だって、まともじゃあない。

 十一人も、ただの人間が殺せるわけがない。それが出来るのは、それはまさしく殺人鬼なのだろう。

「うむ。いかにも、殺人鬼だよ」

 殺人鬼が言う。

「名前は霧咲きりり」

 そう名乗った殺人鬼は、笑う。僕は名前なんて必要なのか疑問に思った。殺人鬼と言う濃いキャラクター性には、そんな名前かすんでしまって覚えられないだろうに。

「殺人鬼なんて職業をやっている」

「そんな、職業ありませんよ」

 僕は即答する。殺人鬼なんて職業があるわけがない。殺人鬼ってのは、そんな仕事であるわけがない。もっと純粋なものだ。それは称号で、詐称で、思想だから。

 人を殺す鬼。鬼のごとく人を殺すとでも言えばいいのか。

 でも決して、お金のためには人を殺せやしない。いや少なくとも殺人鬼ならばそうだ。

 もしお金の為に殺す殺人鬼が居たとしたら、そんなの偽物だ。

 僕は認めない。

「バカを言うんじゃあないよ、少年」

 殺人鬼が言う。

「少年が知らない世界にはそういう職業だってあるんだよ」

 殺人鬼が言うことは詭弁で、どうしようもない嘘だ。そう思ったけれど。

「まあ、僕は何も知らないし、知りたくもない」

 そう。僕の世界は僕だけで、いまは完結している。どうしようもなく閉じている。

「ま、その辺の込み入った事情は知らないけど、ま、仕事なんだよ」

 殺人鬼がナイフを取り出した。流れるような動きで、決して悟られることなく、それは殺人鬼の手の中にあった。

 刃渡り十五センチ程度のナイフ。いわゆるバタフライナイフと言うタイプのものだ。

「死んでくれ」

「悪いが、それはできない」

 僕の首筋に向かって真っすぐ走る剣閃。僕は無理やり体を捻るようにして躱す。もはや転ぶような形で回避する。

 いや、回避だとか躱すだとかそんなかっこいい物じゃなかった。

 無様に地面に転がる僕。

 それを関心するように見る殺人鬼霧咲きりり。

「やるじゃあない」

 そう言って彼女のナイフは僕の首筋へと再度接近した。

 地面に寝転ぶ僕にはどうやっても躱せない。回避不能の絶対死。

 でも僕は死ねない。死にたくない。こんな命を粗末に扱う殺人鬼に、殺されたくない。僕の初めては彼女に上げるのだから。

 ナイフは止められない。そも女一人で胴体と首を別れさせることが出来るだろうか。胴体と四肢を別れさせることが出来るだろうか。

 絶対とは言わないが、無理だろう。

 だからナイフが、やばい。

 あれには触れない。

 殺人鬼御用達のナイフだ。まともなわけがない。きっと、触れるだけで切れちまうんだろう。だから僕が狙ったのは、ナイフを持つ右手。

 と言っても、ほとんど無意識の動き。心の底からの思い。

 死にたがりが、死にたくないと思うほどに。命をくれてやるわけにはいかなかった。

 死を冒涜している殺人鬼には殺されるわけにはいかないから。

「おお」

 僕が差し出した左手で、右腕の動きを阻害した。ナイフは僕の首に届く事は無かった。

 目前で止まった。止まっている。

「なんだ、少年。君こっち側だったのか」

「ちげーよ。なんです、そのこっち側って」

「やや。こっちの話だよ」

 殺人鬼は僕に馬乗りになる。騎乗位って奴か。悪いが僕には彼女がいるから、殺人鬼の思いには答えられないんだ。

 顔面をはたかれた。

 しかし、ここで死にたくはないな。

 きっと死ぬ。殺される。容赦なく、烈火のごとく殺される。

 首と胴体が分かれて、四肢がばらける。

 嫌だなあ。それは嫌だ。

 でも、やっぱり僕は死ねなかった。

「あー、やめだ。あんた強いんだな」

 殺人鬼は、これまでだ、と言って僕の上からどいた。

 ナイフを、これまた手際よく仕舞う。

「うん。この霧咲きりりの凶刃から一度でも逃れたんだ。あんた、なかなか死ねない奴なんだね」

 ご名答。僕の悪運は結構なものだったらしい。

 それに、僕は死にたがりだけれど、ただ死ぬのはごめんだし。

 十二人目なんて言うありふれた有象無象には、決してなりたくなんかは無い。

「ま、死にたくなったら電話してよ。殺したげるよ」

 殺人鬼はこれまた流れるような動作で名刺を取り出す。

 完全請負制殺人鬼

 霧咲きりり

 TELL ○○○-○○○○

「マジに、仕事だっていうのか」

「言ったじゃん。死にたがりさん」

 笑う殺人鬼。

 僕はひきつった笑みを浮かべる。これはとんでもない世界に触れてしまったのではないだろうか。



 次の朝。

「むー。昨日変な女と遭ったんじゃない」

「それは誤解なんだよ」

「五回? 五回もその女とあいびきしてたんだ」

「どんな勘違いだばか」

「わかってるって。ちょっと嫉妬しちゃったんだよ」

 僕らは、とんでもなくバカップルだった。

 仕方ない。どちらも恥ずかしくて言えないし、言わないけれども。僕はやっぱり運命を感じたし彼女もそうだ。

「それに僕が君以外に殺されるわけないだろう」

「うんうん。キミは私が殺すんだからね」

 僕らの関係は、きっと歪で普通じゃない。

 でも、それでいいんだ。僕らはそれでいい。本物に成るためには、なんだってする。


 その日以降。殺人鬼は街に現れていない。



 6


 僕は一人暮らしをしている。親元離れてって言う訳ではないが、実家から約二キロ離れたところにあるボロアパートで暮らしている。

「弓崎荘」それがこのアパートの名前だ。

 もっとも、そんな名称は誰も使わないんだけれど。もっぱらここの住人にはかたむき荘と呼ばれている。

 築三十年ほどで、階層は二階建て。各階には四つの部屋。

 風呂なし、部屋はキッチンとダイニングのみ。一階の端に共有トイレが一つ。

 それが僕の住まうアパートだ。

 住人達も個性が強い人たちばかりで、少なくとも僕がここへ越してきて4か月の間に、誰かが引っ越したとか、いなくなったと言うこは無く。

 むしろこの不便を愉しんでいるようだった。

 場所自体は、悪くないし。駅の真裏に位置していて、最寄りのコンビニは徒歩一分。

 だと言うのにこの寂れ具合。

 現在使われている部屋は全八室のうち半分の四室。

 一つが僕。

 一つはきれいなお姉さんで、霧咲きりりさん。

 一つは外国からやってきたと言う陰陽師。マイケルさん。

 一つはこの弓崎荘と同じ名を持つ弓崎ゆうみ。僕の彼女。

 ここ数週間で、このアパートの住人は倍に増えた。

 言ううまでも無く弓崎と殺人鬼のおかげだった。

 賑やかなのは、いいことだ。それにあの陰陽師の外国人は、マジに意味不明だったのだから。

 殺人鬼と陰陽師の初対面は、今でも思い出す。

「こんにちは。隣に越してきた霧咲きりりです。以後よしなに」

「オウ。なんて邪悪な魂でーす。どれこの陰陽師マイケル・ウエッソンが祓ってやるでーす」

 なんて、はたから見れば。事情を知ったものが見れば爆笑必至の絵面を僕は数週間たっても覚えていた。

 なーんて。考えながら朝の散歩へと赴く。

 午前四時。世界は、少なくとも日本の大部分は残り僅かの休息時間を惜しむ頃。

 アパートを出たところで、僕は陰陽師に出合った。いつも通りに。

「ショウネン! おはようございまーす」

「おはようございます。マイケルさん」

「ノンノン。陰陽師マイケルでーす」

 陰陽師は称号だバカ。名前じゃないだろう。

「そうとも限りませーん。名前が陰陽師って人もいるかもしれませーん」

「居たとして、僕は絶対そいつを名前で呼ぶことは無いだろうね」

 僕はいつも通りの受け答えを終えて、散歩へと繰り出した。

「ショウネン! 今日は珍しく厄いので気を付けるでーす。あと夜は酒パでーす」

 珍しく。陰陽師がそんなことを言った。

 僕は手を挙げて答える。わかったよマイケル。僕はあなたの能力は信じているんだ。

 うん。能力は。

 なんか胡散臭いんだもんな、あの人。それに酒パって何さ。



 7


「なあ、死にたがり」

「何ですか。殺人鬼」

 いや、とためらう殺人鬼。

 僕に話すべきか。迷っているような。

「悩み事ですか。人を殺す鬼。殺人鬼の霧咲きりりさん」

「お前、私がそんなに嫌いかあ?」

「いや、むしろ好ましいですよ」

 殺人鬼は照れたように笑う。

 僕は、この殺人鬼に憧れた。別に人を殺したい、ってわけでもないし。殺してほしいってわけではないけれど。ただ単に、その本物さが、うらやましいのだ。

 死にたがりでも、殺したがりでない。真に殺す殺人鬼。

 殺したがりではなく殺しそのもの。

 本物に成れない僕にとってはすごくまぶしい存在。

「で、話がある」

 殺人鬼が言った。

「お前の彼女。弓崎ゆうみは、実は私の妹なんだ」

 へえ。初耳だ。

 妹、ね。殺人鬼の。

「なんか、込み入った事情がありそうだね」

「ああ、込み入ってる。込み入りすぎて、正直自分じゃあ理解しきれない」

 でも、殺人鬼の妹か。

 殺したがりの彼女の姉。

 でも、それは。ひどくひどい話だ。

 本物の妹が偽物。どうやっても、姉に追いつけない。

 殺したくても、どれだけ殺したがっても殺せない、殺したがりの彼女の、殺人鬼に対する思いは、いったいどのような感情なのか。

「でな。ゆうみはまだ人を殺していないらしい」

 殺人鬼が言う。

 なんでも。殺人鬼の親兄弟は、みんな殺人鬼にならなくてはいけない。成るべくして生まれて、意のままに殺す。

 そういう一族に、殺したがりの彼女は生まれついていたという。

「家の決まりでな。十七の歳までに殺しを済ませていない者は。そのな」

「歯切れが悪いな殺人鬼。はっきりしなよ」

 嫌な予感。

 僕は、認めない。

「うう。死にたがりのくせに。言葉がきついよう」

 ふうと。一息つく殺人鬼。

「処分しなくてはいけない。殺処分な」

 殺処分。この世から、消してしまうのか。

 あの殺したがりの彼女を。

 そんな理由だけで。僕の運命を閉ざそうっていうのか。

「もちろん。私としてはゆうみが少年を殺してくれると、いいと考えていてな」

「そりゃ、当然さ。僕の命は彼女の物だ」

「うん。それはいいんだ。でもさ。わかんだろ少年」

 もったいぶる殺人鬼。

「も う 遅 い ん だ よ」

 はっとする。もしやと。冷汗が流れる。

 そうだ、何故この殺人鬼が、僕の前に居る。いや違う。図ったかのようにゆうみと一緒に引っ越してきたのか。

 それに、僕は三日前にゆうみの十七歳の誕生日を祝っている。祝ってしまっている。

 それはつまり。条件がすべて満たされていると言うこと。

 この殺人鬼が、ゆうみと同じ時期に越してきた理由。調べがついていたんだ。

 だから偶然じゃなくて。この殺人鬼との再会は、すべて予定調和、なのか。

「殺したのか」

「いや、まだ」

 がっくりとずっこける僕。

 でも、時間の問題なのだろう。

「私たちはな。殺す時に名乗る名前があるんだ。それが霧咲」

「偽名ですか。霧咲。きりりさんの苗字ですね。では本当は、ほんとの名前は」

「ああ。弓崎、さ」

 でもそれがなんだっていう。

「ゆうみを殺す為に、ここに来たんですね」

「ああ。妹の不始末は姉が片づけなければならんそうだ」

 でも、それはなんて酷な話。

 まだ本物に成れていないのに。

「で。ゆうみが生きているって事は私のところで情報を止めてある」

「ああ。いかに殺人鬼といえど、情があるんですね」

「うん。同族。いやまだそこまでではないのか。とにかく家族を殺すのは私は嫌だった」

 だから、か。

 ゆうみが近頃この殺人鬼と喋らなかったのは。

 気まずかったのだろう。

 もっと早く、殺されてあげればよかった。そう、あの出会ったその日にでも。

「心にもないことを言うなよ」

 偽物風情が。そう言葉が続いた気がした。

 でも、僕が偽物だっていうなら、ゆうみも、偽物なんですよ。きりりさん。

 それはあなたが一番よく分かっているはずだ。

 そこに殺人鬼の姿は無かった。

 どうやら言いたいことを全部話し切ったらしく。その痕跡すら残さずに去っていた。



 8


 はあ、と。何度目になるかわからないほどのため息をついて、目の前の惨状を見る。

 酔いつぶれた自称陰陽師マイケルと、完全請負制殺人鬼の霧咲きりり。

 そしてその二人を介抱する殺したがり弓崎ゆうみのすがた。

「なんて、厄日だ」

 マイケルさんの言葉の意味はこれか。全く下らん結末だった。

 僕はいそいそとゆうみに合流して介抱を始める。

 その隙にきりりさんの胸を揉んでおく。介抱の代金って奴にしておこう。

 と、頭をはたかれた。

「キミがそんなことするなんて、最低だよ」

「うう、ごめん。ゆうみ。泣かないでくれ」

 僕の彼女、弓崎ゆうみが泣きそうになってまで僕を非難していた。うお、罪悪感がやばい。ていうか、きりりさんはゆうみのお姉さんだからな。

 そのことを僕が知っていることを、彼女は知らない。筈だ。

 二人で介抱を終えて、ようやく一息ついた。

「ねえ。僕はさ、君に。すぐにでも殺してほしい」

「ええ。私も、急がなきゃならない事情が出来たの」

 そう。彼女は、僕を殺さなければ、生き残れない。

 でも。と彼女は続ける。

「どうしてかな。思い出したから、かな。君をキミを殺すなんて、私には――――」

 その言葉をさえぎるようにして、爆音。轟音。激音。

 想像を絶する音と共に、僕の部屋の壁が、どうしようもなく粉砕されていた。

「どうも、弓崎。私は殺し屋九尾崎、だ」

 僕と彼女は立ち上がり、殺し屋と名乗った存在に向かい合う。

 それは男だった。いうなれば忍者だろうか。忍び装束に身を包んでいる。

「そこの間抜けが仕事を果たせなかったらしいのでな、依頼人はお怒り、だ」

 間抜け。霧咲さんの事だろう。

 ちらりと横を見る。ゆうみの表情は硬い。固い。

 ゆうみを、かばうようにして前に出る。

「なあ。九尾崎って言ったか?」

「いかにも、だ」

 事も無げに返す言葉に、さすがの僕も、怒りを覚える。

「殺し屋、だか何だか、知らないけど。この惨状はどう落とし前をつけてくれるんです」

 惨状。僕の部屋の、壁一面が粉砕されて、風通し抜群、ただしプライバシーは一切ナシの、この状況の事。

「知らん。どうせ、関係の無いこと、だ」

 それに、と。九尾崎が続ける。ここに居合わせたものは、すべからく皆殺し、だ。と。

「そんなことは許さない。これは私の物なんだから」

 ぐいと、襟首を掴まれて引っ張られる。

 ちょ。くるしいって。

「ふむ。込み入った事情、だ」

 ああ。込み入りすぎて、訳がわっかんねえよ。

「ならば死ね」

 まったく脈絡なく放たれた言葉を皮切りに、二つの姿が動く。

 一つは九尾崎。流れるようなしぐさで、小太刀を抜き打ちする。

 一つは弓崎。流れるような動きで、サバイバルナイフで小太刀を受け流す。

 鉄と鉄のぶつかり合う音が、幾度か部屋に鳴り響く。

 僕は、何もできない。何も。

 だから、どんどん傷つく彼女を見ても、何もできやしない。

「ああ。なんて日だ」

 僕が小さく、こぼれるように漏らした言葉は、誰に伝わることなく、剣戟の音に消えていった。

 何度かの打ち合いの後。

 二人が間合いを取る。

 ゆうみは満身創痍で膝をつき、九尾崎は健康体そのものだった。

 経験、潜り抜けた修羅場の違い。僕はそう感じた。

「ふん。弓崎が標的だが、後回し、だ」

 満身創痍のゆうみに言い放つ九尾崎。

「お前のそのすました綺麗な顔が崩れるところが見たい」

 ゆうみの、悲痛な叫びを聞きたいと、九尾崎が言った。言ってしまった。

 そう言って九尾崎は僕に向かって小太刀を振るう。首筋への一閃。なんという偶然か。その位置からのその一撃は、すでに体験済みだった。

 難なく後退する事で、躱した。

 目を細める九尾崎。

 でも、それは駄目だぜ。その殺したがりの彼女を泣かせるのは、僕が最初だ。絶対にそれは譲れない。彼女の涙は、僕の命と引き換えに、僕の最期の記憶にするんだから。

 だから、僕はお前を殺す。

「なあ。九尾崎。あんたは何のために殺すんだ」

「仕事、だ」

 どいつもこいつも仕事ばかり。いやしい大人め。

 ならどうやったって、僕らは偽物じゃあないか。でも、それでいいんだ。

「僕は、あんたを否定する。死にたがりの僕は、あんたに命をくれてやるほど、お人よしじゃあない」

 九尾崎が嘲るように笑って僕に肉薄する。

「じゃあ死ね」

 やはり何の脈絡もない言葉と共に、僕の体を小太刀が突き抜ける。痛いと言うより、もはや熱い。焼いた鉄棒を突っ込まれているかのようだ。そんな体験ないけど。

 どてっぱらをぶち抜かれて、案外僕は強靭なのか、精神が強かったのか。

 無事ではないにしろ、意識を保って行動を起こすことが出来た。

 電話を掛ける。

 僕は、分をわきまえている。これは、こうなってしまえばもう暴力だ。僕では太刀打ちできない。だから。不器用な殺人鬼に頼ることにした。誰かからの依頼が無ければ、殺すことの出来ない、殺人鬼。

 本当は息をするように殺したいはずだ。自由に殺したいはずだ。決して束縛されたくはないはずだ。そんな不器用な、不出来な。不格好な、でもそれでいてかっこいい殺人鬼。

 すぐに、それは飛んできた。破壊された、かつての壁があった場所から、やってきた。

「霧咲――きりり」

 九尾崎は、驚いたように言う。



 9


「きりりさん。僕からの依頼です」

 静かに、だけど、確固たる意志をもって。言う。良き絶え絶えに言う。たぶんこんなにすらすら言えているわけではない。でも。それでも自分の言葉でもってして、言う。

 死にたがり、殺したがり。なんて偽物はもはや意味をなさない。それはあくまで、僕が僕を隠し通すための、嘘でしかない。

 僕は命を尊いと思う。決して、一個の命を不用意に扱っては、壊してはならないと思っている。殺しはいけないことだ。絶対にいけないことだって、僕は言える。

 でも、世界と関わるには、常に殺し続けなければならない。。人を殺すことで、人は人らしくなれる。この世に、生きていると実感できるんだ。でも、それは自分を殺すっていう事。決して、他人を殺すと言うことではないし、あってはいけない。

 自分の気持ち、自分の思い。自分の記憶。その一切合財を、少しづつ殺し続けて、そうしてこの世で生を謳歌できる。この世に関われる。

 でも、それがもし他人に向いたとき。他人の気持ちを、他人の思いを、他人の記憶。その一切合財を殺した場合に。僕はそいつを人とは認めない。どれだけ取り繕ったって無意味だ。僕にはわかる。そんな殺人鬼は絶対に許さない。時と場合がそうさせたと言っても僕は知らない。もしその時殺さなくても、絶対に。断言できる。そいつはいつか、人を殺す。暴力で殺す。言葉で殺す。無残に殺す。無意味に殺す。

 だから、僕は嫌だ。

 殺すのが嫌だから、死にたい。僕は、自分の意識なんてものがそもそもなければ殺しなんて体験せずに済んだのだから。

 でも、いまは違う。僕は殺す。この九尾崎と言う男の一切合財を、殺しつくす。僕の意思でもって殺す。僕の意思でもって、この殺人鬼に依頼する。

 自分で手を下さないからと言って、僕が殺してないことにはならない。

 ナイフに罪があるか。銃に罪はあるか。なんてあたりさわりのない言葉で説明できる。

 道具に罪は無い。その使い手こそに罪が生まれる。それは絶対だ。

 だから。

「きりりさん。九尾崎と言う男を、完膚なきまでに、殺してください」

「了承した。依頼は完遂する」

 そうして真紅の彼女はナイフを取り出す。

「だめ。そんなことをしたら、死にたがりのキミが。本当に死んでしまう」

 契約をかわす僕らに向かって弓崎ゆうみが叫んだ。

 僕が、死ぬか。

「大丈夫。僕は君に殺されるまでは、死なないよ」

 そんな生ぬるい言葉。彼女に届くだろうか。たぶん大丈夫。僕らなら、きっと大丈夫。

 そうして、真紅のナイフが、九尾崎の首をきれいに切り落とした。

 真っ赤な血飛沫が舞う。まるで霧が、咲くように。

 そうして視界がブラックアウトした。



 ※


「名前、教えてよ」

 僕が彼女と初めて会った日に、最後に質問したこと。

「弓崎、ゆうみ」

「僕は○○○。好きに呼んでくれ」

「じゃあ、キミって呼ぶことにする」

 彼女はさも当然と言う風に胸を張る。

「約束しよう。僕は死ぬのを我慢する」

「約束する。私は殺すのを我慢する」

 過去の、思いで。記憶。



 10


 目が覚めて、僕は思い出す。

 腹の痛みで思い出す。

「ここは病院か」

「うん。その通りだよ。キミは聡いね」

 ゆうみの声。ずっと看病していてくれたのだろうか。彼女だって、包帯だらけだ。傷だらけになって、僕を守ってくれた。

 ゆうみの方を向く。今にも泣きそうな顔だ。僕が泣かせた。泣かせかけた。

 でも、僕は死ななかった。死ねなかった。他者を殺して、僕は生き延びた。

「君の、領分だったっけ?」

「そうだよ。殺しは私の領分。約束したでしょう」

 なんだと、笑う。思い出していたのか。

 僕らは何も、あの屋上で初めて出会ったわけではなかった。

 それよりも、ずっと昔。十年も前の事。そんな昔に僕らは出会っていた。

「お互い、約束は守れたね」

 彼女が言う。ああ、そうだね。守れた、とは僕には言い難いけど。

 彼女は殺さず、僕は死なず。

 お互いが逆転した結果を迎えた。

「死にたいほど、悲しかったんだ。あんなに命を大事に思うキミが、あの殺人鬼を使ってまでも人殺しをすることが」

「僕だって、いやっだったさ。僕のプライドは、ずたずたさ」

 軽くおどけて言ってみる。

 ああ。そうだ。僕はもうだめだ。人を殺してしまった。自分で決めた一線を、何てことなく通り過ぎてしまった。

「ゆうみ。お姉さんは?」

「え? 何の事」

 疑問形で返された。

 いや。どういうことだ。あの殺人鬼。ゆうみの姉の、霧咲きりりはどうなった。

「あの人。私の姉じゃないよ。それはキミが一番知っているはずだけど」

 あ。ああ。思い出した。そうだ。そうだった。知っていた。

 ゆうみは一人っ子だ。そのことを僕に言っていた。

 とうさまとかあさまだけが、私の家族だと。

「なあんだ。結局あの人何がしたかったんだろう」

「知らないけど、殺人鬼の事なんて。でもたぶん。キミに興味がわいたんだよ。死にたがりのくせに、心の底では、誰かを殺せるキミを」

「なるほど。じゃあ狙いはゆうみじゃなく、僕にあったわけだ」

 だとすれば、九尾崎は一体何のために。

「九尾崎は。もともと私の家に仕えていた、忍者の一族よ。今では分けあって殺し屋なんて家業に堕ちたみたいだけれど」

「忍者」

 そんな物語的な存在が、いや。何も言うまい。殺人鬼が居るんだ。忍者だっているだろうさ。

「彼の目的は私だったんだよ。弓崎の次期当主としての私」

「ははん。そういうことか」

「ん?」

 いや、と話を続けるように促す。

「で、あの男九尾崎なんだけ。処理自体は終わったわ。十二人目の、連続殺人事件の被害者として処理されることになったわ」

 だろうね。殺され方はきっと同じだから。

「で、問題はキミのこと。どうして、あんなことに巻き込まれたかを、説明することは、難しいでしょう」

 うん。それは僕も考えていた。あんなの僕が犯人みたいじゃないか。

 僕の部屋で事件が起きる。十二人目の被害者。

「それはね。その部屋が空き部屋だった、てことで、決着したわ」

「でも、僕はどこに住んできたことになるんだ」

「同じアパートの、隣の部屋よ。気付かなかった? あのアパート、弓崎家所有の何だけと」

「気付いてたさ。なるほど。隠ぺいしやすかったのか」

「うん。だから大丈夫。日常に戻れるよ」

 彼女が僕の頬に手をあてる。暖かい。生きている手だ。所々包帯で巻かれていて、とても痛々しい姿だけれど。それでも生きている。

 だから、僕は思う。

 まだ殺していない彼女に。人殺しの自分が何かできるだろうか。

 昔のように、殺しは駄目だと。いけないことだと胸を張って言えるだろうか。

「ゆうみ」

 彼女の名前を呼ぶ。

 一つ外れてしまえば、あとはなし崩しだ。こんなこと、彼女に言うつもりなんて無かったのに。

「僕は、死にたがりをやめるよ。僕は、殺人鬼なんだ」

「うん」

 彼女は一つ頷いて、僕を撫でる。

 僕は上半身を起こす。寝たまんまじゃ、だめだ。罪の告白の態度ではない。

「僕は、人を殺してしまった」

「でも、それはあの女が手を下した。キミが手を下したわけじゃあないよ」

 彼女が言う。たぶんわかって言ってるんだ。

 僕がそうは考えていないこと。

「道具に罪は無いよ。いつだって罪を負うのは道具の使い手だ」

「そうだね」

 彼女は僕を抱きしめた。

 鼓動の音が聞こえる。心地よい、リズム。

「自分を殺し尽くした先には、誰を殺せばいい。もう自分の意思を殺せない」

「私がいるよ。私があなたを殺すの」

 ああ。なんて話だ。殺しを我慢させていたのに、決して、他人を傷つけることない。いや殺すことが出来ない彼女に。それはなんて重荷だろうか。

「僕は罪深いね」

「私も、同じだよ」

 彼女がほほ笑む。

 うん。じゃあ。約束道理に、僕たちは我慢したし。そろそろ次へ進もう。

「じゃあ。僕を殺してください」

「私はあなたを死なせます」

 うん。顔が赤い。たぶん彼女もだ。

 このセリフは。僕らにとっては、愛の告白と同義なのだ。

 つまりは、一生一緒に居ようって。そういうことなのだった。


 

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