2-9 呪文
長文なので分割してアップしてあります。
枝番のあるものは一つの文章です。
サブタイトルは便宜上付与しました。
「…いいわ。左手を出して」
アルに言った。今度はリアの番だった。
リアは制服の胸元のボタンを一つむしり取った。レガートと向き合った時に使うかもしれなかったものだ。リアの胸中を淡い感情がすり抜けた。
ボタンは黒色の軽い金属製だ。リアは相転儀を使ってボタンを両刃の小さなナイフに変形させた。リアの相転儀は対象に作用して、形だけでなく、量的、質的に変異を起こす。アルのように相転儀をそのまま転用はできないので生成したナイフを使うことにしていた。
見ると、アルが手を差し出しながら苦い表情をしている。これから起こる苦痛を予期した顔だった。
リアは片眉を上げた。
「そんなに怖がらなくても、祭壇に縫いつけたりしないわよ」
アルの表情が深刻さを増した。リアはため息をついた。
「少しだけ痛いけど、我慢なさい」
リアは言葉を口にするなり、ナイフの刃をアルの手の平に滑らせた。間を空けるとかえって怖がらせる。リアなりの判断だった。
「っ!」
かすかな苦痛の声をアルが口にした。指を折り曲げ、震えの見て取れる手に赤い筋ができていた。筋目から染み出た血が珠を作った。
「手を合わせて」
左手を起こしてリアは祭壇の上に掲げた。アルが傷口をリアに向けながら同様に手の平を近づけた。祭壇の上で二人の手の平が合わさる。間から血が滴り落ち、祭壇の上に痕をつけた。
「呪文は覚えてる?」
アルが頷いた。
「言って」
「汝、命の火、燃え尽きるまで我に力与えることを約するや」
「諾」
リアが答えを返すと合わせた手の平に熱が生まれた。熱は手の平を起点として腕を進み、肩部を経て胸に達した。心臓が熱い。心臓を満たした熱は拡散し、首や右腕、下腹部に到達した。さらに広がる熱が頭や指先、足を目指す。熱気が体全体を浸していく感覚を覚えながら、リアは同じ呪文を口にした。
「汝、命の火、燃え尽きるまで我に力与えることを約するや」
「諾」
アルが答えると熱が勢いを増した。リアは細胞の一つ一つが炙られているかのような感覚に唇を引き結んで耐えた。
苦しそうなアルの声が聞こえた。目を閉じて、眉間には深い皺を寄せている。苦痛に耐える表情だった。喘ぐような切れ切れの声が耳に届く。
アルも同じ熱気を感じているはずだった。二人を包む熱は害を成すものではない。儀式の順当な進行を示していた。リアは熱とは別の高揚感を覚えた。頬が熱い。