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第一章 惑星セリオン・2 記憶

『――綺麗ね』

 漆黒の宇宙に浮かぶ青い惑星(ほし)

 その地表を高度550キロメートルから見下ろす艦橋(ブリッジ)で、涼しげな女の声が響いた。


(誰……?)


『あれが地球……曽祖父ひいおじいさまが愛した理由がわかるわ。とても死の星とは思えない、美しい惑星……』

 女は長い髪をふわりとなびかせて窓際に寄ると、いとおしそうにそっと手を伸ばした。

 彼女が触れている三層の強化ガラスの厚さは合計で5センチ。そのすぐ向こうはほとんど真空に近い。

 わずかな大気が逃げ場を失ってじりじりと太陽に焦がされるだけの涼しい熱圏だ。


『ようやくここまで来た……』

 彼女はうっとりと窓にもたれかかり、目を閉じている。その口元には妖しい笑みが浮かんでいる。


『必ず手に入れるわ……<セリオン>を掌握するためのキーを。そのためなら、どんなことだって……』

 彼女は振り返る。

 腰まである琥珀色の髪が地球からの反射光を弾いてギラギラと輝いた。


『――ねえ、そうでしょう?』


      *


 少女はベッドの上で目をさました。


 なにか、昔の夢を見たような気がしてしばらくぼうっとしていたが、やがて自分が見知らぬ部屋にいることに気付いて、体を起こしかけた。

いっ……」

 瞬間、体中に激痛が走った。

 少女はうめいて再び横になると、そのまま気を失いそうになりながらも、どうにか痛みをこらえた。


「う……はあ、はあ……」

 横になったまま目を閉じて呼吸をととのえる。

 痛みが引いてしばらくすると、ようやく状況を確認できるだけの余裕が出てきた。


(ケガ……したのかな)

 特に後頭部がひどく痛むようだ。見れば全身に包帯が巻かれ、腕には点滴まで打たれている。

 ゆっくりと首を回してあたりを見回してみる。


 その部屋には窓がなかった。ベッドと小さな机、それに点滴のスタンドが置いてあるだけで、調度品らしきものはほとんどない。白一色の壁を天井灯がうすぼんやりと照らし出している。

 少女から見て右側の壁は一面が鏡張りになっており、正面の壁にはドアのようなものがひとつだけある。


(病院、なのかな……ケガしてるみたいだし、でも……)

 天井の隅に監視カメラがあるのを認めて、少女は胸が騒いだ。


『入るぞー』

 突然どこかから声がして、少女はびくと体をふるわせた。


 小さな音をたてて、先ほどドアだと思ったものがスライドして開いた。


「……おお、意外と回復が早いじゃねえか。二、三日は寝てるかと思ったんだがな」

 ドアの向こうから現れたのは、白い体毛の獣人だった。ポケットのたくさん付いたジャケットを羽織り、カーゴパンツをはいている。ちいさな耳が側頭部から飛び出しており、短い白ヒゲがいくつもピンとはっている。


 少女はしげしげとそれをながめて言った。


ネコさん(ワー・キャット)……?」

「ちげーっ!」

 獣人はその場でひっくり返った。


 少女があっけにとられていると、獣人は即座に飛び起きて少女ににじり寄った。

「トラだよトラ! タイガー! わかる!? ネコじゃねえ! 俺はワー・ホワイトタイガーのビャッコだ! いいか! ネコじゃねえ!」

 すさまじい剣幕で怒鳴られた。そのあまりの勢いに、少女は驚くのも忘れてぽかんと口を開いたまま固まってしまった。


「……なんだよ。……あ、お前、獣人を見るの初めてなのか?」

 少女はそれを聞いて、自分がそれに答えられないことに気付いた。

「ごめんなさい。初めてじゃない、と思います……けど、どこで見たのか思い出せない……」


 少女は青ざめた。獣人どころか、始人のひとりすら顔も思いつかなかったのだ。それだけではない、自分が何者なのか、名前さえ思い出せない。愕然として、ふいに自分の手のひらを見つめる。なんの見覚えもない。


(記憶が、ない……?)

 目の前が急に真っ暗になったようだった。少女は次第に気分が悪くなってきた。


「ふん、まあいい。どうせとぼけたって無駄だぜ。あらいざらいしゃべってもらうからな。アンタいったい何の目的で、どうやってセリオンに侵入したんだ? え、ココノさんよ?」

 少女が青くなっているのにもかまわず、ビャッコと名乗った獣人は詰問口調でしゃべりだした。しかし少女には何ひとつ当を得るものがなかった。


「……ココノ、さん……って……?」

「そこもとぼけんのか? 無駄だって。アンタが着てた上着に軍人証が入っていたんだ」

 言うと、ビャッコは小さなプレートを取り出してみせた。そこには写真付きで、辺縁調査部隊ココノ・リンドベルク少尉と記されていた。


(これが、わたし……)

 そこには平坦な表情を浮かべた金髪の少女が写っていた。まだ成長期くらいの年頃、どこか陰気な雰囲気をまとっているのは、長い髪と伏目がちな瞳のせいだろうか。

(……なのかな……)

 しかし、そのプレートを見ても少女は何も思い出すことができなかった。その写真が本当に自分の顔なのかどうかすら、わからなかった。


「あの、それほんとうにわたしなのでしょうか……? わたし、その、何も思い出せないんです。自分の顔も、名前も」

「……あぁ!?」

 その瞬間、少女は自分が失敗したことをすぐ理解した。

 歯をむき出し、奇妙にゆがんだネコ顔の獣人の表情が怒りをあらわしているのはあきらかだった。

「てめえ……あんまりオレをなめないほうがいいぞ」

 ビャッコは少女の胸倉をつかみ、むりやり上体を起こした。というより、ほとんど空中に持ち上げた。

「ぐ……」

 着ていたシャツの首が締まり、息ができなくなる。少女は全身の痛みと恐怖で何もできず、そのまま無抵抗に締められてしまった。


「オレはパルクとは違う」

 人間とは明らかに構造の違う大きな口から、恐ろしく鋭い肉食獣のキバがのぞいている。炯々(けいけい)とかがやく青い瞳に射抜かれて、少女はがたがた震えるしかなかった。


 その瞬間。


(あ……!)

 その瞬間、雷にうたれたようなショックとともに、少女の脳裏にあるイメージが浮かんだ。



 降りしきる雨の中、小さな亡骸を抱えて立ちつくすネコ顔の獣人の姿――

『――なあ、そうだろう、パルク』



 低い声とともに、イメージは消えた。一瞬だった。

(な……に、いまの……)


 今見えたものがなんなのか、考えているヒマはなかった。怒りに燃える獣人の瞳が目の前に戻ってきていた。

 ただ、痛烈に、無条件に、理解できたことがひとつ、あった。

(このひとはわたしを、いえ――人間を憎んでいる……殺すこともためらわぬほどに)


 怒りのせいか、ビャッコの腕はぶるぶると震えていて、異常な雰囲気をまとっている。

 少女の口からひゅっと最後の息がもれ、彼女は死を意識した。

(怖い……怖い!)

 気を失ってしまうかと思われたとき、ドアが再び開いて、何人かの獣人たちが足音も荒く部屋に入ってきた。

「おいビャッコ! なにしてんだよ!」

 彼らはビャッコを羽交い絞めにすると、少女から引きはがした。

「あんたバカじゃないの! 相手はケガをした女の子なのよ、死んじゃうわよ!」

 少女は倒れるように座り込み、その場で大きく咳き込んだ。どうやら助かったらしい。安心したとたん、全身の痛みがぶりかえしてきた少女は、今度こそ意識を失った。


      *


「……それじゃ、君は記憶喪失だっていうわけだ」

 白い部屋に、どことなくのんびりした声が響いた。


 しばらくの後、再び目を覚ました少女の元を訪れたのは、パルクと名乗る灰色の毛並みを持つイタチのような獣人だった。「ごめんね、本来なら絶対安静なんだけど……」と前置きして、その獣人は少女の体調や記憶についてたずね始めたのだった。


「たぶん……あの、信じてもらえるんですか?」

 少女はベッドに横になったまま、おそるおそるたずねた。倒れる寸前に見た、怒り狂った獣人の青い目が脳裏に焼きついて離れなかった。


「うーん、ま、完全に信じるってわけにはいかないんだけどさ……」

 パルクは困ったように頭を掻いた。

「今は、ハルが出かけているから――ああ、ハルってのはおいらたちのリーダーで、医者ドクターなんだ。そいつが帰ってくれば、もう少し詳しい診断ができると思うんだけど」

 そう言ってぱたん、とひとつ大きくシッポを振った。

「けどまあ、軍人証を見る限り、君がココノ・リンドベルクという名前の軍人だというのはまず間違いないと思う。だから、とりあえず君の事はココノと呼ばせてもらうけど……いいかな?」


 少女――ココノはゆっくりうなずいた。つい今しがた鏡を見て、写真の人物がたしかに自分とそっくりな顔であることを確認したばかりだった。

 この自分が軍人だというのはちょっと信じられなかったが、記憶がない以上、特に否定する要素がないのも確かだった。


「おいらもね、君みたいな女の子が軍人だってのはちょっと変だと思う。少尉ってのはけして低い階級じゃないだろうしね。それに……」

 どうみても中等生(ジュニア・ハイ)くらいにしか見えないしなあ……という言葉をパルクはどうにか飲み込んだ。


「ひょっとして、貴族かなんかの娘だったりするのかな」

 貴族出身の者が軍に入隊する場合は往々にして士官候補生からスタートすることが多い。

 とはいえ、ココノには答えようがなかった。


「間違いないのは、君が機動装甲に乗っていたってことくらいかな。それはおいらがこの目で確認しているからね」

 反応をうかがうような口調だった。

「機動装甲にはふつう、生体認証システムがある。機体はパイロット毎に調整(モデュレイト)されているからね。君が乗っていたということはつまり、君は認証されている――パイロットなんじゃないかと思んだけど――、どうかな?」

 ココノはやはり何も覚えていなかったので、だまって首をふるほかなかった。


「そっか……」

 なんとなく気まずい沈黙があった。


「……あの、パルクさんなんですよね? わたしを助けてくれたの」

 代わりにココノは質問を返した。疑われているのはわかっているが、話をしたかった。

 パルクは先ほどの獣人と比べれば安心できる相手だったし、質問攻めにされて不安だったのだ。何もわからないのは、自分も同じなのに。


「へ? ああ、うん」

 パルクはやや面食らった様子で答えた。

「助けた、といっていいと思う。君は、死にかけていたし」

「どうして、死にかけていたんでしょう?」

「君は、墜落したんだよ」

 パルクは小さな机の上で毛むくじゃらの腕を組んでアゴをのせた。

「君はおそらく航宙艦でこの惑星に着陸しようとしたんだ。しかし失敗して墜落した」

「墜落……」

 パルクはうなずいて続けた。

「機動装甲に乗ったのは、正しい判断だったと思う。君は覚えていないのかもしれないけれど、あれに乗っていなければ助からなかっただろうね。そうは言っても大量に出血していたし、あたりはいつ炎にまかれてもおかしくなかった。おまけに数時間後には夜が明けて、陽鬼草の毒霧に包まれていたはずだ」


 ココノはほーっと息をついた。

「感謝してもし切れないですね」

「運が良かったってことさ」

 照れているのか、パルクは頭を掻きながら目をそらした。


「わたしは、戦争に来たんでしょうか」

 パルクは驚いてそらした目を戻した。視線の先で、ココノがまっすぐ自分を見つめていた。


「それは……どういう意味だい」

「わたしは軍人で、ふねは軍艦なのでしょう? わたしは、この惑星ほしに侵略戦争を仕掛けに来たのではないでしょうか。というか、みなさんはそう思っているのですよね? わたしが今受けている扱いは、捕虜に対するそれなのかと……」


 パルクは、目の前の少女が演技をしているようには見えなかった。だとすれば、ただの子供がこれほど冷静に状況を把握できるだろうか。

(ひょっとして、とんでもない人間を助けちゃったのかな、おいら)


「ココノ、君は……」

 パルクが声をかけようとしたとき、どこからか警報音とともに放送が流れてきた。


緊急スクランブル! 緊急! 先日鹵獲した帝国軍の戦闘ロボが第三格納庫で再起動、暴走を開始! 総員基地内戦闘配備! 非戦闘員は念のため避難を開始してください! 繰り返す……』


「マジかよ、こんなときに……!」

 パルクがうめいた。

「いいか、君はここにいろ。すぐ誰かをよこすから、一緒に避難するんだ」

 そう言って部屋を出て行こうとしたが、ドアの前でくるっと向き直るとココノの方へ戻ってきた。


「心配しなくていい、君はたしかに捕虜かもしれないが、だったらその身柄は保証されるはずだ。……あー、ビャッコのことは、ごめん。あいつ、バカだから……」

 そう言ってパルクは申し訳なさそうに頭を掻いた。

 それを見て、自分はそんなに不安そうな顔をしていたのか、とココノは恥ずかしくなった。


「それに、君が戦争をしにきたのかどうか、正直おいらは疑わしいと思ってる。だいたい、人間を捕虜にすることだって、おいらたちにとっては初めての経験なんだぜ」

「初めて?」

「そうさ、人間はこの惑星ほしに降り立つことはできないんだ。それがわかってて、戦争しに来るなんてこと、あるかね? 君が初めての例外なんだ。どう扱えばいいのか、正直言って困ってるのはこっちのほうさ」

「わたしが……例外……」


 パルクは短い指を一本突き出して、言った。

「ま、だからさ、そんな世にも珍しい人間を簡単に手放すわけないだろう? そりゃ丁重に扱うさ。心配しなくていいってのはそういうこった。まあ、これはおいら個人の考えでしかないんだけども……」


 言いながら段々と視線を落としていったパルクだったが、突き出した指をそっとつかむ手に気づいて、はっと顔を上げた。

「ありがとう、パルクさん」

 パルクは耳まで赤くなった。

「……まだ、気を許したわけじゃないからな」

 言いながら、ふらふらと部屋を出るのがやっとだった。



(なんだ、いい子じゃないか)

 彼女を救ったことは間違いではなかった――格納庫へ向かって通路を走りながら、パルクは安堵していた。

 この惑星ほしに来た目的は不明だが、記憶を取り戻せばそれも明らかになるだろう。

 願わくば平和なものであることを祈るばかりだ。


(……ま、あの子に物騒なマネができるとも思えないけど)

 内心ではすっかりココノに気を許していることに、本人自身、気づいていなかった。


 まずはこの騒動をおさめよう――いまだ警報音の鳴り響く中、パルクは一目散に走った。

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