序章 フォトン・ベルト
暗く、茫漠と広がる星々の海――
死と静寂が支配する暗黒の宇宙空間に、瞬く光とともに一隻の航宙船が空間跳躍完了して現れた。
全長は200メートル程度。槍の穂先のような、三角柱に近い丸みを帯びた形状。光を反射しない黒一色の外装には船名の表示が無く、舷窓らしきものもほとんど見当たらない。
それだけでも十分に怪しかったが、見る者が見ればそこかしこに砲門を格納したユニットが散見されることに気が付くだろう。それは、ひとつひとつが必殺の威力を有した高エネルギーの粒子砲だった。まずもって普通の――旅客船や貨物船のような――航宙船でないことは明らかであった。
ワープアウトの直後、その航宙船は即座に核融合エンジンに点火し、排気ノズルから雪のように輝く水素プラズマを噴射、およそ光速の7%まで加速したのち、通常推進を開始した。その向かう先は、辺境宙域の中でも特に未開とされる荒地領域に存在する惑星〈セリオン〉。
そしてその目的は惑星圏内への進入と『制圧』――
その航宙船は、惑星強襲艦――惑星の大気圏を突破し、そのまま大気内での戦闘活動を行うことを目的として造られたフリゲート級の戦闘艦であった。
*
「あれが、セリオン……」
今、その航宙艦の指揮所から、ひとりの少女が頭上の全天モニタに映し出された惑星をながめていた。
照明の落とされた室内に浮かび上がる可視光モードのモニタには、暗い惑星セリオンが大写しにされている。航宙艦の背後から、この惑星系の太陽が燦然と照らし出しているにもかかわらず、その表層は墨を流したように黒い。
よく見ると、シャボン玉の表面ような虹色の流れが明滅しながら混じり合うさまがわずかに見てとれる。まるで大気を思わせるようなそれが電磁波の大半を吸収・散乱しているのだ。肉眼はもちろん、どんな高感度センサーでもこの惑星の内部を見通すことは不可能であった。
「セリオン……人外の楽園――〈獣人〉たちの惑星……」
少女はどこか感情のない口調でつぶやいた。少女が口を閉ざすと、あたりはひっそりと不気味なほどに静まりかえる。シュゥ、と空調が風向を切り替える音がやたらと大きく響いた。この艦に、少女以外の人間は存在しないようだった。
惑星セリオンは、別名〈獣人たちの惑星〉と呼ばれている。
獣人というのは人間と動物のDNAを掛け合わせて造られた人工生命体のことだ。
ここで少し、獣人たちの歴史について触れておこう。
はるか昔、人類が地球を捨てて太陽系外の惑星に住みかを求めたとき、住み慣れない星の環境に適応するために、バイオテクノロジーによってヒト以外の動物のDNAを取り入れた。それが獣人の始まりである。
人類は宇宙進出にあたって、けして充分な準備ができていたとは言いがたかった。突然変異を起こしたあるウイルスの流行をきっかけとして、地球はわずか数十年のうちに死の星となったからだ。
からくも地球を脱出した一部の人類は、たいした技術的蓄積もないまま苛酷な環境に適応することを強いられた。地球時間に換算して、今から数百年も昔の話である。
重力、気温、大気成分、宇宙線……人が生きるにはあまりにも困難な惑星環境下で、それも永住を考えたとき、常にガチガチの宇宙服に身をつつみ、機器の故障に怯えながら日々を暮らすことは、多くの場合不可能であった。その対策として、自らのDNAを改変し、惑星環境に適応する道を選んだのが獣人たちだ。
獣人たちはその適応した環境によってさまざまな種族を発生させた。
例えば、しなやかで強靭な筋肉を持ったネコ科のDNAは、重力の大きな惑星や、陸地の大半が岩場や密林で構成された土地で行動するために活躍したし、保温に優れた毛皮を持つシロクマのDNAは極寒の環境で重宝された。
酸素濃度の低い大気中では、山羊やリャマなど高山動物の低酸素耐性が利用され、公転周期の長い惑星では、コールドスリープの代わりに冬の間を冬眠して過ごす者たちもいた。
中には魚類や鳥類のDNAを取り込む者たちもあらわれ、獣人たちはいつしか爆発的にその数と種類を増やしていった。
やがて時が経ち、獣人たちがかつて自分たちは人間であったということさえ忘れかけてきた頃、妙にのっぺりした顔を持つ、体毛の薄い連中が銀河に幅を利かせてきた。
彼らは自らを〈始人〉と名乗り、獣人たちを〈雑種〉と呼んで迫害しはじめた。彼らは血統と生殖にこだわり、獣人たちのように遺伝子操作によって増えることを忌避した。
そう、彼らは純粋なホモサピエンスのDNAだけを受け継いだ人類の末裔だった。銀河の広範に散らばっていた始人たちは徐々に集結し、一大勢力として台頭しつつあった。
同時に、惑星の地球環境化技術の進化によって、しだいに獣人の意義は失われていった。
とはいえ、技術が成熟する頃にはすでに獣人たちは銀河に大いなる礎を築いており、またその性質上、人類と比較して強靭な肉体を持つことが多かった彼らは、今さら元の体に戻る気にもなれず、のんきに暮らしていたのだった。
やがて大きな戦争が勃発した。辺境宙域で覇を唱えていた始人たちの海賊船団が周辺の居住惑星を次々と支配下に置いて〈帝国〉を興し、人類進出圏中央部〈セントラル〉へ侵攻したのだ。
そのころ、セントラルの大半は獣人たちが支配していた。初めのほうこそ数に勝る獣人たちが圧倒していたものの、各地の始人勢力が帝国に合流し、やがて戦いが〈始人〉対〈獣人〉の全面戦争の体をなしてくると、戦局はいっきに泥沼化した。
数が多いといっても、獣人たちからしてみれば種族ごとに国があるようなもので、「われわれ獣人たち」という意識は存在しなかったのだ。そのために、彼らが一枚岩にまとまって攻勢をかけるまでには、しばらくの年月が必要だった。
宇宙空間で艦隊どうしが一進一退する不毛な戦いは地球時間で20年近くにも及んだ。長い戦いの末、団結した獣人たちによって窮地に追いやられた帝国は暴走し、協定を破って禁断の力に手をつけた。
〈剿滅兵器・神歿〉――帝国の資料にはその名だけが残されている。
帝国暦144年209.4――その日、恒星間航行の要衝である惑星スオウに駐留していたセントラルの獣人連合艦隊は、一報の通信を行う間もなく惑星ごと完全に消滅した。スオウの住民、およそ八億もの獣人たちの命とともに。
これを端として、長きに渡った帝国と獣人連合の戦いは帝国の勝利で幕を閉じ、全人類圏のおよそ七割を掌握した三代目皇帝アーデルベルトによる一大帝政が始まった。それは、獣人たちにとっては暗く、陰鬱な日々の始まりでもあった――
「システム、突入ポイントをズーム」
抑揚のない声が響くと、全天モニタが惑星のある一点を拡大して表示した。
闇の深淵を覗きこむ。そこにあるのは鼓動のように明滅する虹色の潮流だ。
「さらにズーム」
画面いっぱいを闇が覆う。真っ黒な墨汁の中にメタリック系の絵の具を垂らしてぐるぐるかき混ぜたような大渦がそこにあった。
モニタは渦の中心を表示している。そこはこの惑星の極であった。
「本当に、あるの……? この〈フォトン・ベルト〉のむこうに……」
少女は腰まであるゆたかな髪を指にからませながら、悩ましげにつぶやいた。
フォトン・ベルト――それこそが惑星セリオン最大の特徴であり、謎であった。
セリオンは〈獣人たちの惑星〉とか〈獣人たちの楽園〉などと呼ばれている。
宇宙には獣人が住む惑星がたくさんあるにもかかわらず、セリオンが特に『獣人たちの』と呼ばれているのはもちろんワケがある。
しかし、実はそもそもセリオンに獣人がいるのかどうか、確かめたものは誰ひとりとしていなかった。フォトン・ベルトがそれを阻んでいるのだ。
フォトン・ベルトはセリオンの上空を取り巻く電磁波と粒子線の嵐と考えられている。あまりにも高エネルギーなため、そこを通過する航宙船はもとより、あらゆる電子機器は破壊され、人体にも大きな影響を及ぼす。そのため、これまで数多くの探査船がセリオンの調査を試みたが、ほとんど得るものはなく失敗に終わっていた。
フォトン・ベルトには謎が多い。セリオンの周囲を取り囲んでいる原理も、エネルギーの源泉も一切わかっていない。わからないことだらけにもかかわらず、ひとつだけ、獣人たちの間でまことしやかにささやかれている噂がある。それは――
『惑星セリオンには獣人たちの楽園がある。旧き人間どもはフォトン・ベルトを通過できぬが、われわれ獣人は生きて地上にたどり着くことができるのだ。そこには緑あふれる土地と豊かな水源、大いなる実りと輝く大気が満ちている――』
獣人たちは現在、帝政のもとに強烈な差別を受けてほそぼそと暮らしている。果たして、この噂は辛い境遇にある彼らの幻想にすぎないのか、それとも……。
そのとき、ジッ、とモニタにノイズが走ったかと思うと、低い音とともに衝撃が艦体を襲った。
「これは……!」
少女ははじかれたように走り出すと、コントロールパネルに取り付いて、ものすごい勢いでキーを叩き始めた。正面のモニタに艦内外のステータスが次々と表示される。
(何かが艦体に取り付いている!?)
ギリギリと低い音が響く。艦体を覆う電磁遮蔽合金と超強化セラミックスの外装が、すさまじい負荷によって悲鳴を上げているのだ。
「システム、臨戦態勢! 右舷後方に何かいる、表示して!」
少女が叫ぶと全天モニタの一部が切り替わり、艦外カメラが何者かの映像を表示した。
(ノイズがひどい……まだフォトン・ベルトの影響圏内じゃないはずなのに)
少女が指示し、システムが画像に補正をかける。そこに映し出されたのは、蛇のようにうねる一筋の光だった。それを見た少女はかすれた悲鳴を上げた。
「まさか……」
映像を解析にかける。即座にシステムは光の蛇を〈亜光子生命体〉と断定した。
「〈光竜〉……!」
青ざめた顔でモニタを見つめる少女。再び艦体に衝撃が走り、少女はその場に倒れこんだ。
「く……」
うめくと、コントロールパネルに手をついて立ち上がり、苦しげな声で指示を出した。
「システム、緊急加速! 最大戦速で突入ポイントへ!」
エンジンがうなりを上げ、セリオンへ向けて猛烈に加速を開始した。その衝撃で光の蛇は艦体から離脱し、きりもみしながら後方へ流されていく。
「バリア展開! 急いで!」
システムが艦体周囲にバリアユニットを射出し、電磁バリアを緊急展開する。
その直後、光の蛇は稲妻のような勢いで艦体に追いつき、やすやすとバリアを突破すると、そのまま艦尾に衝突した。
すさまじい衝撃と爆音が響きわたる。
少女は投げ出されて指揮所の壁面に後頭部をしたたか打ちつけ、ずるりと崩れ落ちた。
艦内全域の照明がブラックアウトし、代わりに赤色の回転灯が点灯した。致命的なダメージを負ったことを知らせる警報が鳴り響く。
少女はしばらく死んだように倒れていたが、がくがくと震えながら立ち上がった。
頭から流れる血をぬぐおうともせず、壁に手をつき、うつろな目で息を切らしている。
警報がやかましく鳴り響く中、やがて少女はよろよろと歩き出した。
点々と血の跡を残しながら、赤く染まる艦内をおぼつかない足取りで歩く少女には、死の影が色濃くまとわりついている。だが、彼女に死ぬつもりはなかった。
彼女が向かう先にはこの艦でもっとも頑丈な格納庫があり、そこには彼女の機動装甲が格納されている。彼女は、そこへ向かうつもりだった。
やがて航宙艦は加速をやめ、大気圏突入モードへ移行した。制御システムの大半が損傷していたが、生きているスラスターをフル活用して、どうにか突入姿勢を保つ。
少女を乗せた航宙艦は、ゆっくりとフォトン・ベルトの闇に沈んでゆき、次第にその姿はおぼろげになっていった。
そして、最後にわずかなプラズマ光を発して、消えた。
後にはただ、静寂だけが残った。