閑話:妹が来た
先日の魔族討伐についての報告書を仕上げ、騎士団本部へ赴くと、いつもと違う様子の小隊長殿がいた。なんというか、頭を抱えているというか? いったい何があったのか。
「小隊長殿、報告書をお持ちしました」
「魔法使いエディト、いいところへ来た。……お前、この後空いてるか?」
「は? ……今日はもう帰宅するだけですが」
「なら、俺に付き合え」
小隊長殿は、いったい何がどうしたというのか。怪訝な顔で小隊長殿をじっと見ていると、視線を逸らして溜息を吐いた。
「……妹が、来てるんだ」
「ええと、それが?」
「ちょっと、実家に無茶をさせてしまってな……」
「ええとつまり、私は小隊長殿の実家よりの使者の追及を逸らすための、生贄の山羊ですか? でしたら、騎士オットーや騎士ユストゥスでもいいのでは?」
「あいつらはだめだ」
「はあ……」
「とりあえず、お前が来てくれ」
なんだかわかったようなわからないような。
私は小隊長殿に連れられて、その妹君の待つ場所へと向かった。
* * *
……美少女だ。美少女がいる。美少女が輝いている。
灰銀のまっすぐな髪に白い肌、赤みの強い紫の勝気そうな目。紛うことなき美少女がいる!
たしかに、ここに男性騎士を連れてくるのは、この美少女こそを生贄に差し出すことになってしまう。それは駄目だ。神が許しても私が許さない。絶対にだ。
小隊長殿の判断は全面的に正しい。
私は諸手を上げてその判断を支持しよう!
「討伐小隊ではフォル小隊長殿に大変お世話になっております、魔法使いエディト・ヘクスターです」
私は最敬礼で挨拶をしてしまう。なんたって美少女だ。王都でもなかなか見かけない級の美少女だ。思わずこっそりガッツポーズを取ってしまった。
「いや、そこまで堅苦しい挨拶はいらん。あと、今は任務外だ。フォルでいい」
「兄さまがとてもお世話になってます。妹のディアです」
うふふ、と笑う美少女を、私はまぶしく見つめた。いい。
考えてみれば、小隊長殿の顔も仏頂面に隠れてはいるが整ってるんだ。その妹が美少女でないはずがない。
「小隊長殿……いえ、フォル殿。私は、今、とても感動してます。ありがとうございます」
小隊長殿が微妙な顔で私を見ているが、構わない。眼福だ。
……別に私は同性愛嗜好者ではないが、美しいお姉さんやお嬢さんは大好きだ。なんといっても目に優しいし、見ていて幸せになれる。
もちろん、見目麗しい男性もまあいいんだが、それは騎士団にごろごろしているので正直見飽きている。魔術師団の魔法使いもどちらかといえば男性が多く、圧倒的に美少女分は足りていない。
普段顔をあわせる美少女筆頭は、同僚魔法使いのエルネスティくらいしかいないのだ。
「お前、今何かすごく残念なことを考えていないか?」
「そんなことはありません。重要なことなら考えていますが」
「……その重要なこととはなんだ」
「人生を彩る潤いについてです」
「よくわからん」
「わからなくても大丈夫です」
それから、前から目をつけていた酒場に移動し、料理や酒を注文した。この店の味はなかなかの評判なので、そのうちエルネスティと来ようと話していたのだ。
小隊長殿は知らないが、私は明日休暇を取っているので少々飲みすぎても問題ない。よし。ここはもちろん小隊長殿のおごりだろう。
「先日、いきなり、兄さまに結構な無茶を押し付けられたんですよ。ろくに実家に帰って来ないのに、たまに何かあったらこれかって。
父さまも母さまも、兄さまが元気にやってるならいいって言うし、その無茶自体もいいんですけど、私がちょっと頭にきて、それで、王都まで出てきたってわけなんです。
ついでに渡すものもありましたし」
美少女が口を尖らせつつ話す。とてもいい眺めである。
「酷い兄ですね。万死に値します。家族であっても、義理と筋は通すべきですね」
怪訝な顔をしている小隊長殿に、私は向き直った。
「……エディト?」
「フォル殿、いいですか、こんな美少女を困らせてはいけません。妹だからOKなんて、理由にはなりません」
「お前、もう酔ってるのか?」
「いいえ、まだほとんど飲んでいませんよ。
フォル殿がこんな美少女を困らせるのがいけないんです。罪悪です。
……ディア様、もしフォル殿がまた何かやらかした際には、私に申し付けてください。私はたとえ上官であってもディア様のために殴ってみせます。人として当然です」
小隊長殿が、任務外なのに眉間の皺を装備した。人選を失敗したかとぶつぶつ言っている。
「そうですね、フォル殿がそれほどまで、ご実家に連絡を遣さず心配をかけているというのでしたら、私自らフォル殿の観察日記を作成して送りましょうか。私の持てる探知魔法すべてを駆使した、渾身の作で」
「エディト、それは洒落にならんからやめてくれ」
「兄さまの部下の方っておもしろいですね」
ディア様がくすくすと笑う。笑い顔も眼福すぎてまぶしい。小隊長殿は憮然としているが気にしない。任務外だと言ったしな。
「……ところで、エディトさんのその指輪は、誰からのものですか?」
ディア様が、私がつけている、魔の森の魔法使い殿に頂いた指輪を指す。
「これですか。実は、先日任務で魔の森のほうへ行きまして、そこで会った魔法使い殿に渡されました。ここを訪れた記念に持っていけと。
ええと、ディア様の祖父君のお知り合いのようですし、かなり高位の魔法使いでしょうね。少し怖いくらいの魔力を感じました」
「まあ、小父さまからだったんですね! 最初、兄さまかと思ったんですけど、兄さまは確か作れないしと不思議だったんです」
ん? 作る?
「この指輪は、もしかして一族に伝わる特別なものとか、そういうものですか? 私が確認できた限りでは、ちょっとした防御魔法がかかっているだけの指輪かと思ったんですが」
「ええと、そんな感じで、基本的に自分で作ってとても親しい人とか大切な人にあげるものなんです。小父さまの場合は一方的に気に入った人にあげているみたいですけど」
「へえ……ほとんど見かけない魔道具だとは思ってたんですよ。たしか、フォル殿も同じようなものを持ってませんでしたか?」
「俺のは母が作ったものだが、人に渡してしまったから今は持っていないな」
「そうだ! だから、今日兄さまに代わりの指輪を持ってきたのよ。私が作ったものなの。かかっている魔法は前と一緒よ」
ディア様がごそごそと指輪を取り出し、小隊長殿に渡した。
……美少女のお手製とは!
「フォル殿……とてもうらやましいです。禿げろって呪っていいですか?」
「やめろ」
残念。
「……ああ、それで思い出した。
小隊長殿、魔物討伐の時の話になるんですが、あの脳筋はもうちょっとコントロールすべきでしたね。ひとりだけだと思って甘く見てました。せっかくエルネスティがいたのに失敗です」
「どういう意味だ?」
「ええと、エルネスティは、あれで魔術師団でもトップクラスの美少女魔法使いですから、脳筋騎士には結構人気があるんですよ。で、彼女は自分の可愛さをよく理解しているので、相当、脳筋どもを手玉に取って動かすのがうまいんです。特に任務中」
「なるほど、それは得難い人材だな」
「彼女が一緒の任務で脳筋に困りそうなときは、彼女を通すといいですよ。たぶんびっくりするくらいやりやすくなるはずです。
……エルネスティは外見のせいで誤解されますけど、ああ見えて小隊長殿みたいにきちんと考えて動くほうが好きですから、事前に思惑なり方向性なりをしっかり説明しておけば、そうなるよう協力します。
特に魔物討伐なんて、脳筋どもはいいとこ見せたくてうずうずしてますから、彼女が可愛く褒め殺すと覿面です」
「なるほど。次に魔物討伐が来たら、彼女を呼ぶことも考えよう」
ディア様が、にこにこしながら小隊長殿を眺めている。
「そういう話をしているところを見ると、兄さまもちゃんと騎士なのねって思うわ」
「フォル殿は、魔術師団でとても評価の高い騎士ですよ。もっとも、銀槍騎士団員なのに女性への人気は残念ですが」
「まあ、そうなの?」
「仏頂面がいけませんね。任務中はずっとこんな顔してますし」
そう言って私が眉間にぐっと皺を寄せると、小隊長殿が「そんな顔だったか?」と言った。どうやら自覚はなかったらしい。
「すごい顔してるのね」
「ええ、私なんか、初めて小隊長殿を任務外で見かけたら、眉間に皺がないので驚いたくらいです」
またくすくすとディア様が笑う。
と、カーンカーンと、閉門を知らせる1回目の鐘が鳴り、ディア様が慌てて立ち上がった。
「いけない、あんまり楽しくて、時間を忘れるところだった!」
「泊まりではないんですか?」
「私は転移魔法が得意だから、いつも城門がしまる前に王都を出て転移魔法で帰るのよ。……外泊すると、父さまが嫁入り前の娘がって煩いの」
「なるほど。ディア様は可愛いからしかたないですね。そのほうが安全です、絶対。私が父君だったとしてもそう言います」
「うふふ、過保護な父親になるわね」
「ディア様、またぜひお会いしましょう。次はエルネスティも紹介します。きっと彼女とも気が合いますよ。私は魔術師団の宿舎にいますから、ディア様から連絡頂ければ無理やりにでも休暇をもぎ取ってお迎えします。なんでしたら、フォル殿抜きでどうでしょう」
「ありがとう。同年代の友人は少ないから、嬉しいわ。ぜひお願いします」
「さ、フォル殿、ディア様を城門まで送りましょう」
「ああ」
* * *
時間が押していたので少し早足で歩くと、2回目の鐘が鳴る前に城門へ到着できた。
「ディア、気をつけてな」
「兄さまも、たまにはちゃんと帰ってきてね」
「では、ディア様、また会いましょう」
ディア様が外へ出て、転移魔法で消えるまでを見送り、ふっと息を吐く。
「……小隊長殿、気は晴れましたか?」
「……まあまあな」
「飲み足りないようでしたら、付き合いますよ」
「では、もう少し飲むか。──ところでエディト、あれはお前の地なのか?」
「何がです? 美少女についてでしたら、世界の宝ですから当然の対応です。
というか、小隊長殿、あの美少女を独り占めしていたとか犯罪です。ディア様がまた来るときには絶対教えてください。でないと、小隊長殿を見張ります。探知魔法で」
「わかったわかった、だから見張りはやめろ。……まあ、今日は感謝してる」
「じゃあ、飲み直しは小隊長殿のおごりでお願いしますね。どの店に行きますか。実は少し気になっている店があるんですが、そこはどうです?」
「ちゃっかりしてるな……店は任せた。どこでも構わん」
「私、明日は休暇を取ってるんです。がっつり飲みますよ」
「奇遇だな。俺も明日は休暇だ」
明日は一日引きこもりということになりそうだ。
しこたま飲んだ後、目覚めるととある宿屋の一室だった。
そこまではいい。飲みすぎて宿舎まで帰れなくなって宿に泊るなんて、これまでもよくあったことだ。
だが、冷静に周りを見てみれば……。
何故、床に魔術師団の制服と銀槍騎士団の制服が脱ぎ散らかされているのだ。
何故、言わずと知れた誰かが裸で横に寝ているんだ。
何故、そいつの腕が私の腹を抱えているんだ。
何故、おぼろげに何があったか覚えているんだ。
くそ、やっちまったな私!
しかし私も既に夢見る10代の小娘は通り過ぎて、嫁き遅れと言われ始める年齢だ。この程度でへこたれる純粋さなど既にない。
言わずと知れた誰かとは、これはお互い自己責任の範疇による事故として割り切ろうと話合い、円満になかったことにした。大人の判断というやつだ。
おかげであの後味の悪い事件のことも有耶無耶に吹っ飛んだことだし、これで結果オーライとすればいい。よし。