中篇
2日後、王都を出立して魔の森へと向かった。正確には魔の森そのものではなく、最後に魔物が目撃された場所に近い村だが。
今回は私たちを含めて20人ほどの部隊となっている。
小隊長殿は各班の班長を集め、大きな地図を広げて説明を始めた。
「魔物はキマイラと確定した。通常よりは若干小型だが魔の森から出たものだ、十分警戒しろ。
最後の被害は3日前、このあたりの街道を通行中の隊商だ。死者も出ている。距離はこの村から魔の森の方向へ馬なら半日程度。だが、移動している可能性もあり、必ずそこにいるとは限らない。
現場に到着後、まずは魔法使いエディトの探知魔法でやつの現在地を把握する」
小隊長殿が示したのは、街道から少し外れて魔の森に接した広場だった。
「キマイラと遭遇したら、騎士ギルベルト殿と俺がキマイラの正面獅子の首を受け持つ。騎士オットーは右側竜の首、騎士ユストゥスが左側山羊首だ。オットーは竜の息吹、ユストゥスは山羊の魔法の阻害に集中しろ。俺は獅子の咆哮を阻害する。騎士ギルベルトは剣での攻撃に集中だ。
他は一定距離を保ち、弓と石弓でヤツを弱らせろ。
魔法使いエディトは周囲警戒を行いつつ、精霊魔法でキマイラを牽制。魔法使いエルネスティは防御魔法で援護。特に、獅子の咆哮や山羊頭の魔法には十分注意してくれ」
騎士ギルベルトは自分一人でも充分だとか寝言を言っているが、小隊長殿は華麗にスルーした。いや、小隊長殿だけではなく、その場にいた全員で聞かなかったことにした。考えなしに脳筋が突っ込んでってキマイラを倒せるなら、討伐部隊なんていらないんだよ。魔王討伐の英雄カーライル並の腕があるならともかくね!
騎士たちが細かい打ち合わせを重ねている間、私は探知魔法でキマイラが確認できないかを試してみたが、魔物の気配は何一つ引っかからなかった。さすがにそううまくはいかないか。
それからさらに3日。私たちは移動しながらひたすらキマイラを探した。
私の探知魔法はかなり広い範囲を捜索できるため、それほどかからずに見つけられると考えていた。しかし、3日探し続けていても見つからないところをみると、やつは結構な距離を移動する生き物なのだろうか。
この日も何度目かの探知魔法を使い、魔物の気配を探っていたら……。
「見つけました」
やっと見つけた。紛うことなき魔物の気配。私はそのままやつを見失わないよう、慎重に探知の糸を括りつけた。
「ここから北、魔の森ぎりぎりのところを西に向かって移動しているようです」
「よし、北へ向かう。魔法使いエディトはそのまま探知を維持して案内しろ」
今日も見つからないのかと、少し緩んでた隊の気配が一瞬で引き締まり、小隊長殿の号令で一斉に馬首を巡らせた。小隊長殿は、横を走る補佐殿に、戦闘に適したポイントの確認を指示しつつ、魔物のいる場所へと向かった。
* * *
「一番太刀は俺のものだあああ!」
魔物を確認し、予定通りのポイントへと誘き寄せようとしているその時に、もう我慢できなかったのか騎士ギルベルトがいきなりそう叫んで剣を抜き、キマイラに突っ込んでいった……こんな中途半端な場所で! 何のための作戦だよ! ここじゃ周りに木が多すぎて、弓隊も石弓隊も、十分に距離が取れないうえに撃ちにくい。しかも死角が多すぎてエルネスティの防御魔法を十分に張り巡らせるのは難しい。最悪だ。あいつひとりで段取り全部台無しにしやがった。
小隊長殿は盛大な舌打ちの後、騎士ギルベルトの後を追って馬を走らせた。そして、走りながら全員に体制を整えるよう指示を飛ばす。
なし崩しに戦闘が始まって、私は慌てて一番近い木を盾にして探知の輪を詠唱した。輪の範囲は、私がさほど集中しなくても維持できるギリギリの広さだ。こんなに視界の悪い場所では、探知魔法がなければ何かが現れてもそうそう気づけない。魔の森だって近いんだ。
それからキマイラを視界に入れ、やつの攻撃を牽制するために魔法を放つ準備をする。エルネスティも、どうにか魔法を使える場所を確保して防御魔法の詠唱に入った。
……ほんっと、あのクソ脳筋は死んでしまえ!
私は獅子首が恐怖を呼び起こす咆哮を上げようとするタイミングに合わせて、それを邪魔するように火の魔法を放つ。騎士ユストゥスは魔法を使おうとする山羊首を斬り払い、詠唱を完成させないように牽制する。騎士オットーは竜首の吐く火の息吹があらぬ方向へと向かうように誘導する。
その合間を縫って投げ槍や矢がキマイラの胴めがけて放たれた。だが、通常よりも小型と思ったキマイラは、さすが魔の森産というべきタフさで暴れていた。
ちなみに、騎士ギルベルトはそこそこがんばっているが、そこそこだ。むしろ小隊長殿を邪魔してるんじゃないか?
ここは俺がーとか聞こえるけど、あんただけに任せたらあっという間に総崩れですから! キマイラの咆哮舐めるな! 本当に脳筋は死んでしまえ。余計なことばっかりしやがって、使えない脳筋め。
それにしても、探知の輪を維持したままこれは少し辛い。どうしても維持に意識を回す分、魔力も集中もそがれてしまう。精霊魔法で牽制しようにも、集中が甘いので発動が遅れてしまう。どうにか変わるものを……と考え、少々時間が取られてしまうが、設置型の魔法に変えることにする。
「小隊長殿! 輪から鳴子に魔法を変えます! 詠唱の間、援護はできません!」
「わかった!」
小隊長殿の返答を聞いてから、通称“鳴子”と呼ばれる侵入者探知用の魔法の詠唱を始めた。詠唱は長いし魔力もそれなりに使うが、一度設置してしまえば放っておいても解除するまで丸一日持続する魔法だ。本来は建物の入り口等にかけるための探知魔法で、探知の輪よりも範囲は狭い。
だけど、今はこっちのほうがいいだろう。
詠唱の間、戦いの様子を観察する。小隊長殿は剣もかなり使えるようだ。巧みに獅子首の咆哮を牽制し、立ち回っている。この人に不得手なことはあるのだろうか。脳筋は……あ、キマイラに吹っ飛ばされてる。ざまあ。痛い目見て反省しろ。
小隊長殿が吹っ飛んだ脳筋をちらりと確認して放っとくところを見ると、意外に無事だったようだ。頑丈だな。転がしたまま放置しておくのは邪魔なのか、すぐに誰かに木陰へと引きずられて消えた。
* * *
予定外の状況で、私たちは本当にがんばったと思う。
キマイラの竜首はボロボロで辛うじて生きてる程度だし、山羊首もぶらぶらしたまま動かなくなった。獅子首と本体はまだ暴れているけど、最初に比べてはるかに元気はない。
それにしても、やつの背中にはハリネズミのように槍や矢が刺さっているのに、まだがんばるのか。やはり魔の森産だけあってしぶとい。いいかげん倒れろ。
矢弾はもう残り少ない。
騎士オットーと騎士ユストゥスは首をなんとかできた時点で前線を離れたけど、相当な怪我を負っているはずだ。矢弾が尽きた騎士も剣を抜いて参戦したけど、キマイラの爪のほうが素早くて強力だった。
獅子首の前でまだ小隊長殿もがんばっているけど、軽い負傷なら満身創痍と言ってもいいくらいたくさん負っている。かといって、あの獅子首相手に立ちまわれるメンバーはもういない。このまま小隊長殿に立っててもらう必要がある。
エルネスティの魔力もそろそろ底を打つころだ。私も、精霊魔法は大技を数発撃てればいい程度だ。
どうにかあの獅子首にとどめを刺せればと考えたところで……小隊長殿が何かに足を取られるのが見えて、とっさに走りだした。
「小隊長殿、頭、伏せて!」
魔法使いなら誰でも使える護身用の魔法。詠唱も一瞬でとっさの場合にすぐ出せるけど、射程はとても短くて実質すぐ目の前にいる相手に対してしか有効じゃない。
が、今すぐ出せるのはこれだけだ。小隊長殿の背後に走りこんで腕を伸ばし、その先から炎を出す。顔を焼かれた獅子首が苦悶の叫びを上げて、踵を返して逃げ出そうとする。
「……え?」
私の身体がなぜだかふわりと浮き上がった。小隊長殿が私に向かって手を伸ばすが、届かない。
「なっ……」
私の身体が竜首に引っかけられていた。獅子首の受けた炎の痛みに釣られて暴れる竜首に、私の身体のどこかが引っかかったらしい。こんな時になんでだ!
暴れるキマイラにぶんぶん振り回されて、意識が遠くなる。誰かが「小隊長殿!」と叫ぶ声だけが聞こえた。
……意識が飛んだのは、ほんの少しの間だけだったらしい。
だが、その間にキマイラは魔の森へと逃げ込んでいた。どうにかしないと、このままキマイラに食われて私の人生が終わってしまう。
私の身体で引っかかっているのは、腕のあたりだった。正確に言えば、竜首に腕のあたりを胴体ごとがっつり咥えられているのだが、戦いの負傷で顎の力が入らないらしく、痛いけど牙が食い込むほどではないという状況だ。……助かった。騎士オットー、あなたのがんばりのおかげで生きてます、ありがとう。
「おい、気がついたか」
突然声が掛かって本気で驚いた。目をやると、キマイラの背に刺さった投げ槍に、小隊長殿が掴まっていた。キマイラは相変わらず闇雲に走っている。時折振り落とされそうになりながらも、どうにかしがみ付いているような状況だ。
「お前、この状況で魔法使えるか?」
「……無理です」
「やっぱりだめか」
「小隊長殿こそ、転移魔法はどうしたんですか」
「あれは俺の魔法じゃない」
「は?」
「……どうにかして、こいつの足を止める。お前は投げ出された時に備えておけ」
「どっ!?」
どうするのか、と問おうとしたら、小隊長殿はキマイラの背に刺さった投げ槍を足場に、器用に背を登っていった。痛みでキマイラが背を振るけれど、うまくそれを凌いで落ちずにいる。
私は竜首の顎が食い込むので下手には動けず、小隊長殿の動きをじっと見守るだけだった。
キマイラは背中の小隊長殿が気になるのか、とうとう足を止め、振り払うほうに集中し始めた。竜首も私を投げ出し、小隊長殿へと向こうとする。地面に投げ出されたときに打ったのか捻ったのか、足がとても痛い。だが、これならなんとか魔法が出せる。
私は座り込んだまま魔法の詠唱を始める。小隊長殿は、腰に残っていた小剣を抜いて、キマイラの獅子首めがけて突き立てようとしていた。私の魔法が完成し、弱っていた竜首の顎が吹き飛んだ。小隊長殿の剣は、獅子首の延髄目がけて振り下ろされていた。