後篇
とうばつ[討伐]( 名 ) スル
軍隊を送り,抵抗する者を討ち滅ぼすこと。 「反乱軍を-する」
──大辞林 第三版 (三省堂)より
嘆願を出した問題の村は、王都から北へ約5日かかる山地の麓にあった。村の周囲には牧草地を中心に果実園や畑地が広がっている。この辺りではよく見られる風景だ。
到着して一晩休んだ後、早速、小隊長殿は私たちに手分けして嘆願書に書かれたことの裏付けを取るようにと指示を出した。
私は探知魔法が使えるので、村全体に魔法的な干渉がないかどうかの確認だ。村の中心がどこかを聞き、そこから探知の輪の魔法を開始した。精神を集中し、徐々に輪を広げ、この村にある魔力の種類や量、指向を探っていく。
……その過程で、この村やこの場にいる者にかかっている魔法がだいたいわかってしまうんだが……小隊長殿には守護の魔法がかかっていることに気づいた。いや、これは小隊長殿自身というよりも、彼の持ってる何かにかかってるようで、ちょっと変わった守りの魔法だ。これまで自分が見たことのない魔法に少し興味が湧いたので、あとでその品を見せてもらおうと心の中にメモとして残した。
そのほかに何か魔法は……とどんどん範囲を広げ、私の限界ぎりぎりのところである北の山中に、何か魔法のかかった場所があることに気づいた。たぶん、嘆願書にあった何者かが棲んでいるという場所なのだろう。あの場所にかかっているのは、強い守護と幻覚の魔法による守りの結界だろうか。これは報告しなければならない。魔族がいる可能性が高くなったと私は判断した。
「結界」というレベルの魔法の守りは、それなり以上の力がないと作れないのだ。
一通りの調査が済んだところで、いったん全員が集まり報告を行う。家畜の調査は予想通り、牧草地に生えた毒草が原因だった。これは、村の人間に全てきれいに撤去するよう指示して終わり。それで解決しなかったら再調査だ。
何人か出ていた病人は、いずれもこの季節よく見られる軽い熱病で、薬を処方して4日様子を見るようにという指示がだされた。驚いたことに薬は小隊長殿が処方したそうだ。なんと芸の多い騎士なんだ。ちなみに、薬の処方の仕方も教えたらしい。
そして残りは山中の、守護の結界がかかった場所。幻覚の魔法で見えないようにされているだろうが、あらかじめ場所がわかっていれば探知の魔法で暴くことは簡単だ。
これについては、明日、改めて現地へ確認に行くことになった。嘆願書には出ていたが、問題の場所に住むと思われる者がどんな風体なのか、誰もはっきりとは知らないらしい。
一応、あちらは村の人間と接触を取るつもりはないようだが……。
夜、どうしても気になって、もう一度探知の魔法を使ってみた。あそこに本当に魔族がいたら、私にとっては初めての実戦となるのだ。今度は細く細く、探知の、いわば触手を伸ばしていく。場所はわかっているのだから、肝心なのはその結界の内部や詳細だ。前もってわかっていることが多ければ、それだけこちらに有利となる。
……その結界に探知の手を伸ばし入れて見えたのは、まだ子供の魔族だった。人間で言えば10を少し越えたくらいの年齢だろうか。これは少し気まずいぞと考えながら、ほかに魔族はいないかと探したが、いたのはこの子供ひとりだけだった。
まさか、子供だけをひとり放置するとは思えなかったのだが、もしかしたら魔族には親はないというのだろうか。帰ったら調べてみようと、これも心の中のメモに取る。
魔族の子供は、さすがに私の魔法の気配を感じたのか、落ち着きなく周りを見回していた。だが、あまりまともに魔法を使えないらしく、もっている魔力ゆえに魔法の気配はわかっても何も対処ができないようだった。
私はいったん魔法を切り、明日はあれを討伐かと考え、魔族の見た目に騙されてはいけないとわかっていても後味が悪いだろうなと、少々うんざりした気分になっていた。
* * *
翌朝、夜の間に確認したことを小隊長殿に報告した。小隊長殿は驚いたように私を見て、「ご苦労」と一言だけ労うとすぐに考え込んでいた。
さすがの小隊長殿も、見た目が子供の魔族相手では気まずいと感じるのだろうか。相変わらずの眉間の皺をしみじみと眺めてしまう。
「ほかにも何かあるのか?」
「いえ……ただ何というか、魔族にも子供がいるのだなと思って」
小隊長殿は、呆れたような顔で私を見た。
小隊のメンバーは皆、問題の場所に魔族がいるとわかってにわかに騒然としていた。どうやら、本当に魔族がいたのは今回が初めてらしい。
小隊長殿は、万一の場合……夜までに誰も戻らなかった場合はすぐに王都へ戻るようにと、連絡のためにひとりをこの村に残し、私と小隊長殿を含む残りの5人で魔族の居場所へ向かうことに決めた。
これまでにまとめた報告書も、念のため残る者に預けておく。
それにしても、初めての討伐で魔族と遭遇して実戦か。運がいいのか悪いのか。
問題の場所には、小さな山小屋のような人家があった。かかっていた幻覚の魔法により、うっそうとした木々しか見えないようになっているが、あらかじめわかっていれば見逃すことはないという程度の魔法だった。思ったよりも地味で、少しだけ拍子抜けした。
その場所から少し離れた場所で、小隊長殿は他の騎士たちに小屋を囲んで待機するよう指示を出した。全員で行くのは危険だからという理由で、私と小隊長殿でまずは踏み込むらしい。
慎重に小屋の入り口へと近づき扉を開けたところで、突然、周囲に霧が湧いた。たちまち視界を奪われ、何も見えなくなる。なんだこれは。
私はすぐに探知の魔法であたりを探り……この霧は幻術か? 誰かの魔力が動くのを感じる。でも、この力はあの魔族のものではない? どういうことだ?
どうやら待機していた騎士たちも含め、私たちの全員が幻術の霧に巻かれたようだ。右も左もわからなくなって、そして、ほのかに感じたこれは……幻覚の魔法、か?
くらりと感覚を狂わされそうになって、私はあわてて防護の魔法を張った。
そして、この魔力の感覚は……私は慎重に霧の中を進む。はじめは、この小屋にあらかじめ掛けられていた魔法による霧なのかと思ったが、これは違う。
防護の魔法で自分を守りつつ、慎重に慎重に……そして、霧の向こうにちらりと黒い髪にねじれた角が生えた小さな人影が一瞬見えて、すぐにかき消すように消えたことがわかった。小さな幼い魔族が、転移の魔法で逃げたのだ。
「……小隊長殿は、幻術に、幻覚まで使えたんですね」
剣を持ち、こちらに背を向けたままの彼に声をかける。知らず知らずのうちに、私の声はとても固くなっていた。
そうだ、これは小隊長殿の魔力だ。小隊長殿が使える魔法は、癒しだけではなかったのか。しかも転移まで。他人を移動させるような転移魔法は、そこそこ高位でないと使えなかったはずだ。この人はいったい何なんだ。
「ばれたか」
「もうひとつ、転移魔法まで使えるとは驚きました。なんで騎士なんかやってるんですか」
「……騎士をやってるのは、こっちのほうが性に合ってるからだ。
俺もひとつ謝っとく。お前を見縊っていた。昨晩の調査といい、今の対応といい、2年目にしてはずいぶん使えるやつなんだな」
「いえ、そのおかげで今のことがわかりましたし……で、小隊長殿、なぜ魔族を逃がすんですか」
小隊長殿は悪びれもせずに平然と私に対峙した。私はいつでも動けるよう、魔法を準備する。小隊長殿は“魔族に魅入られた人間”なんだろうか。
「……なぜ殺さなければいけないと思うんだ? 調査はしたんだろう? あの魔族は何かしたのか?」
「それは……」
──何も浮かばない。逃げた魔族はここに住んでいただけだ。麓の村のトラブルにも関与していない。それ以外に人間に対して行ったことは……考えてみたが、何もない。
ふっと小隊長の姿が消え、次の瞬間、私の背後に立っていた……私の喉元に剣を突き付けて。魔法使いは懐に入られてしまうと、どんなにすごい魔法を使える者でもあっけないくらい弱いのに。
小隊長殿が笑う。
「ないだろう? 何も悪さをしてないヤツを殺せっていうのか? それは、ただの殺戮と何が違うんだ」
「けれど、魔族は……」
「魔族は存在自体悪だから殺せ、か」
「魔族は穢れてて……」
「で、お前が言う悪ってのはなんだ? “穢れ”ってのはどういうことだ? 俺が納得できるように説明してくれないか」
「けれど……」
「いきなり剣を抜いて斬りかかっておいて、身を守るために応戦したら邪悪か?」
「それは……」
「隠れ住んでるところを無理やり探し出して、お前はとにかく悪だから死ねと言うのか? どんな言いがかりだよ」
「……」私は……私は……。
「じゃあお前、これまで魔族が人間にもたらしたっていう害悪が何だったか、言えるか?」
「そんなの……」
魔族が及ぼした害悪、害悪……考えて愕然とした。魔族は今まで人間に何をしたんだったか……害悪って、何があった? 魔族だから穢れてると言い出したのは、いったい誰だ?
いつから魔族がイコール邪悪だということになったんだっけ?
前騎士団長の討伐した魔王は、何をやったんだっけ?
私は反論できる言葉を何も持っていなかった。
小隊長殿は笑っている。
……小隊長殿の頭に、魔族の巻角が見えた気がした。
「小隊長殿、私をどうするつもりですか」
「殺すのは俺の主義じゃない。あいつを逃がしてお前を殺すのは、筋が通らないからな」
「じゃあ……」
「魔族は泡食って逃げた、それで手打ちにしないか?」
* * *
小隊長殿は相変わらず騎士団にいて、今日も魔族討伐小隊を率いている。
私はと言えば、今日も小隊長殿に小隊への参加を要請されてここにいる。
私の心の中には、あの日の小隊長殿の問いがぐるぐると回り続けている。