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魔族ユールに取引を持ちかけられてから1ヶ月が過ぎた。
あれから討伐任務は発生しておらず、よって、小隊長殿とも会っていない。もともと共同任務でもなければ顔を合わせる機会はほとんどないのだ。
私は師団寮を出て広めの部屋を借り、ユールと共同生活を始めた。約束通り魔法と、そして、魔族のことをユールから学ぶために……そう、魔族が怖いというのは、結局よく知らないことが原因なのだと考えたのだ。なら、当の魔族が向こうから来たのだから、本当のところを教えてもらえばいい。
エルネスティにはいったい何があったのかと詰め寄られたが、寮が手狭になったからなどと適当に言い訳した。たぶん納得はしてないと思うけれど、それ以上は追求されなかった。
少し厄介だったのは、警備隊第2隊所属の弟にバレてしまったことか。
幸い、弟の受持区域からは外れているので毎日押しかけられることはないけれど、それでも何かというと家に来るようになってしまった。弟とはいえ少々うざったい。
……ユールについて、最初こそどう言い訳しようかと悩んだのだが、蓋を開けてみれば弟にはユールが人間の女性に見えているようで、特に問題なんて起こらずに済んでしまった。この魔族は自らが言うとおり、相当器用に立ち回れるようだ。
さらに言えば、ユールは私が思っていたよりも、ずっと節度をわきまえているようでもある。
──だが、立ち回りが器用であっても、共同生活者としては全くの役立たたずだった。
早起きして家事をやって、さらに師団の仕事をして帰宅後また家事をやって……が続けば私の身が保たない。たまった疲れと忙しさのあまり共同生活10日目にとうとうキレて、初めていくつか……ユールが魔法でどうにかできる家事だけをやってくれるようになった。
私が身体を壊して師団をやめなければならなくなったら、今度は2人で食い詰めて路頭に迷うことになるんだと脅したのもよかったのだろうか。
本当にそんなことになったら、ユールはさっさと次の「飼い主」を探しに行ってしまうのだろうけど。
魔法でできるなら最初からやって欲しかったと言うと、口を尖らせてめんどうだったからと返されて脱力した。お前は子供かと思いつつ、魔法でこなせるものをすべてユールの担当と決定した。ぶつぶつと文句を言われたが、魔族なんだから魔力は余っているだろうと言い返した。
1ヶ月前までは目を合わせるのも怖かったというのに、我ながらすごい進歩かもしれない。
最近、魔族との共同生活も悪くないと思い始めている自分がいる。はっきり言って、人間相手の共同生活と変わらない……いや、むしろ魔族のほうが付かず離れずという距離感を保ってくれるように感じる。これは、ユールだからなのかもしれないが。
魔族については、いろいろと……私が常識として知っていたことのほとんどが間違っていることに驚いた。合っていたのは「魔力が強くて魔法に長けている長命の種族」であることくらいだ。
……“魔王”は人間が勝手に呼んでいるだけなんて思ってもみなかったし、魔族を統べる者なんていないということにも驚いた。それでよく衝突がないものだと感心すれば、「わざわざ探して干渉しにいくとか、なんでそんなめんどうなことやらなきゃいけないのさ」だとは……数が極端に少ないからこそ、そうやって距離を保っていられるということなのだろうか。
それなら、もし魔族が人間と同じくらい数がいたら、やはり王が必要になるんじゃないだろうか。ユールに聞くと「そうかもね」と一応の同意はしてくれた。
魔法については、わずか1ヶ月だというのにずいぶんと上達できた。
ユールが趣向を凝らして作った小さな結界に隠したものを私が探るという方法で、探知魔法を使っての結界のほころびの探し方、解除魔法での結界の解き方などをみっちりと訓練したおかげで、中級レベルの結界ならさほど手間をかけずに内部まで探ることができるようになったし、解除にも悩むこともなくなった。
他にも、私がほとんど学んでいなかった系統……防御、転移、幻覚などの初級魔法も習得した。さすがに長年魔法を扱っているだけあるのか、ちょっとした考え方の変化でここまでいけるのかと感心する。特に、転移魔法で自分一人だけでもそれなりの距離を移動できるようになったのは、本当にありがたい。
……もともとユールは幻覚や幻影、防御結界が得意で他はほどほど程度だったのだが、王都暮らしを続けるため必要に迫られていろいろな魔法に手を出した結果、全系統の魔法を習得するに至ったのだそうだ。必要なければ覚えなかったというのは、とてもユールらしい言葉だ。
ユールに限らず、魔族には、ヒマつぶしに魔法を研究するうちにいつのまにか上位の魔法使いになっていたという者が多いらしい。
いつか見た魔族の作業場にあった数々の魔道具を思い出す。
魔族ならいくらでも時間をかけて上位の魔法使いまで上り詰められるというのは、魔法使いとして少々どころではなくうらやましい。人間に許された時間はとても短いのだ。
ああ、魔族に対しては、こういう妬みも出てくるものなんだな。
ユールから魔族の話を聞いていると、魔族とは案外穏やかな性質なのだと感じる。
魔族にとって時間は無限に等しくあるものであり、時間をかければたいていのことは解決してしまうのだから焦ってことを進める必要がない……というのが平均的な魔族の考え方らしい。
ユールが何かと「めんどうくさい」と言うのも、そこに端を発しているのだろうと伺える。
ただ、少数ではあるが、魔族の中には高い魔力を持っているから他種族よりも上であると傲慢に考える者もいて、そういう者……ユール曰く「頭が悪すぎて話もできない奴ら」が、問題を起こすのだそうだ。
けれど、そんな者は人間にもいる。
もしかしたら人間とのいざこざもお互い様という面が強いのではないだろうか。
つまり、人間も魔族も、結局変わらないということになるのか。
わかってしまえば、とても当たり前でつまらないことなんだなと思えてくるから不思議だ。
あれほど怖れていたのに、私は魔族の何を怖がっていたんだろう。
──ああそうか。“魔族討伐”なんて、本当は必要ないんだ。
魔族だから討伐するんじゃなくて、問題があって必要なら討伐すればいいというだけのことじゃないか。なんでこんな当たり前のことがわからなかったんだろう。どうしてわからないんだろう。