7.紙一重な天才
「うーん……マジか……」
「世界は狭いですねえ……」
およそ三十分後。一行は、当初の予定であるスウォルの家ではなく、急きょリーブの義父が構える研究所に向かっていた。
その間、三人が三人ともいまだ驚きから復帰しきれていない。
なぜなら。
「信じられないわ……十八年前行方不明になったお父さんがロウアースにいるとか……」
そう、レテナの実父とリーブの義父が同一人物だったのだ。
レテナが借り受けたリボルバー。その銃床には、ある人物の名が刻まれていた。それは彼女の母の名前。彼女は教えられている。結婚前、母が父に銃をプレゼントしていたことを。結婚指輪のようなロマンスはないが、それでもそれは確かに、一つの愛の形である。
「おやっさんがハイアースに来たのは、十八年前って公式に記録されてる……まず間違いねえだろうな……」
「ハイアースで行方不明、ということはつまり、ロウアースに転移していまだに戻っていないから、ということでしょうね」
「そりゃ、見つかるわけないわよね……どこにもいないんだもん……」
頭を抱え、さらにため息をつくレテナ。父はいないものとして育ちはしたが、やはり両親は揃っていたほうがいいと思っているのも事実なのだ。
だが、何よりも……。
「ってことは、あれか。俺とお前は義理の兄妹ってことになるのか?」
「世界を越えた兄妹とか、フィクションとしては面白いんだろうけどさ!?」
ということである。いや、決してそれが嫌というわけではないのはリーブもレテナも、互いにわかっている。ただ、突然すぎてそれを受け入れる心の準備が整っていないのだ。
「まあまあ……まもなくナルター様の研究所です。すべてはそこでお聞きすると致しましょう」
カイトの言葉に、二人は小さく頷いた。
ナルター・リゾルート。それがリーブの義父にしてレテナの実父の名だ。と同時に、ミッドランド、特にデビルに関わる人間にとって知らぬものはいない名だ。
彼の功績は非常に大きい。まず、彼はデビルハンターとして相応の成果を上げている。ゼロ課には属していなかったが、それでも頻繁に共同戦線を張り、多くの人を救っている。リーブもまた、彼に救われた一人だ。
だがそれよりも注目を集めるのは、彼が発明したものである。
彼は、異世界人らしい知識と知恵を存分に発揮した。ハイアースから持ち込んだ銃を元に、ずっと実現できなかった銃火器を完成させ、普及まで行った。また、デビル化が血液感染によって発症することを突き止めたのも彼である。そこから、リーブも服用することになった抗生物質の作成にも成功したし、感染を防ぐための全身を覆う特殊スーツを開発したのも彼だ。
ミッドランド人にとって、ナルターとは救世主とも言える人間なのだ。ちなみに、苗字がレテナと異なるのは、単に彼女が母方の姓を名乗っているだけである。
「お父さん、確かにハイアースでも研究者だったらしいけど……すごいわね……」
「すごいってレベルじゃない。おやっさんがいなかったら銃はこの世界に存在しない。
それがなかったら、デビルとの戦いはじり貧どころか負けてるかもしれないんだ」
過去を見つめるような遠い目で、リーブが答える。言いながら彼は、昨日抱いた既視感に納得していた。こうして見てみれば、レテナは義父とよく似ているのだ。
「英雄じゃない……はあ……まだ信じられない」
「俺もだよ」
ため息が止まらないレテナとリーブだった。
だが、しばらくして復帰したレテナは、湧き上がる好奇心を抑え切れなくなる。
「……でも、なんでロウアースは銃火器が普及しなかったの?」
「それは、ロウアースに火薬を精製するための材料がなかったからです」
レテナの問いに答えたのは、カイトだ。
「それをナルター様は、ロウアースのもので代用して火薬を精製する方法を確立したのです。
それができれば、鉛はロウアースでもよくある金属ですので、銃火器の製作は容易だったと……スウォル様から伺っています」
「へえ……やっぱり厳密には違う世界なのね」
「現在はその技術をさらに進め、ナイネンキカンというものを研究しておられるとか」
「内燃機関! それ、一人でやるの絶対難しいわよ!」
「……やっぱり、ハイアース人にとってそのナイネンなんとかは普通なのか?」
「普通って言うか、そこらじゅうにあふれてるわ。百年以上前にはできてたもの。むしろロウアースにないのが不思議よ!」
そう言って瞳を輝かせているレテナを見たリーブは、なんとなく思った。こいつは絶対、おやっさんの娘だと。
と同時に、疑問に対して素直に説明に応じる自分も大概かもな、とも思う。
「ロウアースにはナイネンキカンとやらに適した燃料がないんだとさ。せきゆ? とかって言ってたか? そういうのがないんだと」
「本当に!? だって石油って、動植物の化石からできる燃料よ? ロウアースには恐竜とかそういうのいなかったの?」
「いたけど、そこまでは知らん。とにかくないものはないんだ。代わりにあるのが発条と蒸気だな」
「ぜんまいって、あたしにとっておもちゃの動力なんだけど……」
「それこそ俺らには信じられん話なんだよなあ……」
ロウアースにおいて、発条機関は一番普及している動力だ。蒸気機関より五百年も歴史が古いが、それでもなお現役として使われ続けているのは、ひとえに一切の燃料を使用しないからである。石油どころか火薬すらないロウアースでは、燃料を使わないという点は何よりも優先されるのだ。
そうして長く使い続けられるうちの研究は進み、ロウアース独自の金属であるミスリルがその完成を決定づけた。結果、ハイアースではおもちゃにしか使えないぜんまいが、最良の動力という地位を席巻しているのだ。
ちなみに、ロウアースには電力も存在しない。雷はあるので電気自体がないわけではないが、それを蓄積させることができないのである。発電効率も送電効率も、同じ機材を使ってもなぜかハイアースに大きく劣る。このため、電力は一部の好事家の間でしか使われていない弱小勢力となっている。
「……信じられない」
そうした話を聞きながら、レテナは心底驚いていた。ハイアースはアメリカ人である彼女にとって、電気が一番身近なのだ。次いで蒸気、発条だ。なのに、ロウアースでは逆なのだ。この常識の違いは、彼女にとってロウアースで一番のカルチャーショックかもしれない。
「おやっさんもちょくちょく『電気があれば!』って言ってる。でもあの人、そのうち本当に作りそうなんだよなあ……」
「……お父さんにはぜひやり遂げてもらいたいわね」
とは言うが、別にロウアース人が電気を欲しがっているわけではない。照明にしろ生活用品にしろ、ハイアースには存在しない素材で賄えているからだ。
――まあ、それはまだ言わないほうがいいんだろう。だって言ったらまたいろいろ聞かれるし。
そう考えるリーブは、喉の渇きを我慢しながらも、見えてきたナルターの研究所をレテナに示すのだった。
「あれがおやっさんの研究所だな」
ミッドランドの第七階層と第八階層の中間地点に、それはあった。スカイベースと同じく広い土台の上に、純白の建物が鎮座ましましている。陽光を反射するその美しい色合いは堂々とした威容を放ち、認めたもの以外近づくことを許さないとでも言っているかのようだ。
そんな研究所の姿だが、レテナには見覚えがあった。あった、というか、アメリカ人なら知らない人はいない建物そのままの姿をしていたのだ。
「うわあ……なんかホワイトハウスが浮いてる……あれもスカイベースと同じ原理?」
そう、ホワイトハウスだった。紛うことなく完全にホワイトハウスだ。アメリカの歴代大統領が居住した、あのホワイトハウス。しかも、庭園まで完全に再現している。まるでワシントンからそのまま移築してきて、空に無造作に浮かべたような雰囲気である。
そしてそれは、アメリカ人が設計に関わっているとレテナに確信させるには十分すぎる外観だった。
「ああ。通称スペースラボ。……安心しろ、ミッドランドでもあれは非常識な存在だ」
「現在、ああした建造物型飛空艇を個人で所有しているのはナルター様くらいですね。それだけの方なのです」
「へえ。……身内のことだけど、なんか嬉しいわね」
「……いや、俺が言うのもなんだがそうでもない」
「え?」
リーブがレテナの言葉を否定したその瞬間である。
スペースラボの一角――ホワイトハウスでいえばイーストウィングに当たる部分が、轟音と共に爆発し、吹き飛んだ。コロナードはまだ一部残っているが、そこから先はごっそりとなくなっている。
「……えええーっ!?」
それを見て、レテナは叫ばずにいられなかった。だが、リーブはうつろな瞳でぼそりとつぶやくだけだ。
「だと思ったよ……」
「ちょっ……な、なに冷静に言ってるのよ!?」
「あの修理を手配するのは俺の仕事なんだ……今月で五回目だ。俺に任せる癖に、見た目も内装もこだわるから始末におけねえんだよな……」
「……五回目?」
「ああ、五回目だ。いいかレテナ、おやっさんは日常的に実験で周りに迷惑をかけるような人だ。だからこそ個人であんなでかい研究所を持たせられたんだ」
「……ナニソレ全然嬉しくない」
「だろ。……ちなみに、どうせ今回も実験で失敗しただけだろうよ。ナイネンキカンとやらの燃料を作るんだって言ってたからな、爆発はその調合か何かをミスったんだろ」
「いや、軽く言わないでよ! あの爆発で無傷なわけないでしょ!?」
「別に爆発地点にいたとは限らないだろ。その辺は妙にぬかりないんだ、あの人」
「……あ、なるほど」
それもそうだ、とレテナは腑に落ちた顔でゆっくりと座席に身体を預けた。
だが、リーブは憂鬱だ。また大工の棟梁に、「毎度あり!」と言われてしまうだろう。
そんな彼らの視界に、一人の壮年の男が出てくるのが映った。よれよれの白衣を着て、片手には分厚いタブレット端末を持っている。かなり大柄でがっしりとした体つきだが、その表情はいたずらに心弾ませる子供のように輝いていた。
「……あれがおやっさんだ」
「…………」
「近くに着けますね」
カイトの言葉に、リーブはもう何度目かわからないため息で応じるのだった。
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その男、ナルターは跡形もなくなったイーストウィングの跡地で、何やらあちこちを調べて回っていた。白髪交じりのオールバックはところどころ乱れているが、むしろそれが研究者然とした壮年の立ち姿にはうまくかみ合っている雰囲気すらある。
元デビルハンターだからか、リーブたちと同じく肌を一切露出させないように手袋も完備し、全身を隠している。
一方、好奇心と探究心で輝く瞳はまさに子供のそれで、爆発で黒焦げになった痕跡とタブレットの画面とを鳶色の視線がせわしなく行き来していた。
そんな彼を後方から遠巻きに眺めながら、義理の息子であるリーブはやれやれと肩をすくめた。
「……ねえ、ちょっと。どうなってるのよ?」
「見ての通りだ。おやっさん、やり出すと止まらない人でな……」
「あー……お母さんもそんなこと言ってたような……」
空――ただし青空は上層の土台で見えない――を仰ぎながら、レテナは古い記憶を辿る。
セピア色に浮かんだのは、かつての食事のひと時。滅多に夫の話をしない母はその時、仕方ないと言いながらもどこか楽しそうだった気がした。
当時はあまり実感がなかったが、こうして当人を見ると納得だった。とはいえ、こういう手合いにむやみに話しかけるのもためらわれるのだった。
リーブもちょうど同じことを考えていて、頭を抱えている。カイトは、黙して語らず二人の後ろで控えている。
三人がどうしたものかと立ち尽くす中、彼らを視界には入っていないとばかりスルーし続けていたナルターが、タブレットを眺めながら満足げに言った。
「うむっ! やはりこの爆薬の威力は素晴らしいね!」
スウォルの美しいテノールとはだいぶ違うが、それでもよく通る声だ。だが、そんなことよりその内容に、レテナは叫ばずにはいられなかった。
「建物丸ごと吹っ飛ばしておいて、威力がどうとか言ってる場合じゃないでしょ!?」
「おや?」
彼女の声に、ナルターはようやく三人に顔を向けた。鳶色の瞳が、丸い。
それを受けて、レテナは自分がほぼ脊髄反射的に叫んだことに気がつき口を押えた。もはやこのオーバーリアクションは治せそうにないな、と隣でリーブが苦笑する。
だが、ナルターがそこを気にすることはなかった。そのまま彼はつかつかと歩み寄ってきはしたが、それはリーブとカイトに一直線だったのだ。
彼はリーブの肩をばしばしと叩きながら、豪快に笑う。
「やあリーブ、よく来た! それにカイトちゃん、久しぶりだね!」
「あー、うん」
「はい、ご無沙汰しております」
「ちょうどよかった、リーブには付き合ってもらいたい実験があるんだけどね!」
「絶対嫌だ」
「そうか! 仕方ないね!」
即答で拒否のリーブに、ナルターはがははと笑う。そもそも期待していなかったのだろう。
そんなナルターの姿を、レテナは観察する。母から聞いていたよりたくましい体つきだが、それはデビルハンターとして活躍していた名残だろう。そして聞いていたよりもハイテンションだが、これが今だけなのかいつもなのかは見当がつかない。常時だとしたら、ちょっと遠慮したいと思うレテナである。
「いやあ、内燃機関の副産物だがなかなかの爆薬ができてしまってね!」
そんな彼女を尻目に、ナルターは嬉々とした表情で解説をしている。
「ちょうど都合よくデビルが襲って来てくれたのでね! 早速威力を試したところ、ご覧の有様だよ!」
そして笑うのだった。
だがその説明は、さすがのリーブもスルーできない。
「デビルが襲ってきたあ!? おいおやっさん、無事なのか!?」
「問題ない! ジャパンで言うところの、昔取った杵柄というやつだね! それより重要なのは爆薬のほうだ!」
「それよりって……あーもう、相変わらずだな! で、そのデビルは倒せたのか?」
周囲を見渡すリーブ。少なくとも、彼の感覚にそれらしいものは感じないが油断は禁物だ。
「無事に跡形もなく蒸発したようだ! 改良を重ねたら、対デビル爆弾として利用できそうだね!」
「「どんな威力だ(よ)!?」」
そこで遂に、リーブとレテナの言葉が重なった。二人は顔を見合わせ、互いにげんなりとした表情で小さく頷く。
対してナルターは、今まで気がつきもしなかったと言わんばかりに、レテナを凝視している。そして、首を傾げながら、
「……誰だい?」
そう言うのだった。
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「そうかそうか、君がレテナか。いやあ、大きくなった。私も歳をとるはずだ」
相応の悶着のあと、四人はようやくラボの一室で落ち着いていた。とはいえ、リーブもレテナも、手当たり次第にものが積み上げられた部屋にはあまり落ち着けない。
唯一、カイトが淹れてくれた紅茶が清涼剤だ。味も驚くほどいい。茶葉もさることながら、彼女の技術がすばらしいのだろう。
「彼女は元気かい? もう、十八年も会えていないけど」
そう言って紅茶をすするナルターの表情は、先ほどまでとは違って慈愛に満ちていた。それは夫の顔であり、また父の顔だ。
そしてリーブは思う。この二人は、やはり親子なのだと。向かい合わせに座る二人の顔は、男女、そして髪型の違いを度外視して見比べると、似ていた。娘は父親に似ると世間では言うが、その通りだ。
「お父さんが急にいなくなって苦労したとはよく言ってたけど、手に職がある人だし、悲観はしてなかったかな。
ストレスは銃弾で飛ばすって言ってたし、お父さんのことも『どうせどこかでろくでもない研究してる』だってさ。大正解だったわ」
「なはははは、いやあ手厳しい。見た目はパーフェクトに大和撫子なんだが……どうも、彼女には勝てないな」
勝てないと言う割に、その顔は嬉しそうだ。それを眺めながら、リーブは夫婦ってそういうものかなと思う。
「で、お父さん? リーブは帰る手段探すのに飽きたって言ってたけど」
「いやあ、それはジャパニーズタテマエってやつだね。帰る手段は判明しているよ」
「えっ」
「マジで?」
さらりと飛び出た爆弾発言に、レテナのみならずリーブも思わず腰が浮く。カイトは相変わらず優しい表情を崩さないが、目は丸くなっている。
「ただ私は、もうデビルに深く関わってしまっていたからね。万が一デビル因子をハイアースに持ち込んでしまう可能性を考えると、二の足を踏んでね。リーブの養育もあったしさ」
そう言って、彼は茶目っ気たっぷりにウィンクして見せた。
そんな行為に唖然としながらも、リーブは義父の言葉に感動していた。
リーブは、今でも彼に出会った日のことを覚えている。両親がデビルに殺され、自分も殺されかけたときに颯爽と現れた彼は、そのまま一人になったリーブを引き取り育ててくれた恩人だ。神様はいるのだと思った記憶もある。
まあ、接するうちのその人柄がマッドサイエンティスト気質だとわかって、思春期と相まって避けていた時期もあるのだが、それはそれだ。
事情は知らないまでも、そんなリーブの心情を察して、レテナが頷く。
「……そう。確かに仕方ないわね。お父さんの存在がロウアースの救いにもなってるみたいだし、お母さんには悪いけど、本当、仕方ないわね」
「だろう?……まあ、英雄待遇なんてぬるま湯に慣れちゃって、戻るに戻れなくなったというのもあるけどねー、はっはっはー!」
不意に途切れたシリアスな雰囲気に、リーブ達はがくりと姿勢を崩した。
「と、いうわけで私はロウアースに留まる気満々だ。それに、ハイアースとの違いやこちらにしかない技術、生物なども興味深いしね!」
「おやっさん……いや、いいけど、さ」
「悔しいけど、その気持ち結構わかる……」
苦笑ながらも、リーブとレテナに負の感情はない。二人とも、とある種の親しみを込めて軽く心の中で毒づくだけだ。仕方ない、と。
「さあて! マジメな話はこれくらいにしておいて、せっかくだし今日は豪勢に食事にでも行こうか!」
「……お、いいね。珍しく賛成だぜ」
「その言い分だと、あたしは主賓になるのかしら? じゃあ、断れないわね」
「カイトちゃん、運転手頼めるかな!?」
「もちろんでございます、お任せください」
そうして、ナルターの問いにカイトが頭を下げ、四人はいそいそと研究室を後にする。今宵の宴にそれぞれ思いをはせながら。
お父さん登場。
物語において非常識な研究者は定番ですね。
……え、バトル?
も、もう少しお待ちくださいあと二話後くらいになる、と、思いますので……(汗