6.父親の名は
そして船着き場。来客専用のここは十人乗りくらいの飛空艇ならば問題なく係留できる広さを持つが、今のところ係留している飛空艇は一隻だけだった。
その船の前まで移動して、カイトがドアを開ける。次いで、タラップが自動で現れた。レッドカーペットである。それを見て、レテナは苦笑を禁じ得ない。
「……どんだけ豪華なのよ」
「スウォルさんは金持ちだ」
「でしょうよ……」
リーブの返答にため息交じりで返しつつ、レテナはもう深く考えないことにする。今はとにかく、二人に従おうと思い、飛空艇に乗り込む。
内装は、彼女の知るタクシーに近いものだった。ただ、さすがに船だからか広さは大したものであり、ゆったりとくつろぐことができそうである。彼女は乗ったことがないのだが、リムジンってこういう風なのかな、とちらりと考える。
そんなことを考えていると、隣にリーブが乗り込んできた。ドアが閉まる。そこでレテナは、首を傾げた。
「……え? あんた運転するんじゃないの?」
「は? 半分デビルの俺にそんなこと許されるわけないだろ」
こともなげに答えるリーブ。そんな二人を尻目に運転席に乗り込んだのは、カイトだった。
「えっと。え? カイトちゃん?」
「それでは、発進いたします。衝撃軽減装置はありますが、シートベルトも念のため着けていただきたく存じます」
戸惑うレテナに、カイトはそう答える。そして、慣れた手つきでコンソールを操作し始めた。
即座にガスの音が漏れ、発条機関のエンジンが始動する。と同時に、係留していた飛空艇のもやい綱が自動で外れ、三人を乗せた飛空艇はゆるやかに上昇を始めた。
「それでは、発進いたします!」
カイトの宣言と共に、エンジンはさらに音を上げ、一気に飛空艇は大空に舞いあがった。
が、それを素直に受け止められない女が一人。
「――っ!? え、えええ!? か、カイトちゃんってまだ子供よね!? う、運転していいの!?」
レテナだ。運転席に顔を出し、カイトの横顔を凝視する。
だが、当のカイトは慣れたもので、操縦桿を握ったまま涼しい顔をして懐からカードを取り出した。
「はい、この通り免許は所持しています。あ、それとこのような格好ですが、成人しておりますので問題はありませんよ」
そして、にっこりと笑った。唖然とするレテナ。その後ろ隣で、リーブが必死に笑いをこらえている。
本人が言う通り、カイトは既に成人を迎えている。実年齢はセンティと同じだ。だが、彼女は子供の見た目のままなのである。
そういう体質なのだと教えられたのは三年ほど前だが、事実昔からスウォルと付き合いのあるリーブから見ても、カイトは初めて会った八年前から姿が変わっていない。ある意味でうらやましい話だが、どうせ歳をとらないならもう少し大きくなってからのほうがよかっただろうなあとも思う。レテナのように、カイトを知らない人からは毎度子ども扱いされるのだから、面倒なこと極まりないだろう。
まあ、当のカイトがさして気にしているわけではないようなので、リーブがどうこう言えることはないのだが。
一方、なりゆきでカイトの免許証を受け取ったレテナはしばらく硬直していたが、あることに気づいて顔をしかめた。免許証が、見慣れた英語で書かれていたのである。
ここはロウアースであり、レテナのいた世界とは異なる。にもかかわらず、同じ言語がある不可思議に首を傾げる。
そうしてしばらく彼女は考えていたが……。
「……もういいや、もうなんか考えるのも疲れたわ」
そう言って、深いため息と共に免許証を返した。
ハイアース人は、ロウアースに来ることができるのだ。なら、英語があってもいいだろうと勝手に思うことにしたのである。もしかしたら、カイトもハイアース人かもしれない、と思いながら。
「お疲れだな」
「カルチャーショックの連続よ……疲れもするわ」
「違いない」
くく、と笑ってリーブは返事とした。
「ところでリーヴェット様。この後なのですが、リンフォルツァント家に直行してよろしいですか?」
免許証をしまいながら、一段落と見たカイトがルームミラー越しに声をかけてくる。
「……いや」
それに首を振って、リーブは腕を組む。
「着替えと、……それからいくつか貴重品を持ち出したい。だいぶ遠回りで悪いんだが、一回うちに寄ってくれるか」
「かしこまりました。では、まず第七階層に向かいます」
返事と共に、コンソールが操作される。すると、タンクからガスの音が響いてきてさらに上昇を始めた。浮きガスから、窒素が除去される音だ。速度が安定してからは一定の高度を保っていた飛空艇が、上層を目指して往来から上へ外れていく。
ただし、その速度自体はそこまで急ではない。レテナの知る飛行機のそれとは、比べるべくもない。原理的には飛行船とほぼ同じ飛空艇は、そうした激しい変化を伴わないのである。もちろん飛行船よりはかなり速いのだが、気圧の低下による耳の痛みはない。ロウアースも地球だ。あまり一気に上昇すると気圧の変化を受けるので、その速度は制御されているのである。
カイトの操作が意味するところを、もちろんリーブは知っているので特に何かを感じることはない。だが、シートに身体を預けてぐったりするレテナを見て、ふと思うところがあった。
「レテナ、まあゆっくり外の景色でも眺めたらどうだ? スカイベースからと飛空艇からとじゃ、結構雰囲気違うもんだぜ」
「……そうしたいけど、外見たら絶対また何かカルチャーショック受けるもの。やめとくわ」
「なるほど、そう言う考え方もあるか」
確かに、と頷いて、今度こそリーブは沈黙した。律儀なレテナのことだ、あまり連続して衝撃を与えるのは得策ではないようだとようやく思い至ったのである。
とはいえ、そのまま時間が過ぎることはなかった。結局、レテナは好奇心に負けて外を眺め、再びカルチャーショックを受けてあれやこれやと声を上げてリーブたちを質問攻めにするのであった。
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「――とまあそういうわけで、ミッドランドでは重力がねじ曲がってるところがたくさんある。おかげで地面の上を歩いて移動するのが難しいんだ。
だから飛空艇が発達したんだよ。飛空艇なら重力制御装置を詰んでおけば、異常な重力力場の影響を最低限に抑えながら最短距離で移動できるからな」
自宅への空中散歩の移動時間。リーブはミッドランドに関する質問に答え続けてきた。さすがにそろそろ喉が渇いてきた頃合いである。
「重力制御装置って……にわかには信じがたいわ。でも、まあ……うん……」
レテナは理解力がある。リーブの説明を、ちゃんとわかったうえで色々な質問をまた返す優秀な生徒と言えるだろう。だが、やはりロウアースの、というよりはミッドランドの常識は彼女の理解の範疇を越えることが多く。
「家の壁に家が建ってるこの街のことだし、重力制御装置は別に珍しくはないんでしょうね……」
窓から見えるミッドランドの街並みをちらりと見て、頭を抱えるのであった。
レテナの言葉通り、家の壁に――ともすれば家の裏側にも――家が建っていることがミッドランドの普通である。窓から見える景色は、出発した第五階層から第七階層まで移動した今もさほど変わらない。強いて変化を挙げるなら、より未来的な建物が増えたくらいだ。
街が無秩序に上へ上へと成長した結果が、これである。横へと成長しなかったのは、ミッドランドの土台がさして広くはない島だからで、当時の人間が「埋め立てるの面倒だし上に家建てようぜ!」「やべえそれ名案じゃん!」とはっちゃけた結果である。
当然、積み上げれば積み上げるほど倒壊の危険は加速する。実際に、建設当初は毎日のように大事故が起きていたことを、歴史が証言している。しかし、その後開発された重力制御装置により、多方向から建造物を支えることでその危険は完全に解決し、ミッドランドは成長を開始。そしてそれに比例して重力制御装置が街にあふれるようになり……リーブの言葉通り、この国は重力の状態が正常ではなくなってしまったのだ。
構造上、文字通り死ぬほど高いミッドランドから落ちても滅多に死傷者が出ないのは、この異常な重力力場が原因である。重なり、ねじれ、曲がり……そういった複雑怪奇な力は、空中でもしっかりと効果を発揮する。おかげで高所から落下しても、その速度は多くの場合殺されてしまい、自由落下のそれを大幅に下回るというわけだ。
ただし、落下による死傷者が抑えられているのは完全に想定外であり、はっきり言って怪我の功名以外の何物でもない。それよりも問題なのは、異常な重力力場が地上でこそ全力で牙をむいてくることである。
この異常が発生している地点では、歩こうと思っても見た目通りに移動することができないのだ。極端な話だが、階段を昇ることが物理的な位置を上げることに繋がらない場所すらある。階段を登ったと思ったら、降りている場所すらあるのだ。誰もが、ありのまま今起こったことを話したくなるだろう。
このため、ミッドランドを地図や案内人なしで歩くのは神をも畏れぬ行為と言っていい。
「でも不思議だわ。基本的には同じ地球なのに、技術の幅がこんなにも違うなんて。どういう仕組みなのかしら……」
「詳しい話は開示されてない。推理はできるが確証がないから、これ以上俺の口からは言えないな」
「そう……まあ、どう考えてもオーバーテクノロジーだし、他国に流出させたくないのかしらね」
だろうな、と頷きながら、リーブは見慣れた第七階層の景色に目を向ける。
だが、それは確証がない話をしたくなかったからではない。重力制御装置の根幹部分に使われているものが、デビル因子の結晶体、星屑であることを知っているからである。
デビル化により、特殊能力に目覚めることのある存在がいることは昔から知られていた。そしてこの能力、同じ星屑から生じたデビルはすべて同じ能力に目覚める。いわばデビルの家系だが、それに目を付けたのが当時の科学者たち。悪魔の象徴とも言える星屑を、実験動物に投与することで大量に養殖し、装置に転用したのである。
この目論みは、実にうまくいった。何らかの動植物さえあれば、星屑は勝手に増殖する。星屑感染症候群は、免疫を獲得できない不治の病であり、感染が成功すれば、確実に倍々ゲームで増やすことができる便利な資源となった。ロウアースのすべての生き物の天敵とも言える悪魔の石が、奇しくもミッドランドを作り上げたのである。
そして、リーブは知っている。ミッドランドが他の国よりもデビル事件の発生数が極端に多いこと、そして自身の持つ重力制御が、この国ではありふれた能力であることを。彼はその原因を、街に氾濫する重力制御装置にあるとにらんでいる。
もっとも正確には彼の義父の仮説であり、こうした国の暗部を調べつくしたのも義父なのだが。
「リーヴェット様、まもなく到着いたします」
黙り込んでしまったリーブに、カイトが久々に声をかけてきた。言われてみれば確かに、外の風景は見慣れたどころか毎日見ていたものに変わっている。
「ん? あ、おう、わかった。屋上に着けてくれるか」
「畏まりました」
ほどなくして、彼はいつもの屋上に戻ってきた。暇を持て余して、日向ぼっこに徹していた屋上。降り立ってみれば、その一か所には見事な風穴があいている。昨日のアレだ。
一瞬だけ苦笑したが、リーブはすぐに取り繕って船内の二人に短く声をかける。
「んじゃ、さっと行ってさっと戻ってくる」
「ん」
「はい、行ってらっしゃいませ」
二人に見送られて、リーブは最短距離で目的のものへ向かう。クローゼットから未使用の服をできる限り引っ張り出してトランクに仕舞い込み、携帯端末専用の発条ねじと財布をさらに押し込む。
我ながら旅行の準備のようだと思うリーブだったが、ある意味似たようなものでもある。まあ、恐らくはこれが最後の旅行になるだろうけれど。
一通り確認して、自宅を後にする。……が、途中でふと思い立ち、彼は方向を変えた。場所は、同居人……義父の自室だ。
「……使われた形跡なし、か。まだラボにこもってるみたいだな」
中を軽く一瞥して、ひとりごちる。
彼の義父は、元デビルハンターのデビル研究者だ。色々あって功績は多く、規模ではスカイベースに劣るが大型の飛空艇型研究所を所有している。当然、そちらで研究したほうが効率がいいので、普段は滅多に戻ってこない。まして、一度熱中すると引かない人だ。
最後に顔を合わせたのは五日前。彼にも連絡を入れないといけないなと思いつつも、研究に没頭すると周りが見えなくなる義父は電話になんて出ないだろうし、メールを入れたところで気付くのにどれだけかかることか。
できれば自分を失う前に一度くらいは会っておきたいところだが、もしかしたらもう会えないかもしれない。そう思ったリーブは、デスクの上に書置きを残しておくことにしたのである。
要点だけを箇条書きにして、ペンを置く。そしてそれから、待てよと思いデスクの引き出しを開けた。
「お、あったあった」
そこに横たわっていたのは、中口径の拳銃だった。いくつかの弾と一緒に並べられている。リボルバー式のやや古い銃だが、手入れは行き届いていて、使用には問題なさそうだ。デビルハンターとしては引退したが、武器の手入れはしっかりしていたのだろう。
これは、義父が現役時代に使っていた銃だった。ハイアースから来た彼が持っていたものの一つと聞いている。
それを少しだけ眺めた後、リーブは懐にねじこんで部屋を出た。人を待たせているのだ。
とはいえ、自分で使おうと思って持ち出したわけではない。そもそもリーブは剣専門であり、銃に関しては門外漢なのだ。
ではなぜそれを持ち出したのかというと、
(いつまでも俺が守れるかわからんねーし、自衛手段の一つくらいあったほうがいいだろ)
と、つまりはそういうことである。
リーブのみならず、カイトもいるのでよほどのデビルが出てこない限りは後れを取ることはないだろうが、それでも万が一ということもある。幸い、彼は義父からハイアース、それもアメリカの人間なら銃の知識はありそうだということを聞いている。というわけで、万が一に備えレテナに預けようと思ったのだ。
「お待たせ」
「結構持ってきたわね」
「今の俺のほぼ全財産だ。どうせ先は長くないし、こんなもんだろ」
「……だから、そういう言い方やめなさいってば」
シートベルトを着けながら、リーブはひらひらと手を振る。わかっているが、こうやって冗談めかして言っていないとわりと辛いのだ。
そんな二人を見て小さく微笑んだカイトは、コンソールを叩きながら操縦桿に片手を添える。
「ではお二人とも、動きます」
そんな彼女にリーブが頷くと、それに呼応したかのように飛空艇が屋上から離れる。発条エンジンの音を響かせながら、ミッドランドの街へと動き出す。
軌道に乗ってしばらく。リーブは、懐に手を入れながらレテナへ声をかける。
「レテナ、お前銃は使えるか?」
「銃?」
「おう。護身用にあった方がいいと思って一つ持ってきたんだが、使えるか?」
言いながら、先ほどのリボルバーを取り出してちらりと顔を向ける。すると、ドヤ顔で応じるレテナと対面することになった。
「ふふん、こう見えても銃はちょっと自信あるわよ! 世界一になったこともあるんだから!」
「……マジで?」
「大マジよ!……いや、まあ、それをここで証明することはできないんだけどさ」
レテナの告白は、リーブにとっては軽く衝撃だった。彼自身は、そこそこ剣に覚えがあるつもりだが、単純にその技量で言えば上はたくさんいるのだ。世界一というのは極めて得難い称号だ。
とはいえ、義父からアメリカは銃が広く普及している社会だとも聞いている。そうしたところの生まれのレテナは、幼いころから相応に磨かれてきたのだろうと自分を納得させることにするリーブだった。
「無理に証明しろとは言わねーよ。ま、ホントかどうかわからんが、どっちにしろ持っておいて損はないだろ」
そうして、改めてリボルバーをレテナに差し出す。
「……M686じゃない。なんでアメリカの銃がこんなとこにあるのよ? あ、でも手入れはしっかりされてるわね……」
二度目になるが、銃についてはリーブは門外漢である。レテナは受け取ったリボルバーを見るや否や、その型番を答えて見せたが、リーブには皆目見当もつかない。そしてそれが具体的にどういうことなのかもサッパリだ。だから、その辺りのことはあえて聞かないことにする。
「使えそうか?」
「うん、大丈夫。ていうか、わりとよく使ってた。……で? もう一度聞くけど、なんでアメリカの銃がここにあるのよ?」
「それは俺じゃなくておやっさんのでな。こっちに来たときたまたま持ってたんだとさ」
「そうなの? 道具って持ち込めるの?」
「転移のときに身に着けてたら可能……らしい。証明できないけどさ、でもそうじゃなかったら服も持ち込めないはずだろ?」
「なるほど、確かに。……でもいいの? あんたのお義父さんのなんでしょ?」
「いいんだよ。今のおやっさんはもっといいやつ持ってるからな。それは予備なんだ」
「……そういうことなら。ありがたくお借り……」
リーブはこくりと頷いたレテナを確認して銃弾をさらに渡そ……うとして、彼女が硬直していることに気がついた。よく見ると銃床を凝視している。
「……どうかしたか?」
「あの、さ……」
二人が声を発したのは、同時だった。もう一度わずかな沈黙。それを改めて、レテナが破る。声がやや震えていた。
「……えっと、あんたのお義父さん、って、さ……もしかして、ナルター……って、言わない?」
その問いには、リーブだけでなく運転に集中していたカイトすら目を丸くするのだった。
またしても説明回でした。
異世界が舞台の物語を創るのは大好きなんですが、特定の文字数の制限がある場合その配分が難しいのが難点ですね。
設定を語りたがる癖があるのも余計拍車をかけてるような気がします。
次回は、また新キャラが出ます。名前もポジションも性格も既にある程度出てるので、新キャラって言うのもなんか変な感じですけどね!