15.決戦 下
「重力五十倍!」
「重力五十分の一!」
だがそれは、一瞬のうちに相殺されて消えた。デビル化に伴い、その能力も成長を遂げたリーブは、フォーチュンのそれに追随できるようになっていたのだ。
そのまま二人は、真正面からぶつかり合う。互いにその刃に重力を乗せて、通常よりもはるかに高い威力の攻撃を何度も重ねる。その勢いは激しく、また極めて速い。
二人の攻防に、レテナは攻撃を挟むタイミングを逃して舌打ちした。それでもなお、銃はフォーチュンに向けたままわずかの隙も逃すまいと戦いを直視し続ける。
そして数十合の打ち合いを経て、二人の剣にひびが入った。極めて頑丈なスターライトのはずだが、遂に限界が来たようだ。
故障寸前の剣を見るや、二人は数歩の距離を取ってにらみ合う。周囲で、空薬きょうがふわふわと宙を泳いだり、逆に床にめり込んだりしている。重力制御がぶつかりあっているのだ。
異常な重力力場を前にして、レテナはやはり動けない。この拮抗した状況をどうにかして動かしたかったが、銃だけではどうしようもない。せめて、せめて手りゅう弾の一つでもあれば――。
「はああぁぁっ!」
「おおおぉぉっ!」
二人が同時に床を蹴った。そして、再度切り結び始める。
だが、今度はただの剣戟ではない。フォーチュンが銃を使い始めたのだ。ホール内に、剣がぶつかり合う金属音と銃声が響き渡る。
至近距離での銃撃を、リーブはすべてギリギリのところで回避していく。眼前に突き付けられた銃には逆に踏み込み狙いをかわし、距離が開いた際の銃弾は能力で落とし。
そしてそんな攻防の合間合間には、剣と剣が激しく火花を散らす。既に限界を迎え、剣としても使命を終えようとしている剣から容赦なく破片がこぼれ飛ぶ。それでもなお、二人の攻防は止まらない。
しかし、何事にも始まりがあれば終わりがある。
「――ちィ!」
リーブの剣が、折れた。対してフォーチュンの剣は、まだかろうじて繋がっている。首の皮一枚といったところだろうが、それでも折れていなければ一応使うことはできる。
刹那、銃声が響き渡り――それでもなおフォーチュンは、その死にかけた剣でリーブの胴を切り払った。もちろん、そんな状態でものを切れば剣はあっさりと折れる。彼の剣も例外ではなかった。けれどもその太刀筋には、紛うことなく重力制御の力が宿っていた。
「ぐう……ッ!」
リーブは呻きながらも、自身に重力制御を使ってダメージを最小限に抑えた。
もちろん、重力による威力補正を消しても剣自体の攻撃力はそのままだ。そして折れたとはいえ、彼を襲った剣はスターライト製。相応のダメージが、彼の身体を駆け巡った。
「……がッ、くっそ……!」
青い血しぶきを上げながら、リーブは床を転がった。そのまま勢いを利用して身体を起こすが、負った傷は見た目より深く、即座に立ち上がることはできなかった。
そんな彼の身体を、レテナが支える。
「リーブ!」
「…………」
傷口を押さえながら、リーブはフォーチュンを探した。武器を失ったこの状況を乗り切るためにはどうすればいいかを考えながら。
フォーチュンは、先ほどの場所で左腕をかばって膝をついていた。その左腕からは、手が消えている。何か強い力で吹き飛んだ感じだ。その衝撃で焼けたのか、傷口から血は出ていない。
何が起きたのかわからず、リーブはそんな様子を凝視する。
「……レテナ、お前か?」
「ふふん、やっと一矢報いることができたわ!」
ちらりと顔を向ければ、レテナはウィンクを返してきた。手にした銃からは、白い硝煙がたなびいている。
「……確かに、剣での重力制御に全力だったけどね。まさか、それを見破られるとは思わなかったよ」
「バカね、あんたの周りの空薬きょうが普通に転がってるだけになってたもの。力場は作ってないってことはすぐわかったわ!」
フォーチュンとレテナのやりとりに、リーブはなるほどと頷く。
介入できないなりに、レテナは状況をしっかり見極めようとしていたのだ。そして、それを生かそうと必死に機会をうかがっていたのだろう。
重力制御の前では、銃はさしたる脅威ではないとリーブはこの戦いのさなかに思ったが、それを破る術はいくらでもありそうだと考え直す。
彼はレテナに支えられながら立ち上がり、いまだ膝をつくフォーチュンを睥睨する。そんな彼に、レテナが耳元でささやいた。
「ねえ、重力制御って銃弾にも使える?」
「は? 使えるとは思う……けど、やったことないぞ。フォーチュンだってやってないんだし、制御がクッソ難しいんじゃねーかな」
「もし使えるなら、重力力場を貫通する銃撃ができるんじゃないかって思ったんだけど……」
「……なるほどそれはあり得、……げっ」
会話をぶった切って、リーブは思わず声を漏らした。立ち上がったフォーチュンが、懐から新しい剣を取り出したのだ。
「……ウソでしょ」
「ふふふ、ジャパンのことわざに曰く、備えあれば憂いなし、ってね! スペアは持つに越したことはないよ」
くく、と笑ってフォーチュンは構える。剣を前に、銃――既に持つ手はないが――を後ろに。いつもの構え。
まずい。心の中でつぶやき、リーブは一歩後ずさる。
「リーブ!」
「……まずは逃げるぞ」
銃を構え、攻撃をしようとしたレテナをリーブは慌てて引き寄せる。そしてその身体を持ち上げると、そのまま重力制御を解き放って天井へ跳躍。その直後を、黒い刃が通過した。
天井に着地したリーブは、腹に走る激痛に顔をしかめる。だが、それをこらえて壁を走る。もちろんそこには、フォーチュンが剣をかざして追随する。
敵が左手を失った今、後ろから撃たれる心配はない。とはいえ、屋内という限定された空間は逃げ回るには適さない……そう判断し、リーブは壁を駆け抜け窓を蹴破り外へと逃げた。
「リーブ、もう四の五を言ってる場合じゃないわ!」
「ここなら飛空艇部隊からの援護が見込める、無理して戦う必要はねえよ!」
「バカね、重力制御の前にあんな小回りの利かない乗り物が動けるわけないじゃない!
フォーチュンがどれだけ重力を大きくできるかはあんたが一番わかってるでしょ!?」
「それは……」
全力で走りながら、口ごもる。
言われればその通りで、周りの異常な力場を相殺するだけの装置はあるが、結局それ以上でもそれ以下でもない。五十倍という桁外れな重力力場は、飛空艇の天敵と言えるだろう。
「ははははは、どうやら万策尽きたようだね!?」
「うるっさいわね! 今作戦会議中よ!」
抱えられながらもそう言い返せるレテナには、デビルハンターの才能があるかもなあ、などとわりと場違いなことを考えてリーブは苦笑した。もちろん、そうしながらも外壁を駆け回ってフォーチュンを撒こうと必死だが。
「リーブ、ポイントとしては向こうを直下で見下ろす場所がいいと思うの」
「その心は?」
「結局のところ地球は上から下への重力が普通だもの、それに従うのが一番無駄がないかなって」
「……なるほどな」
頷き、それからリーブは周囲に目を配る。
現在、二人はウェストウィングの壁を走っている。このまま進めば、ウェストウィングをぐるりと回ってコロナードに入り、最終的にはレジデンス――すなわち中央まで戻ることになるだろう。
そこで上へ走れば状況は作れるか。そう考え、彼はもう一度頷いた。
「リーブ、やるわよ! あんたの能力がどういう名前か知らないなんて、言わせないんだからね!」
もうやるつもりでいた。そのつもりだったが、それでもなお発破をかけてきたレテナに、リーブは思わず笑った。
もちろん、と言う代わりににやり、と。
そして、自身の能力をレテナが握る銃へと纏わせる。
「攻撃のタイミングは任せろ。その代わり、発射のタイミングは頼む。合図忘れるなよ」
「オッケー!」
そうして頷き合って、リーブは回避と逃走に、レテナは準備に専念する。
いつでも攻撃できるように。いつその時が来てもいいように。
後ろから迫るフォーチュンの攻撃を、跳躍やステップを駆使して避け続ける。能力の質は同レベル、攻撃の手段も限られている両者の差は、広がることも縮まることもなく、ただその駆け引きだけが続く。
だが、レジデンスを駆け上がり、先ほど自身が蹴破った窓を通り過ぎたところでリーブは決断する。
「行くぜ」
レテナにだけ聞こえる声でそう言って、一足大きく跳んで上へ向かう。と同時に、それで後ろからの攻撃を回避。
そうして壁に着地したリーブは、その純白の壁を砕く勢いで踏ん張り体勢を下に向けて固定、さらには腕に抱いたレテナが攻撃しやすいよう抱き寄せる。
二人の眼下では、空振りから体勢を整えた直後のフォーチュンがいた。完全に隙をついたとは言えないが、その状態は万全でもない。
レテナは頷くこともなく、銃口をフォーチュンへ向けた。そこに、リーブが右手を添える。
銃口という極めて小さい範囲に、極大の重力力場が生まれた。発射していないはずの銃弾が、引きずり出される感覚がレテナの手に伝わる。
彼女が、呼吸を止めた。と同時に、彼女の時間が静かに止まる。否、止まったような錯覚を覚えたのだ。
昂ぶった精神が体感時間を極限まで遅くする。一瞬のはずの出来事が引き延ばされ、様々な記憶がフラッシュバックし始める。
不思議とそれはこの数日間の出来事ばかりで、そのどこかには必ずリーブの姿があった。
まだレテナが知らなかった能力を駆使して、壁を走る彼が。
右も左もわからないまま襲われたレテナをかばい、デビルと対峙する彼が。
一番苦しいはずなのに、近寄ったレテナに伝染すまいとその手を払った彼が。
自分が消えるかもしれないのに、あえておどけて見せる彼が。
ミッドランドの常識を、懇切丁寧に教えてくれた彼が。
父親と楽しそうに語らう彼が。
フォーチュンと戦い、敗北する彼が。
デビルに飲まれかけ、異形になっていく彼が。
彼は、いつも心のどこかで苦しんでいるように見えた。それはきっと、口では死を受け入れたようなそぶりをしていても、心の底ではそれを受け入れていなかったからだとレテナには思えてならなかった。
彼が自身を喪った時、レテナは何もできなかった。彼を救ったのはカイトで、レテナはただ祈ることしかできなかった。何もできないと、切ない思いを抱いた。
それでも、そうだとしても、彼を応援しようという気持ちは嘘偽りのないものだったし、だからこそ何かしたいと、銃を取った。
そして今。
レテナは万感の思いを込めて、声高らかに宣言した!
「絶対に諦めないで!!」
それは傍から見れば、フォーチュンとなった父に向けた言葉にも見える。それもあるだろう。たとえデビルとなろうとも、父はやはり父なのだ。
だが、それだけではない。デビルと戦うことを選び、青い運命を乗り越えようとするリーブにもそれは向いていた。そして、そんな彼と共にありたいと思った、自分に対しても。
それは、彼女の心からの叫びだった。
宣言と同時に彼女の時間は元の動きを取り戻し、銃弾が牙をむいた。直後、それは銃口で渦巻くブラックホールめいた力場目がけて落下し始める。その速度は、音速に達する本来の速度をさらに大幅に上回り、衝撃波で銃身を破壊しながら神速で駆け抜けた。
刹那、リーブの重力制御が絶妙のタイミングで消え失せる。通過しきってしまえばそれは、逆に銃弾の速度を殺す枷でしかないからだ。音速の何十倍という速度に達した銃弾の力を妨げることなく、それを瞬時にこなせたのは偏に才能と言えるだろう。
一方のフォーチュンはというと、二人が揃って向き直ったと同時に、何かが来ると察していた。だが向けられていたものが銃であることを見とめると、その警戒を薄めてしまった。
無理もない。彼にとって、物理的な遠距離攻撃はすべて能力の餌食でしかなかったのだから。
そして彼にとって最大のミスは、リーブのデビルとしての才能が自身を凌駕する、という認識を確信するタイミングが遅かったことと言える。
彼が結局できなかった銃弾への重力制御を、この土壇場の初挑戦でやってのける。そんな力を、リーブが秘めていることに気がつけなかったこと。それが、彼の命運を分けた。
「ぐ、ぬ……がああぁぁぁーっっ!!」
逸らせるはずだった銃弾はわずかにもぶれることなく、衝撃波をまき散らしながらフォーチュンの右肩を粉砕した。そして重力制御が途切れた彼は、悲鳴と共に地面に向けて墜落する。
落ちた先は、先に駆け抜けた銃弾が作った小さなクレーターだ。落ちた彼の近くに、彼の右手が握ったままの剣が刺さる。
「や、った……か……」
「みたい、ね……」
それを見て、リーブとレテナはどちらからともなく安堵の息をついた。
「なんつー威力だよ……あんなになるとは思わなかったぞ……」
「そ、そりゃあたしだって……。力場を貫通すればいいや程度で……って、話し込んでる場合じゃないわ!」
「あ、おう、そうだな」
危うく始まりかけた世間話を押し込め、リーブはレテナを伴い飛び降りた。もちろん、重力制御を用いて静かに着地を行う。
間近で見ると、クレーターはスペースラボの地面だけでなく、その基礎部分にもわずかだが届いていた。改めて、その威力に若干の寒気を感じるリーブだった。
だがすぐに意識を入れ替えると、クレーターの中央で倒れたままのフォーチュンへと歩み寄る。
「……見事だよ」
出し抜けに、フォーチュンが口を開いた。その声は弱弱しく、覇気が感じられない。さすがに左手と、右腕一本まるまる失うのはかなりのダメージとなったらしい。
そんな彼を見下ろして、リーブとレテナはどちらからともなく眉をひそめた。たとえデビルであろうとも、その姿形は、やはり父ナルターのそれだから。
「デビルハンター時代から数えて十八年間、負けたことはなかったんだけどね……いやあ、完敗だ……」
だがフォーチュンは、二人をそのままにして言葉を続ける。ごふ、と口から血が溢れた。もちろん、それは青い。
「もう私に……戦う手段はない。核だった右手も、失ったし……。
……ネバーセイネバーと自分に言い聞かせたいところだけど、さすがにもうネバーセイネバー以外の手段がないんじゃあ、ね」
機関銃の音が後ろから聞こえてくる。空に展開していた飛空艇部隊は、まだ敵を殲滅しきれていないらしい。
「……やけに諦めがいいんだな」
「そりゃあ……自分の子供に負けるなら、本望というものだよ。
私の息子と娘は、私よりも才能溢れるデビルハンター……そう思えば、悔しさなんて……これっぽっちも感じないさ……」
くく、と笑ってフォーチュンはその青い目をリーブとレテナ、それぞれへ向ける。その言葉に、二人は渋面を作った。
「……私が死んだあとのことについては、スウォルにすべて託してある……。
彼は今、地下で実験動物の駆除と……非合法な研究成果、の回収を……している、はず。……詳しい話、は、彼から聞いてくれたまえ……」
「なるほど立ち入り禁止、か……」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
レテナがしきりに首を傾げながら話を遮った。
「その言い方は、まるでスウォルさんが今回の事件を全部知ったうえで行動してるように聞こえるわ。どうなってるのよ?」
「……いやあ、レテナは頭がいいな……。あの技も、レテナの案、かな……?」
皮肉げに笑うフォーチュンの顔に、リーブは小さく舌打ちした。
だが続いた言葉には、驚かざるを得なかった。
「……スウォルは全て知っているよ。全て、ね……」
「なんだって?」
リーブの頭の中で無数の疑問符が溢れかえる。
それはレテナも同じで、フォーチュンの言葉の真意を必死に考えている。
「ふふ、疑問に思うのも無理はない……ね。けど、まあ……これ以上説明するには、時間が足りない、よ……」
次の言葉もまた、二人には混乱を招くものだった。
その言い方には、違和感があったのだ。全ての生き物を侵すデビルの言葉というには、納得できない違和感が。
何か裏が……黒くはない裏がある。そう思わせる、奇妙な感覚が二人を支配する。
けれども、フォーチュンはそれ以上語ろうとはしなかった。いや、できなかった。彼自身が言う通り、彼の命はもはや尽きようとしていたのである。
「……リーブ、……娘を、頼むよ……。レテナ、も……リーブを……」
最後の力を振り絞って言う彼の瞳から、静かに青が消えていく。現れたのは、鳶色。それは、ナルターの瞳の色。
「……おやっさん!」
「お父さん!」
反射的に二人はそう言って、フォーチュンに駆け寄る。しかし時既に遅く――。
「…………」
フォーチュン……いや、ナルターからの返事はなかった。閉じられることのなかったうつろな瞳が、先ほどまでリーブとレテナのいた場所を見続けている。
いつの間にか、機関銃の音は止んでいた。硝煙の匂いがミッドランドの風に溶けて、二人をなでていく。
太陽がようやく南に差し掛かった頃合い。二人は、どこからともなく現れたスウォルとカイトに声をかけられるまで、そこで立ち尽くしていた。
フォーチュンとの戦い、そして事件もひとまずおしまいです。
あとはエピローグを残すのみとなります。
次回、最終回。