12.もう一人のデビル
深夜のスカイベース。そのメディカルルームでは、着々と安楽死の準備が整えられていた。対象は、もちろんリーブだ。いや、リーブだったもの、と言うべきだろうか。
今、隔離された病室に横たえられた彼の肉体は大きく膨張し、三メートル近い異形の姿になっている。右腕は黒く、光すら反射しない。人間だった頃の面影は残ってはいるが、それでも人間と呼べる存在ではない。
そんな彼を強化ガラス越しに見詰めるのは、レテナとセンティ。彼女たちは、目の前で着実に進む準備を複雑な気持ちで見つめている。
もちろん、理性では彼女たちも理解しているのだ。
デビルは伝染する。放っておいたら、他の生き物も侵してしまうのだ。そんな存在を、生かしておくわけにはいかない。そしてリーブ自身も、自分がデビル化したら殺してくれと言っていた。だから、安楽死させることは当然のことなのだ。
しかし……。
「わたし……どうしたらいいのか……わかんないっす……」
絞り出すように、センティがこぼした。
「あたしだって……」
のろのろと、それにレテナが返す。
二人とも、納得はできていないのだ。センティにとってリーブは愛すべき先輩だし、レテナにとってリーブは命の恩人だ。それを、姿が変わったからと言って殺すことは、どうしても納得ができないのだ。
かといって、やめさせるわけにはいかない。そんな権限はないし、よしんばできたとしても、どのみちリーブはデビル化しているのだから、どうすることもできない。
「……あの、……やめること、は……」
どんよりと曇った目を向けられたスタッフは、無理と断言するように首を振る。
「……ですよねえ……」
それを見て、センティはがっくりとうなだれた。もはや何度目かわからないやりとりだ。
「……こんなに早く終わっちゃうなら、隊長の言う通りにすればよかったっす……」
葬式のような――現実はそれよりも非情だが――雰囲気に、センティが耐えられなくなったと言わんばかりに口を開いた。一方レテナは、その独り言にも近い言葉に思わず視線を向ける。
「……わたし、元々飛空艇の操縦士志望だったっすよ。運送とか、そっちに行きたかったんっす。
デビルハンターになったのは偶然で、新しく飛空艇部隊がゼロ課に配備されるからって、それで」
「…………」
「最初はちょっと、……んー、めちゃくちゃ、嬉しかったっすよ。デビルハンターって結構人気の職業で、でも簡単になれるわけじゃなくて。
だから、わたしも街を守るんだって、思って。……でも、世の中そんな簡単じゃなかったっすよ」
「そりゃ……あんな化け物、目の前で相手するんだもんね……」
レテナの、わかると言いたげな返事にセンティはゆっくりと頷く。
「めっちゃ、びびったっす。あんなの勝てるわけないって思ったっすよ……とーぜん、砲火の攻撃どころか操縦もろくにできなくて、ホント、死ぬかと思って……でも」
センティは、そこで言葉を切る。そして、視線を違う方へ向ける。強化ガラスの向こう、かつての姿の大半を失ったリーブへと。
「……先輩は、わたしならできるって言いきってくれたっすよ。砲火はやるから操縦だけ任せた、翼は預ける、って」
「…………」
「わたし、必死で操縦桿握ったっす。どういう風に飛ばしたかは覚えてないけど……でも、気づいたら、先輩に、……『ありがとう』って言われてたっす」
「あのバカ、言葉端折りすぎでしょ……」
はは、とレテナは乾いた笑いを漏らした。
「わたし嬉しかったっす……誰かのために働けたんだな、って……先輩が助けてくれたから、できたんだって……だから」
もう一度、センティは言葉を切った。それから、リーブから視線を戻す。そのまま彼女の視線は、レテナへと向かう。
「だからわたし、その時から……ずっと、先輩のこと、好きだったっすよ」
「……吊り橋効果みたいなものじゃない」
今度はため息でセンティに応じて、レテナは頭をがしがしとかいた。
「……あたしと一緒だわ」
それから続けた言葉に、センティはうっすらと笑うのだった。
「そっすよねー、先輩、かっこいいっすから」
「かっこいいっていうか、あいつの場合、反則っていうか……。大体あんなの……あんなの、卑怯なのよ。あんなことされたら、普通……」
もう一度、ため息。
「……どうせあいつのことだから、昔からああいうやり方だったんでしょ」
それから、少しだけ話の方向性をずらした。
「ゼロ課に来るファンレターの五分の一は先輩宛てっすね」
「ほーらやっぱり。どうせ、一人だけ前に突っ込んで逃げ遅れた人最優先で助けてたんでしょ。
それで、ちゃんと救助成功させてたんでしょ。だから感染なんてしたんでしょ」
「そんな感じっすね。……なんだかなあ、レテナさんまだ数日なのに、よく見てるっすね」
「う、わ、悪かったわね! ほとんど一緒にいたんだから、仕方ないでしょ……」
言葉を尻すぼみに濁して、レテナはセンティから視線を逸らした。もちろん、恥ずかしいからだ。
それを茶化すなり蹴散らすなりの余裕は両者にはないので、そこで話は一旦途切れた。
「……わたしら、何してるんすかね」
「……何かできるわけでもないじゃない」
「そっすよねー……」
「祈るくらいかしらね……やらないよりはまし、かな……」
そうして二人は、同時にため息をついた。
所詮、神は実態を持たない。それでも人は時に、そんな神にすがりたくなることがある。すがるしかないことがある。今はまさに、そんな時だった。
どうすることもできなくて、それから二人はただ言葉なく最期の時を待ち続ける……。
「準備、完了しました」
「よし、ではガスの注入を開始する」
そしてその時は来た。チーフへの報告と、それに対する返答に、レテナたちは顔を上げる。もちろん、期待を込めてではなく絶望を込めて。
三人いるスタッフは、それぞれ制御装置に向き合っていた。そこに据え付けられている装置の一つを適切に操作すれば、リーブが隔離された部屋に致死性の毒ガスが注入される仕組みになっている。何のことはない、保健所のそれと同じだ。ただ、使われているガスがデビル用に調整されているうえに、量が多いだけで。
このガスも、ナルターの作だ。対デビル用の兵器で、彼が関わっていないものはないと言ってもいい。
だがもちろん、レテナはそのことを知らない。知らないままのほうが、いいだろう。
「充填よし」
「安全装置、解除」
「注入、開始――」
「待ってください!」
今まさにガスが注入されようとした瞬間、その声がメディカルルームに響き渡った。そこにいた全員が、声の主を求めてそちらへ顔を向ける。
「待ってください、ガスは使わないでください」
そこには、メイド服の小さな少女が立っていた。カイトだ。その服のあちこちは破れたり千切れたりしている。リゾートアイランドでの星屑処理を終えて、まっすぐここに来たのだろう。
「カイトちゃん……?」
「どういう……ことっすか……?」
レテナとセンティがまず疑問を口にした。そしてそれに続いて、チーフも声を荒らげる。
「どういうことだ?」
「スウォル様から命令の撤回です。ただちにガスを戻してください。こちらが命令書になります」
だがカイトはひるまない。まっすぐにチーフまで歩み寄ると、一枚の紙切れを差し出した。
「……確かに、隊長のサインだ。……どういうことだ?」
「詳細をお知らせすることはできません。申し訳ありませんが、極秘とのことです」
カイトの言葉に、三人のスタッフは互いに顔を見つめあう。レテナとセンティも同様だ。
「……で、終わったら出て行けと?」
「はい。命令書にあります通り、即座の退室を願います」
「……なんなんだ、あの隊長は。何を考えているんだ……」
そしてチーフは、露骨に舌打ちをすると近場の机の脚を蹴った。態度はよろしくないが、彼の意見は至極まっとうと言えるだろう。この状況で、安楽死を中止させるスウォルのほうが疑われても仕方ないのだから。
それから三人のスタッフは、毒づきながらも迅速にガスの解除を進めていった。いつでも使える状態にすべきだと彼らは何度も言ったが、カイトはすべて、命令を盾にして切り捨てた。
それは、リーブの麻酔が切れ始めて、デビル化を再開してからも続いた。
「おい! 本当にいいんだな!? どうなっても私は知らないぞ!?」
「構いません。すべての責任はスウォル様とボクが負います。ですから、早急に退避してください」
「ええいもう、もう知らん! おい、行くぞお前たち!」
「はい!」
そして、メディカルルームには三人が残った。
その頃には、もうリーブの麻酔は解けていた。全身がうごめいて、化け物としての身体が出来上がっていく。絶叫を響かせながら、せめてその苦痛から逃れようと周囲を手当たり次第に殴っている。
「ど、ど、どうするんっすか!?」
「何か考えがある、のよね?」
「はい、もちろん。……レテナ様、センティ様、お手数ですが気密室の入室操作をお願いします」
リーブが暴れる衝撃で、スカイベースが土台ごとかすかに揺れる。それでもなお、カイトは焦らず告げた。
「操作方法は装置にも書かれていますので、お願いします」
「ら、ラジャー、っす……」
「か、カイトちゃんはどうするのっ?」
「ボクは……」
五重の気密室の前に立ったカイトは、レテナのその問いに足を止めた。そして、マフラーを外しながらゆっくりと振り返る。
「……リーヴェット様を取り戻しに、中に入ります」
彼女は、穏やかに笑っていた。だがそれよりも……レテナとセンティは、彼女の首を見て息をのんだ。
細く、カイトの華奢な身体をうかがわせるその首は、喉元から下が黒かった。光を反射しない、漆黒。その黒が、彼女の首から下に続いていたのだ――。
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リーブの意識は混濁し、激しい痛みを認識することもあいまいになってきていた。身体は確かに痛みを感じているらしく、身体を動かすことは半ば無意識のうちに行っているが。その感覚と自我は、徐々に剥離していく。
死とはまず、心に先行して身体に依存する感覚から失っていくものとリーブはかつて聞いたことがあったが、今の状況はそれとは程遠い。
――早く、殺してくれ。
入り乱れる意識の中で、彼はそう願う。だが同時に、ガラスの向こうに見えた人影に対して、「あれはきっと敵だ」とも思っている。「ここから逃げねば殺される」とも。
それはまさにデビルの本能であり、二つの意識の混在は、デビル化がいまだ途上にあることを意味している。
しかし同時に、ガラスの向こうの存在への敵意が増大するにつれて、彼の肉体から痛みは少しずつ引いていく。それは、少しずつデビル化が終わりに近づいている証だ。
化け物が腕を振るう。壁に巨大な拳がめり込むが、それでもこの部屋からの脱出はかなわない。彼には知る由もないが、壁の中核はスターライトで構成されている。これを破壊することは、単純な力だけでは不可能なのだ。
だが、今の彼に他の方法を模索するだけの理性は残っていない。ただ、引き続ける痛みと共に「殺されるから逃げなければ」という意思を振るうだけだ。
と。
そんな彼の前に、一人の人間が現れた。五重になった気密室から出てきたそれはとても小さく、今の彼ならばひねりつぶせるほど華奢だ。
彼はそれを、敵だと認識した。自分のように、青い光を――星屑を持たない。そんな気配もない。ならばそれは、敵だと。
そうして、巨大化した身体を見た目に反した速度で腕を振るう。無慈悲に、ただ障害物をはねのけるように。
だが――。
「大丈夫、ボクは味方です」
少女の言葉に、彼はすんでのところで手を止めた。
声が、何かを呼び起こすような感覚を伴って彼の神経を伝播していく。その感覚が、少女は何かが違うと判断させたのである。
少女は言葉を続ける。臆することなく、穏やかに。
「痛かったですよね。つらかったですよね。でも、もう大丈夫ですよ。大丈夫ですから……」
言いながら、少女はそっと両手を広げた。そのまま、包み込むようにして彼の腕を抱きしめる。
「ダ、レ、ダ」
彼は思わず問うた。デビルでもないのに、自分に優しく語りかけるこの少女はなんなのだ、と。
少女は、にこりと笑う。笑って、それから着ていた服を静かに脱いでいく。
露わになったのは、子供らしい起伏のない胸。そしてその中心には、拳ほどの黒い塊が埋まっていた。そこから黒は全方位へ伸びていて、上は喉元まで、下はへそのあたりまでを染め上げている。
それを見た彼は、悟る。目の前のこの人間は、人間ではないと。この黒は、同胞の証。
彼がそう判断すると同時に、少女の胸元にある塊がゆっくりと青い光を放ち始める。光が、黒を飲み込んでいく。
めり、と肉が裂ける音がした。少女の背中から、黒い翼が生えた音だ。決して大きくはない。だがそれは、悪魔の翼と形容するほかなかった。
最後に、少女は目をいじる。その指に、コンタクトレンズが零れ落ちた。そして、そこから現れた瞳の色は――青。
「ア、……マ、サカ」
彼の口から、ため息にも似た声が漏れる。唐突に、得も言われぬ親近感が湧き上がってくる。
「ね? 仲間、です。一緒ですよ」
もう一度、少女は笑った。そしてもう一度、彼の腕を抱きしめる。
そうだ、仲間だ。同じデビル。それなら、信じられる。彼の、牢獄にも似た青い呪縛がほぐれていき、「彼」が少しずつ浮かび上がってくる。
「……さあ、リーヴェット様。帰りましょう」
「ウ、ア」
――帰る? どこに帰るって言うんだ?
心の中の「彼」がうめく。少女の言葉が、心の奥へとしみこんでくる。
「もちろん……みなさんがいるところです。スウォル様も、センティ様も、レテナ様も……みなさんが、リーヴェット様を待っています」
「グ、ウ」
――無茶な。だって俺は、俺はもう人間じゃない。
うめく。少女の言葉に、心の底が揺さぶられる。
「デビルでも、大丈夫ですよ。だって、ボクもデビルなんですから」
「……ゥ」
――でも、俺の身体は。
……うめく。
「それも大丈夫です。リーヴェット様、ボクを信じてください。同じデビルの、ボクを信じてください。絶対、うまくいきますから……」
「…………」
――……わかった。信じるよ、カイトちゃん。信じてみようじゃねーか!
……叫ぶ! 青い呪縛が、遂に崩れ去る。
「デビルでもなんでもいい! 俺をなんとかしてみせろ!」
化け物が――いや、リーブが、その声で大きく言い放った!
「もちろんですリーヴェット様、すべてはスウォル様のご命令のままに!」
そして少女――カイトは力強く頷き、高らかにその能力を宣言する。
「状態還元!!」
その瞬間、青い光が部屋を埋め尽くした。
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ガラスの向こうで起こっている光景を、レテナとセンティは文字通り信じられないものを見るような顔で見つめていた。
青い光が隔離された部屋にあふれ、そしてその光が異形化していたリーブの身体を包み込んだかと思えば次の瞬間、その身体は見る見るうちに縮んでいったのだ。そして、見覚えのある姿かたちを取ったところで、光は消える。
そこにいたのは――まぎれもなく、リーブだった。ただ、困惑する瞳は間違いなく青く、その右腕もはっきりと星屑特有の青白い光を放っていたが。
「な、……何が……」
「どう、なってんのよ……」
二人はつぶやいた。それ以上、何もできなかった。
そもそも、あのカイトがデビルだったことがまず信じられないのだ。にもかかわらず、今度はリーブが元の姿に戻ったのだ。彼女たちにこれ以上を求めるのは酷というものである。
ガラスの向こうでは、やはり混乱した様子のリーブがカイトと話をしている。音が遮断されているので――メディカルルーム側で聴くようにする手段はあるが、そこにいる二人はフリーズしている――内容はわからない。
だが、カイトはいつものようににこりと笑うと、部屋の隅からワイシャツを引っ張り出してリーブに手渡した。リーブも、とりあえずといった雰囲気でそれを手早く身にまとう。
そうして、カイトが開けてくれというジェスチャーをするまで、レテナとセンティの硬直は続いていた。
「ただ今戻りました」
「カイトちゃん!?」
「どういうことっすか!?」
戻ってきたカイトに、二人は詰め寄る。そんな二人を、リーブは言葉を探しながら見つめていた。
「あ、ちょっとお待ちいただけますか? 星屑を休止させますので」
一方のカイトは、そう言いながら二人の接近を手で制した。それから目にカラーコンタクトを入れながら、身体から発していた青い光を鎮めていく。さながら濡れた髪をタオルで拭くような気楽な雰囲気で、彼女の胸はあっさりと元の黒へと戻った。翼も、ごりごりと音を鳴らしながら折りたたまれて背中へと消える。
「これでよし、と。……すいません、星屑を活性化させないと対話は不可能と予想されましたので。けれどその状態だと、お二人には伝染ってしまうんですよね」
そして彼女は、こともなげに言って笑った。
またしても、レテナたちは絶句する。
「……どういうことなんだ」
沈黙を破ったのは、リーブだった。彼に、二人の視線が集中する。
「……先輩?」
「あんた……大丈夫、なの?」
「わからん。腕を見る限り、完全にデビル化してると思うんだが……痛みはまったくないし、むしろ調子いいくらいだ」
言いながら、リーブは右腕を掲げて見せた。青白く光る右腕。肘から先が、星屑そのものと化している。
そんな彼の腕を、カイトは躊躇なく引き寄せる。
「リーヴェット様、そのままでは人に伝染ります。星屑を制御する方法は追々練習していただくとして、まずは物理的に遮断しましょう」
そしてそう言いながら、テーピングを施していく。その手際は淀みなく、しかも適切だ。ほどなくして、完全にリーブの手はテープで覆い隠されてしまった。
「星屑の制御なんてできるのか?」
「可能です。さほど難しくはないですから、大丈夫ですよ。慣れれば意識がなくても不活性状態を維持できます。それについては後ほどお話いたします」
最後に手袋をはめ終えたカイトは、三人に目を向ける。
「さて、既にお見せした通りボクはデビルです。八歳の時に罹患して、そのままデビル化しました」
「十年前……って、俺と会った時にはもうデビル化してたのか!?」
「はい。今まで黙っていてすいません。ですが、公表するわけにはいかなかったことはご理解いただけるかと……」
少し表情を暗くしたカイトに、三人は頷く。
「殺されるのが普通……っすよね……」
「はい。なんと言っても人に伝染りますからね。ボクが普段から肌を出さない衣装を使っていたのは、デビルからの感染を防ぐためではなく、ボクから他人への感染を防ぐためです」
「……スウォルさんは、知ってる……のよね?」
「もちろんです」
カイトの返答に、躊躇はなかった。
「スウォル様は、すべてを理解した上でボクを傍に置いてくださっています。発覚すれば、職を失うだけでは済まないでしょう。恩を返しても返しきれない、大切な方なのです」
その瞳は、どこまでもまっすぐだった。
そういえば、能力を発動させた時もスウォルの命令だからと言っていた。リーブは、単純な好意から来るものではなかったかー、と考えて苦笑する。見た目は小さくても、カイトは成人女性なのだ。悪い気はしていなかっただけに、肩すかしを気分だった。
(まあ、スウォルさんには勝てないのはわかりきってたことか)
早々と気分を切り替えて、リーブは話題も変えることにする。
「で? 俺が元に戻れたのはやっぱりカイトちゃんの能力なのか?」
「はい。ボクの能力は状態還元、状態を元に戻す能力です」
「……?」
「治療、とは違うわけ?」
「違います。そうですね……ストップウォッチの数値をゼロにする能力、と言い換えるとわかりやすいでしょうか」
「起きたことをなかったことにする、ということか?」
「おおむねその通りです」
頷き、カイトは三人からやや距離を取った。
「たとえば、こうします」
そして、足元に散乱していた紙を拾って、半分に裂いた。
「これに能力を使うと、こうなります」
次に、彼女の胸元に埋まる星屑が一瞬青く光った。するとその瞬間、半分になっていた紙も光に包まれ――そして、元通りになってしまった。
「えー!?」
「なっ、ちょ、ええ!?」
「……マジかよ」
紙には、裂かれた形跡など欠片も残っていなかった。当然、三人はそれぞれ目を丸くする。
そんな三人を尻目に、カイトは説明を続ける。
「とまあこういう風に……対象が存在として記憶している、ゼロとされる状態まで戻す。それがボクの能力です。
生物に対しては不完全になりやすいですし、対象の状態が変わってから時間が経過している場合も完全な状態に戻すことはできませんが……」
そこで、カイトはちらりとリーブに目を向けた。
「デビルに対しては、通常以上に効果を発揮するんですよね。かなり遡って戻せるんです」
「デビルに、ね……」
思わずリーブは苦笑する。それはつまり、今の彼が完全にデビル化しているという告知に等しいということだ。
そしてカイトも、それを否定しない。むしろ、次の言葉で肯定する。
「やはり完全に戻せたわけではないんですけどね。今のリーヴェット様は、ずっと続いていた肉体の異形化をボクの能力で人間の外見だった頃まで戻した状態です。戻ったのは見た目だけで、内部構造はそのままです」
「……つまり、今の俺の血は青いわけだ」
「そうなりますね。人間としての意識と外見を維持したままデビル化を完了した、そう言ったほうが正しいかと」
ボクと同じく、と最後に付け加えて、カイトはうっすらと笑った。
それに反応したのは、センティだ。
「まだ信じられないんすけど……カイトちゃん、本当にデビル、なんすか……?」
「はい、正真正銘。感染当時の肉体に戻してデビル化が完了してしまったので、見た目は子供のままなんですよね」
「ああ、そういうことだったんだ……」
「……ってことは、俺もここから歳を取らないのか」
「可能性は高いかと」
はあ、とため息をついてリーブはテープと手袋で隠れた右手を見やる。喜んでいいんだか悪いんだか、と内心で首を傾げた。
「……ま、まあ、それはいいんじゃない?」
「そっすよ! 不老とか、むしろうらやましいっす!」
「そういうもんかな。まあ気にしても仕方ないのは確かか……」
肩をすくめて、それからリーブはカイトの胸元を横目に見る。
拳大ほどの黒い星屑が、そこに埋まっている。完全にカイトと一体化しているのだろう、表に見えるのは半分ほどだ。その部分だけでも、リーブの患部より重症に見える。染まった範囲も、圧倒的に彼女のほうが多い。
リーブは、自分が味わった激痛が、もしかしたらデビル化のそれの中では比較的弱かったのではないかとふと思った。カイトほどの状態だったら、果たしてどれほどの苦痛を味わったのか。それを考えるとぞっとすると同時に、この小さな女の子の身体の、どこにそんな精神力があったのだろうかとも思う。いや、能力があるから痛みは軽減できたのか……。
そんなことを考えていると、彼は両側から思い切りたたかれて小さく悲鳴を上げる。
「いってぇ!? 何するんだよ!?」
「女の子の胸ガン見してたら、叩かれても文句言えないわよ!」
「そっすよ! 先輩、ひょっとして胸は小さいほうが好みっすか?」
「はあ?……あ!? いや、違う! そういうつもりで見てたわけじゃない!」
理由に気がついた時には、もう遅かった。彼に自身を弁護する権利は与えられず、問答無用とばかりに女子二人の拳が彼を襲う。
「心配して損したわよ!」
「右に同じくっす!」
「だから違うっつってんだろー!!」
リーブの悲鳴がメディカルルームにこだました。
なお、当のカイト自身は別に見られて何か感じ入ることはなく、そういえば脱いでたっけ、と言わんばかりに服を着始めるのだった。
実はもう一人いた知性持ちのデビル。伏線は一応撒いてましたが。露骨だったかなーとも思います……要精進ですね。
ちなみに状態還元ですが、イメージとしてはクレイジーダ○アモンドです。あそこまで万能ではないですけど。