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倒してくれる勇者募集中  作者: ミッキー・ハウス
第一章 幼少期(隔離編)
5/39

下降と暗転


「飯くらいひとりで食えるって」


「どこでそのような言葉を……飯ではなく、朝餉(あさげ)と仰って下さい」


「あー……わかった。朝餉ね、朝餉」



翌朝、朝食の時間。


いつも通り着替えを済ませて麦粥を持ってきたミッキーに、俺はひとりでできるもん宣言をしたら、突然の申し出にミッキーが初めて瞠目し、人らしい言葉を返した。

何を聞いても今までは素っ気ない決まった言葉しか返ってこなかったから、言葉遣いを注意されるなんて思ってもみなかった。

しかし、俺がひとりで食べることを了承したらしく、ミッキーは静かに頭を下げた。



「何かありましたら」


「わかった、呼ぶ」


「では」



一礼して扉の向こうにミッキーが消え、シーンと静まり返る寝室。

静寂の中にあって、俺にじわじわと湧きあがってくるものがあった。


うおおおおっ。コ、コミュニケーションが取れたーっ!

今まで機械と会話しているような違和感もなく、すんなり会話で来たよー!


そんなひとり会話の成立に感動していると、ベッドの下から這い出てくる影があった。マロだ。

ベッドにひょいっと飛び乗ると、すんすん鼻を鳴らして俺の側までくる。



「よーしよし、おすわり」



側まで来たマロを撫でながら、俺は麦粥がこぼれないよう皿を抱え直した。運ばれてくる食事は自分で食うのはもちろんだけど、半分はマロに食わせるつもりだ。

俺が食い終わってから、いい子でおすわりをしているマロの口元にひと摘み持っていく。最初は匂いを嗅いだりしていたが、マロは俺の持った麦粥をぺろりと舐めて食い物と認識したらしく、もっと寄こせとねだってきた。

あとは任せたと皿を手放せば、自発的に飯を食い始めるマロを見て、一息つく。さっきから起きていることが辛かった俺は、ベッドに横になる。

実は、マロを寝室に連れ込んでから、ちょっと困ったことがあった。


――それは、全身疲労と筋肉痛。


何を馬鹿なと笑うことなかれ。

エルに聞いて、確かに寝床に臥せってることが多いと説明されてはいた。半月の生活を考えてみれば、寝室で着替えと湯浴みを済ませて、食事をして、たまに隣室で過ごす。運動らしい運動と言えば、お手洗いまでの長い廊下を歩くことぐらい。

あれぇ?と思ってエルに再確認したら、二十年間の私生活は今の俺の生活とあまり変わっていないそうだ。


よく肥満児に育たなかった、俺!


とりあえず、心の中で自分を褒めておく。

そんな生活だったのに、庭に出るため階段を上り下りしたもんだから、一気に全身疲労と筋肉痛の二重苦に襲われることになった。

俺の異変に気づいて原因追究されるかと思ったけど、そんな様子もなく心配してなかったミッキー。


しばらくしてから食器を下げに、ミッキーが来た。マロは再びベッドの下に隠れている。

ミッキーが出て行ったら、マロをもふるぞー! と内心そわそわしていた、のに……。



「薬湯をお持ちしました」


「は、なんで?」


「お体の調子が優れないとお見受けしましたので」



ぎゃあああ。やっぱり、ミッキーは俺の異変に気づいてた!

でも、筋肉痛だとは思われてなく、例のエネルギーが上手く放出できなくて苦しんでるんだと思ったらしい。証拠に、具合が悪そうにしてると飲まされているポットに入った薬湯を持ってこられた。

俺が変に動揺したせいで確信を得たミッキーは、側まで来てカップを用意して飲ませる準備を始める。



「ちょ、それエネルギーで本当に具合が悪い(消化不良起こしてる)時のだよね。薬湯だよね。つまり薬だよね。それってやっぱり、用法用量を守って正しく使わなきゃいけないと思う…んぐっ」



案の定、カップを口元に持ってこられて有無を言わさず飲まされた。ぅおえっ。

苦いんだよ、えぐみがあるんだよ。飲まされる俺の身にもなってくれーっ!

ポットから注いだ時は湯気が立ってるから熱いんだろうけど、俺が口をつけるまでに湯冷ましがされて飲みやすい温度になっているのがせめてもの救い。これで舌まで火傷したら泣きっ面に蜂だ。


薬湯を飲み終わってぐったりしていると、ミッキーが俺の口元を拭いていく。

いつもなら抵抗するんだけど、筋肉痛と薬湯の苦みのダブルパンチで、俺はノックアウトされている。もう、どうにでもしてくれ。

くっ、これはもう自分の怠慢への罰だと思って諦める。筋肉痛がバレなかっただけでも良しとしよう。


さて、今後のことを考えてみると階段の上り下りだけで全身筋肉痛は避けたい。

これの解決方法はひとつ……リハビリだ。リハビリしかない。

病気だと俺自体は思っていないが、扱いが病人と変わりない状況なのだから、余計にこの言葉がしっくりくる。



そうそう、マロのことだけど。


ミッキー寝室にが近づいてくるのを察知すると、マロは慌ててベッドの下に潜るんだぜ。教えてないのに、自主的に!

なんて賢いんだ、マロ!お前は、狼だけど名犬だっ!

お陰で筋肉痛で俺がとっさに動けない状態でも、マロが見つからずに済んでる。


ミッキーが出て行った部屋で、体の痛みを堪えながら寝ている俺の側には尻尾を振ってるマロ。

薬湯により体力が削られて半分以下の状態なため動くのが億劫で、指先だけでマロの鼻を撫でると途端に目が輝きだしてぺろぺろ攻撃が始まる。

きゃー、おーそーわーれーるー。


顔中舐められまくってるが、動けずに放置。

そんな俺を呆れたように見てるエルも放置。


筋肉痛が取れたら思う存分、もふもふしてやるからなー!


そんなわけで、当面の間は生活習慣改善を目標にした俺。

とりあえず、基本的な準備運動だけでバテて疲れないようになるまでは、本格的な運動は先送りってことで。


できることを先にしてしまおうと、この世界の文字を学ぶため、少し睡眠と取ってからミッキーに本を持ってきてもらった。

読まなくていいか聞かれたけど、別にエルがいたから断っておいた。


再びミッキーが出て行った後、エルに識字を叩きこんでもらって、それを文字として認識できてから文法云々を教えられたけど……うん、こればっかりは書かなきゃ覚えられねぇ。

けれど、筆記用具を所望して目的を察知したミッキーが先生として側にいたら、きっと俺は重圧に耐えられない。あの無表情でいられることが、まず無理だ。嫌いなんじゃない、苦手なんだよ。


どうしたものかと悩みながら、紙の表面に触れてみるとインクで文字が凸凹している。この世界の印刷技術が未熟なのか、それとも手書きなのかわからないが指先の感覚は必要だと思い、なぞって覚えることにした。


俺の行動を理解したエルが、後ろから胡坐をかいて俺を抱きかかえるように座り、指で文章をなぞりながら読みあげる。

その透明な指を目で追いかけながら紙に手を添えれば、文字の書き順も同時に教えられていく。

俺がわかるまで、エルは文字をなぞって教えてくれる。ゆっくり、何度でも。



『ほら、これで……ユ・リ・シー・ズ』


「なんで俺の名前通りに文字をなぞってんだよ」


『名前は書けた方がいいと思ってね』


「まぁ、そうだけど……」


『もう一回やる?』


「……頼む」



俺が頷くと、くすくす笑いながら『ユ・リ・シー・ズ』とエルが文字をなぞる。

教え方で子供扱いされている感じがするけど、これはしかたがない。逆に感謝だ。

勉強の間、マロは大人しく俺の腰辺りに頭を乗せて、邪魔せず寝ころんでいる。まぁ時々、手足を突っ張り伸びあがって俺の体を押すくらいだ。


今まで何をしたらいいかわからなかったけど、こうして明確な目標ができると少しだけ自分の立ち位置が見えた。

同時に、和やかな時間を手に入れた――そんな気がする。

くすぐったい感覚はあるけど。


勉強とリハビリを始めて数十日。

文字の読み書きもある程度できるようになり、ちょっと走ったくらいじゃ息切れしなくなってきた。日々の努力の成果が見えてきて嬉しくなる。

体力がついてくれば、自然とマロと追いかけっこを始める俺。そんな様子をベッドに腰掛けたエルが微笑みながら見ている。


こんな風に俺の小さい箱の中だけの生活は、段々と色がつき始めていた。



 † † † † † †



ある日、日の光で温まる隣室。

昼飯も済ませて、俺はゆったりしていた。足元ではマロが眠りこけている。

暇潰しに本を読んでいたら、下から外に出る扉の開閉音が聞こえた。



「あ、ミッキー?」



庭を横切っていく人影を見て、俺はそいつの名前を呟いた。

昼間にミッキーが館を離れるなんて滅多になかったことなのに、今日は何かあるのか?


考えてみれば、ミッキーは白騎士の隊長なんだから、緊急事態とかで召集されるのは当たり前なんじゃないだろうか。

今がその緊急事態かどうかは知らないけどな。用事で出かけるくらいしかたないか……。


――と、思っていたのは数時間前。


かなり時間が過ぎいるんだが、ミッキーが帰ってこない。それどころか、館に誰の気配もない。

目を擦りながら夕食を待っていたが、いつもの時間になっても運ばれてこない。試しにベルを鳴らしてみたけれど、反応は皆無。

ぐぅ、と腹の虫が鳴った。


なのに、あるのは異様な眠気。


くっそー、眠気には勝てない。

腹が減ってしかたないはずなのに、眠気が優先されて瞼が落ちてくる。自分が寝る前にマロをトイレに行かせなきゃいけないのに、体が鉛のように動かない。

意地を張っている俺の頭をエルが撫でて、諭すように話しかけてきた。もちろん、撫でられる感触なんてないが。



『子供の体なんだから、無理しないで寝なよ』


「……ん、わか……た」



エルの言葉通りに体を横たえると、弛緩した体と意識が沈んでいくのがわかる。

くそー……起きたら絶対、ミッキーに文句言ってやるからな。


内心で文句を言っていると、マロが当然のように俺の側に寝転がってきた。目を閉じたまま手探りでマロを捕まえて抱きしめると、ふわふわした毛が一層俺を眠りへ(いざな)う。

すんすん鼻を鳴らしながら、マロが俺の額を舐めたのがわかった。

でももう、俺はかまってやれない。意識を保てない状態で微睡(まどろ)んでいた。



「くぅーん」


『しぃー、起こしちゃダメだよ。彼はこれから何が起こるか、知らないままでいいんだから』



沈殿していく意識の底でマロの鳴き声と、エルが静かに笑う声が響いた。



 † † † † † †



ぼんやりとした視界で、俺は目に映る光景を見ていた。


眠気に負けて寝ていたはずなのに、いつものように昼の日差しが差し込む寝室にいる。

いつの間に起きてたんだ、俺。


ぼーっとしていたら、「くぅーん」という聞きなれた鳴き声が聞こえて振り返った途端、襲われた。



「うおあっ、マロ。やめろっ、こら!」



突然の事態だっていうのに、俺自身がもう慣れてしまったことで危機感がまったくない。

それに本気で嫌がっていないのがわかるらしく、マロの唾液で顔中がベタベタにされていく。



「くぅっ、負けるか!見よ、俺の力っ!」



と、じゃれついてくるマロを押し倒す。あまりにも呆気なくベッドに沈むマロ。

まぁ、体格差とか俺の方が勝っているから、当然の結果なんだけどね。くすくす笑いが込みあげる。



「……もう、終わりか?」



俺の問いに尻尾をブンブン振りまくって、まだやる気があるのを見せるのマロ。



(かな)うと思っているのか……」



くっくっくっ……と悪役そのものっぽい台詞を吐きながら、手を出せば甘噛みで抵抗を繰り返してくるマロ。

コロンと腹を見せるマロを構い倒す。可愛いったらありゃしない。

うおー、もっともふもふしてやるー!!


マロの首や腹目がけ、手を伸ばして抱きしめた――ところで目が覚めた。



あ、夢か。


俺が抱きしめていたのは、丸い筒状のクッションだった。寝ぼけ眼を擦りながら起きあがって欠伸をすると、ベットの上にマロが寝ていた。

夢の中と同じポーズだったのが笑える。

なんであんな夢を見たのか疑問に思えば、昨日は全然マロを構ってないことに気づく。ミッキーのことで考え事しているうち、眠気との戦いになったからな。

欠伸をしていると俺が起きたのを確認したエルが、挨拶しながら寝ている間にあったことを話し始めた。



『おはよ。昨夜、魔獣騒ぎがあったよ。かなり騒いでたから、いっぱい出たのかもしれないね』


「魔獣……って、なんだ?」


『魔人の(エネルギー)を糧にする獣。本来は人が入れない深い森に滞留する(エネルギー)を食べてるんだけど、間違って出てきちゃう時があるんだ』


「へぇ、そんなのがいるんだ」



ちなみに、神人のエネルギーを糧にする獣は、神獣と言うらしい。まんまじゃん。

俺が起きているのに気づいたマロは、勢いよく起きあがるといつも以上にぺろぺろと顔を、特に鼻と口を重点的に舐めてきた。


うおあっ、いきなりなんて卑怯だぞマロ!

息が、息がぁあああっ!

夢の続きのような、朝っぱらから熱烈なマロの愛情表現に少々呼吸困難気味になりながらも、異様な眠気が取れてすっきり目覚めた。


起きた俺は、決めていた行動を早速開始した。


昨日の文句を言うため、ミッキーを呼び出した。どうやってかと言えば、エルの案内で誰もいない使用人の控室に行って書き置きを残してきた。

それはもう簡潔に「ミッキー・レアードを呼べ」と。


俺はある程度、言いつけを守ってここから出ない(マロをトイレに連れて行く時は別)し、ミッキーがいなきゃ使用人のお姉さんも来ないし、それなのに俺のこと放って出かけるなんて言語道断だろ。お陰で昨日の夕飯は食い損ねた。

書き置きのことで怒られる可能性もあるが、どんとこい。目に見える形で部屋を出てかなきゃいけない事態に陥らせたのは、ミッキーの方だからな。


と、気構えてたのに……なのに、ミッキーが来たのは朝飯の時間が過ぎた頃だった。

ほほう、相手がお子様だからってそういう態度か。朝飯もまだなんですけどねー。そんな放置され気味の俺の怒りは、すでにMAXだった。

入室してきたタイミングを見計らって嫌味を籠めて笑顔で挨拶をしたんだが、手までぐるぐると白い包帯が巻かれた腕を首から吊ってるミッキーの姿にびっくりして固まる。思いっきり出端(でばな)を挫かれた。


どどどどどうしたんだ、そのミイラよろしく包帯した左腕はっ!

あ、今年の流行ファッションか……って、ンなわけないだろ!

おおお落ち着け俺。落ち着けーっ!



「……その腕、どうした?」


「これですか。昨日、訓練中に折れた剣先が飛んできまして、思わず腕で庇ってしまったんです」



内心わたわたしまくっているのを表面に出さないよう取り繕いながらの俺の問いに、素っ気なく言い放つミッキー。

いつもの如く、表情に変化はない。が、俺自身はそんな状況に平然としてられない。自分も守れず騎士として恥ずかしくないのかと傲慢にはなれないし、喧嘩中の知り合いでも大怪我していれば心配する。


ひゃー、訓練中の怪我って言っても、さすがにちょっと怪我しましたって感じじゃないよ。

うっすら血が滲んでるように見えるのは気のせいだろうか。気のせいということにしておきたい。気のせいにしておこう。気のせいだよ、気のせいっ!

グロ苦手な俺に、これ以上怪我した腕の状態を連想させないでくれー!

それでも包帯が巻かれているってことは、よほどの勢いで折れた剣先が飛んできたらしい。訓練だから防具つけずにやって、深く刺さってブシューっと……だから気のせいっ。

ゲ、ゲームみたいに血が噴き出したりするわけがないないないない、ないはずっ! 想像するな、俺!


とにかく、あんな風に首から吊っておかなきゃいけないほどの状態なんだから、これで昨日のミッキーお出かけ疑惑が消えた。

怪我の治療でこれなかったんだろう。夜中も忙しそうな緊急事態だったみたいだし。ミッキーへの怒りも、俺の中から完全に霧散する。

夕飯のことは、ミッキーがいないことによる使用人の方の職務怠慢だったと、俺の中で結論に達した。

しかし、どうする。呼び出してしまった手前、何か話をしなければならないわけで……。



「そうか、気をつけろよ。最近は魔獣も出るらしいから、噛みつかれないようにな」



呼び出した言い訳を誤魔化すために、さっきエルから聞いた昨夜の魔獣騒ぎを話題に出してみる。

あ、人と接触しない俺がこの話を知ってるのっておかしいと思われないか? それか就寝時間を守ってないことがバレるーっ!

俺から出した話題にミッキーが黙ったままだから、思いっきり冷や汗たらたらだったけど、何とか笑顔で乗り切る。



「帰って休め」



向かい合ってるのも心苦しくなってきたので、退室していいよー! と促せば、一礼して背中を向けたミッキー。

そんな状態なのに、呼び出してごめーん!悪かった、ゆっくり休んでくれ!

ほんと、呼びつけてごめんっ!

去っていくミッキーの後ろ姿に、心の中で手を合わせてあらん限りの謝罪の言葉を言い連ねる。



……あ、朝飯頼むの忘れた。



 † † † † † †



あれから一ヶ月。季節は、もう夏。

部屋の外からはミーンミンミンやら、ジージジジジやら、ツクツクホーシやら聞きなれた虫の声が聞こえてくるようになった。

……が、たぶん虫の呼び名も俺の記憶にあるのとは違うはず。下手に名前を呼ばないように注意しよう。


それから、ミッキーのあの腕もある程度治ったみたいだし、気兼ねなく着替えも湯浴みも手伝って(・・・・)もらおう。

だってな、治ってないのにあの腕で俺の着替えや湯浴みをやろうとするんだぜ。片手が使えない怪我人に、そこまでさせられねぇっての。

なのになのに、「私の仕事です」の一点張り。

俺は自分で全部できるんだから放っておけばいいのに、なーんで甲斐甲斐しく世話してくるんだよっ。怪我を押してまで優秀っぷり発揮しなくていい!

こっちが申し訳なくなってくる!


でも腕を怪我しているからか、俺が本気で拒否すると下がるには下がる。後ろに控えられてるのが気になるけど。

それでも動く機会が増えて、十分とは言えないまでも最初の頃よりは筋肉がついてきた。

お陰で規則正しい健康的な生活を送っている。


そんな生活の中、久々に夜中に目が覚めてしまって水が欲しくなった。

天鵞絨(ビロード)を払ってサイドテーブルに視線を向けたけど、そのにある小さな水差しの中身は全部飲んで(から)だ。

今までなら足りていたんだけど、運動の度に飲んでたし、夏になって気温が上昇したのもあって頻繁に飲んでたからなぁ……補給が追いついてない。

ベルを鳴らせば誰かが知らせるんだろうけど、こんな夜中にミッキーを叩き起こすのも気が引ける。使用人が扉や廊下に常駐してるわけじゃないのに、ベルの音を誰が知らせているかは謎だけど。



『ユリシーズ、おはよ』


「おはよう、つってもまだ夜中だけどな。水取りに行ってくる、隣室か廊下にミッキーはいるか?」


『待ってて』



そう言ってエルは扉まで歩いていくと、すぅっと通り抜けて行った。まるで幽霊みたいに。

何回見ても慣れないな、あれ。やっぱ違和感アリアリだ。

俺が部屋から出る時、やっぱり見つかるのは不味い。だからこうして、エルに確認を頼む。ミッキーに鉢合わせしたら、蛇に睨まれた蛙だ。その場で石化させられる。逃げても捕獲される。


エルの確認が終わって寝室から出ようとすると、起きてしまったマロがついて来ようとするのを制して扉を閉めた。

寝ぼけ眼を擦りながら、水を求めて一階まで下りる。


すると、一室から明かりが漏れていた。あの使用人の控室だ。


ミッキー起きてるのか?

どうせならミッキーが起きてるかどうかの確認もエルに頼めばよかった。後悔しても今更遅い。

水が置いてあるのは、使用人の控室の奥にある厨房だ。

そこまで行ければいいけど、ミッキーが起きているとなれば帰ってくる時に鉢合わせする可能性が高い。


どうしたものか悩んでいると、部屋の中から話し声が聞こえてきた。もうひとりの聞きなれない別な男の声に、俺は眉を顰める。

珍しい。この館は入館が許可制で、夜はミッキー以外の人がいることがない。

今まで密かに部屋を抜け出していたことでこれは知っているんだけど、どうしたんだ今日は。

同時に、ミッキーが夜更けに招いている奴って誰だと興味が生まれると、足音を立てないよう扉に耳を寄せた。



「ここをどこだと思っている。酒など持ち込むな」


「まぁまぁ、今は誰もいないんだから。それに俺がせっかく来てやったんだ。同僚なんだから、少しは俺に愚痴れよ。不満、溜まってるだろ?」


「私達以外、上の階で王子が寝ていらっしゃる。それにお前に愚痴を言ったとて、解決するとは思えん」


「そーいうことじゃないっての」



ミッキーの答えに、相手が溜息をつく。

相手は男らしい。それも同僚。

同僚という言葉でフィランダーさんかと思ったが、庭で聞いた声とは違う。

わずかに硝子(ガラス)がぶつかる音がして、酒がグラスに注がれる音が続いた。



「子守りなんかやめて正当な任務に戻してもらえよ。白騎士隊長、“蒼穹のレアード”の名が泣くぜ?」


「そんな昔の渾名まで出すな。だいたい、レアード家には銀髪に近い髪色の者しかいなかったから、青い髪の私が養子になった皮肉から呼ばれ始めたものだ。あまり好きではない」


「けど今じゃ、その渾名を聞けば子供までが誰を指すかわかるほどの知名度じゃねぇか」



ふむふむ。ミッキーは養子なのか。

そして、彼の渾名である“蒼穹の”って髪色からきていて、子供もミッキーのことだとわかるほど知名度が高い、と。なんか……凄い人が従者してる気がしてきたんだけど、俺の気のせいか?


扉の側にいる俺に気づかない様子で、中の二人は話を続けた。



「昇進、目指してるんだろ。こんなところで子守りしてる場合かよ」


「してる場合なんだ。これが、その関門だからな」



こくり、と酒を飲む音が、静かな部屋に響く。



「面倒じゃないか?」


「……まぁな」



相手の問いに、自嘲したように鼻で笑うミッキー。

そんなミッキーに呆れたのか、しかたないと諦めたのか、相手が小さく溜息をついた。



「よりにもよって、第一王子かよ。将来性のない王子の相手をすること自体、俺はゴメンだ」



……え?

将来性がない、そうハッキリと言った相手の言葉に、俺は頭が真っ白になりかけた。ドクドクと、鼓動が嫌な早さで打ち始める。

知らない間に俺自身、胸元の服を握りしめていた。頷いたのか、それとも同意してないのか、答えないミッキーの沈黙が怖い。



「……まぁ、(エネルギー)の問題をのぞけば、ただの手間と世話がかかる子供だ。私に触られるのがお気に召さないらしい」


「へぇ~、ご婦人に大人気で、新兵達にも羨望の眼差しを向けられるお前を嫌がるって、どんだけ変わり者なんだろうな」


「箱の中で飼われているのだから、私の評価を知らなくて当たり前だ」


「はは、それもそうだっ」



部屋の中から聞こえた笑い声に喉の渇きなんかどうでもよくなって、俺は寝室へ帰るため静かに(きびす)を返した。


……だから言っただろ。

俺は自分でできるって。世話しなくていいって。


なに、人を手間と世話がかかるお子様呼ばわりしてんだよ。箱の中で飼われてるってなんだよ。

昇進したいなら、出世とは別方向になる俺のところから外してもらえばいいだろ。

俺が遠慮しても「私の仕事です」と言い張ってたのはミッキーの方だ。

同僚と軽く俺のことを(そし)る、俺が知らないあいつの顔。

なんだあれ、ムカつく。


つまりは、俺の周囲には“俺アンチ”しかいなかったわけだ。気を遣ってた俺が馬鹿みてぇ。いや、馬鹿なんだな。

使えない王族の子供は、表面だけ優しくされて育つのか。嫌な世界だ。今更それを自覚した。


けど、俺って気が弱いのか、今までの態度をコロッと変えられない。


翌朝、同じ態度で同じ言葉を交わして、同じように部屋からミッキーを退室させた。

相手の思っていることを知ってしまったことで、今まで以上に気を遣う自分に嫌気がする。けど、感情をぶちまけるのは本当に子供のすることだし、感情を抑えて接するのは大人として必要最低限のマナーだろ。

それに、嫌だと言って仕事を投げないのは、ミッキーが真面目だからだと思っているし、適当な仕事はしていないように思える。接していた俺の希望も入ってるのかもしれないけど。


(くすぶ)る感情を抑え込みながら悶々と過ごす日々は、次第に焦燥感も煽ってくる。


エルに相談したり愚痴を言えばいいんだろうけど、喉のところまで出かかって口を(つぐ)んでしまう。

喉に(つか)えたものを飲み込むと、まるでサボテンが食道を下りていくように痛みが走る。


どうしていいかわからない。



あの日から段々と勉強も体力作りも身が入らなくなってきた。

水も飲まず帰ってきた俺の様子は、何かあったとわかるほどだったと思うけど、エルは何も聞かないでいてくれる。

もし聞かれたら子供みたいに喚いて、余計な悪口まで溢れだしそうだ。


下降の一途を辿る俺の気持ち。

エルだけでなく、マロも静かに側にいてくれるのが救いに思えてきた。

代わり映えしない食事も、俺の落ち込みに拍車をかける。

今日の食事も麦粥だろう。

そう思っていたのに、今日は違った。


あれ?


ミッキーの後ろには、新しく就いたのかいつも下にいた人なのかわからないが、見覚えのない給仕役の使用人のお姉さんがいた。

給仕役のお姉さんから受け取ったミッキーが俺の前に持ってきたのは、いつもと違うメニューだった。

いつもは必ず麦粥なのに今日に限ってトレーに乗せて出されたのは、美味しそうなクルトンとパセリが浮いている濃い黄色のスープ。白いパンもついてる。


なになに。お祝いか何かあったの?

もしかして俺の誕生日とかー?


意識が目覚めてから、初めて口にする麦粥以外のごっはーん♪

俺のテンション急上昇だ!

現金でも何とでも言え。きっと今の俺は誰から見ても、スープとパンに釘づけの目がキラキラ輝いていると思う。

スープに目が行っていたせいか、いつもの位置に来たミッキーは最初にスプーンを持たせてくれた。

普段とはあまりにも違う食事に、「食べていいのか?」とミッキーを見てしまう。なんか苦笑している。俺も現金かもしれないけど、お前も意外に露骨だな。


ふふふ、遠慮はいらん!皿まで舐めつくすぞ!

今までの暗い気持ちを払拭(ふっしょく)するように躊躇いもなく掬って口に含んだスープは、濃厚なコーンの甘味がしてうまかった。

俺の記憶の中じゃコンビニやスーパーで買ってこれるレベルの味だけど、こっちじゃ香辛料も砂糖も塩も貴重品だ(とエルが言ってた)から、この甘味も俺が王族じゃなきゃ口にできなかったもの。

今だけ立場と階級に感謝だ。


しかし、食べ続けていて体に不調を感じた。


何かおかしい。

食べ慣れてないせいか、甘味が気持ち悪くなってきた。

いや、違う――なぜか胃が痙攣していて痛い。呼吸困難みたく息がしにくくなって……。


ガチャンッ!



『ユリシーズ!?』


「殿下っ!?」



取り落としたスプーンが食器の端に当たって音を立てた。


……あ、まずい。ミッキーにまた注意されちまう。


スプーンを拾おうと落としたはずの方へ視線を向けるが、視界が水の中に放り込まれた時のようにぼやけて見えない。

眠気以外の何かが、俺の頭の思考を奪っていく。



苦しい。けど、なんで……?

エル、何が起きてるんだ?

これがエネルギーによる体調不良ってやつなのか?



俺の疑問は鳴りそこないの笛みたく喉から掠れた音を出しただけで、エルとミッキーの呼ぶ声が意識の途切れる前に聞こえた。

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