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願い菓子~cafe and bar , gift~

気まぐれホットミルク ~おまけのもう一杯~

作者: 高城 結衣

前作「シンデレラ・ブラウニー」の後日譚とでもいいましょうか?

今回は頼子が完全主役。『gift』の面々は出てきません。シンデレラの好奇心は今度は喫茶店ではなく、古書店へと向いたようです。

※「シンデレラ・ブラウニー」と併せて読んでいただけると、よりお楽しみいただけるかと思います。

 その古本屋さんは、私の両親が営む雑貨屋兼自宅から目と鼻の先、ほんの数十メートル先にある。

 お世辞にも綺麗とはいえない、昔ながらの古い木造の小さな建物。この商店街の中でも、かなり古い部類なのだと以前祖父に聞いたことがある。見るからに建てつけの悪そうなガラス張りの引き戸、その上には屋号が筆書きされた木製の看板が掲げられている。

 『井吹古書店』

 井吹さんが営む古本屋だから、井吹古書店。まあ、この商店街に昔からある店にはありがちな、わかりやすい店名である。

 その『井吹古書店』に、私は今日初めて足を踏み入れる。ご近所なのに初めてというのは少々不思議な話ではあるのだけれど、普段本というものに縁遠い私としては仕方のない話なのだ。実際、私が本に関わるのなんて、本当に短い時間。学校の授業で教科書に触れるくらいのものである。

 そんな私が何故に書店、それも古書店という使い慣れない店に赴くことになったのか。それはほんの数日前にさかのぼる。まあ、ここでその話を延々とするのも構わないけれど、それは割愛するとして――。


「こんにちはー」


 営業しているのかいないのか判断しかねた私は、引き戸を少しだけ開けて中を覗いてみる。

 すぐに目に飛び込んできたのは、本の山だった。書店なのだから、当り前なのかもしれないが、しかしその置き方は少々雑多すぎやしないだろうか。ジャンルもなにも関係なしに(うずたか)く積まれていて、その山の他にはいくつも並んだ背の高い本棚の存在が認められるほかに店内の様子を窺い見ることは難しかった。

 けれど、


「いらっしゃい」


 という微かな声が奥の方から聞こえて、ほっと胸をなでおろした。営業はしているようである。

 私はガタガタと少し開けてはつっかえる引き戸を、何とか人一人分こじ開け店内に入った。戸を閉めると、外からの賑やかな喧騒からは一気に遮断された静かな空間が広がる。古書独特の酸化した紙の甘いにおいが鼻をくすぐる。

 先程の本の山の脇をすり抜けて奥に進むと、中は意外にも広く、私は思わず目を(みは)った。とはいえ、その広さも殆ど本棚に占領されているため、「店」という空間としては少々狭いものがある。

 目的の前に、まずは初めての古書店というものを物色する私。こういう所、好奇心というか何というか、そういったものが先に働いてしまうから少々やっかいだ。ひどい時には夢中になって、真の目的を忘れ去ってしまうことがあるのでよく身内に注意を受ける。しかし、この場にそうしてくれる人はいないので。

 難しそうな専門書から推理小説、子供向け文庫等、さまざまな本が並ぶ本棚を順々に見て回る。くねくねと道なりに沿って行くと、やがて少し開けた空間に出た。


「いらっしゃい。何かお探しですか?」


 そこに行きついた途端に声を掛けられ、私は思わずびくりと肩を震わせた。

 ひょろりとしたやせ形の男性が一人そこにいた。無造作に伸ばされたふわふわの猫っ毛。眠たそうな目。20代後半、といったところだろうか。私より少なくとも10は年上に見える。その一見だらしのない(たたず)まいから判断しにくいので、もう少し若いのかもしれない。

 椅子に浅く腰かけて足を組むその人は、片手に分厚い本、もう片方にはコーヒーを持ってこちらを見ていた。とてもそうは見えないが、彼はこの店の店員なのだろう。彼の座るその席はレジの併設されたカウンターの真横だから、いくら私でもそれくらいは察することができた。それにしても、ここにも入口同様本が積み重ねられている。片づけないのだろうか? と、そんな疑問は置いておく。


「ああ、はい。ちょっと調べたいことがあって。図書館にはなかったから、ここに良い本はないかと。でも、私こういうお店初めてだから、良く分からなくて。それに沢山本があるから目移りしちゃう」

「ふうん」


 私が苦笑いを浮かべながら言うと、彼は興味なさそうにそれだけ言って手元の本に目を落としてしまった。


(ええ!? 初めてだって言ってるお客さんにその態度? 手伝ってはくれないの? いや、せめて何の本を探してるかとか、聞くくらいしても良いんじゃないの)


 これが古書店というものなのだろうか――いや、絶対に違う!

 しかし、私は目の前の男性に何も言うことなく、目当ての本を探すことにした。


 そして、探すこと数10分。


(見つからない……。っていうかどの本を手に取ればいいかすらわからないじゃない)


 それでも私の曲がった性格は、人に相談するという行為をさせようとはしなかった。


 さらに探して小一時間。……見つからない。見つかるわけがない。

 私は仕方がなく、本棚から振り返って、後ろで依然本を読む店員に助けを求めた。――――目で!

 口に出して相談するのは私にとって最後の手段だ。まあ、そのせいで最近も喫茶店『gift』で他人の手を煩わせてしまった気もするけれど。そんなこと気にしない。

 しかし。


「…………」


 私の決死の訴えかけに対する男性店員の反応はといえば、それはそっけないものだった。私の視線に気が付き、ちらりと本から目を上げたかと思うと、あくびを一つしてコーヒーを一口口にした。――これ見よがしに!

 ――嫌いだ! 私、この人嫌いだ!!

 

「あの……」


 意地でも一人で探し出したいところだけれど、そうもいかない。この後の予定だってあるのだから。

 結局、私は最終手段へと移行し、彼に相談することにした。


「探してほしい……というか、調べたい言葉があるんですけど……手伝ってもらえませんか?」


 彼は再び顔を上げる。すると今度は訝しげな顔で首を傾げ、


「あの。ここ古本屋なんだけど」


 と、一言。何をもっともなことを。あなたはこの古書店で働く店員だろうに。


「分かってますよ? 古本屋さんです」


 私の答えに、更に彼は首の角度を深くした。


「なら、調べたいって何かおかしくないか? 欲しい本を探してるなら分かるんだけど。どうもその言い方だと、君に本をお買い上げいただく意思がないように俺には思えるんだけど?」

「あ……」


 盲点だった。いや、初めから分かっていたことなので、盲点という言い方はおかしいのだけれど。

 しかし、私はたった今その事実に気が付いた、という風な表情を精一杯作った。 


「まあ、いいよ。無理に買えなんて言わないし。気が向いたから手伝ってあげるよ、調べ物」


 彼はふっとやる気のない笑みを浮かべて、ぱたんと小気味いい音を立て本を閉じた。そうして、(きし)む椅子から立ち上がる。


「その前に、ちょっと休憩。コーヒー淹れてくる。あ、君も何かいる? コーヒーかあったかいミルクくらいだったら、出してあげる」

「じゃあ、ホットミルク」


 思わず即答してしまった。


「ふふん。ずうずうしいお客様だ」


 彼は店の奥に下がりながら、皮肉げに私の方を見てそう言った。

 ――嫌いだ! やっぱり嫌いだ!!





 彼の名前は井吹(いぶき)三純(みすみ)さんというそうだ。年齢は27歳。私の見たてはほぼ正しかったことになる。

 そして意外にも、井吹さんはこの『井吹古書店』の店員ではなく、店主だった。店主というには少し若い気もするけれど、その辺の事情はそれぞれあるものだから聞かないでおいた。

 井吹さんはカップを二つ手にして奥から戻ってくると、私にパイプ椅子を一脚出してくれた。私は場所を探して、再び本に目を落としてしまった井吹さんの向かいに落ち着いた。

 それにしても、何故こんなことになったのか。私は古本屋に来たつもりなのだけれど……。

 そう思いつつも、もらったカップに口をつける。彼の作ったホットミルクは、甘味のない本当にただあっためただけの牛乳だった。その上温度調節などお構いなし、調理方法は牛乳を鍋に入れて火にかけただけと来たものだから、表面には分厚い膜が張っている。やっぱり柏木さんが淹れたミルクが良い、などと比較にもならないことを思ってしまう。けれど、文句など言えるわけもなく、私は味気ないホットミルクを頂いた。


「それで?」

「はい?」


 それはとても唐突な問いかけだった。急すぎて聞き逃すところだった。

 だって、井吹さん。本を読んだまま身動き一つせずに、突然話し出すのだもの。このままゆっくり沈黙が続くのかと思っていたものだから、変な声を発してしまった。


「はい?じゃなくて。何を調べたいの? 手短に頼むよ。こう見えても忙しいんだから」

「はあ……」


 どう見えて忙しいというのだろう、この人は。


「言葉の意味を知りたいんです」

「意味? 何の?」


 井吹さんが一瞬だけこちらに目を向けた。


「ええと、アテスウェイっていう単語なんです」

「何それ、何の名前? というか何語?」

「……それを知りたいんです」

「……あ、そうか」


 小さく呟いて井吹さんは再び目を落とす。

 なんだろう。今一瞬、井吹さんの目が好奇心で溢れたように感じた。そんなに気になったのだろうか。

 もしかして、この人は私と同類なのかもしれない。新しいもの、知らないことにはとことん敏感で、調べずにはいられなくなる。そんな感じ――。


「…………」

「……? あの、井吹さん?」

「ああ、ごめん。今ちょっと良い所だから」


 良い所、とは本の内容が良い所、という意味のようだ。

 むう……先程の言葉を今すぐにでも否定したい。いや、否定します。


「辞書では、調べたの?」

「はい。図書館のを使って、一通り。でも、何語かわからないから、どうにもうまくいかなくて」

「だからここに? なんで? 何度も言うけどここは古本屋」


 ごもっともで。でも、ここで折れるのはなんだか嫌だった。


「だって、古い本がたくさんあるから。何か見つかるんじゃないかと思って」

「ふむ。……古い本はあるにはあるけど。検索ツールとしては、役に立つかはわからんな」

「はあ」

「まあ、いいや。そろそろ始めようか。この本の中から見つけられるものならね」


 井吹さんはそう言って立ち上がると、本の森へと足を向けた。





「ありませんね。井吹さん、そっちはどうですか?」

「ない」

「そうですか……」


 立ち上がってからどれくらいたっただろうか。少なくとも1時間近くはもう経過している。

 これだけ探してないのだから、もう諦めてしまおうか。私の胸の中にはそんな思いが湧き上がり、次第に大きくなっていく。

 こうなったらもう、御堂さんに直接聞いてしまおうか。少し悔しいけれど。


「井吹さん。もういいです。これだけ探してないんだから諦めます」

「そうか? む……でも、もう少しだけ」

「そう、ですか。じゃあ、もう少し」


 まったく不思議な人である。先程までやる気のない素振りで私を皮肉っていたくせに、今や井吹さんは私よりも捜索に夢中になっている。

 井吹さんにもう少しだけ付き合うことにした私は、本棚の横、例の入り口にあった本の山に手を伸ばした。上の方は手が届かないので、間の本をそうっと引きぬくことを試みる。少々揺れたが、何とか取り出すことに成功。――したかに見えた。


「え……?」


 一度収まったかのように見えた本の山が再び横に触れる。揺れ出したのと同時に、


「わ、まずいっ!!」


 という、井吹さんの声が店内に響いた。声の出所は山の反対側。つまり――。

 崩れ落ちる本の山。ドドドッという轟音。そして、舞い上がる埃。

 咄嗟に横によけて難を逃れたが、山になっていた本は床一面に散らばってしまった。しかも、店の入り口をしっかりとふさいでしまっている。そして、私の予想が正しければ、本の山があった所を挟んだその向かい側には――。


「最悪だ……」


 井吹さんが雪崩に巻き込まれて尻もちをついていた。

 要するに彼は私の本の山をはさんだ反対側で、作業をしていたのだ。


「大丈夫ですか?」

「ああ。何とか。……って大丈夫じゃないか。これ、片づけないと」


 井吹さんは崩れ落ちた本たちを見て嘆息する。無理もない。仕事が一つ増えてしまったのだから。

 けれど、そこで――。


「あ……」

「ん? どうかしました?」

「この本……」


 手元に落ちていた本を一冊手にして、井吹さんは口元に笑みを浮かべた。





「じゃ、そろそろ帰りますね。お世話になりました」

「ああ。お疲れさん」


 結局私の予定は乱れに乱れ、窓の外はオレンジ色に染まりつつある。

 あの後、崩れてしまった本を二人で元に戻し、相当な時間を浪費してしまった。まあいいか。目的は達成できたのだから。


「また来ても良いですか?」

「いいが、今度はちゃんとした客として本を買ってくれるのなら」


 好きじゃないなあ。その言い方。――まあ、嫌いではないけどね。


「ああ、私。本はめったに読まないからなあ。それは難しいかも。代わりに今日のお礼も兼ねて、おいしいお茶菓子でも持ってきますよ」


 柏木さんにお土産用で作ってもらおう。きっと柏木さんのお菓子なら、井吹さんも涙を流して感動するに違いない。……言い過ぎか。


「ふむ。……まあ、それなら」

「じゃあ、さようなら」

「さよなら」


 胸の前で軽く手を振って、私は立てつけの悪い引き戸を両手でもってこじ開けた。



 それにしても、御堂さん。アテスウェイって素敵な言葉ね。

 どうしてあのブラウニーをアテスウェイって呼んだのか、私分かっちゃった。


 アテスウェイ――――願い事が叶いますように。

と、「アテスウェイ」の意味を求めて、日中のほとんどの時間を費やしてしまった頼子でした。それと引き換えに素敵な出会いもあったようなので、本人はそんなに後悔がないそうです。

インターネットで検索すればすぐに出てくるんですけどね。便利な時代です。

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