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エノレア

 着替えを終えて、侍女が声をかける。

「エノレア様、しかしよくご無事でございました」


 どうやら今の私の名前はエノレアと言うらしい。しかし、この人今ご無事とか言ったな。やはり昨日何かあったのだろう。しかもそんな大事では無い何かが。

 だって、大事だったら目覚めた主人にもっと何かしらのリアクションが出てくるはずだからだ。

 侍女は私が脱ぎ終わったパジャマを黙々と畳んでいる。

 パジャマになってた事を考えても寝る前に何かしらあったと考えるべきで、ということは恐い夢でも見たのだろうか。まあ普段、というか今はもう前世と言うことで、前世の私なら恐い夢を見ても大丈夫だとしてもこんな幼い子が恐い夢を見たらそりゃあショックの一つや二つ出るに決まっている。

 まさかそんなことで前世の記憶が復活するなんて誰も思わない。

 というか、なんなら今世の記憶が消えているのだけれど。どんな恐い夢を見たんだ私は。

 冷静なまま少なからず事情を知っているであろう、侍女に問いかける。


「ご無事ってどういう事?」

「おや、昨日の記憶が無いのですか?これは大変」

「あの……、聞いて驚いてね。昨日どころか全部の記憶がさっぱりなのですけれど」

「そうですか。それはなんてことでしょう。昨日の記憶どころか全部の記憶までとは。なんですって?!」


 パジャマを畳終えた瞬間だった。冷静な侍女の表情が崩れ、驚愕と動揺が彼女を襲ったらしい、こちらにそれはもうとても見事で綺麗な二度見をしてきた。二度目の振り向きと同時に侍女が私の肩を強く揺らして声をかけ始める。



「え、全部ってどこまでですか?」

「いや、全部は全部。記憶喪失ってやつで…」

「てことは自分が誰かもわかっていないじゃないですか」

「あの、あの肩を揺らすの辞めて」

「私の名前も家の事も忘れてしまったのですか?!」

「そう、そうだから一旦肩を揺らすの辞めてお願いだからぁ」


 侍女はやっと肩を揺らすのを止めてベッドに座る私の横に座ると私と同じ目線で話を再開させた。


「エノレア様」

「ごめんね、そのエノレアってのもあんまり実感無いの。きっと私の名前なのよね」

「そうです。貴女様の名前はエノレア、エノレア・フローレン。このフローレン家のご令嬢でございます。そして、わたくしの名前はセリアでございます」

「あ、セリアさん」

「はい、セリアです。セリアと言います。姓はハシダです」

「ハシダさん」

「セリアとお呼び下さい」

「セリアさん」

「お嬢様、本当に記憶が無いのですね」


 セリアさんに色々な情報を教えて貰った。

 まず、今の私はエノレアと言い、この上流階級に位するフローレン家のご令嬢らしい。エノレアは来年王立学園の小等部に入学する六歳の子供であり、今現在この館にはエノレア以外にはセリアさんを含めて二十人程の従者しかいないらしい。

 エノレアの父は魔法学研究の第一人者で現在は数人の従者を引き連れ首都の学会に参加しているらしく、エノレアの母は六ヶ月程前から館を離れ、また別の従者を連れて湖畔のある別荘にへと療養へ向かったらしい。

 つまり、エノレアは現在親元を離れているものの、両親に嫌われているという訳では無いのだろう。それはとても良いことだ。親と関係が悪い訳では無いのならばこの館で暫くは安心して暮らすことが出来るのだから。

 そして、これは驚くことにエノレアには既に一人の許嫁がいるのだと言う。

 その許嫁はエノレアと同い年らしく、フローレン家と同じ上流階級の人間らしい。

まあこういう世界観だしいてもおかしくはないのだろう、たった五、六歳の少女に許嫁がいることは別にこういう社会だとおかしいことではないのだろう。

 まあ、認識出来たのは良いことだ。私はついに記憶が無くなった理由を恐る恐る聞くことにした。もうきっと恥ずかしいことなのだろう。


「しかし、あれですね。全部の記憶が無くなるって凄いですね。本当に覚えていなくてですね。いったいどうしてなんでしょうか?」

「ああ、それはきっと、昨晩図書室から持ってきた禁書の(まじな)」いに充てられてしまったからでは無いかと」


 今なんと?

 さらっと語られた真実に唖然とした。フローレン家は確かに魔術系統に強い家系なのだろう。そりゃあ図書室にそういう魔術書とかあってもおかしくない。その上、エノレアもその家の出なのだからきっと、そういう魔術に明るかったのだろう。しかし、その結果が当世の記憶をいっさいがっさい消して代わりに前世のなんでもない一般少女の記憶を蘇らせたとあっては代償が大きすぎるのでは無いか?絶対に失敗してしまっているではないか。エノレアが可哀想すぎるだろう。

 というか、そりゃご無事でなんて軽い言葉が出る訳だ。

 だって失敗するなんて予測していなかったのだろうからそりゃ仕方がないのである。いや、失敗してるかもしれないのだから流石に無用心すぎるだろう。というか、そんな危ない本を子供一人で夜分に読ませるんじゃない!

 どうなってるんだ、危機管理は。現に大変な事になっているではないか。


「え、私の記憶戻るんですか?戻るんですよね?!どうするんですか?!」

「わたくしに言われましても力には……。それに、本があるのなら旦那様が帰り次第なんとかなるかもしれませんが、本はどこに」



 慌てて部屋を見渡す。しかし、本らしきものどころかページ一つ見当たらない。ベッドの上にも、ベッドの下にも眼を張るがそれらしきものは何も見付からなかった。


「つまり、これって……」


 私の記憶はどうやら戻らないかもしれない事が今ここに恐ろしい事実として現れ始めた瞬間だった。

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