第3話 No one knows/02
【改訂版】(コード・フレームワーク) ブレード ― データの少女は仮想世界で夢を見るか?』
無印からの続き、第1章 point of no return - 白刃鼓動すべし が開幕です。
お楽しみください。
「まずは、足を入れる」
首元から腹部にかけて走る、頑丈そうなジッパーを下ろす。
上半身を裏返すようにして、アジエは下着姿になったチセへ革ツナギを差し出した。
肉厚な革の質感も相まって、裏返しのスーツは、どこか剥ぎ取られた皮膚のようにも見える。
少しばかり、グロテスクだ。
チセはそれを手に取り、しばらく眉を寄せたまま固まっていたが、じっと見据えてくるアジエの圧に抗えず、意を決して右足を突っ込んだ。
足首に、ひやりとした革の感触が伝わる。
その冷たさが、ぞわりと背中の方まで駆け上がった。
続けて左足も入れ、腰の部分を掴んで引き上げる。
ふくらはぎから腿にかけて、ぎゅうぎゅうと締め付けられた。
(……確かに、キツい)
腰まで引き上げたものの、ジッパーを下ろされた上半身は、背中側でだらりと垂れ下がっている。
(これを、どうしろと……)
肩越しにそれを見つめ、初めてのタイプの服に戸惑っていると、背後に回ったアジエが、襟首をひょいと掴み上げた。
「ほれ。どっちでもいいから、腕を袖に突っ込む」
左肩を押さえられ、右腕を通す。
だが、手首の辺りで引っかかり、外に出ない。
「あー、ごめんごめん。ここ、開かないとね」
手首にも小さなジッパーがあり、アジエが前腕に沿って下ろすと、スポッと手が抜けた。
ジッパーを戻すと、再びきっちりと固定される。
左腕も同じように通し終えると、アジエはチセを正面に向かせ、へその辺りまで下がっていたフロントジッパーを、首元まで一気に引き上げた。
強く引かれた勢いで、チセは一瞬、爪先立ちになる。
背中や腹部に触れる革は冷たい。
だが、胸元と肩口に、妙な違和感があった。
「……アジエさ。これ、なんか緩くない?」
胸と肩の辺りが、明らかに余っている。
ピッチピチだと言われていたが、どう見てもアジエのサイズだ。
「それな。首のところ、指でなぞってみな」
言われるまま襟元を探ると、ボタンのような突起に触れた。
「これ……?」
「あー、それそれ。押してみ」
人差し指で押し込む。
プシュー、と空気が抜けるような音がして、余っていた部分が一気に体に吸い付いた。
「むぎゅ……っ、いたたた……!」
腰、二の腕、胸、首。
一斉に圧迫され、自然と胸が開き、背中が引っ張られるように反り返る。
まるで、全身を強くラップで巻かれたみたいだ。
最後に、もう一度プシューという音がして、圧がわずかに緩む。
「ちょっと…… 何よ、これ……」
「全身で血圧測られてるみてぇだろ。 まあ、最初だけだ」
楽しそうに言うアジエを、チセは睨んだ。
「ほれ。 具合はどうだ?」
「……なんか、めっちゃ張り付いてる」
胸や腹部もそうだが、特に股の辺りが落ち着かない。
こんなに密着する服は初めてで、思わず足がそわそわと動く。
「なんで、こんなの着なきゃいけないの?」
「CFの中で、唯一身を守ってくれるのがウェアなんだぞ」
腕を組んで、アジエが顔を近づける。
その迫力に、チセはわずかに身を引いた。
「シートに跨るくせに、体すら固定しねぇんだ。 投げ出されりゃ、終わりだろ」
いつになく真面目な口調だ。
「このウェアはな、衝撃も吸収するし、破片が飛んできても弾いてくれる」
肩を指で軽く突かれる。
感触は鈍いが、確かにある。
見た目だけでは想像しにくいが、この革ツナギが持つデータ密度は、はっきりと感じ取れた。
悠やライノ、ケイトが着ているジャケットやプロテクターも高度な構造だ。
だが、このワンピースのライディングスーツは、それらよりもさらに洗練されている。
「ベリックの高級品だ。 V5のアーミーでも使われてる、古き良き名作ってやつさ」
「……ブランド、好きだよね」
「放っとけ。 高いもんは、それなりに理由があるの」
その考え方は、チセも嫌いじゃない。
安物は、好きじゃない。
試すように腕を伸ばす。
革の抵抗を感じながら、指先を見つめて―― ふと、思った。
悠も、こんな感触の中で戦っているんだろうか、と。
◼︎ ◼︎
ビーマーで到着早々、ウーはそのまま地下へと潜らされた。
ジャングルの地表に穿たれた巨大な陥没口。
偶発的な崩落だと聞いてはいたが、冗談じゃない。
黒々と口を開けたその穴は、ちょっとした地盤沈下などという生易しい代物ではなかった。
どんな構造物が崩れれば、ここまでの規模になる。
陥没口の上空には、フェデレーションのライナーが何十隻も滞空している。
その全てをまとめて落としたところで、まだ余裕がありそうな深さだ。
――馬鹿げている。
さらに呆れたのは、その穴の底だった。
地下深く、ライナーごと降下した先には、すでに拠点が出来上がっていた。
簡易施設などではない。
居住区画、補給ライン、そして中央にはライナー管制用のタワーまで備えている。
「……ちょっとした、自由集落じゃねぇか」
吐き捨てるように呟き、ウーは視線を巡らせた。
即席とは到底言えない完成度。
最初から長居するつもりで作られている。
こういう光景を見るたびに思い知らされる。
フェデレーションという連中の、異常な組織力というやつだ――。
企業の正式な後ろ盾もなしに、ここまでやってのける。
普通なら、あり得ない。
ウー自身もメサイアと契約した私掠ギルドだ。
だが、あくまで準委任。
成果を出せば報酬が支払われる――。
それだけの関係に過ぎない。
守られているわけでも、肩入れされているわけでもない。
結局はただ、使われているだけだ。
それに対して、フェデレーションは違う。
IT業界の盟主メサイア。
欧州の支配者ノイエ・グラーフ。
華僑経済圏を束ねる霊峰公司。
特許のガラパゴスと呼ばれる、日本の技術産業を束ねる八咫の門ホールディングス。
そして、新興新進―― 現実時間わずか6年でこれらに比肩する成長を遂げた、PROMETHEX。
インター・ヴァーチュアを支配するV5と、まとめて請負契約を結び、その全責任を一手に引き受ける。
そして傘下のギルドを、二次請、三次請として自在に操る。
そんな真似が許されているのは、ギルド業界でもフェデレーションだけだ。
(……そりゃ、デカくなるわけだ)
ウーは小さく鼻で笑った。
同時に、胸の奥で静かに燻る苛立ちを感じる。
それでもフェデレーションという傘の下に入ることを良しとしないのは、自らの実力と裁量で決められるからだ。
仕事は受ける。
だが、それも自分で選ぶ。
実際、フェデレーションの仕事を受けた先で、古参を叩き潰したことは一度や二度じゃない。
請元風を吹かせ、舐めた態度を取った――。
それだけの理由だ。
責任者を気取る無能には制裁は加える。
だが仕事はきっちり完遂し、成果として納品する。
無能な管理者を排除した上での任務完了。
事後報告の既成事実――。
切った、貼ったはギルドの常だ。
弱い奴が悪い。
いくら、フェデレーションとはいえ……。
ビック・マクマホン率いる連中だからこそ、この原則に則った罪の男の振る舞いに、歯軋りしつつも文句は言えない。
そもそも、ウー・シェイフー自身が――
それを楽しんでいる。
副官のビリーにとっては、頭痛の種だろうが。
そしてこのダンジョン。
3年もの間、フェデレーションが金と戦力を垂れ流し続けている場所だ。
自分は、その中に放り込まれた都合のいい駒の一つ。
そういう役回りだ。
(さてさて……)
本命が来るまでの間くらいは、退屈しのぎになる。
罪の男は、この場を仕切っているというビックの息子の顔を思い浮かべ、ほんの少しだけ口の端を歪めた。
◼︎ ◼︎
ジクサーがネクサス・リンクのゲートから、その特徴的な船首を覗かせた。
闇に星の光が吸い込まれるような渦から、逆流するように船体が滑り出してくる。
ジクサーだけでなく、巨大なトンネルの出口からはひっきりなしにデジタル空間船やCF、空飛ぶ自動車のような小型ライナー、さらに下部の専用軌道からはネクサス特急の車両がターミナルへと吸い込まれていった。
ネクサス・リンクを抜けた瞬間、ブリッジに差し込む夕方のオレンジ色の調光に、柳橋は思わず目を細める。
「ピロッポーッ」という、どこか間抜けな音とともに空間ディスプレイが立ち上がり、通行料として所定の金額が引き落とされた。
経費とはいえ、そこそこいい額だ。
財布を預かるアジエの小言が脳裏をよぎり、柳橋は小さく顔をしかめた。
あしらうように、手を振ってディスプレイを払い消す。
それとほぼ同時に、操舵席にドッキングしたまま項垂れていたスミーの頭部が、縦に並んだ二つのカメラの奥に赤い光を灯し、ウィン、という軽い機械音とともに持ち上がった。
「フタン・リンバ・クルアールのゲート離脱を確認。 サスペンドモードを解除しやす」
「おう。 おはようさん」
ブリッジには柳橋とスミーしかいない。
やがて、進路補正の完了を告げる控えめな電子音が鳴る。
キャプテンシートに深く腰を沈めたまま、柳橋は何気なく口を開いた。
「なあスミー。 ここから先の航路と所要時間は?」
赤い光が一瞬、明滅する。
「1時間後に定常航路外、通常マップ空白地帯でのマニュアル航法に移行しやす。 パンドラ・グローブまでは推定7時間です」
「順調か」
「はい。 このまま行けば、予定通りの到着になりやす」
「了解。 引き続き頼むわ。 目視索敵はパンドラ・グローブからだ。 それまでの警戒は任せる」
「お任せくだせぇ」
短いやりとりののち、スミーは航行モードへのシーケンスに入る。
ブリッジには、静かな駆動音と、窓外の亜熱帯に似た光景が残った。
柳橋は腕を組み、前方スクリーンに映る航路をぼんやりと眺める。
「……さて」
そう呟き、キャプテンシートからは動かず、次の段取りに思考を巡らせた。
◼︎ ◼︎
ハンガー上部の点検用通路で、悠、ライノ、ケイトの三人は並んで腰を預けていた。
眼下には、これから向かうパンドラ・グローブに備えて慌ただしく整備が進む艦内ハンガーが広がっている。
「……で、結局、連盟でパンドラ・グローブにいるのはジュニアとキングだって?」
ライノが腕を組んだまま、低く唸るように言った。
「まあ、ジュニアは置いといて、キングは1%erとかいう危ねぇオッサンたちの一人だろ」
ケイトが肩をすくめる。
「罪の男もゴメンだけどさ、そんなのとカチアウのもごめんだわ」
悠は二人の会話を聞きながら、ぼんやりとハンガーを見下ろしていた。
その視界の端で、ふと動く影がある。
革靴の立てる硬い音。
次いで、見慣れた銀髪。
「……あ」
悠が思わず声を漏らした。
ハンガー床面を歩いてきたのは、アジエに引っ張られるようにして現れたチセだった。
ただし、いつもの軽装ではない。
黒を基調にした、体にぴったりと沿う革製のツナギ。
ベリック製――。
一目でわかる、質のいい装備だ。
「ちょ、ちょっとアジエ…… これ動きづらい……」
「文句言わない。 時間ねぇんだから、今のうちに慣れときなさい。 どうせ後でまた、嫌でも着るんだから」
ゴチながら歩くチセを見て、ライノが口笛を吹いた。
「おいおい、マジかよ。ベリックのライディングスーツじゃないか」
「相当いいやつだね。 プロライダー仕様のサイズアジャスター付きのやつじゃね?」
「あれ、下手な機体一式より高ぇぞ」
三人の視線が、自然とチセに集まる。
――いや、正確には。
悠の視線は、最初こそ「ベリックのライディングスーツ」という装備そのものに向いていた。
だが、次第に、別のところへ吸い寄せられていく。
身体のライン。
普段は隠れている腰や脚の輪郭。
歩くたびに、革がわずかに軋む音。
「……」
「あー。 悠ちゃんや――」
「ん?」
「オマエ、どこ見てんだよ」
ライノがニヤつく。
ケイトもすぐに察して、肩を揺らした。
「わかりやすいなぁ。 そのガン見しちゃう癖、どーにかしたら?」
ライノが口の端を歪める。
「ヤダー。 エロガキだー」
ケイトはまた、悪意ましましの笑顔だ。
「うるさい!」
悠が慌てて視線を逸らすと、二人は声を出さずに笑った。
そのやり取りに、チセも気づいたらしい。
一瞬、見上げるようにして通路の三人を見る。
(……相変わらずだな)
内心ではそう思いながらも、悠の視線が一瞬だけ、自分に向けられていたことに気づいた――。
しかも、少し戸惑ったような目をしていたことを、チセはちゃんと感じ取っていた。
ほんのわずか、胸の奥がくすぐったくなる。
(……ま、悪くはないか)
すぐにそっぽを向き、チセはアジエに引っ張られるまま歩き出す。
「ほら、次はブリッジ前。転ぶなよ」
「大丈夫だって――」
その背中を見下ろしながら、ハンガー上部の通路では、三人の会話がまたパンドラ・グローブの話題へと戻っていった。
読んでいただき、ありがとうございました。




