第2話 Cast No Shadow/05
【改訂版】(コード・フレームワーク) ブレード ― データの少女は仮想世界で夢を見るか?』
無印からの続き、第1章 point of no return - 白刃鼓動すべし が開幕です。
お楽しみください。
【Flashback】
わたしは無言のまま、目の前のターミナルに流れる膨大な二進数の情報を追い、γの調整に集中していた。
最初は二つだったターミナルは、いつの間にか六つにまで増えている。
二つのコード・ユニットに加え、環境データ注入機構、各関節、そしてショックダンパー。
それぞれの構造シミュレーションデータの状態を、同時に確認する必要があった。
ここまで、弾薬補給だけの最低限のピットインで済ませるため、リモートによる無茶な調整を続けてきた。
すでに環境調光が始まっている――。
間もなく、陽が落ちる。
悠も、わたしも、もはやγを動かすことだけに全力を傾けていて、言葉を交わす余裕はなかった。
悠はγを全力で動かし、わたしはγを全力で保たせる。
ただ、それだけに集中していた。
これまで悠の戦いに一喜一憂していたライノとケイトも、いつの間にか静かになっていた。
ピットが設置されたメインストリートですら、観客も、他ギルドのクルーも、息を飲んで行く末を見守っているようだった。
もはや、このレースに残っている参加者は、たった二機。
罪の男と呼ばれるライダーのCFは、異常な追走を見せていた。
視界に入る機体を、彼は淡々と、しかし容赦なく破壊していく。
ケイトも、ライノも、罪の男のヘロンと呼ばれる機体に敗れていた。
……あの機体の、ドロドロと低く唸るような音に、わたしは言いようのない恐怖を覚えた。
あの音を、わたしは知っている――。
音が聞こえた瞬間、身体が強張る。
ほんの一瞬だけ、どうしても手が止まってしまう。
勝たせると言ったのに。
それでも、どうしても発生してしまうラグ――。
「大丈夫か?」
悠にそう聞かれた時、わたしは身を固くした。
何事もないふりをしたけれど、露骨に気を遣われているのがわかった。
なぜなら、悠は明らかに罪の男との戦闘を避けていたからだ。
そして、スーパーデュークとフォーティーエイト。
別々のギルドのCFなのに、明らかに連携して、何度も悠を妨害してきた。
アルマナックに入ってまだ間もないが、異なる看板のギルド同士が組んでいるのを見たのは、これが初めてだった。
群れ、というより―― 意思を共有した群体のような印象。
そう感じて、わたしは軽い嫌悪感を覚えた。
その二機は、襲いかかってくる罪の男との戦闘にも割り込んできた。
幸か不幸か、悠はその二機を罪の男に押し付ける形で、無駄な交戦を回避していた。
だが、残りが十機を切ったところで、悠は勝負に出た。
罪の男がピットインした隙を突き、柳橋とアジエが、フェデレーションのCrashと呼ばれる二機に仕掛けた。
その二機の機体性能と、コード・ライダーの技量は高い。
そう感じさせるには、十分だった。
巨体のフォーティーエイトと、機動力の高いスーパーデューク。
その連携も相まって、悠の操作は限界に近づいていく。
悠は互角に戦っていた。
だが、コード・コアの処理負荷だけでなく、γの全身のパーツが確実に傷んでいく。
それでも、悠の判断は正しかった。
罪の男を含めた乱戦よりも、確実に仕留められる可能性の高いフェデレーションの二機を落とす―― ただの確率の問題だ。
限界のγを維持できる、わたしという確率に賭けたのだ。
崩壊寸前のγを必死に保たせるため、わたしはもう、悠に声をかける余裕すらなくなっていた。
そんな時、柳橋がインカムで悠に話しかけた。
シージン・マーチで、リーダーが具体的な指示を出すのを見たのは、この時が初めてだった気がする。
必死だったわたしには、その会話を聞く余裕はなかった。
けれど、通信が切れる直前の、あの一言だけは耳に残った。
「いいか…… コツは手首だ」
確か、そんな言葉だった。
指示の後も、コード・ユニットの処理負荷は高いままだった。
だが、突然、四肢の関節とショックダンパーの負荷が目に見えて下がった。
フォーティーエイトを先に倒した後、γはスーパーデュークと密接する距離で撃ち合っていた。
刃のついた棒状の武器を振るう攻撃を、かわすのではない。
手首で返し、腕で別の方向へと受け流す――。
そんな動きだった。
こちらが息を止めてしまうような激しい接近戦の末、悠はCrashを撃破した。
このレースで大きな歓声が起きた最後の瞬間だったと思う。
その後の数周で、シージン・マーチを走っているのは悠と罪の男だけになった。
悠がわずかに一周、距離を先行しているだけで、戦闘になっていないだけだ。
Crashとの戦いで、γの状態はすでに最悪だった。
トップスピードも落ち、罪の男のヘロンは、ジリジリと距離を詰めてきていた。
それでも、空全体が赤みを帯びたオレンジ色に染まる頃、レースの終焉は近いと感じられた。
最後の巨大な砂地の直線―― 武弾ストレート。
今の状態を維持できれば、確実にγと悠はゴールを切る。
わずかな安堵感が湧き上がった、その瞬間だった。
γが止まった。
わたしは驚いてパラメータを確認する。
致命的一歩手前なのは変わらないが、停止するような状態ではないはずだった。
「ちょっと、何やってるのよ!」
思わず叫んでいた。
γのコクピットが、微かにドロドロというヘロンの駆動音を拾っていた。
血の気が引き、下を向いて、思わず唇を噛む。
「ごめん…… あの音さ、怖いんだろ?」
やっぱり気を遣われていた。
思わず肩が震える。
「実は俺も、あいつが怖いんだ――」
わたしは顔を上げた。
「γを手に入れて、すぐの頃…… 俺、あいつに堕とされたことがあるんだ」
悠の声も、少し震えていた。
「ゴールすればレースには勝てる。 だけど、俺―― このままゴールするのは、何か違う気がするんだ……」
ドロドロという音が、確実に近づいてくる。
故郷の最後に聞いたこの音は、確かに怖い。
けれどこの瞬間は、悠の声の方が、ずっと重く胸に残った。
「勝たせてくれるって言ってくれたのに、ゴメン。 俺、逃げたくないんだ」
音はさらに近づく。
それでも、不思議とわたしの指の震えは止まっていた。
次の瞬間、身体が動いていた。
このままではγは戦闘に耐えられない―― ヘロンとの接触まで、もう一分もない。
嫌な音なんて、気にしていられない。
「何度も言わせないで。勝たせてあげるわよ!」
現時点で修復不可能な部分は軒並み、捨てる。
停止させ、強引な接続と処理の迂回を次々に入れていく。
少しでも長く、悠の操縦に耐えられるように―― 無理矢理、γを保たせる。
「やっちゃいなさい、悠!」
自分でも驚くほど感情的に、わたしはインカムに叫んでいた。
【Present Day】
髪を拭く手をチセは止めた。
やはり、鏡の中の自分は口を尖らせ、ムスッとしている。
やっぱり、雰囲気に呑まれてしまったとしか思えない。
あの状態のγで、あの罪の男のヘロンに勝つなんて、確率的にどの程度だったろう。
どうして「勝たせてあげる」なんて、根拠のないセリフを吐いてしまったのか……。
鏡の中の顔が、みるみる赤くなる。
「むきゃー!」
堪えきれなくなり、チセはベッドの上に倒れ込むと、ゴロゴロと悶えた。
ひとしきり暴れると、ふわふわの枕に顔を押し付ける。
フーッ、フーッと荒い息をつきながら、いろいろな考えが頭の中を渦巻いた。
……なんで、そのままゴールまで走れと言わなかったのだろう。
……なんで、確率として確実なゴールがあったのに、なんで自分もそれを勝利と感じられなかったんだろう。
「このままゴールするのは、何か違う…… なんで、わたしもそう思ったんだろ……」
息を整えると、チセは枕から顔を上げた。
あの後のヘロンとの戦いは、呆気ないものだった。
終わってみれば、五分もかかっていなかったはずだ。
それでも、チセにはとても長く感じた五分間だった。
スーパーデュークの時と同じく、悠はヘロンに足を止めての接近戦を挑んだ。
雨のように降りそそぐ、ヘロンの二本のハンマーの攻撃。
それを交わし、受け流し、撃ち合う。
γはその一撃、一撃に…… 自らの攻撃ですら、確実に消耗していた。
チセは、それを必死で支え続けた。
悠は、がんばった――。
チセには、痛いほどそれが理解できた。
それでも、その時は来た。
ヘロンが、攻撃を変えた。
雨のような直線の殴打ではない。
二本のハンマーが円を描き、回転する。
輝く干渉光が、まるで反作用のベクトルの壁のように、空間を塞いでいた。
一瞬だった。
チセは悟った―― γには、その壁を貫く力も、その攻撃を防ぐ術もない。
γは、その回転の餌食になった。
ブラックアウトしたコンソールの前で、チセは口に手を当て、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
とても、嫌な経験だった。
幸い、罪の男はレースというルールを守り、コード・ユニットに直接の攻撃は加えなかった。
γはバラバラになったが、悠は打撲と脳震盪程度で済んだ。
――でも、もし。
これがレースではなく、実戦だったら。
そう考えると、今でも臍の下あたりが、重く冷たくなる。
だから、γにこだわる悠に、乗り換えろと言い続ける。
あんな無力さを、もう二度と味わいたくないからだ。
もしまた罪の男と戦うことになっても、γでは確実に勝てない。
それに、機体の限界は、もうそこまで来ている。
――早く限界を迎えてほしい。
そんなことを考えてしまう自分を、最低だとも思う。
それでも。
次にあの男と刃を交える前には、悠には少しでも生き残る確率の高いCFに乗ってほしい。
チセは、ベッド脇のニキシー管時計に目を向けた。
人知れず籠っている時間も、そろそろ終わりを迎えようとしている。
戻れば、次の仕事が待っている。
けれど、胸の奥には言葉にできない不安が残っていた。
重苦しい何かが、そこに居座っているような感覚――。
確率と、統計でものを考えるチセには、言語化は難しい。
人間が予感と呼ぶであろうそれを、チセの感覚と感情は持て余していた。
読んでいただき、ありがとうございました。




