第2話 Cast No Shadow/01
【改訂版】(コード・フレームワーク) ブレード ― データの少女は仮想世界で夢を見るか?』
無印からの続き、第1章 point of no return - 白刃鼓動すべし が開幕です。
お楽しみください。
【Present Day】
ジクサーのブリッジではアジエと柳橋が構造物の立体映像を挟んで向かいあっていた。
「ちょっと、バシ。 あんたさ、まさかだけど…… これのこと……」
「あー。 正真正銘、本物のグレート・オズの研究所だと思ってる」
「ハァー。 本気で言ってんの?」
予想していたとはいえ、この情報が根拠というのには流石のアジエも呆れた。
「確かにパンドラ・グローブの地下にこいつがあるっていうの自体は信じなくもないけどさ、オズのラボって何が根拠よ?」
メサイアがパンドラ・グローブを半ば占拠しているのは今に始まった話ではない。
名目はV5の管理地扱いだが、実態としてはV3時代からメサイアの独壇場で他社を寄せ付消させてないのは有名だ。
今更、基地化や要塞化ぐらいされていたっておかしくもないのだ。
もしこれがメサイアの前線基地の類なら、機密を覗いた以上、確実に見た瞬間にお尋ね者になる。
オズのラボ以前の問題だ。
アジエは一歩近づき、いささか、精巧とは言い難いモデルに顔を近づけ、その出来の悪さにさらに興ざめした。
「……そもそも、なんだコリャ。 ヒデェなぁ、どういう複製したらこんなに汚くなんのよ」
「アジエよぉ、バカしたもんじゃねーぞ。 そいつ手に入れるのに竹中のオヤジには随分無理いったんだぜ」
柳橋は下卑た笑いを浮かべる。
アジエは知っている―― 柳橋がこの顔をしているの時はお願いという名の脅迫が行われたいうことを。
竹中に恨まれたら色々とやりづらくなるというのに、この男と来たら……。
「でっ、いったい、何やらかしたわけよ……」
「そのデータは、マディソン・スクエアからパクらせた」
「ハァ? マディソンって……」
アジエの頬が引き攣った。
「そうだよ、フェデレーションの本丸。 マクマホンジジイの旗艦だな」
柳橋の顔はさらにケッケッケッ…… と歪んだ笑いを浮かべた。
最近はあまり見なくなったが、ごく稀に柳橋はこの顔をする。
アジエはよく知っている。
「イケないかい?」
そう嘯いきながら見せる、この悪意に満ちた笑い顔…… それはかつての殲滅明王そのものだ。
――
チセもまた、ネクサス・リンクに入るとジクサーの自室へと戻っていた。
これからしばらくは、部屋から出るわけにもいかない。
これから半日以上、チセはインター・ヴァーチュアからログアウトしている扱いになる。
――あくまで、扱い上は、だ。
DQLであるチセに、ログアウトという行為は存在しない。
意識を切り、現実へ戻るという手段そのものが、彼女には与えられていなかった。
それでも、人間として生活する以上、帳尻は合わせなければならない。
社会は、人が「現実へ戻る時間」を前提として回っている。
現実時間で、週のうち三日。
人間は決められた時間、仮想世界から離れる義務がある。
その時間を一度にまとめて取るか、細かく分けるかは自由――
だが、実体のない存在にも、その形式だけは等しく求められる。
(めんどくさい……)
チセにとっての感想は、それで終わりだった。
人間にとってログアウトとは、体感時間を変えずに場所を移すだけの行為だ。
インター・ヴァーチュアで過ごした時間と、現実で過ごした時間は、主観的にはほとんど差がない。
だがチセは、どこにも行かない。
ただ、ここに留まり続ける。
悠は週に一度、四時間ほどログアウトする。
アジエもほぼ同じ周期だが、六時間と少し長めだ。
筋肉ダルマのことは知らないが、ケイトは三週間に一度、半日ほど姿を消す。
学校という縛りのないチセは、そのサイクルを借りることにした。
それが、人間社会に溶け込むために選んだ、最も無難な嘘だった。
どこかに隠れて、じっとやり過ごす――。
チセは、それが思っていた以上に難しいことを思い知った。
実際、チセにとって、ノイズを一切遮断して何もしないという行為は、ほとんど不可能に近い。
データも、ログも、通信も。
自分に届くものに対して、チセは反射的に反応してしまう。
もはや本能としか言えないその性質のせいで、隠しようもなく残る既読は――、
「オマエ―― ほんとにログアウトしてんのか?」
と、アジエに当たり前のように疑われる結果を招いた。
こんなことで勘繰られるわけにもいかず、チセは結局、自らの能力をフルに活用するほかなかった。
いつもの通り、ポイポイとスカートとシャツを脱ぎ散らかし、ソックスも乱暴に引っ張って脱ぐ。
丸めて部屋の隅へ放り投げると、サンタクララから降りた時からなんとなく着続けている、メサイアアーミー支給の白いTシャツと、アーミーグリーンのショートパンツに着替えた。
楽な服装になったチセは、軽く伸びをする。
それから、部屋の簡易ベッドのマットレスを「よいしょ!」と持ち上げ――
ぴょん、と跳ねたチセは、そのままベッドに足から飛び込んだ。
頭の先までチセの姿が飲み込まれると、マットレスは勝手にパタンと元の位置へ戻った。
自室から一瞬で消えたチセは、広い空間にいた。
ふわりと降り立ったのは、フカフカの大きなベッド――。
そこは、いつか泊まったそこそこの高級ホテルの一室に似ている。
最初の頃は、ほんの数メートル四方の箱のような空間だったが、今では見違えるほど快適になっていた。
「ムフゥ」
満足げに息を漏らし、くるりと身をひるがえす。
そしてチセは、ボフッ!と背中から、そのフカフカのベッドへ倒れ込んだ。
これは―― チセが密かに用意した、私的な内部空間だった。
特定の座標を持たない、どこにも属さない場所。
インター・ヴァーチュアのどのマップにも表示されず、通常の移動では辿り着けない。
だが、入口だけは例外だ。
ジクサーの一室。
HODOの自分の部屋。
そして、かつてアジエの家の片隅にも――。
いくつかの場所に、同じ位相へと繋がる入り口が仕込まれている。
入った瞬間、どこから来たかは意味を失う。
辿り着く先は、常にこの空間だ。
人間にとっては、ただの奇妙な抜け道に見えるだろう。
だがチセにとっては、違う。
ここは、ログアウトの代わりに留まるための場所。
社会の帳尻を合わせるために必要な、静かな隠れ家だった。
外では時間が進み、人の気配が行き交い、ログが積み重なっていく。
それでも、この空間は揺らがない。
誰にも観測されず、誰にも干渉されない。
――少なくとも、チセがそう決めている限りは。
かつては彼女の故郷もそうあった。
あの日、静寂が破られるまでは……。
だから彼女は、規模は違えど同じ仕組みのこの空間で息をつく。
ログアウトしているふりをしながら。
どこにも行かず、ただ、ここにいるために。
――
アジエにとって、殲滅明王としての歪みきった柳橋の顔は昔から見慣れている。
むしろ、これが本来の柳橋の本質なのだと知っている。
そして長い付き合いから、この顔をしているということは、柳橋がこの仕事の手応えを本気で感じているはずだともわかる。
「……で?」
アジエは腕を組んだまま、先を促した。
「フェデレーションは、あそこで何をしてるの?」
柳橋は少しだけ口角を上げる。
獲物を前にした時の、悪い癖だ。
「地下施設の攻略だな。 正確には―― 無理矢理、こじ開けようとしてる」
指を鳴らすと、空間ディスプレイの表示が切り替わる。
そこに映し出されたのは、歪んだ三次元マップだった。
輪郭は粗く、線はところどころ欠けている。
解像度も低い。
それでも、巨大な構造体であることだけは、嫌というほど伝わってくる。
「これ…… 外部スキャン?」
「そうみたいだな。 フェデレーションが、どっかから無理矢理引っこ抜いたデータだろうな」
柳橋は肩をすくめる。
「メサイアはフェデレーションに仕切らせて、軍はエリアの警備でそれ以外は何もしていない―― 逆に言えば、内部にまともに踏み込めてない証拠だ」
マップ上に、赤いマーカーがいくつも灯った。
崩落箇所、破断、歪み。
本来なら入口になり得ない、無理のある侵入口ばかりだ。
「壊れたとこ、穴が空いたとこ、構造が歪んだとこ。 そこから捨て駒を送り込んで、少しずつ押し広げようとしてる」
アジエは眉をひそめた。
「……こりゃ、進んでないね――」
「ああ」
柳橋の声が、わずかに低くなる。
「浅いところをウロウロしてるだけだ。 吹き飛ばしてもダメ。 力押ししてもダメ」
一拍、間が置かれる。
「無理に突っ込んだ連中は―― 文字通り、帰ってきてないらしい」
ブリッジに、短い沈黙が落ちた。
アジエはディスプレイから視線を外し、柳橋を見る。
「つまり…… 連盟は鍵穴を壊そうとして、失敗し続けてるってこと?」
「そんなところだ」
柳橋は頷いた。
「たぶん、あの施設は最初から開け方が決まってる。 正規の手順以外は、全部トラップ扱いだ」
「……それで?」
嫌な予感を隠そうともせず、アジエは問い返す。
「うちらはどうやって入るつもりよ?」
柳橋は、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。
「とぼけんじゃねーよ。 うちは、一人いるだろ――」
わずかな躊躇。
「そういうの得意そうなのが」
アジエは、その名を聞く前から理解していた。
「……チセ?」
柳橋は、何も言わずに頷いた。
アジエは小さく息を吐く。
納得できてしまう自分に、苛立ちが湧く。
理屈として、あまりにも筋が通っているからだ。
チセの存在はアルマナックにとって、明確なアドバンテージだ。
暗号に、解析にクラック―― 確かにチセならやってのけるだろう。
「……連盟が血反吐吐きながら叩いてる扉を、横から鍵で開けに行くってわけね」
「そうなる」
柳橋は即答した。
「連盟がやってるのは力押しの攻略だ。 俺たちがやるのは―― 潜入だ」
アジエはしばらく黙り込み、マップを見つめた。
チセを連れていく意味。
危険性。
そして、それでも避けられない現実。
(……ほんと、嫌な役回り)
それでも、アジエは理解している。
この状況で柳橋を止める理由はない。
――そして、自分自身も、止まるつもりがない。
「……はぁ」
深く、重いため息。
「わかったわよ。 やりましょ」
そして、鋭く釘を刺す。
「ただし、チセにはちゃんと説明しなさい。 鍵開け扱いするなら、なおさらね」
柳橋は、わずかに笑った。
「そのつもりだ」
そう呟きながらも、その声には、覚悟の色がはっきりと混じっていた。
アジエは小さく首を振る。
「……ほんとさ」
アジエは、吐き捨てるように呟いた。
こういう時、ちゃんとやらない理由が思いつかない自分が、一番ムカつく。
危ないから。
まだ早いから。
守る立場だから。
言葉なら、いくらでも並べられる。
なのに―― 決定打になる理由が、一つも出てこない。
それが、何より腹立たしかった。
アジエは一度だけ、息を吸う。
柳橋の顔は見ない。見れば、余計なことを言ってしまうと分かっている。
止めない―― 止められない。
それがもう、自分の中で分かってしまっているからだ。
(分かってる。アンタは――)
柳橋は、無責任な男じゃない。
勢いだけで突っ込んで、後始末を他人に押しつけるような人間でもない。
出すと決めたなら、必ず生き残るための準備をさせる。
戦えるように。
逃げられるように。
戻ってこられるように。
それが、柳橋なりのやり方だ。
歪んでいて、乱暴で、それでも―― 現実的だ。
正しいとは思わない。
子供をこんな場所に放り込む理由になどに、なるはずもない。
それでも。
(……理解できちまうのが、最悪なんだよ)
柳橋のやり方は間違っている。
けれど、無策じゃない。
無自覚でもない。
だからこそ、アジエは止めるという選択肢を失っている。
(結局さ……)
自分も同じ結論に立っている。
自分の目的のためなら、同じことを選ぶ。
それが嫌で―― それでも否定しきず、アジエは、口の中で苦く笑った。
(ほんと、大人って最低)
――本気なのか。
柳橋に対してそんな言葉が、喉の奥までせり上がってきて、結局、声にはならないのだ。
聞かなくても、わかっている。
柳橋は、最初からそのつもりだ。
賭ける気も、引き返す気もない。
けれど、目を逸らすほど綺麗な立場でもない。
アジエは一度だけ、深く息を吸った。
読んでいただき、ありがとうございました。




