第10話 彼と彼女ー女の事情/05
本作は『電界駆動 ブレード ― データの少女は仮想世界で夢を見るか?』を一部固有名詞の変更と話数の並びを変更、改訂を行なったものです。
少しでも読みやすくなってれば幸いです。
【Present Day】
アジエに引き上げられ、少しつんのめりながらチセは立ち上がった。
顔を上げると、ジロリとアジエが見下ろしている。
切れ長の眼が放つ圧に、チセは思わずたじろいだ。
「おりゃ!」
次の瞬間、掛け声とともにアジエの右手が伸び、チセの両頬をガシッと鷲掴みにした。
「いにゃい! いにゃい!」
アスリート並みの握力で頬が潰れ、口が尖って妙な声が漏れる。
振りほどこうと腕を掴むが、びくともしない。
「こんなとこで不貞腐れやがって! このぉ、バカチンがぁ!」
「うにゃにゃにゃぁ! ごっ…… ごめんなしゃい……」
「ふんっ……!」
変な鳴き声の謝罪に、アジエはようやく手を離した。
「まったく…… いつも、ずべこべ、ずべこべと……」
仁王立ちのまま、ため息混じりに睨む。
「なんで、素直にごめんなさいって言えねぇかなぁ――」
「うぐぅ……」
真っ赤になった頬をさすりながら、チセは恨みがましく視線を向けた。
口は悪いが、アジエは礼儀には妙に厳しい。
アルマナックに来たばかりの頃、人間そのものを警戒していたチセは、挨拶もろくに返さずつっけんどんだった。
当時、まともに話が通じたのはアジエと、人間ですらないスミーくらいだ。
――柳橋は例外だが、あれは意思疎通というより一方通行の要求だった。
γの修理を終え、正式にCF担当メカニックになった頃からだろうか。
挨拶を無視すれば、さっきと同じように頬を掴まれた。
痛みへの不満はあっても、人間の集団で最低限やっていく術を教え込まれた実感はある。
相変わらず愛想はなく、男への嫌悪感と恐怖も残っている。
それでも今は、女のメンバーや滝沢先生のような目上とは、ようやく打ち解けられるようになっていた。
「こんなところじゃないもん―― ここ、好きなんだもん――」
折檻が痛い事実は変わらない。
チセは小さく抵抗してみせる。
再び睨まれ、ヒッと縮こまったのを見て、アジエは大きく息を吐いた。
「わかった、わかった。 さっきも言ったけど、そのうち理由、聞かせてよ」
そう言って、くるりと踵を返す。
「ほら、ちゃんと扉閉めろ。 行くぞ」
いつもの背中。
チセはハッチを閉じながら、心に蓋をしたような気分になった。
ここが気に入った理由――。
話してもいい気はするが、どうにも気恥ずかしい。
男は苦手で、怖い。
それでも、あれ以来、アイツだけは妙に気になる。
……いや、むしろイラつく。
そんな感情が絡み合って、気づけば足が向いてしまう。
その理由をアジエに話していいのか、迷いがよぎる。
ハッチが閉まるバタン、という音で我に返り、チセは心の中で呟いた。
(無理―― アジエには、やっぱり言えないし……)
少し火照る頬を感じながら、この整理できない気持ちの正体を考えていた。
【Flashback】
興味本意で戦闘衝角の見張りだいに上がったわたしは、ある光景を見ることになった。
練習なのか、挑戦なのか――。
おそらくそんなモノだ。
繰り返し、繰り返し、延々と同じことをやっている。
わたしはそれを、瞬きもせずに見ていた。
長いような、短いような――。
時間の感覚が、うまく掴めない。
時の長さそのものが変わるはずはないのに、体感だけがずれている。
こんな感覚は初めてだ。
目を離せない。
一定のリズムで同期していたはずのサイクル感覚も、いつの間にか失われていた。
……わたしに、何か異常が起きている?
わからない。わからないけど――。
――
イグニッションの音、それに続く蹴り出すような動作。
一瞬ぎょっとしたが、すぐにその行動を、わたしは軽蔑の目で見ていた。
悠という名前のγのライダーは、エイプを使い、並べたパイロンのコースでトレーニングを始めた。
だが、それは誰がどう見ても、無駄でしかない。
「ぷっ……」
最初のトライで、せっかく並べたパイロンを派手に吹き飛ばした瞬間、思わず吹き出してしまった。
呆れて笑うしかなかったのだ。
少し介入できるからといって、CFが重力や斥力、抵抗、慣性――。
この世界を縛る基本法則から逃れられるわけがない。
この数週間、γの修理を通して、わたしはコード・フレームワークという仕組みをじっくり観察してきた。
この身体拡張プログラムは、インター・ヴァーチュアの処理法則そのものに干渉できる。
コード・ベースと呼ばれる動力源兼処理中枢が、その核だ。
だが、そこだけは異質だった。
どれだけ解析を試みても、表層すら読み取れない。
複雑さや密度といった、これまで触れてきたデータ性とは根本的に違う。
キラキラと光る波の塊――。
幾重にも折り重なり、畳まれ、奥行きを持ち、粒子が常に形を変えている。
そのユニットが、この世界の処理に割り込み、干渉を可能にしている。
それだけは理解できた。
乗り手の感覚と視覚に反応し、その都度、現実を書き換えるように制御する。
(……だから、身体拡張プログラム、か)
妙に腑に落ちた。
空間座標に割り込み、空を飛び、力場や反作用点を生成し、本来、人間の身体では到達できない場所へ行く。
そういう思想で設計されているのだろう。
ただし、その干渉は万能ではない。
外部環境から与えられる物理法則には、結局引っ張られる。
空を飛べる出力を持つ大型CFですら例外ではない。
高く跳ぶのが限界で、地上移動が前提の小型CFなら、なおさらだ。
スピードを出しすぎれば、曲がれない。
そんな基本的なことすら、あの悠という男は理解していないらしい。
(あー…… なるほどね)
そりゃ、派手に壊すわけだ。
わたしは、セコセコとパイロンを並べ直すその姿を、
どこか冷めた、嘲るような視線で眺めていた。
――
出だしは、そんな醒めた目で眺めていた。
だが、違和感を覚えたのは、それから間もなくだった。
(無駄だなぁ。 飽きもせず、よくやるわ)
最初にパイロンを吹き飛ばしてからも、条件を変える様子はない。
明らかに失敗するだろうスピードのまま、何度もパイロンへ突っ込んでいく。
地面を滑るように滑走し、減速する気配すらない。
同じ行動を繰り返したあと、几帳面にパイロンを並べ直し終えた、その時だった。
また突っ込むのかと思った――。
が、違った。
間を取ったのだ。
まただ。
ズンッと、空気の重さが変わったような感覚。
まるで、エイプに周囲の空気が吸い寄せられていくような――。
思わず、パイロットシートに座る九能悠の顔へ視線が向いた。
胸の奥が、キュッと締めつけられる。
前方を見据えるその表情は、静かだった。
だが、穏やかとは違う。
近づけば切り裂かれそうな、鋭い眼差し。
柳橋の凶暴さとは別物だ。
あれは恐怖。
これは―― 飲み込まれそうな感覚。
ドンッ、とエイプのアイドリング音が一段大きくなる。
耳に届く音の周波数も、力の密度も、明らかに違っていた。
わたしは視点を切り替えた。
人の視覚情報ではなく、データとして世界を見る。
(……何よ…… あれ?)
エイプから―― いや、胸に乗り込むパイロットを包むように、コード・ベースの干渉波が立ち上がっている。
空中と地面を貫くように、まっすぐ、ゆらゆらと。
人間の視角には映らないほど微弱だが、動く前から発生する干渉――。
そんなことがあるのか?
ドルルルッ、と駆動音。
アクセルに合わせ、機体を貫く干渉光が太くなっていく。
データのまま見るのが怖くなり、視点を人間側へ戻した。
数度の空吹かし。
そして、一際大きな音と同時に――。
エイプは、大地を蹴るように前へ飛び出した。
さっきとは比べものにならない速度。
あんなスピード――。
パイロンどころか、どこかに突っ込む。
ブレーキの気配は、ない。
思わず両手で口を覆った。
エイプが、速度ごと宙へ弾けたように見えた。
次の瞬間―― 四肢が路面を蹴り上げる。
水たまりを跳ね散らすような、眩しい霓虹の干渉光が舞った。
スローモーションのように、脚が空中で回転する。
地面と並行になった肩から、身体がしなり、捻り込まれる。
腕が地面を突き、軸が弾む。
パイロンの、ぎりぎり手前。
エイプは再び霓虹を撒き散らしながら着地した。
「……曲がったんじゃない」
覆ったままの口から、言葉がこぼれる。
「――捻った?」
――
そこからずっと、悠というコード・ライダーの駆るエイプを見ていた。
悠はパイロンをいくつかのセクションに分けて配置していた。
最初の直角コーナーなど、ほんの序盤にすぎない。
円を描くように並べられた箇所、十時方向に等間隔の配置、徐々に間隔が狭まる構成――。
一つを越えれば次へ、失敗すれば最初から。
延々とそれを繰り返していた。
しかも、そのすべてが、わたしの演算の範疇外だった。
既知のCF運用理論では、激突を避けられない速度と角度ばかりだ。
成功しない、という結果しか導けないはずなのに……。
それでも悠は、破綻した挑戦を重ね、ひとつずつ達成していった。
機体の背中が路面に触れそうなほどそらし――。
拳を路面に叩きつけ、そこを支点にドーナッツ状に回転し――。
肩から転がるように旋回しながら、空中へと舞い上がる。
わたしの演算では、予測不能な動きだった。
コード・ベース特有の空間演算への介入で、本来存在しない足場や抵抗、摩擦のキャンセルを生み出していることはわかる。
だがそれは、ただの機能使用ではなかった。
出力は一点に集中し、そこから予期しないベクトルとトルクが立ち上がる。
(――綺麗な螺旋――)
そう感じた瞬間、九能悠の横顔が網膜に焼き付いた。
トクン、と胸の奥で何かが鳴った。
心臓という臓器が反応した?
恐怖や不安の時とは違う。走るのではなく、打つような高鳴り。
その瞬間から、わたしは動きではなく、悠という人間そのものから目を離せなくなっていた。
虚空を射抜くような鋭い眼差し。
固く結ばれた口元から、細く強い息が吐き出される。
ジクサーのハンガーで見た、情けない顔の少年とは別人だった。
またパイロンを跳ね飛ばし、挑戦は失敗に終わる。
膝をつくエイプの上で、悠は肩で息をしていた。
数秒後、顔を上げ、両手で自分の頬をバチンと打つ。
ここまで聞こえるほどの音だった。
手を下ろしたその目は、鋭く光っていた。
「……が…… がんばれ……」
胸の前で両手を組み、わたしはそう呟いていた。
次の瞬間、端末の呼び出し音が鳴った。
アジエからだ。
慌てて応答し、五回目のコールでようやく繋がる。
悠がエイプの上で辺りを見回しているのが視界に入った。
(ふー、アブナイ、アブナイ……)
手のひらのディスプレイに、アジエが映る。
下着姿に、今日は赤いセルのメガネ。
アジエがメガネをかけている姿を初めてみる。
けっこう似合っていて、少し意外だった。
「えっと、何?」
ぶっきらぼうになった声に、アジエの表情が曇る。
「えっとじゃねーよ。 オマエ、何時だと思ってんだ。 まだジクサーなの?」
「う、うん。 そう」
時計は21:30。
二時間以上、ここで見続けていたらしい。
風が頬を撫で、光の飛沫が視界を横切る。
悠が、次の挑戦を始めていた。
「ちょっと、チセ。 あんた何処にいんの?」
「んっ? えっと、ジクサーだよ」
「いや、だからジクサーの何処よ? あんたそこ外でしょ?」
金属音が擦れる。
視線は自然と、再びエイプへ。
左右にカウンターを当て、滑るように円を抜ける。
さっきの配置を、越えた。
次は、最後――。
放射状に狭まる扇形配置。
悠は減速せず、そのまま突っ込んでいく。
機体を沈め、低重心で一段目、二段目を抜ける。
「あっ! おっ……」
あと三段。
だが次の瞬間、エイプの腕が三段目の赤いレーザーに触れた。
「あっ…… あーっ……」
失敗だ。
悠は機体を止め、天を仰ぐ。
「あんた、ほんとは何してんの?」
「えっ? あ、いや……えっと…… ちょっと、気分転換」
「だからさ、何処でさ?」
「うーんと。 アタックラムの、上のとこ……」
「えぇ? あっこの見張り台? あんた、そんなとこよく見つけたね……」
「散歩してたら見つけたんだ。 ここからの景色、結構好きなんだ」
「ふーん……」
嘘ではない。
ただ、全部は言っていないだけだ。
「で、あんたさ、いつ帰るの?」
「あっ……。 うんと、キリのいいとこまでやりたいし、遅くなると思う」
見届けずにはいられない。
悠はまた、スタート地点へ戻っていく。
「オーケー。 遅くなるなら、スミーに送ってもらえよ」
「わかった……」
「はぁー。 あんま、遅くなんなよ。 もう切るよ」
「あー。 うん」
正直、反射的に返事をしていただけだった。
言われたことの半分も頭に入ってはいないが、どうやらもういいらしい。
わたしはすぐに、コールを終了した。
【Present Day】
それから間もなく、悠はパイロンコースを制覇した。
結局、四時間近くも見続けていたことになる。
すべてを終え、エイプから降りた悠の眼光は消えていた。
そこにあったのは、無邪気に跳ねる、眩しい笑顔だった。
苛立ち、鼓動、そして胸を撃ち抜くような温かさ。
そのすべてが、一度に押し寄せる。
(や、やっぱり言えない―― よくわからないけど、無理だ――)
頬が熱い。
振り返ったアジエが、不思議そうに見ている。
「ちょっと、顔赤いよ? 具合でも悪い?」
「大丈夫、なんでもない――。 いこう」
「オイオイ! なんだっ! あぶねって!」
チセは下を向いたまま、アジエの背中を両手で押した。
読んでいただき、ありがとうございました。




