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第10話 彼と彼女ー女の事情/03

本作は『電界駆動コード・フレームワーク ブレード ― データの少女は仮想世界で夢を見るか?』を一部固有名詞の変更と話数の並びを変更、改訂を行なったものです。


少しでも読みやすくなってれば幸いです。

  【Present Day】


 ジクサーの廊下で歩みを止めず、あの流れた一筋の冷たい汗――。

 アジエはあの出来事でチセに感じた自分との差を思い返していた。


 チセは見事にアジエの理論の欠陥を埋めて見せた。

 アジエ自身も、それに深く感動した。

 

 だが、その時に最も大きく感じたのは、むしろ驚愕だった。


 いったい何に?

 アジエにも説明は難しい。

 

 強いて言えば、チセがあまりにも自然だったことだろう。

 あの結論の導き方を知識差とは感じることができなかった。

 

 むしろ感覚…… 生き方…… 習慣……。

 そんな根源的な――。

 なんというか生物としての差というようなものを感じたのだ。


 説明ができないので気持ち悪くて仕方なく、アジエは暫定的にそれを才能(センス)と定義することにした。


(まあ、そうやって何かを言語化しないと納得できないのが、私の限界ってやつかな……)


 結局のところ、アジエも教授連中(ジジイども)と同様に実証主義と機構主義が骨身に染み込んでいると思い知らされる。


 どうしても自然現象に第三者の意識が介入することを拒んでしまうのだ。

 

 観測者の意識が関与しなくても、環境との相互作用──。


 つまり()()()()()()()()()によって、量子的な重ね合わせは自然に崩れる。

 

 それが現実世界の在り方であり、物理法則の姿なのだと信じてきた。


 もし人によって結果の質が変わるとすれば、それは()()()()()を意味する。

 

 どれだけ精密にモデルを組んでも、誰が扱うかで結果が揺れるなら、それは科学ではなく芸術だ。

 

 どこまで行ってもアジエは科学者であり、それを認めることは自らの根幹を否定するようで、恐ろしかった。


 それでもチセが見せた、あの考え方と、導き出した式はとても美しかった。

 

 とても自然で、吹き抜けるように、流れる水のように。

 そしてチセは本当に当たり前のように観測(見て)いた。


 階段を登りながらアジエはその観測の結果がこの仮想現実(世界)どれほどの奇跡だったか――。

 

 アジエが知る限り、それはビリー・オズニアック以来、初のインター・ヴァーチュアでの量子的発明だった。


 再びアジエは回想する。

 チセがやってのけたことを検証し、そしてその危うさを確認した時のをことを……。

 

   【Flashback】 


「……たった、腕の一振りでこれかよ?」


 まったく、いったいあのジェスチャーアクションだけでどうしてこうなる。


 チセが部屋から去った後、私は処理結果のログを漁った。

 だが、跡形もなかった。


 これでも、研究者だしメカニックだ。

 私にもそれなりに、データやコードの扱いには心得はある。


 ただのちょっとした削除(デリート)ぐらいなら復元なんぞいくらでもできる。

 

 ――できるのだが、そんなバカな話があるか。

 

 呆れるぐらいに、綺麗さっぱり消えていた。


 あの娘が作った贋作のブランド服――。

 タグを見れば一発でバレるはずが、そこだけが完璧に消えている。


 あの時もそうだった。

 中身がないのに、見た目だけが完璧だった。

 今回も、それと同じ――。

 がらんどうだ。


 腕の一振りでかき消えたディスプレイと共に、あのシミュレーションのログも完全に失われていた。


「なんだこりゃ…… 痕跡一つ残ってねぇ。フォーマットツール連発とか、NULLl埋めとか…… そんなチマチマしたもんじゃねぇな」


 違う。

 これは消したんじゃない。


 最初から、存在していなかった。

 そう言うほうが、よほど正確だ。


 頬が引き攣るのを感じた。

 そして無意識に、唇を噛み、舌打ちをしていた。


 自分がそんな反応をしたことに、少し遅れて気づく。

 

 ――ああ、まいった。

 どうやら私は、自分より優秀な存在というのに慣れていないらしい。


 ファーック……。

 こいつが、規格外ってやつか。


 だが―― 違う。

 規格外なんて言葉は、まだこちらの理解圏にある。


 チセは、基準そのものが違う。

 努力や試行錯誤、検証という過程を、そもそも通っていない。


 だから、痕跡が残らない。

 結果に至るまでの道筋が、丸ごと存在していないのだから。


 すぅっと短く息を吸い込み、ふぅっと吐く。

 意識を切り替え、無理やり平常に戻す。


 チセの贋作の服も、修復されたγも見ていた。

 

 胸から爆ぜ、コード・ベースを晒したあの骨董品を、私は諦めていた。

 むしろ消えてくれたほうがありがたいとさえ思っていた。


 それを、あの娘は直した。

 何事もなかったかのように。


 事実は明白だ。

 チセの才能(センス)は規格外―― いや、それ以前の問題だ。


 そうやって単純な言語に落とし込み、私は腹に落とす。

 複雑を解きほぐすより、受け入れてしまったほうが早い。


 特に、自分が太刀打ちできないとわかっている相手に、正面から挑むほど私は愚かじゃない。


「ログからトレースできないなら…… 自分でやってみるまでだ」


 幸いなことに、式は見ている。

 あの発動の瞬間、黒い画面に踊った数式を思い出す。


 Ψ_out(t) = Tr_O [ U_QNN ( |Ψ_in⟩⟨Ψ_in| ⊗ |O⟩⟨O| ) U_QNN† ]


 元々の私の式は、


 Ψ(t) = U_QNN × |Ψ_in⟩


 ユニタリ変換に閉じた、単純で美しいモデルだった。


 チセはそれを、確率混合状態を扱える密度行列形式に引き上げ、さらに観測者の状態 |O⟩⟨O| をテンソル積として組み込み、最後に出力からトレースアウトしている。


「……外部系を載せた上で、主系を観測的に()()した、ってことか……」


 理屈はわかる。

 だが、その理解はどこか空虚だった。


 私は人差し指を額に当て、深く息を吐く。


O(観測者)って…… 誰だ?」


 わからない。

 というより―― わからなくて当然だ。


 そもそも、私のモデルは「誰も見ていない」前提で成立していた。

 演算さえ正しければ、結果は出ると信じていた。


 ……まあ、出なかったんだが。


 改めて考えると、この抽象的な存在は、定義していいものなのかすら怪しい。


 仮想世界内のユーザーの意識?

 QNN、量子ニューラルネットワーク学習時に与えた教師信号?

 

 それとも―― チセ自身の観測意識?


 違う。

 たぶん、全部違う。


 チセは「観測する」という行為を、特別な操作だと思っていない。

 

 式を書き換えるのと同じ感覚で、世界を眺めている。


 だから、観測者が誰か、なんて問い自体が成立しない。

 あの娘にとっては、()()()()()()が常態なのだ。


「……ダメだ。 考えても無駄だ」


 今まで意識すらしていなかったものを、今さら論理で縛ろうとするのはやめよう。

 

 とりあえず、私からするとこの式は野生的すぎる。


 正直、あの娘が何を見て、何を前提にしたのかもわからないまま使うのは危険だ。

 下手をすれば、使った本人に逆流が起きる。


 このへんは、オズニアックと決定的に違う。

 あちらは、他人が使うことを想定している。


 一方、チセの式は――。

 本人以外が使うことなど、最初から考慮されていない。


 あれは道具じゃない。

 視点そのものだ。


「……作り、変えるしかねぇな」


 私は端末を起動し、シミュレータのワークスペースを立ち上げた。


 まずはベース。

 チセの式に手を入れる前に、構造まで分解する。


 密度行列で書かれたあの式――。


 Ψ_out(t) = Tr_O [ U_QNN ( |Ψ_in⟩⟨Ψ_in| ⊗ |O⟩⟨O| ) U_QNN† ]


 一見すると綺麗だが、正体は完全なブラックボックスだ。

 演算子の順序も、干渉条件も、すべてチセの内部モデル依存。


 こんなもんをそのまま再現したら、使用者の処理が破綻する。

 データ的に一発で脳死、強制排出(イジェクト)だ。

 

 現実の脳にだって、影響が出かねない。


 ……だから、逆にする。


 私は仮想レジスタ上で数式を再構築し始めた。

 Ψを捨て、|Ψ_in⟩を独立した初期状態として定義。

 

 |O⟩も独立変数として切り出し、テンソル積を組む。


 QNNによる時間発展を作用させ、

 そこからOの自由度をトレースアウトする。


 流れは同じだ。

 だが決定的に違う点がある。


 観測者O。


 チセが()()()()()は、私にはわからない。

 

 だが、彼女が()()()()なら、私は目撃している。


 ならば、逆だ。


 結果が現れたという事実そのものが、()()()()()()()()()()()の存在証明だ。


 つまり―― 観測者Oを、結果から逆算すればいい。


 私はOの状態を、モデル観測者として構築し、静的な演算対象として挿入した。

 

 当然、これはチセのそれとは違う。


 だが、こうしないと、私には現象が説明できない。


 Psi_out(t) = Tr_O [ U_QNN ( |Psi_in><Psi_in| ⊗ |O_model><O_model| ) U_QNN† ]


 修正した式をディスプレイに投入する。

 光が走る。


 二つのO_modelへの変数入力を求められた。

 

 起点と終点――。

 私の知る範囲で、意識から代入する。


 これなら失敗しても、非同期処理だ。

 実行者に影響はない。


 思考に連動して変数が代入され、ディスプレイが像を結ぶ。


 観測の、はじまりだ。


    【Present Day】


 階段の折り返しまで登ると、アジエは足を止めた。

 壁には両開きのハッチがあった。


 腰ほどの高さに斜めに取り付けられた取手は銃把のようで、トリガーめいたレバーが付いている。


 左の扉に手をかけ、人差し指でレバーを引く。

 ガチンと掛け金が外れる音と振動が伝わった。

 上方向に引き上げると、見た目に反して扉は軽く斜め上へ持ち上がる。

 

 同じように右側も開けた。


 扉の向こうには半円状のトンネルがあった。

 かがんで覗き込むと、スゥーッと空気が流れ込んでくる。


Bullseye(大当たりだ)――」


 アジエは立ち上がり、手の平を顔の前で開いた。

 ハガキほどのディスプレイが浮かび、コール音が鳴る。


 五回も鳴らないうちに繋がり、見上げるような角度で肩肘をついたチセの顔が映った。


「……何?」


 画面からそっぽを向いた不機嫌そうな表情。

 背後には、白い蛍光灯めいたグレート・フラットの空が広がっている。


「オマエー。 ずいぶんとご挨拶だな」


 やれることに対して、やってることが幼い。

 呆れて、自然とため息が出た。


「いいから、降りてこい」


「イヤだ―― まだここにいる」


「ワガママこいてんじゃねーよ。 今、下来てるからこっち来い」


 チセはブスッと、余計に頬を膨らませる。


「メカニックなんだろ」


 その一言で、ようやくチセは視線を画面に向けた。


「ちゃんと乗り手(ライダー)に状態と注意―― メンドクセー機体の持ち主に伝えないとダメだろ」


 アジエは画面越しに視線を合わせる。

 光っているような緑の瞳が、こちらを覗き込んでいた。


「……わかったよ、降りる……」


 数秒の沈黙のあと、観念したように呟くとコールは切れた。

 ブチンという音と共に、ディスプレイは暗転し、溶けるように消える。


 やがて、トンネルの奥からカンカンとハシゴを下る音が響いた。

 その音を聞きながら、アジエは壁に背を預け、キャップの鍔を引いて目深にかぶる。


 メカニックとしての自覚は十分だ。

 不貞腐れても、存外に職人気質。

 

 義務に訴えれば、やるべきことは受け入れる。

 結局、この仕事に向いている。


 それに、あの娘なら―― ギルドなど選ばずとも、持てる武器(容姿)で生きる道はいくらでもある。

 

 その気になればカタギの世界で、アルバイトではなく、本気でモデルだってやれる道筋だってあるのだ。


 そうは思うのだが、チセがアルマナックから去るという想像をすると不安で塗りつぶされる。

 

 見ていないと、何かをしでかしそうな予感がする。


 異質で、アンバランスな存在。

 チセという娘を、アジエは持て余している。


 その不安こそが、手元に置く理由だと再認識する。

 そして、それは―― あの検証結果から始まった。

 


   【Flashback】


 検証終了――。


 私は残ったログと結果の仕分けルーチンを走らせ、テーブルの冷えたマグカップを手に取った。


 半分以上残るコーヒーの表面に、わずかな波が立つ。

 どうやら、手が震えている。


「Damn it…… やりすぎだ、これは」


 両手でカップを支え、コーヒーを啜る。

 冷めた酸味が広がり、少しだけ落ち着きを取り戻す。


 とはいえ、確認してしまった事実は重い。

 学者の端くれとして、見た以上は認めざるを得ない。

 都合の悪い結果を黙殺できるほど、私は器用じゃない。


 都合が悪い?

 

 いや―― 違う。

 これは革新的な発明だ。


 だが、外に出せば厄介だ。

 インター・ヴァーチュアの利権で生きる連中の神経を逆撫でする。

 

 理解できる者は独占を狙い、できない者は消そうとするだろう。


 結局、私たちには都合が悪いか……。


 本来の想定は、せいぜいコード・ユニットの過処理機構だった。

 CFやライナーの性能向上装置――。

 かつてのエンジンのターボやスーパチャージャー程度のつもりだった。


 確かに、空間の観測確定移動に追加の距離や干渉を与える発想ではあった。

 だが――。


「そもそも、そこかー……」


 顔を覆う。

 私のやったことは、チセが何気なくやったことの劣化版だ。


 チセは、リアルタイムで自分自身を処理に接続した。

 

 知覚の許す限り、処理してしまう。

 使い手のスペックに依存する――。

 それが、この処理の本来の姿だ。


 私はそこに制限を与え、均一化した。

 使い手を始点と終点に落とし込み、結果として機体出力依存にした。

 

 道具としての在り方としてはこちらのほうが正しい。


 像は結んだ。

 O_modelは、あの瞬間に近い演算を再現した。


 だが、違う。

 チセがやったのは再現じゃない。

 

 もっと―― 本人にしかできない何かだ。


 私は、それを理解できていない。


「……本当に、わかってない」


 ログは消え、データも失われ、式だけが残った。

 組み直しても、あの瞬間は掴めない。


 できるのは仮定だけだ。

 

 過去ではなく、未来から()()()()()()()()O()を代入する。


 それで世界が動くなら。

 それがチセの感覚に由来するなら。


 ――危険だ。


 あの娘が、どこか他所で、誰かに使われたら。

 知らない場所で、同じことをしたら。


「……手元に、置いておくしかないか」


 才能への期待でも、育成でもない。

 ただ、目を離せない――。


 それだけの理由だ……。

読んでいただき、ありがとうございました。

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