第10話 彼と彼女ー女の事情/02
本作は『電界駆動 ブレード ― データの少女は仮想世界で夢を見るか?』を一部固有名詞の変更と話数の並びを変更、改訂を行なったものです。
少しでも読みやすくなってれば幸いです。
【Present Day】
ブーツの音を響かせながら進むたび、照明がアジエに続くように、明滅を繰り返す。
見た目は古めかしいが、こういったエネルギー消費を抑える機能はしっかり装備されている。
とはいえ、現実の世界の省エネとはいささか理由が違う。
仮装現実世界であるインターヴァーチュアではデータとして再現することでエネルギーの供給自体は無限だ。
そもそも、シミュレーションの世界で枯渇する資源などあるわけがない。
それに、コード・ベースと呼ばれる技術は資源すら焼べる必要がない。
周囲の環境データを取り込み、処理反応する――。
現実世界には存在しない、仮想現実世界の永久機関だ。
それでも、現実と同様に、むしろ場合によっては神経質に対策するのは、コード・ベース自体の処理上限対策のためだ。
例を挙げれば、コンセントからタコ足配線し、使いすぎてブレーカーが落ちるを避けるというのに似ている。
コード・ベースは高負荷が続けば、処理の遅延や停止などが発生し、オーバーヒートのような状態に陥る。
実際にそれは圧と熱という物理演算に置き換えられ、時に破壊というシミュレーションとして仮想の現実となるのだ。
だから無駄な処理を最小限に抑えるようなオートメーションは必然となっている。
そうした照明装置の仕組みに追いかけられるように、前方デッキへと続く階段に向かって歩いているアジエには、チセのいる場所の検討がついていた 。
おそらくは、アタックラムにある見張り台だ。
(なんであんな場所を気に入ったんだか……)
チセがアルマナックに入った頃に、何やらそこでコソコソとやっていたようだが、それ以来、何かというとあそこから外を眺めるようになった。
詮索は趣味ではないのだが、そのうち何をしていたのか聞いてみてもいいだろう。
出会う前の過去の話には踏み込まないが、縁がついてから後の話ならバチは当たるまいとアジエは思った。
なんせ、今や、ほぼ姉みたいなものだし……。
気になる理由は他にもある。
アジエ自身がその程度にはチセに深入りするに至ったきっかけ――。
あの才能に気づいたのは、そんなコソコソしていたチセに「いつ帰るんだ」と聞いたあの、後のことだったからだ。
またアジエの脳裏からあの実験の記憶が浮かび上がってきた。
【Flashback】
じっくり淹れたコーヒーをすすり、再び命題に挑む。
だが、現実は相変わらず厳しい。
まずは基礎の検証。
φ(t)、α(t)、履歴項∫₀^t h(τ)dτ――。
従属か独立かを確かめるが、どれも整っている。
分散も連続性も正規性も異常なし。
「違う…… 数式は美しいのに、結果が死んでる」
次に履歴項を再定式化。
重み関数、指数減衰、ラプラス変換……。
どれも収束性は改善するが、崩壊は止まらない。
不安定ではなく、確実な圧壊。
「履歴を変えても、何かが壊してる……」
そこで初期条件。
スクイーズド、コヒーレント、熱分布…… 境界も周期型から吸収型、自由境界まで試した。
だが崩壊点は場所を変えるだけで必ず現れ、逃げ場を塞ぐほど発生は早まった。
「どんな境界でも壊れるって…… 何よこれ」
パラメータを3つに絞り、2D/3Dプロットで特異点を探す。
だが見えるのは平坦な曲面ばかりで、異常は見当たらない。
むしろ一番穏やかな部分で唐突に崩れる。
「爆発でも暴走でもない…… ただ崩れる……?」
次は観測の導入。
本来観測者のいない系に、意図的に第三者的センサ=測定演算子を付加する。
見えない目を置けば何か変わると思った。
結果―― 壊れた。
観測タイミングをずらせばノイズが爆発し、リアルタイムに近づければ結果はランダムウォークのように揺らぐ。
観測の仕方ひとつで世界が震える。
センサも置いた。
観測もした。
反応もあった。
――なのに、決定的に何かが足りない。
物理量?
因果トリガー?
意味の付与?
どれも曖昧で、掴めない。
数式を睨む目が霞み、ディスプレイが歪んだ。
(ファーック…… どこにも進まねぇ……)
濃いカフェインを入れたつもりなのに、思考がまるで再計算されない。
眠気が一気に押し寄せる。
背もたれに身を預けると、チェアはゆっくりと傾き、静かに私を受け止めた。
徒労感が重い。
ここまで堂々巡りなのは初めてだ。
私はそっと目を閉じる。
意識が沈み、過去のノイズが海鳴りのように寄せてくる。
もういいや―― と投げやりな気分が、私を深みに引き込む。
瞼がゆっくり落ちていった。
――
ぼんやりと意識が漂ううちに、閉じた瞼の裏で景色が形を成していく。
明るい光の差す窓、少し古めかしい内装――。
ああ、懐かしい。
リケット・ハウスの部屋だ。
私は十四歳で飛び級入学し、ナイジェリアを離れてアメリカへ来た。
カルテック八つの寮のうち、「Prend moi tel que je suis(そのままの私を受け入れて)」というモットーに惹かれて選んだのが、ここだった。
ロフトベッドが二つ。
典型的な二人部屋。
姿見には、当時の私――。
大きなスーツケースと分厚い本、やぼったい眼鏡、無理やり結ったツインテール、真面目一辺倒のブレザー姿。
着せられている感が丸出しで、数式は完璧なのにスカートの丈すら知らない、そんな子供だった。
気配に振り向くと、上段のベッドから一人の女が身を起こした。
東洋系の整った顔立ちに、炎のように逆巻く黒髪。
赤黒のパンクともゴシックともつかない、服装。
レースとベルトで飾り立て、紫のアイライナーに真紅の唇――。
ひと目で忘れられない、毒花のような存在感。
「んー。 ああ、例の天才ちゃんねー」
彼女は細めた目で私を見て、にやりと笑った。
「あっはー、かわいいオデコちゃんが来たわ。 今日から相部屋、シクヨロー」
コルナサインを振る彼女に、私は真っ赤になって本で額を隠した。
当時はこれが大きなコンプレックスだった。
(とんでもない相部屋になっちゃった……!)
羞恥と後悔で固まる私を見て、彼女は腹を抱えて笑っていた。
――懐かしい。あのモットーに惹かれたのに、当時の私は自分を少しも受け入れられていなかった。
そう思った瞬間、景色はゆっくりと崩れ、暗闇に溶けていった。
――
うっすらと閉じた瞼越しに人工的なディスプレイの白い光を感じながら意識が浮上してくるのを感じた。
どうやら夢を見たらしい。
仮想現実の世界でも睡眠欲求は湧く。
意識を電気信号的に繋いだ、言うなれば眠りの中の夢のような世界の中で、さらに見るものが果たして夢と言えるのかというのは一旦置いて、そんなおセンチなものを自覚したのは久しぶりだ。
しかも小娘だった頃の自分――。
うっ……しまった。
うーむ…… とうとう自分もかつての私を小娘と呼ぶ程度には歳をとってしまったようだ。
ママと呼ばれるのは精神的にノーだが、十四歳の自分と、二十七歳の自分との差――。
こればっかりはどうしよもうない現実だと私は受け入れることにした。
なんであんな夢を見たんだろうか。
近くに気配を感じて、薄っすらと目を開けた。
チェアをリクライニングさせた私の隣にはいつの間にか、チセが化粧台の丸椅子を持ってきて座っていた。
(こいついったい、いつ帰ってきたんだ……)
ちらりと画面の中のデジタル時計を見ると、どうやらあれから三時間ほど寝ていたらしい。
チセといえば、帰ってきて脱ぎ散らかしてそのままここに来たというのが丸わかりの姿だった。
上半身はトレーナーを着ているが、下は下着のまま――。
こっちも下着にガウンなんて姿で、人のことは言えないか……。
そのくせ、靴下は履きっぱなしで丸椅子にあぐらを描いてディスプレイを覗き込んでいた。
数日、過ごしてわかったがチセは見た目に反して相当にガサツだ。
そして、その手には――。
カップ麺とフォーク……。
仮想現実とはいえこの時間に食う代物か?
この娘は本当に、なぜかよく食べる。
ズルズルと麺を啜ると幸せそうな顔し、直後にまたジーっとディスプレイを凝視する。
たまに手を空中でスワイプさせて何かを確認するとまた麺を啜る。
(何してんだ……)
まだ頭がボーっとする私は薄目でそんなチセを眺めていた。
最後にスープを飲み干すと、カップをデスクの上に置いた。
すると、空中で指を連続で弾きはじめた。
ディスプレイがその指に合わせて綺麗に整列していく。
綺麗にそろったディスプレイを順番に読み解いているかのようだった。
最後のディスプレイを確認すると、チセはそのディスプレイたちを真ん中で押し除けるように手を動かした。
中央に真っ黒で大きなディスプレイが出現した。
「たぶん、コレだよね」
そう一言つぶやくとチセはディスプレイに指を走らせた。
黒光りする仮想スクリーンの前に立ち、じっとそこに浮かんだ私の数式が表示される。
チセはそれを見つめる。
艶のない黒に、青白いフォントが静かに浮かぶ――。
静謐な、完成された演算モデル。
Ψ(t) = f(φ(t), ∫₀^t h(τ)dτ, α(t))
私はその式を、削って削って削り抜いてここまで絞り込んだ。
数理的には完璧なはずだった。
でも―― 結果は動かない。
崩れる。
壊れる。
「……」
チセは無言のまま、ディスプレイの余白にそっと指を伸ばした。
静電反応もない、無機質なはずの画面がまるで生きているかのように、波紋を広げる。
チセの指先が描いた軌跡を光の粒子がなぞるように走る――。
その余白に、異質な数式が加わっていく。
Ψ_out(t) = Tr_O [ U_QNN ( |Ψ_in⟩⟨Ψ_in| ⊗ |O⟩⟨O| ) U_QNN† ]
トレース演算……。
観測者項だと?
私が最初に切り捨てたはずの外部――。
それが加えられている。
「それ、見るヒトがいないんだよ」
チセの小さな声が、仮想空間に落ちた水滴のように静かに響く。
音もなく、光が生まれた。
静止していたはずの演算対象――。
それが、動き始めたのだ。
「とりあえず―― わたしが見るヒト」
その言葉と同時にシミュレーションが起動する。
ディスプレイに浮かぶのは視覚映像と、そして機体の状態。
どうやらグレートフラットの景色だ。
「そーれっ。 ポチッとな」
とぼけたセリフで空中に浮かんだボタンのようなオブジェクトをポンと叩くと、視覚映像が一変した。
急速に歪み、一点へと収縮していく――。
崩壊するのか?
いや違う、機体の状態は圧壊ではなく維持されている。
私の意識はすでにハッキリとしていた。
だが、まるで金縛りにあったように画面に目は吸い寄せらせその光景を見ることしかできなくなっていた。
(なんだ―― ネクサス・リンク? いや、ちょっと違う――)
光を引いたような―― 粒子の流れるような光景が数秒続いた……。
――そして、その瞬間。
収束していた一点から、フラッシュを焚いたように光が膨張するかのように弾けた。
視界が強烈な光で焼きついた。
目が眩んだ――。
一度、ギュと目をつむってからゆっくりと再び細く目を開く。
私は、息を呑んだ。
どこの景色だ?
これは街か?
キラキラと輝きを見せる構造物で構成された景色が広がっていた。
「うん、できた」
満足そうに、そう言うとチセは左手でディスプレイを払った。
見たこともない構造物で構成されたその街並みはが映るディスプレは空間に溶け、消えていった。
一仕事終えたという感じでチセはカップ麺の器を握って丸椅子から立ち上がりソロソロと部屋から出ていった。
チラリと一瞬、私の顔を覗き込んだが狸寝入りを決め込んだ。
気配が消えたあと、私はむくりと身を起こした。
愕然と共に、今、私は感動すら覚えていた。
「測定じゃなく、観測が世界を決める」
あの男の言葉が頭の中でリフレインしていた。
これまで、この世界にどっぷり浸かり、見てきたつもりだった。
でも私は、結局のところ式と既成の理論に囚われていたと思い知らされた。
誰かが見るという前提なしに、この演算は意味をなさなかった。
意味のない演算は現象に触れることができない。
必要だった、その一項――。
それは観測者の項。
|O⟩⟨O| ――。
誰かがそれを見る状態の導入。
それが、このモデルに世界を与える最後の鍵だった。
しかも、得られた結果は私が考えていた以上の内容だった。
チセは瞬時にそれを見抜いて書き加えた。
それがごく自然に、まるで当たり前のように。
結果すらわかっていた。
私はたらりと胸元に冷たい汗が流れたのを感じた。
読んでいただき、ありがとうございました。




