第9話 彼と彼女ー男の事情/05
本作は『電界駆動 ブレード ― データの少女は仮想世界で夢を見るか?』を一部固有名詞の変更と話数の並びを変更、改訂を行なったものです。
少しでも読みやすくなってれば幸いです。
エイプの胸部カウルからはドラムの乱打のような駆動音が響き、処理熱が右半身を炙る。
両脇の景色が歪み、視界が急速に狭まっていく。吹き付ける風に目が細まり、涙が滲んだ。
だが、速度が増すほど感じていた上下動が消えていた。
足元を見ると、飛沫のような虹色の光が散っている。
エイプは左右に跳ねるように、そして滑るように地面を押し出していた。小さなジャンプを連続して、スケートのようにドックを滑っているのだ。
「レッスン1だ! こいつは飛べないが―― 跳べるんだぜ!」
小型ゆえに出力は低くても原理は同じ。
俺は作業ロボットのように動かしていたに過ぎない。
エイプはCFで、物理演算の枷に干渉できる、現実を破る存在だったのに。
前方の風防越しにリーダーを見る。
軽い前傾で、右手は確かにスロットルを開閉していた。
「レッスン2だ!」
リーダーが上体を起こし、斜め後ろに捻り込む。
金属音と共に赤い火花が散り、機体が沈む。
俺は小脇に抱えられたまま滑り、左脚が伸び、右脚は限界まで屈伸していた。
倒立フォークが潰れ、サーフィンのような姿勢で速度を保つ。
5層と4層の壁が迫る。
俺は悲鳴も出せず固まった。
「イヨッしゃあ! ハイヨ〜、シルバ〜!」
壁直前でエイプが反転。
視界が乱暴に回転し、さらに沈み込む。
右半身が前になった瞬間、エイプは斜め上へ弾かれた。
「オラァ!」
右脚で壁に着地し、そのまま蹴り飛ばす。
エイプは逆方向へ跳躍し、オーバーハングが目前に迫る。
俺は三時間かけた場所に一瞬で到達した。
右腕からワイヤーが伸び、張り詰めた瞬間に引き寄せられる。
火花を散らしながら4層に着地。
俺は力が抜け、口走った。
「し、死ぬかと思った……」
何が起きたか理解せざるを得なかった。
俺はエイプを機械として扱い、CFとして使っていなかった。
リーダーは座標干渉、モーメント、ダンパーの負荷、慣性を利用して飛んだ。
最後はワイヤーで一気に踏破だ――。
「エイプでもな、トルクかけりゃ二十メートルは跳べるんだ」
タバコを取り出し、火をつけながら、リーダーは言った。
少し吸い込み、大きく吐き出し、言葉を続ける。
「こいつらは現実にねぇ。この世界だけの存在なんだよ。 俺たちと違ってな――」
「……急になんすか」
「インター・ヴァーチュアには時間はあるし、リセットも効く。 だが複雑なら壊れるし、直すのは大変だ。 傷つきゃイテェし、治らねぇ時もある」
「でも、リーダー、CF乗れるじゃないっすか」
「買い被んな。ヤニの力借りて、このおもちゃの限界見せるのが今の精一杯だ」
そこまで語ると、今度はゆっくりとタバコを吸い込み、口から大きくゆっくりと煙を吐き出した。
そして、手に持って火口を弾きながら笑う。
「それでも、現実じゃできねぇ芸当だ。 ここでも生身じゃ無理だ」
ちっこい機体でも見せてくれる景色がある。
CFに乗らなきゃ見えない景色がある。
その言葉と自嘲気味の笑いに、俺は泣きそうになった。
リーダーは未練を滲ませつつ言う。
「脚はイテェし、目もかすむ。 まあ…… ヤニもこれで吸い納めだな」
タバコを指で弾き飛ばすと、リーダーは俺を抱えたままエイプで壁を降下した。
ワイヤーガンで跳ねるというより、落ちている感覚に近い。
突然、背中から落下した瞬間は小便を漏らしそうだったが、尊厳が勝った。
限界近くまで降りると、リーダーはワイヤーガンを射出し、また同じ動作で降下する。登りと同じく、わずか数分で壁を下りきった時、これが懸垂下降だと理解した。
次の瞬間、拘束が解かれ、俺は失敗した飛び込みのように固いコンクリへ叩きつけられた。
「……ぬぉお…… 痛ってぇ……」
顔面を地面にへばりつけたまま数秒悶え、体を起こすと、リーダーは既にエイプを降りていた。
「手本は見せたぞ。 なんでCFは荷重制御で、手足は思考制御なのか、よく考えろ」
リーダーはシェード付きの濃いサングラスをかけていた。
「CFは身体拡張プログラムだ。 空飛ぶロボットじゃない。 あとは自分でどうにかしろ」
「はぁ、ありがとうございます……」
感謝しつつも、釈然としない。
これまでも凄いとは思っていたが、今日初めて理解した。
柳橋亮平は闘神の殲滅明王だと……。
俺はこれまで深い旋回や舞うような動きを見てきたが、今日のエイプの動きは根本的に違った。
制限だらけの機体が人のように動いていた。
その「腕の違い」の正体が理解できることを期待していたが、返ってきたのはライダーなら誰でも知る話で拍子抜けだ。
リーダーはため息を吐き、頭を掻きながら去っていく。
よく見ると左足を引きずっていた。
「やっぱり脚はイテェし、目がかすみやがる――」
乗ることと操ることは違う。
それを突きつけられる。
限界行動とはいえ、やれることが少ないエイプでここまで消耗するとは。
普段は見せない異常が今は露骨だ。
強制排出の影響ってこういうことのか……。
そんなことを考えるうちに、リーダーは闇に消え、エイプと俺だけが残った。
リーダーは火を落としていない。
胸部装甲の奥でアイドル振動が続く。
「アイドルしてるってことは、乗れってことだよな……」
俺は胸が騒いだ。
あれを見せられて黙っていられない。
エイプは飛べないが、跳べるし、世界へ干渉できる。
俺は「飛べない」と思いこんでいた。
処理範囲は狭く継続性も低いが、空間の観測・移動自体は可能だ。
それを忘れていたから、ただの重い機械として扱っていた。
「……トルクをかけるって、やつもか……」
自分とリーダーの乗り方は全く違う。小回りを意識して前傾で曲がろうとしていたが、リーダーは逆だった。
体を起こし固定し、シート後方に腰を落とす。
一本の鉄棒が機体を貫くような安定を軸に、ベクトルを制御していた。
溜めたトルクがブレない加速を生む。
「俺って、そんなに、手と足、使ってなかったか……?」
そういえば武器操作以外、意識していなかった。
四肢だけで動かすなんて、思えば考えたこともない。
「CFは身体拡張プログラム…… ロボットじゃねーんだ……」
真似して呟いてみるが、わからない。
「考えるな、感じろ…… か」
尻を払って立ち上がる。
暗く冷たい空気の中、アイドルを続けるエイプを見上げた。
手探りだが、今日はヒントが多い。
かなり無理してくれたが、俺のためか?
いや…… ただの気まぐれだろう。
腰に脚をかけて飛び乗り、シートに滑り込む。
「とりあえずマネしてみるか」
考えるより、まずはやる。
リーダが見せてくれたものは、俺にとって貴重なものだ。
【Day5】
コードベースの振動をまたぐらに感じながら、俺はスロットルを開けた。
エアスクリーン越しに景色が歪み、左右へ溶ける。
まだドタドタとした助走で氷上を滑っているようだが、少しは加速できるようになった。
リーダーが去った後、うずうずしてエイプに乗り込んだ。
自分なりに試してみて、昨日は夜明け前には何とかジクサーに戻れた。
――徹夜した初日に比べれば大した違いだ。
とはいえスピード不足で、壁は飛び跳ねてワイヤーで距離を稼ぐ程度。
座標演算のおかげで無謀なボルダリングから、素人のリードクライミングになった、という感じか。
とにかく、もっと速さが欲しい。
昼の眩しい光の中、HODOの段々建物を駆け抜ける。
昨日よりペースはいい。
「うぉ、あっぶね!」
突然、巨大な室外機ユニットが視界に飛び込む。
反射的に右に荷重をかけた。
γのように肩で捻らず、斜め後ろに重心を落とす。
右踵にスパイクを打ち込んだ感覚と共に、自然と機体が左へ開いた。
この「地に足が着く」感覚は意外と好きだ。
だが実際は失速しながら右足でつんのめってる。
バランスを取ろうと右手を突き出し、左手を引いて構える――。
滑稽な姿勢のまま、機体はユニットをかろうじて躱した。
「オイオイ! まじか!」
足元で何かを踏み抜き、エイプが前につんのめる。
頭から落ちる未来に冷や汗が出た。
焦った俺はγのクセで右肩から捻り込んだ。
空中でもないのに、さらにアクセルまで開けていた。
手をつくイメージと共に、エイプの腕が連動して伸びた。
迫る地面、周囲がスローモーションになる。
接触の瞬間、掌の下から干渉光が弾け、ゴムの上のような沈む感触と、反発が伝わった。
さらに力を込めると、飛沫が増し、強烈な浮力で機体が跳ねた。
空中で真上に地面を見る。
今度は左へ体重を落とし、体操選手のように左踵で着地。
光が弾け、反発がまた伝わる。
足で蹴り出しながら加速――。
アクセルは開いたままだ。
いや、意図的に開けた。
機体は勢いよく前へ跳ぶ。
慌てて制動を踏むと、右に流れながら火花を散らし数メートル滑走。
建物の壁に背を向け、直前で停止した。
(なんだ今のは?)
恐怖よりも、あの奇妙な感覚が頭を占めた。
「おいオマエ! こんなところで何してやがる!」
頭上から野太い怒声。
顔半分にタトゥーの巨漢だ。
「さーせん! すぐどけます!」
関わりたくない。
エイプで踵を返し、全速力で離れた。
罵声は遠ざかる。
今はそれより、自分がやれたことだ。
手足は自分の体を動かすのと同じ。
だが反発の感覚は薄皮越しに脳が直接知るような、不気味だが快いものだった。
コード・フレームワークは身体拡張プログラム――。
その言葉が響く。
荷重し、手足に連動し、意識の先が物理演算に干渉する。
現実法則に縛られたこの世界で、現実ではできないことを可能にする。
何か繋がり始めている。
アクセルを徐々に開け、足首と膝でためを作り、エイプを前へ押し出した。
【Day6】
週に三日のトレーニングのノルマのためログアウトしていた。
インター・ヴァーチュアでは朝だが、現実は夜明け前。
季節は夏に向かっているが、この時間は空気がまだ眠たく涼しい。
俺は薄手のスポーツウェアを着て、久々に近所の公園に来ていた。
全力で動いたせいでウェアは汗で張り付き、スクイズボトルを一気にあおる。
家から外に出たのはいつ以来だ?
この公園に来たのも、小学生の頃かもしれない。
歩いて十五分ほどの高台。
見下ろす景色は、どこかHODOの階層を思わせた。
遠くに海と巨大な橋の2本が並び、ワイヤーが張られた塔だけが赤と白に明滅する。都市は暗く、人影はない。
信号機だけが静かに瞬いている。
ブラックアウト以降、人は仮想に籠もり、現実は放置された。
アスファルトは割れ、雑草が伸び放題。
公園の木々も野生に戻ったかのように繁っている。
需要がない土地は、容赦なく自然に返る。
ふと潮の香がした。
こういう空気を感じるのも久しぶりだ。
公園には山型のコンクリ遊具があり、鎖、出っ張り、タイヤが取り付けられている。
記憶よりはるかに危なっかしい。
「これが子供向けって、どういう判断だよ」
ここに来た理由は、エイプで気づいたことを確かめるためだ。
転倒しかけた瞬間に、俺は無意識に体を捌いて回避した。
あれで初めて気づいた、四肢の使い方を。
思えば、ライノはバックでホバリングしていた。
荷重と足捌きが求められる芸当だ。
それを仮想現実という世界で一年目越しに初めて理解した自分が情けない。
昨日、夕焼け前にジクサーへ戻れたのは進歩だった。
でも、あの一瞬の動きは再現できない。
腰で重心を操り、慣性とベクトルを生成する原理は理解した。
だが「理解した」ことが「できる」とは限らない。
偶然あの瞬間、体が勝手に動いた。
それが悔しかった。
――体ってやつは、「わかる」じゃなく「覚える」んだろうな。
何度も、反復して。
その考えから、自然と父さんの背中を思い出した。
道着に袴で、黙々と同じ動きを繰り返していた姿。
父さんは大学時代に合気道をやっていたそうだ。
社会人になっても続けていた。
ブラックアウト前までは、大会前になると道場に付き合わされ、俺は稽古を眺めた。
演武より印象深かったのは、息の長い、ゆっくりとした反復練習だ。
左右で同じ動きを何度も、何度も。
技が体に染み込むまで。
体は練度でしか動かない。
理屈を理解しただけじゃ、動かない。
インター・ヴァーチュアは現実を模した物理法則を持ち、それを干渉できる。
だが根本は同じだ。
反復し、練度を積まないと「使える」ものにはならない。
俺はコンクリの山を全力で駆け登った。
飛び降り、よじ登り―― 十五分で息が上がり座り込んだ。
全然動けない。
だが不思議と気分は悪くない。
呼吸が整い始めると、思考が回り出す。
重さ、重力、物理法則。現実と仮想を支配する絶対原則。
違いは、それを干渉できるかどうか。
「それを、どう使うか――?」
汗だくで息切らしながら考えるのは馬鹿らしい。
でも、要は反復と練度だ。
ワークアウトの時間はまだ残っている。
ログインも先だ。
俺は立ち上がり、タイヤに飛び乗った。
頭の中に、登り方のルートを描く。
どう動きたいか。どう動くべきか。
ゆっくりと、意識して、反復する。
あの時の父さんのように。
【Day7】
「痛ってぇえええぇえ!」
エイプをコントロールしながら電撃が走るような全身の痛みに叫びをあげていた。
筋肉痛だ……。
外の世界から|インター・ヴァーチュア《この世界》へは物質は持ち込めないが、肉体の状態は、きっちり持ち込む。
理不尽極まりない。
逆に|インター・ヴァーチュア《この世界》での負傷は適切にケアしてログアウトすれば、いわゆるリセットされるのだが……。
外から持ち込んだ、現実のステータスはどうにもできない。
目の前に迫る集合住宅の裏路地のような場所で、エイプで壁を蹴り上がり、腕で押し上げる。
瞬間、瞬間の空間への観測確定の干渉を繰り返し、建物と建物の間をピンボールのように跳ね上がっていく。
エイプの機体に伝わる振動でハンドルを掴み、突っ張った二の腕が――。
コントロールのために左右に荷重をかけるたびに、内股に――。
視界を取るために、重心を変えるために上体を起こすために胸が――。
ズキズキとした痛みを訴える。
だがこれが現実の反復の効果を実感させる。
そも、インター・ヴァーチュアでいくら無理しても筋肉痛になったことなど無い。
久しぶり感じる貴重な天然の痛みというやつだ。
……なるほど、ライノがムキムキな体を作る理由がなんとなくわかった気がする。
あいつの場合、趣味もあるんだろうが、この世界にログインする俺たちにとって、ほんとの意味でのフィジカルの強さは現実でしか獲得できないってことだ。
屋上へと降り立つとそのまま、加速を始める。
迫る障害物たちをギリギリで交わし、跳ね避ける。
そのたびに振動はズキズキと全身に痛みを伝えるが、加速するエイプを通して、この痛みがあのスローの反復が体に刻みつけられている証と感じた。
……でも、流石にしんどい――。
ジクサーに戻ったら滝沢先生に痛覚を誤魔化してもらおう……。
× ×
これが俺、九能悠があの時期に経験した出来事だ。
劇的に何かが変わったかなんて実感はできていない。
でも、俺は自分自身がどうありたい、どう乗りたいと気持ちが固まったと思う。
自分のやっていることにもし迷ったらこの記録を覗いてみようと思う。
俺のやり方は俺にとって間違っていないと――。
きっと思い出させてくれると信じて――。
読んでいただき、ありがとうございました。




