第8話 チセ―An Education/01
本作は『電界駆動 ブレード ― データの少女は仮想世界で夢を見るか?』を一部固有名詞の変更と話数の並びを変更、改訂を行なったものです。
少しでも読みやすくなってれば幸いです。
【Present Day】
ライナーのドアを押し開けると、ドックのひやりとした空気が流れ込んできた。
ベルがカランと鳴り、壁のニキシー管時計が「04:15:03」を示している。
食事とおしゃべりで一時間が過ぎていたらしい。
人として過ごすようになって、時間の流れが違って感じることがある。
楽しい時は速く、退屈な時は遅い――。
そんな当たり前の感覚さえ、かつては知らなかった。
エクス=ルクスにいたころ、時間は均質な演算のように過ぎていった。
今は、気分や温度でその流れが変わる。
体感は変わっても、時間そのものの流れはやはり、厳然と均質に流れる。
人間の世界って、本当に不思議だ。
「時間ってさ、アジエも遅かったり早かったり感じる時ある?」
「はぁ? 当たり前だろ。人間なんてそんなの、二十四時間年中無休だろ」
アジエはレザーグローブをはめながら笑った。
「ダリーことは長く感じるし、ホットな夜は一瞬だぜ」
「学者っぽくないよ」
「だからそれ、やめろっての」
彼女はわたしの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「……髪がボサボサになるから」
「ほら、生きてる限り楽しめって教えただろ?」
笑いながら、また頭を撫でる。
その温かさに、さっきまでの疑問はどこかへ消えていた。
――アジエは、わたしに人間的であることを受け入れさせてくれる。
そして、人間の集団の中で、ほんとの意味で生活できるようしてくれたのもアジエだった。
【Flashback】
話が終わると、アジエ以外のアルマナックのメンバーは、さっさと引き上げてしまった。
「ほら、行くよ。ついてきな」
ミツエおばちゃんから荷物を受け取り、一人残ったアジエの後についてテキヤの事務所を出た。
アジエは少し猫背で、両手を尻ポケットに突っ込み、「……なんで、あたしが……」などとぶつぶつ言っている。
ミツエおばちゃんの事務所はHODOの第2層。
HODOはメサイア・パシフィックゲートの第3区画に生まれた自然発生的な7層の階層都市だ。
中央の広い通路は「仲見世通り」と呼ばれ、両脇に商店や飲食店が続き、往来が絶えない。
わたしは主に第2・第3層で生活してきたが、今はムービングウォークで上層へ向かっている。
喧騒を抜け、仲見世通りの終点である1層へ。
ムービングウォークを上がり切ると、最上層の中央部あたりの場所の不思議な建物がいくつも見えてくる。
それが人間の宗教と呼ばれるロジックの施設だということは知っている。
その宗教というも、サンタクララで知ったが、はわたしからすると、未定義の関数を呼び出そうとしているような行為に見えた。
違いは構文程度に見える。
だが、宗教の価値とは、実行結果ではなく、呼びかける手続きそのものにあるらしい。
――正直、出力しない演算の価値は、わたしには理解できない。
「なにボーッとしてんだ? ほら、こっち!」
宗教施設から目を離し、アジエの背中を追う。
居住区画とは違う方向、球形船首側へ。
進むほど視界がひらけ、右手にメサイア・パシフィックゲートの船首の壁、左手は下層を見下ろす空間。
やけに整った舗装路の先が、やたらと明るい。
(スケスケだ……)
四角いボックスを積み上げたようなガラスの建物が見える。
中から強い光が漏れ、思わず足を止める。
「ここって、何なの?」
「あたしの家だよ、文句あっか?」
「このへん全部、うちの敷地。だいたい三千坪。1層はほとんどあたしの持ち物。―― いわゆる地主、Gotcha?」
「この道から外れるな。 セキュリティが動いてて、危ねぇからな」
三千坪―― わたしの頭はセキュリティというワード以外、エラー音でいっぱいだった。
木の質感の巨大な両開きドアが内側から開く。
「ほら、入りなよ」
玄関のハンガーラックにキャップをかけたアジエが名を呼ぶ。
「ジーブス」
『はい、レディ・ジンガノ。 御用は?』
上から降るように中低音の声が降ってきた。
驚いたわたしをみて、アジエがニヤリとする。
「どうだ、うちの環境制御AI。 なかなかのイケボだべ」
なるほど、建物のコードと直結した管理プログラム…… だがイケボとはなんだろう?
思わず、かばんの紐を握り直す。
「ジーブス、お客だよ。 しばらく泊まるから登録。 えーと、名前なんだっけ?」
「……チセ」
『ミス・チセ、ようこそ。 当屋敷の無制限アクセスを許可します。 何なりと』
色々と制限が解除される感覚が走る。
わたしは小さく、イケボのジーブスに礼を言った。
廊下はだだっ広く天井が高い。
先の吹き抜けにはガラスフェンスの螺旋階段。
部屋へ入ると、一面ガラスの向こうに段々状のHODOが広がる。
床と壁は濃い木調で、中央の円形ラグとラウンドソファ、テーブルのガード内では玉石の中に銀色の筒が赤く燃えている――。
テーブルに暖炉が組み込まれているかのようだ。
わたしはその空間のスケールに圧倒され、思わず立ち尽くした。
【Present Day】
アジエの家に初めて足を踏み入れた時は驚きしかなかった。
あの時と同じようにわたしは、アジエの背中を追いながら、ドックヤードを歩いている。
思えば、あの背中について屋敷に向かってから、人間の時間にして、もう一年が経っている。
そんなにもサイクルを重ねていたのかと、自分でも少し驚く。
けれど、それだけの時間が経っていても、わたしは今でもこうして、アジエの後ろを歩いている。
何も変わっていないようで、だけど、きっと――。
まあ、少しは変わったのだと思う。
あの頃のわたしは、ただ怯えていた。
怖い思いをして、そのあと、ちょっとしたチートで手っ取り早く稼いで、少し贅沢をした。
それで、世界を知った気になっていた。
でも、今のように人間の社会の中で暮らすということを教えてくれたのは、アジエだ。
わたしがヘタな嘘で過去を隠しても、アジエは詮索しなかった。
強く咎めることもせず、黙って構ってくれていた。
そう、構ってくれているというのが、たぶん一番しっくりくる言い方だ。
アジエの思う「女の子らしさ」からすれば、あの時のわたしは到底許容できる存在ではなかったのかもしれない。
でも彼女は、それを咎めても、決して押しつけることはしなかった。
一通りの身だしなみや振る舞いを教えてくれたあとは、わたし流の好みも認めてくれた。
「お前のフェイバリットなら、それでいい」
そう言って、笑ってくれた。
今では、ケイトやエスペランザ、それにフォンさんとも一緒に、服やアクセサリーの話をすることもある。
他人の趣味が気になるようになったのも、きっと成長の証なのだろう。
今では苦いコーヒーも飲めるようになったし……。
きっとちょっとは成長しているに違いない。
【Flashback】
個人の家と呼ぶにはあまりにも広大な空間に圧倒されていたわたしに、アジエはお茶にしようと言って、コーヒーと呼ばれるものついでくれた。
これを飲むと、落ち着くとのことだった。
でも、湯気と苦味と熱が、どうして「安心」に繋がるのか、わからなかった。
アジエは無造作にマグを差し出し、「飲めるか?」とだけ言った。
わたしはうなずき、ひと口含んで、カップに吐き戻した。
「……苦い」
「あんた―― コーヒー知らないの?」
きっと情けない顔してて無言のわたしに、アジエは、フッと笑みを浮かべると「待ってな」と言って、キッチンに戻ると別の飲み物を持ってきてくれた。
コーヒーと同じように、暗褐色だかこちらは香ばしいと言うより甘い匂いがした。
「はい、ココア。 これなら飲めんだろ?」
おそるおそる口をつける。
甘い味が広がり、わたしは思わずニンマリとした。
アジエはそのあと、わたしの視線を見透かすように言った。
「で、あんた―― どこから来た?」
その言葉にわたしの胸の臓器がまた一拍、高く動いたのを感じた。
読んでいただき、ありがとうございました。




