4.事故
病室の外から「外套は脱いで入ってください。サングラスもはずして」という看護師の声がした。来たらしい。追加で「部屋に入る前にはノックしてください。うるさくならないように」と聞こえた。
マナー講師の教え通りの、控えめなノック。敬介が入ってきた。例のアイボリーの一揃いはグルグルに丸めて、花束と一緒に抱えていた。サングラスを外した目には疲労が見える。
「…いらっしゃい」
声をかけると、敬介は頭を下げた。
「電話、ありがとうございます」
「こちらこそ、わざわざ出向いてくれて、ありがとう…花は、そこの花瓶にでも」
敬介は、花をくるんだセロハンごと花瓶にさし、椅子にぎこちなく座った。
「通報してくれた上に、電話を鳴らし続けてくれて……ありがとう、おかげで命拾いした」
「いえ」
沈黙。
「すごい能力だな、雪に埋まったものが分かるなんて」
「いえ」
沈黙。逃げたい。
「……何かお礼がしたいが…その、退院するまで待ってもらえるか?」
「いえ。生きてて、本当によかった。それで充分だ」
沈黙……ではなかった。一拍。
「夜逃げした後、どうしてるだろう、と、思ってたから」
今度は俺が黙った。ムリヤリ声を絞り出す。
「……なんで……」
「僕は、雪に埋まったものがわかる、から」
※※※
窓から飛んで逃げたかった。だが生憎、あちこち痛くて動けない。まな板の上の鯉は、捌かれるのを待つしかなかった。
敬介はゆっくり話した。
「君が、いなくなってから。授業中に……一人暮らしのおじいさんが、雪に埋もれた」
外套の団子に顔を埋め、また顔を上げた。
「出て行こうとしたけど、先生に、理由を聞かれて……話したら、笑われた。笑って、馬鹿にするなと、怒られた。その間に、埋まった人の、体温が……」
もう一度、外套に顔を埋めた。今度はなかなか顔を上げなかった。
もう顔も覚えてない奴らに腹が立った。だが、俺に奴らを叱る資格はない。
敬介は、やっと顔を上げた。
「君は」
「?」
「掃除や日直を、よく押し付けられていた。僕の世話まで、押し付けられた。なのに、手を抜かなかった。怒ったのも、僕の言い間違いを、クラスメイトが笑った時だけだ」
そして、俺をまっすぐ見た。
「君のように、なりたかった」
「…君に、そんなの履歴書に書けるか、と、言われた時は、ショックだった」
窓から飛んで以下略。俺が返事をする前に、敬介が言葉を続けた。
「でも、事実だった。こんなに、誰にも信用されない。しかも冬は、なにもできない。受け止めるまで、時間がかかった……冬が、怖かった……でも、誰かが助かるかもしれないのに、雪のない地域に行くのも、違う、と思った」
「…いや、お前」
「どうすればいいか、ずっと、考えている」
「その結果が『敬介さん』かよ」
敬介は、外套の塊をギュッと抱きしめた。
「今は、これしか出来ない」
「そのおかげで、俺は助かった。『これしか』じゃあない。けど、だからこそ……ダメだ」
敬介は、また俺の方を向いた。
「助けてくれて、本当にありがとうな…でもこれは、お前の苦しみと引き換えの救いだ。肉まん一個じゃ釣り合わねえ。それじゃダメだ、なんでも押し付けられて、食いつぶされて、誰もいなくなる…そんな生き方すんなぁっていってえぁ!」
涙声をごまかそうとして大声を出してしまい、全身の激痛でやっぱり泣けた。
敬介がナースコールを押して「泣くほど痛がってる」と伝えた時は、情けなさすぎて笑いたかったが、結局泣いた。
お前は、俺みたいになるなよ。




