なゆ国日和
なゆ国の地下にはプリン水脈がある。そこから魔法プリン水路を通じ、地上に設置されたプリン泉に湧く仕組みになっている。
国民の朝食に欠かせないプリンは、この泉によって安定的に供給される。しかし、年に一度はなゆ姫の、魔法での癒術が不可欠。
故になゆ姫は護衛のチョコミント兵と共に、なゆ国各地のプリン泉を癒していくのだ。
――時は数日前、なゆ広場に集めった民になゆ姫は告げる。民の顔には、感謝と尊敬の念だけが浮かんでいた。
「お母様でしたら、一日ですべての癒しを終えていましたが私はまだまだ未熟……。皆様にご迷惑をお掛けすることを申し訳なく思いますわ」
『何を仰いますか。私達が楽しく、甘味と共に過ごせるのはすべて姫様のおかげですじゃ。感謝こそすれ、迷惑に思う理由などありません。顔をあげてくだされ』
その言葉に賛同して頷く民になゆ姫は肩を震わせて涙をこぼす。なゆ姫を称える声が響く広場を、暖かく甘陽の光が照らしていた。
「まあ。皆さま……! 私は甘く暖かな民に囲まれて……世界一幸せな姫ですわ……!」
感極まって泣き崩れるなゆ姫。
『なゆ姫、なゆ国ばんざ――いっ!!』
姫と国民が心からお互いを想う光景を、あくまたちとてんしちゃんは陰から見て笑っていた。
時は戻って現在。なゆ国第一プリン泉。
その水面にはかすかににごりが広がっている。なゆ姫は白い裾を揺らし、泉の前に跪き。胸に左手を当てて瞼を閉じる。
「甘味の心音」
甘味と心を通わせ、調和するなゆ王家に伝わる固有魔法。なゆ姫の柔らかな髪がふわりと舞い、プリン泉にきらきらとした光の粒が舞い降りると、にごりはゆっくりと消えていく。
チョコミント兵が、仕切りで泉の周囲を囲う。
なゆ姫の肩が小さく震える。額には汗。癒しには、高度な集中力が求められる。
「これで、数日後にはまた美味しいプリンが気軽に食べられるようになりますわ。さあ、本日中にあと二つのプリン泉を癒さなくては――」
――シュガーリウム城、厨房。慌ただしく代替甘味を生産するみに悪魔たちと天使たちのそばでてんしちゃんは、黒蜜プリンを悪魔達のために作ろうとしていた。
「甘鶏の愛情たっぷり濃甘卵、砂糖牛のシュガーミルク。甘天界の一部の地域にのみ降るエッセンスレインを数滴……そしてもちろん黒蜜。ふふ、あくまちゃんたちの喜ぶ顔を思うとそれだけで胸がぽかぽかしますね」
目の前に並べた材料を前に、そう呟いたてんしちゃん。他と一線を画す甘やかな香りが広がる。
「――さあ、調理開始です」
小さな手で卵を割ると、黄金の色の液体が光を帯びてボウルのなかに落ちる。ミルクを注ぎ、エッセンスレインを加えるたび、光がぷるぷると踊るように揺れる。最後に黒蜜を流し込むと、濃厚で芳醇な香りが漂う。
ふらふらと、魅了されたみに悪魔とみに天使が吸い込まれるように近付く。
「こら……めっ! ですよ? あなた方には、今やってるお仕事を終えたら、ちゃんと同じものを用意しますから。頑張ってください」
「よっしゃー! 爆速でつくるぞー!」
「てんしちゃんのぷりん、大好きなのでしゅー!」
その言葉にみに達の瞳が燃えるように輝きだし、てんしちゃんはくすりとその光景に笑みをこぼして。
「……甘味の調合法」
てんしちゃんの光輪から溢れた虹色の光が、混ぜられた材料に溶け込む。光が消えると、ぷるぷると震える濃い黒蜜プリンが空中に浮いていた。
それを器に移動して、魔法で崩れないように固定する。
「よし、では彼女たちのところに向かいましょう」
シュガーリウム城から少し離れたチョコレート森の中に位置する真っ黒で屋根からあくまちゃんと同じ角が生えたような建物、スイートデビルノクティス本部にてんしちゃんは空を飛んで向かう。
◆◇◆
てんしちゃんが呼び鈴を鳴らすとすぐにあくまちゃんたちが扉を開けた。
「これ、黒蜜プリンの差し入れです。今はプリン泉が濁り始める期、戦闘後に食べられないのは大変かと思って、用意しておきましたよ♪」
「……ふ、ふん。気が利くじゃねえか。いただいてやらぁ。ついでだからあがってけよ。黒蜜茶ぐらいは出してやる」
差し出されたプリンをあくまちゃんが頬を赤くしながら受け取る。角が嬉しさを表すようにぐるぐると揺れていた。
「では、お言葉に甘えて……」
てんしちゃんは、あくまちゃんの言葉に嬉しそうに光輪を揺らし、ひらひらとあとを追いかける。
スイートデビルノクティス本部、応接間。黒蜜の香り漂う室内。
壁には剣や盾などが飾られ、そして一際目を引く黒蜜の盃を掲げる巨像が床に置かれていた。その顔はどことなくあくまちゃんに似ている。
そして、どたばたと他の悪魔たちが現れる。
「お、てんしちゃんじゃないか! なんかすげえ美味しそうな香りがするぜ!」
「……この香り、それだけで心が癒される。作業効率上昇が見込めるな」
「なゆ国を支える二つの柱、悪魔と天使の邂逅! 諸君、これは壮大なるスペクタクルの序章だ!」
「ただてんしちゃんが来ただけだろ! 何も起こらんわ!」
「わ、てんしちゃん……ボク、お会いできて嬉しいです」
「い、いらっしゃいませ。今、お茶を淹れますね」
内気がお茶を用意しに向かい、感傷がその手伝いを申し出る。ふかふかのソファにてんしちゃんと悪魔たちは腰を下ろして。
「……てんしちゃんにも報告しとくが、ヒポホタスのダム襲撃はなゆ姫とこの国をよく思わない者が仕組んだ可能性が高い」
「悲しいことです。なゆ姫はあんなにも頑張っておられるのに……」
「だからオレ様たちがいるんじゃねえか。てんしちゃんも探ってみてくれ。何か起きる前に敵を叩けりゃ、それがベストだからな」
「プリン泉が濁る今に襲撃が起きたのも無関係ではないかもしれませんね。なゆ姫がプリン泉の癒術に魔力を消耗し、戦えなくなりますから……」
「……そうだな」
腕を組んで頷くあくまちゃん。運ばれてきた黒蜜茶が内気と感傷にテーブルに並べられる。
「……ふふ、私は甘味を壊そうとする影が現れても、あなた達となら必ず乗り越えられると信じています。今は、このプリンを楽しんでくださいな」
「……ああ」
「うぉぉぉぉぉっ! 早速たべるぜ!」
悪魔たちはスプーンを手に一口。ぷるぷるの舌触り、濃厚な黒蜜の甘さと調和するプリンの味。そしてなにより、心が温まる幸福感。
「……前のてんしちゃんの黒蜜プリンよりも遥かに美味い。常に最高と思ったものを越えてくる……驚異的な腕前だ」
「素晴らしい! この一匙に宿るはまさに甘味の小宇宙! 舌を打つごとに、魂が歓喜に震えるのだ!」
「……今度、私にも教えてください、なんて……」
「スプーンが止まらねえ……。てんしちゃん、これ毎日持ってきてくれ」
「残念ながらそれは無理ですよ。材料のレインエッセンスは貴重なのですから」
「……く、そうか……」
がっくりとあくまちゃんは肩を落とした。 黒蜜茶の最後の一口を飲んで、てんしちゃんは立ち上がる。
「……さて、私はお城に戻りますね。まだやるべき事があるので」
「てんしちゃん、いつでも来いよな。プリンがなくても歓迎するぜ」
「てんしちゃん、ありがとうございました。黒蜜プリン、本当においしかったです」
「ふふ、嬉しいです。ではまた」
――柔らかく微笑み、てんしちゃんは去っていった。
その後、全員が黒蜜プリンの味の余韻に浸るなかで、あくまちゃんが呟いた。
「……今度、甘天界に潜入して雨乞いでもやってみるか。そうすりゃあのプリンがもっと食べられるかもしれねえ」
その一言に悪魔たちは目を見合わせ、にやりと笑う。
「……よし、やるか。成功率の高い雨乞いを調べておく」
「楽しみになってきたぜ!」
こういう時に、悪魔達の中に止めようとする者はいなかった。躊躇いもなく、全員の瞳の奥がいたずらな光で輝いていた。




