観測者:明治大正昭和編1
前世の話となります。
明治8年
青森県八戸市に私は生まれた。
8人兄弟で生活は苦しのかと思われたのだが、父は政府の役人だったらしく、贅沢とは言わないがそこそこの生活水準だったと思う。
兄弟の中で私は少し変わっていたようで、父は私が2歳になった頃に、お寺に預けてしまった。
手に余るような子だったのだろうか?
特別な子だったと思う事にしよう。
5歳になった頃にはすっかり寺小僧になっていた。
9歳になった頃に、とある人物と出会った。
どこからかどう見ても仙人!?
ほいど!?
(乞食、物乞い、貧しくて物をもらって生活する人)
住職らは、丁寧に応対している。
ほいどではないようだ。
もしかして、本当の仙人!?
住職らは、彼に私を会わせ紹介した。
彼は、ちょくちょく寺を訪れ私に話しかけるようになった。
私は彼に惹かれ、いつしか『師匠』と呼ぶようになった。
師匠と会わなくなるまで、師匠の名前を聞くことはなかった。
師匠も自らの名前を私に伝えることもなかった。
住職らは、私に師匠の側で学ぶことを勧めた。
私は何となく学ぶことにした。
毎日お寺にいるのも飽きてしまいますからね。
師匠に付き添い始め、師匠は凄い人だと感じ始めた。
特に印象的だったのが、長老会の集まりに参加したとき、長老の誰もが師匠の話を真剣に聴き、まるで教えを請う弟子のように見えた。
難しい話はよくわからないが「覚えておけば何かに役立つだろう。」と師匠に言われて、師匠の話を覚えるように努力した。
しばらくすると、師匠は私を森に連れて行きはじめた。
身近な森から始まり、だんだん森の奥深く入り込むようになった。
師匠といると、森の草木が輝いているように感じられる。
街の中とは違い神聖な感じかな!?
不便なことは、水や食べ物を自らの手で探し出さなければならないことかな。
二三日食料を確保できず、空腹のまま森の中を散策する時もあったが「二三日食べなくても死ぬことはない。」と、こんな時の師匠はニコニコしながら語ってくれるが、私はお腹が空いて疲労困憊であった。
師匠との森での生活のおかげで、私は一人でも森の中で生活できるようになってきた。
師匠は頃合いと思ったのか、とうとう山の中に歩みをすすめ始めた。
森の頃は私にあわせて歩いていたようで、山に入ると師匠の足取りはとても軽く速くなり、私は全力でついて行くのが精一杯。
崖や谷や山を渡り歩く。
『人知を超えた、本当の仙人じゃないか!』
私は本当にそう思ってしまった。
師匠との修行?のような日々も父により終わりを告げることとなる。
学校で勉強しろと言うことです。
師匠から勉強と呼べるような事は、よく行なっていたから『今更学校に行かなくても良いんじゃないかな。』と考えていたのだが、師匠から『学校に通い学ぶ事がこれからの私のためになる。』と言いくるめられ渋々通うことにした。
学校では、そこそこの成績だったと思う。
友達がいたのか少なかったのかよくわからない。
お坊ちゃまと思われて、遠巻きに見られていたのかもしれない。
尋常中学校あたりまで通ったのかもしれない。
今回は、10代頃の話となります。
文章にするって大変ですね。
つたない文書ですが、読んでいただきありがとうございます。
20代頃のお話も少しずつ書き始めています。
ちなみに『月待ちの灯』は、ここの夢から誕生しました。
読んでいただけると嬉しいです。




