胸焼けするほどの愛をあげる
ごうはときどき、加減がわかんなくなるっていうか、んないらないでしょってくらいのモノを買ってきたり、作ったりする。部屋中に甘いにおいを立ち込めさせて焼きまくるパンケーキとか、ベランダにコレ大丈夫捕まるやつじゃないよね?って一瞬不安になるくらい大量に育ったシソとか。今日は玄関のドアを開けるや否や「イオ、花火しよ!」ってそれこそ打ち上げ花火見たいな大輪の笑顔を浮かべて、「バラエティパック」でかでかと書かれた花火セットをおれに差し出した。
玄関で脚と腕に虫よけスプレーを振ってもらって、バケツとチャッカマンを持ったごうと、夏の夜を並んで歩く。川沿いでやる?って訊いたけど「あそこちょっと夜は治安がねぇ……」って渋い顔したごうは、「公園行こ」っておれの手をマンションの中だけ引いて、エントランスを出るときにそっと離した。
「月まるいね」
「明日午後から雨らしいよ」
「マジか。じゃあ新しい靴はいてくのやめよ」
「撮影?」
「ん。と取材。ごうは?」
「練習と取材」
「はんぶん一緒だね」
「ね」
とりとめのない話をしながら、ごうに着いて歩く。ハーフパンツから伸びたふくらはぎのこぶみたいのがごうが歩くたび場所を変えるのを、サラサラの髪が夜風になびいてツノみたいになるのを、面白くていとしいなぁと思いながら見る。街灯の下を猫が横切ったほかは、時々車が通るくらい。11時近い住宅街の小道には人気はなくて、長い手がブラブラしてるのに惹かれてつい握りたくなるけど。
『手をつないで深夜の散歩、二人で花火を楽しむ仲良し青田兄弟』おれらのキャラ的にギリいけなくもないかなって思うけど、でもやっぱりあんまりうれしくないので、がまん。
「ここ」
ごうに着いて行った先にある公園は、滑り台とか砂場とかベンチのある、狭いけど綺麗な児童公園だった。そんなに古くないんだろうけどどこか懐かしい感じもする。しょっちゅうごうんちには来てるけど、たいがい家に直行してごうを待ってるだけなので近所に何があるかとかあんまり詳しくない。ごうは勝手知ったる、みたいに水飲み場の蛇口をひねってバケツに水を張り、「こっちでやろうか」と砂場を指す。遅い時間なので声は抑えめだ。おれは頷いて、ごうの隣に座る。
「どれからやります?お客さん」
「これ」
「めっちゃ普通のからいくね」
「普通そうでしょ。いやなんでいきなり変わり種持ってんの」
「だって掴んじゃったんだもん」
ふふ、と笑い合いながらごうが火をつける。しゅわ、と懐かしい音がして、指先に僅かな振動が生まれて、色とりどりの火が噴き出る。
「火傷しないでね、イオ」
「おれもうオトナなんで」
ごうが手にした花火は先っぽにタコの絵が着いたやつで、タコの脚みたいなトコからいろんな方向に火が噴き出している。「あちっ」おればっか見てたごうから小さな声が上がって「ばか。伏線回収早すぎるよ」と顔を顰めた。
「わ、こんな色も出るんだ」
「ね。最近のはいろいろあるね」
次から次へと火を着けていって、立ったり座ったりしながらいろんな花火をして。ときどき腕が触れて、大きな目の中に自分が映る。ありえないことだなぁ、と思う。おれは弟なのに、思う。ごうの目におれが映って、笑いあって、ごうの熱に触れて。子どもの頃からずっとずっと繋いできた時間。変わったようで変わらない関係。でもそれはおれのなかでは、やっぱり奇跡なのだった。
なんて物思いにふけってボーっとしてたらごうのちょっとカサついた唇がむに、と触れて、奇跡はもっと色濃くなった。
「……外ですよ」
「外ですね。ごめんしたくなっちゃった」
はい、ってとっくに火の消えた花火をおれから奪って、ごうがバケツに入れる。じゅ、って何かが焦げるような小さな音がした。焦げるっていうか冷えてる音で、逆なんだけど、冷やすのも焦がすのも音は似てるんだなって思ったら、もう一度ごうに触れたくなった。
Tシャツの裾を引いて、脚に力を入れる。ごうの匂いを鼻から吸って、カサついた唇をぺろりと舐める。風が、吹く。
「……さっきより大胆じゃない?」
「でもおれ後攻だから。罪の重さはトントン」
「なにそれ」
変な顔で笑ったごうが、ふと息を吐いて腰を下ろす。「ここ、似てない?」いつのまにか膝に着いていた砂をパンパンと払いながら、おれに訊く。
「なにが?」
「前の家の近くにもあったよね、公園」
そう言われてみれば、懐かしい感じはそこからも来てのか、と思いながら「ああ、あったね」と応える。広さとか、ベンチの置いてある位置とか、遊具の色も似てる。と思ってまわりを見渡して、ごうの顔に帰ってきたら何故かきゅ、と胸が痛んだ。
「俺、たまに夜そこ行ってて」
新しい花火をおれに渡してくれてたごうが、手を止めてちょっと遠い目をする。何故だか息がしずらくなって、ハーフパンツに砂がつくのがヤで今までがんばってたけどペタンと砂場に腰をつく。昼間の熱を吸った砂が、服越しにもじわりとあたたかい。
覚えている。
ごうが、見たことのない顔をしてそこにいたこと。触れ合う身体と、凍り付いた心臓。
「歌を歌う女の人がいたんだよね。アコギギター?持って。毎週水曜の夜になるとそこで小さな声で歌ってた。最初は興味本位で、上手だなぁって思ってちょっと離れたトコで聴いてて」
覚えてる。彼女の高いところで結わえられた長い黒髪と、ごうの切なげな瞳。
おれは自分でパックを手繰り寄せて、手持ち花火を一本取り出す。掴んだそれは線香花火で、自分で火を着けようとするけどチャッカマンが硬くてなかなかつかない。ごうがおれの手からそっとそれを取って、火を着ける。しゅわ、とほとんど音にもならない音が、指先を揺らす。
「儚くて透明感があって、今にも消えちゃいそうなその歌を聴くとね、いつもイオを思い出した。イオに会いたくてたまらなくなった。変だよね、家に帰ったら会えるのに。早く帰ればいいのに。帰れなくて、帰りたくなくて、その人が歌い終えるまでそこにいた」
あの頃、おれたちは親元を離れて一緒に暮らしていた。ごうは大学生で、おれは高校生だった。二人きりの暮らしはしあわせで、しあわせ過ぎてちょっと苦しかった。子どもの頃からずっと大事に隠し持っていたごうへの想いはどんどん膨らんでおれはそれを飼いならすのに必死だったけど、ごうはどうだったか、なんて考えたこともなかった。
「会ったことあったでしょ」
放射状に火を放つのをやめて赤い丸になった線香花火を見下ろして、ごうが小さな声で言う。あった、と思う。おれはそこにいるごうを見た。「コンビニ行ってくる。先に寝てていいよ」そう言って出て行ったごうがなかなか帰ってこなくて、心配になって外に出たんだった。
コンビニ以外に心当たりなんてなくて、ただやみくもに探した。ごうの携帯は部屋におきっぱなしで、電話することもできなかった。先に寝てていいよ、じゃないよ。自分はおれが夜外に出るの大反対するのに。ってちょっとムカついてきて、イライラして石を蹴ったら、転がった先が公園の入り口だった。おれはなんとなくその石を追うようにして、そこに立って。女の人と抱き合う、ごうを見た。
「あの時ね、歌聴いてたらなんか泣けてきちゃって、初めてその人が『大丈夫ですか?』って話しかけてくれたんだ。たった一人の観客に泣かれたらそりゃ気になるよね。悪いなぁって思って目擦って、『大丈夫です』って言った。でもその人は大切なギターを置いて、俺のトコまで来てくれて」
丸になった線香花火が落ちる。ほとんど音もない花火が終わっただけなのに、辺りがシンとした気がする。それだけのことで妙に心細くなって、何で今こんな話を聞かされてるのか、って思ったら鼻がツンと痛んだ。鼻を押さえるか耳を塞ぐか。迷った腕をごうが捕らえる。あったかい。それでまた、泣きそうになる。
「石か何かにつまずいて、転びそうになったその人をとっさに立って支えた。視線の先にイオがいて、なんか変な顔で笑って俺に手振っていなくなった。一瞬のことで、さっきまでイオのことばっか考えてたから幻覚見たのかなって思うくらいで。その人に謝られて俺もなんか変なトコ見せてすみません、って謝り返してたら記憶に自信がなくなって」
「帰ったらイオは寝てて、次の日の朝になったらいつも通りだった。昨日どこいたの?とかいつ帰って来たの?とかぜんぜん訊かれないし、俺も自信がなくなったから何も言わなかった。何より、自分の気持ち……とか欲に気付くのが怖くて」
おれはごうに抱き締められながら、砂場に転がった花火セットバラエティパック種類いろいろ56点入り、を見る。まだぜんぜん減ってないじゃん。と思う。この話をするために、こんなに花火するつもりだったのかな。ごうってホント、ときどきバカだよね、と思いながら、逞しい肩に腕を回してぎゅ、と抱き締める。
「俺はあの時から、……いやずっと前からイオだけだったよ」
「遅くなってごめんね」
「いいよ……ごう待つのなんて慣れてるもん」
それから、下に置いて噴き出すタイプの花火に火を着けて砂場の傍に二人で立ってそれを見た。大好きなごうの横顔が、いろんな色になるのを少し低いところから見つめて、おれの中の奇跡フォルダを更新する。ごうは「俺ばっかみないで花火見なよ」ってちょっと照れ臭そうに笑って、結局おれの手をしっかりと握った。
帰り道、ごうの腿のあたりで揺れる大量に余ったバラエティパックを見ながら「どうすんのコレ」と訊く。「またやろうよ。夏はまだ長いし」「意外とすぐかもよ?おれら結構忙しいし。……まあ別に秋とか冬にやっても」「余ったら来年の夏にやろ」強くはないけどちょっと芯のある声で、ごうが言う。おれの胸はまたしくりと痛んで、そのあとジンジン甘くなる。
幸福は、痛い。それはおれがごうに教えられた数々のことの中で、一番切実な真実だ。
「ごう知ってる?来年のこと言うと鬼が笑うんだよ」
「笑わせとけばいいよ。来年、それでも余ったら再来年」
「いやそんな余んないでしょ」
「余ってもいいんだよ、ずっと一緒にいるんだから」
確信に満ちた声でごうが言う。おれは思わず、その手を握る。『手をつないで深夜の散歩、二人で花火を楽しむ仲良し青田兄弟』仮想週刊誌のだっさい煽り文句も、好奇の目も、別にいいかと思えてしまう。
「……すごい自信デスネ」
「うん。俺イオのことが大好きだからね」
ごうは時々、バカみたいな量のモノを買ったり、作ったりする。胸焼けするようなパンケーキ、農家ですか?ってくらいのシソ、家族でやる量の花火。絵に描いたようないい人だし、みんなの太陽だし、きっといろいろ溜まるモノもあるんだろうなって思ってたけど。
「愛情表現だったかぁ」
冷凍保存して、あるいは湿気の少ない場所に保管しておいて。ずっと一緒にいさえすれば、ちょっとずつ減っていく。それでなくなったら、またバカみたいな量のを作って、買って、一緒に使えばいいんだよね。
おれが躊躇する〝この先〟をちっとも怖がってないごうに、悔しいけどやっぱりおにいちゃんだよなぁ、と思ってしまう。片手で花火、片手でおれの手を握ったまま、さっきの切なげな表情はどこへやら、鼻歌すら歌う愉し気な横顔を、きっと熱の籠った目で見てしまっている自分。ああ大好きだなぁと思うと同時に、ほんのちょっと悔しさも感じて、続くごうの言葉に生意気な笑みを向けた。
「イオは?」
「……それは帰ってからのお楽しみだね」
緩むほっぺに掠めるようなキスをすると、おれの手を引くごうの歩幅がぐんと大きくなった。