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神崎冴の犯罪パズル  作者: W732
第2話 記憶の断片
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第二章:記憶の迷宮と共犯者の影

「おやおや、やはりそうでしたわね。猫の鳴き声と数字の羅列。それが、山田老人の記憶を操作するための、具体的な『刺激』だったのですわね。これで、『黒い猫』の正体が判明しましたわ。ですが、問題は、なぜそのような回りくどい方法で記憶を操作したのか、ですわ。」


 神崎冴の言葉は、まるで何重にも絡まった糸の端を掴んだかのように、確信に満ちていた。日向歩巡査部長は、佐倉玲子サイバー対策課長が示したタブレットの画面を再度確認した。山田老人の部屋のスマートスピーカーから再生された、微かな「猫の鳴き声」と「数字の羅列」。それは、確かに山田老人の証言と奇妙に符合していた。


「神崎警部補。なぜ犯人は、わざわざこんな仕掛けを…?普通に殺害するだけではダメだったのでしょうか?」


 日向巡査部長の疑問は当然だった。殺人だけでも十分な重罪なのに、なぜさらに、目撃者の記憶までをも操作しようとしたのか。


「フフフ。それが、この事件の真髄ですわ、歩くん。犯人は、単に高梨氏を殺害したかっただけではありませんわ。彼が本当に消し去りたかったのは、高梨氏の『記憶』、あるいは彼が持っていた『情報』だったと推測できますわね。そして、その行為を目撃されたからこそ、目撃者の記憶までもをコントロールしようとしたのでしょう。そう、『心理の死角』を利用してね。」


 神崎の推理に、日向巡査部長は息を呑んだ。殺人の動機が高梨厳の資産や怨恨ではなく、「情報」や「記憶」の隠蔽であるとすれば、事件はより複雑な様相を呈してくる。


「佐倉課長。その音声データが、具体的にどのような内容であったか、詳しく解析してくださいまし。特に、『数字の羅列』に注目を。それが、何を意味するのか。そして、氷室蓮プロファイラーに、この施設の職員、および高梨厳氏と特に親密だった入居者全員の心理分析を依頼してくださいまし。彼らが、山田老人の心理状態を熟知していた可能性を探るのですわ。」


 神崎は、間髪入れずに指示を飛ばす。佐倉は冷静に頷き、タブレットの画面を操作し始めた。氷室蓮もまた、神崎の言葉に静かに耳を傾け、鋭い眼差しで周囲の人間を観察している。


 ---


 数時間後、佐倉玲子からの報告が入った。


「神崎警部補、日向巡査部長。山田老人の部屋のスマートスピーカーから再生された『数字の羅列』を解析しました。これは、特定の銀行口座の番号、そして貸金庫の暗証番号であることが判明しました。非常に複雑な数列ですが、繰り返しのパターンがありました。」


「銀行口座と貸金庫の暗証番号…!」日向巡査部長は驚愕した。「それが、なぜ山田老人の部屋のスピーカーから…?」


「そして、『猫の鳴き声』ですが、これは単なる猫の鳴き声ではありませんでした。特定の周波数に加工された、一種の『誘導音』です。認知症を患う高齢者の聴覚特性と心理状態に合わせて調整されており、特定の記憶を刺激したり、あるいは混乱させたりする効果を狙ったものと推測されます。佐倉の分析では、この音波は、山田氏の意識を外部から特定の方向に誘導し、視覚的な錯覚を誘発する可能性も示唆されています。」


 佐倉の冷静な説明は、日向巡査部長の理解をはるかに超えていた。記憶を操作するために、デジタルデバイスから特定の音を流す。まるでSF映画のようだ。


「おやおや、ますます興味深いですわね。」神崎は目を細めた。「銀行口座と貸金庫の番号…それが高梨氏のものであることは、既に確認済みですわね?」


「はい。高梨氏が所有する複数の銀行口座と、彼が頻繁に利用していたとされている貸金庫の番号と一致しました。ただし、その口座や貸金庫には、現在ほとんど残高がありません。」


 佐倉の言葉に、神崎は微かに笑みを浮かべた。


「つまり、犯人は高梨氏の財産が目当てだった。しかし、その財産は既に動かされた後だった。だからこそ、高梨氏の持つ『記憶』を消し去りたかった、というわけですわね。財産がどこへ行ったのか、その情報をね。そして、山田老人の証言は、その真実を隠蔽するための、巧妙な『煙幕』だったのですわ。」


 神崎は、山田老人の部屋から高梨厳の部屋へと続く壁を指差した。


「佐倉課長。この音声が、壁を隔てた高梨氏の部屋にまで届いていた可能性は?」


「その可能性は低いです。壁は防音仕様ですし、音量も極めて微弱でした。しかし、山田老人の部屋に設置されたスマートスピーカーは、壁に密着して配置されており、振動によって隣室にわずかな影響を与える可能性はゼロではありません。特に、山田氏の部屋の特定の場所にスピーカーが配置されていた場合、その振動が高梨氏の部屋の特定の物体に共鳴し、高梨氏が意識するしないに関わらず、精神的な不快感や動揺を引き起こした可能性は考えられます。」


 佐倉の専門的な見解に、日向巡査部長は改めて感心した。デジタルな痕跡が、こんなにも詳細な情報を引き出すとは。


 ---


 その頃、プロファイラーの氷室蓮は、施設内の人間関係の調査を進めていた。彼は、施設職員や他の入居者との面談を重ね、彼らの心理状態や、高梨厳、そして山田老人の周辺での「不自然な言動」を探っていた。


「神崎警部補。山田老人のケアを頻繁に行っていた職員の中に、注目すべき人物がいます。彼の名は、松永健太まつなが・けんた。30代後半の男性介護士です。」


 氷室は、タブレットに表示された松永の顔写真と経歴を神崎に見せた。


「松永は、山田老人の担当介護士として、彼に非常に献身的に接していました。しかし、彼の行動パターンにはいくつかの矛盾が見られます。例えば、山田老人が特定の話題を出すと、露骨に話を逸らしたり、表情が強張ったりする傾向がありました。」


「なるほど。つまり、松永は、山田老人の心理状態を熟知しており、彼の『記憶』がどこに触れると危険か、を把握していたということね。」


 神崎は松永の経歴に目をやった。介護士として優秀で、周囲からの評判も良い。しかし、その経歴の裏には、いくつか不審な点があった。


「さらに、松永は、高梨厳氏とは過去に金銭トラブルを抱えていた可能性が浮上しています。」


 氷室の言葉に、日向巡査部長はハッとした。


「金銭トラブル…!それが動機だったんですか!?」


「確実ではありませんが、松永の家族が経営していた中小企業が、数年前に高梨厳氏が投資していた企業と取引があり、その際に大きな損失を被っていたようです。松永自身も、その企業の再建に尽力していましたが、最終的には倒産しています。この一件で、松永は高梨氏に恨みを抱いていた可能性があります。」


 氷室のプロファイリングは、松永が単なる介護士ではなく、事件の核心に関わる人物である可能性を示唆していた。憎悪、そして「情報」の隠蔽。これらが結びつく。


「おやおや、恨み、そして金銭トラブル。典型的な動機ですわね。しかし、問題は、松永にどうやって密室で殺害できたか、ですわ。そして、最も重要なのは、彼には完璧なアリバイがある、ということですわね。」


 神崎は、再びニヤリと笑った。彼女の目は、既に松永健太の心の中を見透かしているかのようだ。


 ---


 佐倉玲子からの更なる報告が、そのアリバイの裏に隠された「操作」の痕跡を浮かび上がらせた。


「神崎警部補。松永健太の携帯端末の通信履歴と、施設内のネットワークログを詳細に解析しました。事件当夜、松永は勤務時間中であり、複数の監視カメラに彼の姿が確認されています。しかし…」


 佐倉は、タブレットの画面を切り替えた。そこには、施設内のサーバーのログデータと、松永の携帯端末からのアクセス履歴が、時系列で表示されていた。


「事件発生とほぼ同時刻、松永の端末から、山田老人の部屋のスマートスピーカーへのリモートアクセスが複数回行われていました。これ自体は、介護士が遠隔で入居者の部屋の照明や音量を調整する、という名目で説明できます。しかし、奇妙なことに、そのアクセスと同時に、施設内の特定のネットワーク帯域で、ごく短時間の『通信速度の低下』が確認されています。」


「通信速度の低下…?」日向巡査部長が疑問を呈した。


「はい。通常のネットワーク負荷では説明できない、不自然な低下です。これは、特定のデバイスから、大量のデータを一度に送信、あるいは受信した際に起こる現象と酷似しています。」


 佐倉の言葉に、神崎の目が鋭く光った。


「つまり、松永は、山田老人の部屋のスマートスピーカーを操作するだけでなく、その際に、別の『何か』を遠隔で操作していた、というわけですわね?それが、高梨氏を殺害するための、そして密室を作り出すためのトリックだった、と。」


「その可能性は否定できません。」佐倉は冷静に答えた。


 神崎は、深く息を吐いた。そして、不敵な笑みを浮かべた。


「おやおや、松永健太。あなたは、山田老人の『記憶』を操作することで、自身の犯罪を隠蔽し、捜査を攪乱しようとしましたわね。しかし、その周到な計画の中に、ごくわずかな『デジタルな足跡』を残してしまいましたわ。それが、この『通信速度の低下』ですわ。」


「それが、どうやって殺害と密室に繋がるんですか?」日向巡査部長は焦る。


 神崎は、部屋の間取り図を広げ、高梨厳の部屋と山田老人の部屋の位置関係を確認した。そして、その間の壁に指を這わせる。


「松永は、確かに完璧なアリバイを持っていましたわ。しかし、そのアリバイは、彼が『直接的に』高梨氏を殺害したわけではない、ということを証明しているに過ぎませんわね。彼は、自身の巧妙なトリックによって、高梨氏を『間接的に』殺害した。そして、そのアリバイは、同時に『記憶の操作』とリンクしているのですわ。」


 神崎の推理は、もはや日向巡査部長の理解を超え始めていた。一体、松永はどのようにして、その「通信速度の低下」と「記憶の操作」を使って、密室殺人を実行したというのか。


「日向巡査部長。この『通信速度の低下』のタイミングと、山田老人の『緑色の服の男』と『将棋盤』の証言の関連性を、クロノスに再照合させてくださいまし。そして、施設内の配線図、特に通信ケーブルや電源ケーブルの配置図を入手してください。そこに、犯人が仕掛けたトリックの全貌が隠されていますわ。」


 神崎は、そう言い残すと、椅子に深く腰掛けた。彼女の目は、まるで未来を見通しているかのように、鋭く、そしてどこか楽しげに輝いていた。


「どんなに巧妙な『記憶の迷宮』も、デジタルな痕跡は嘘をつきませんわ。そして、人間の心理を弄ぶことは、必ずや、自身の破滅を招くのですわよ、松永健太。」


 彼女の呟きは、静かな取調室に響き渡り、まるで次の展開を告げるかのような、不穏な予感を残していた。

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