4品目「春、スパイスの種を蒔く」
文化祭の熱狂が終わり、季節は冬から春へ。
一年の努力が確かに届いたという手応えと、小さな達成感。
でも千果は、そこで立ち止まらなかった。
「来年は、もっとすごいカレーを作る」
その想いを胸に迎えた新学年。
新しいクラス、新しい部活メンバー、そして――新しい後輩。
あの秋に芽吹いた“想いのスパイス”は、春の光の中で静かに育ち始めていた。
春。
桜の花びらが、校舎の窓を優しくなぞる。二年生になった棗千果は、新しい教室でそわそわしていた。クラス替えの不安と、ほんの少しの期待。けれど、彼女の心はすでに次の文化祭を見つめていた。
「おはよ、千果ー!」
にぎやかに教室へ駆け込んできたのは、同じ料理部の友達・安西まひる。明るくて、元気で、ちょっとお調子者。千果とは正反対の性格だけど、なぜか気が合う。
「またカレーの研究してたんでしょ?部室来てよー、今年の新入部員、けっこう入ったよ!」
「ほんとに?……えっ、それはちょっと緊張するかも」
「いやいや、去年のあの文化祭見たら、そりゃ入るって!“カレーが美味しすぎる部”って話題だったからね!」
部室に向かう千果の足取りは、去年とはまるで違っていた。春の光が、今年はやけに眩しい。
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新入部員は、3人。
その中でひときわ目を引いたのは、黒髪ボブのクール系女子・佐伯凛。無表情だけど、料理を語ると急に目が輝く。特に“スパイス”に強い関心を持っていた。
「先輩のスパイスカレー……衝撃でした。スパイスの組み合わせって、まるで音楽みたい」
凛のその言葉に、千果の中で何かが弾けた。
「私も、そう思ってる。味で誰かの心を動かすって、すごいことだよね」
こうして千果は、後輩の目に“憧れの先輩”として映りはじめる。
けれどそのぶん、背負う責任も大きくなる。
「今年はもっと、本格的な店に近づけたい」
千果の頭の中ではすでに、新しいスパイスの組み合わせ、仕入れの計画、レイアウトの案までがぐるぐると巡っていた。
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そんなある日。
通学途中の商店街で、一軒の古びたスパイス専門店を見つける。
「……こんなところに、あったっけ?」
引き寄せられるように足を踏み入れると、店内には異国の香りが満ちていた。
「いらっしゃい、若いの。料理、やるのかい?」
しわくちゃな笑顔のおじいさんが声をかけてくる。
話をしてみると、かつてインドで修行したという“スパイスマスター”だった。
「スパイスは生きてる。香り、色、混ぜる順番、温度。全部で変わるんだよ」
その日から、千果はこの店でスパイスの奥深さを学び始める。まるで“料理の道場”だった。
⸻
春は、出会いの季節。
後輩と、新しい師匠と、未知のスパイスたち。
それらすべてが、千果の中で静かに芽吹いていた。
この春に蒔かれたスパイスの種は、やがて強く香る花を咲かせる。
2度目の文化祭まで、あと――半年。
【千果レシピ・春】
「春香る、はじまりのやさしさスパイスカレー」
材料(2人分)
•玉ねぎ(中)…1個(薄切り)
•鶏もも肉…200g(一口大)
•トマト(中)…1個(ざく切り)
•にんにく・生姜…各1片
•ヨーグルト…大さじ2
•サラダ油…大さじ1
•塩…小さじ1
•水…150ml
スパイス(春のはじまりブレンド)
•クミンシード…小さじ1/2
•ターメリック…小さじ1/2
•コリアンダーパウダー…小さじ1
•ガラムマサラ…小さじ1/2
•カルダモンパウダー…少々(爽やかさの鍵)
作り方
1.鍋に油を入れて中火で熱し、クミンシードを炒める。パチパチと香りが立ったらOK。
2.玉ねぎを加えてしっかりと飴色になるまで炒める(ここが甘みの鍵)。
3.にんにく・生姜を加えてさらに炒め、香りが出たらトマトも加えてつぶしながら炒める。
4.スパイス(ターメリック、コリアンダー、ガラムマサラ、カルダモン)を加え、よく混ぜる。
5.鶏肉を入れて炒め、全体がなじんだらヨーグルトを加えてさらに炒める。
6.水を加え、フタをして10〜15分煮込む。塩で味を調える。
ワンポイント
春はまだ冷える日もあるので、カルダモンの爽やかさとヨーグルトの酸味で“軽やかだけど温まる”味に。
このカレーは、まだ経験が浅かった千果が“スパイスって、面白い!”と確信した記念の一皿。
春。
それは、物語が再び動き出す季節。
棗千果にとっての二年目は、“憧れられる存在”としてのはじまりだった。
新しい出会いと、広がる可能性。
けれど、それは同時に“背負う”立場になるということでもあった。
一年目の文化祭は、きっと“偶然の成功”。
ならば今年は、“必然の完成”を目指したい。
そんな風に彼女は思い始めていた。
小さなスパイス店の老人との出会い。
後輩・凛のまっすぐなまなざし。
“教わる側”から“伝える側”へ――。
千果のスパイスは、春の光に包まれて、確かに芽吹き始めた。
次章は夏。
模擬店の準備は加速し、味覚も情熱も“熱さ”を増していく。