パーティーは複雑です
「……お兄さまは王宮に来たことがある?」
「まぁ、うん。父上に連れられて何度かね」
「ほえー、」
私はぼんやりと言った。王宮のあまりの広さに、うまく思考が働かなくなったからである。
(公爵家もすごいけど、やっぱり王宮は別格というか……)
見かける調度品もものすごく立派に見えて、なんだか段々緊張してきた。
私が緊張してきたのをセオドアは瞬時に察知したらしい。
まあ、エスコートされてるわけだから、セオドアとの距離がいつもより近いのだ。すぐ気付かれるのも無理はないだろう。
「大丈夫。アーレント公爵家に逆らえる家紋なんて存在しないから。エレニカが何をしても、咎めるものなんていないよ」
「……」
そういう問題ではないような?
「それになにより、僕がいるから。なにも心配することはない」
そんなことを、冗談めかして言うので思わず笑ってしまった。
「あはは……!それは百人力ですね!」
セオドアが、私の緊張をほぐすために、こんなことを言ってくれるとは思わなかった。
頼もしすぎる兄の腕にさらにぎゅうと近付いて、私は晴れやかな気持ちで兄と共に会場の扉をくぐる。すると、階段の下から視線が一斉に集まった。
アーレント公爵家は序列の上の方なので、ほとんどの家の令息令嬢たちがすでに集まっていたのだ。注目されるのも無理はない。
(うわっ、人多い!)
こんな大人数の視線を浴びたことがなくて怯んでいると、セオドアがなんでもないように私の手を引いてくれた。
「……お兄さまは、こんなにたくさんの人たちからいっせいに見られたことがあるの?」
「いや。ないよ」
「えっ、びっくりしたりしない?」
「どうでもいい相手の視線なんて、気にする必要ないからね」
セオドアはばっさりと言った。
(……まぁ、確かにいちいち気にしていられないくらいの視線ではあるもんね)
とかなんとか。すぐにそんなことは言えなくなったけど。
「アーレント卿、私は……」
「僕の父は、」
「アーレント卿!わたくしを覚えていらっしゃいますか?」
私たち──主にセオドア──は、すぐにその視線たちの主に囲まれてしまったのだ。
「……」
途端に、ぐ、とセオドアの眉間に皺が寄った。
(うわ、こんな表情初めて見た)
どうでもいい、とまで言ったはずの相手が押し寄せてくるのだ。そんな表情をしたくもなるのかもしれない。
「……お兄さま、私、あっちにいましょうか?」
「だめ」
話の邪魔かなーと思ってそう言ったのに、セオドアにすぐさま一蹴された。
「でも……」
私は渋った。だって、ちらちらと見られているから、ここにいるのがものすごく気まずいのだ。令嬢方からの視線は特に冷たいような気もするし。
「……」
それに、私がなにを気にしているか分からないはずがないので、セオドアは今にも「お前らに用はない」なんてことを言い放ちそうである。
流石にまずいと分かるので、私はすぐさまセオドアの耳元に唇を寄せた。
「ええと、少し髪が乱れたから、直してきたいなぁ、と思って」
「……」
未だに渋い顔のセオドアだったが、この様子だと今、追い払ったところでまたすぐに囲まれるだろうと悟ったらしい。
手を上げて使用人を呼び留める。
「……彼女を女性専用の休憩室へ案内してくれ」
「かしこまりました」
流石、素早く気を回してくれるものである。
「……すぐに帰っておいで」
それまでにこいつらを蹴散らしておくから。
セオドアの後ろにそんな文字が見えた気がしたけど、私には関係ない話だ。兄を譲るのはこの一度限りである。
私は笑顔で返事をした。
さて、前世では29年。今世では8年の間生きてきたけど、それでも新たに発見することは沢山あると思う。
「……」
例えば、自分が極度の方向音痴だったらしい、ということとか。
(ここどこ?!)
前世からそうだったのか、エレニカがそうなのかはこの際置いておいておくとして。ただいまかなりのピンチである。
現在私、エレニカは、つい先程までいたはずの会場への道が分からなくなっていた。
「……えーっと、きゅうけいしつが向こうだったから、そこからまっすぐで……どこかで曲がったような……ああ、もう!」
それもこれも、同じような廊下が続くのが悪い。
廊下へ理不尽にも責任を押し付けつつ、私は歩かないことには辿り着くものも辿り着けない、との思いでうろうろと彷徨っていた。
(いや、彷徨ってる時点で、もう自力では辿り着けないような気がしてきたけども!)
「大馬鹿者め!」
(はあっ?!)
丁度タイミングよく罵りの言葉が聞こえたので、それが自分への言葉に聞こえて、私はすぐに声のした方へ顔を向けた。
まぁ、当然私が罵られた訳ではない。
廊下を外れた庭園の奥。高い樹の根元に、男の子が三人立っていた。その足元には、白いシーツの塊がもぞもぞと動いている。
(な、なに……?)
変な生き物だったらやだなぁ、なんて思いつつ、つい目を離せないでいると、男の子の一人がそのシーツを掴み上げた。
(……!なにあれ)
シーツの中から現れたのは、男の子だった。所々汚れていて、どう見ても三人の男の子たちに苛められている。
(ああいうのって、どこの世界にもあるのね……)
「やっ、やめて!」
「そんな、ぼくたちが悪いみたいに言わないでくださいよ、第三王子殿下」
「そうそう。ぼくたちは殿下のために、こうやって指導して差し上げてるんじゃないですか」
「王太子殿下や王妃陛下の前で、そそうをするわけにはいかないでしょう?」
「ただでさえ、庶民の母をお持ちの、賤しいお産まれなんですから、しっかりしていただかないと……!」
「……」
(はぁ、)
なんでああいうの見過ごせないのかなー、と思ったら、なんとなく自分のこととか、セオドアのことを思い出すからなんだろうなと思う。
私は髪飾りを外して、おもむろに男の子の一人に投げつけた。
「いってぇ!だれだ!!」
「……まぁ。ごめんなさい、当たってしまったみたいで」
人がいるとは思っていなかったのか、私が姿を現すと、三人が三人とも口をかぱりと開けて驚いていた。意地の悪いことを言っていたのに、うってかわって随分間抜けな顔である。
「つい手がすべってしまいました。だって、あんまりにも聞くにたえなかったんですもの」
「な……っ!」
「ずいぶん、いやしい心をお持ちのようですこと」
くすくす笑うと、聞かれていたのだと気付いて三人の男の子たちは顔を真っ赤にして怒る。
「なにも知らないこどもが、口をはさむな!」
(いや、自分もこどもでしょうが!)
「いったいどこの令嬢だ!人の話に割り込むどころか、こんなものを投げつけるなんて!」
(あー……うーん……)
こんなやつら、家の名前を出せばすぐ黙らせられると思うのだが、万が一を考えると言う気にはなれなかった。
「っ、なんとか言ったらどうなんだ!」
どうしようか考えていたところで、男の子の一人がずんずんとこちらに向かってくる。流石に手を上げられることはないだろうが、その勢いに「げ、」と思って足が引けた。
その時だった。
「この……っ!」
それは、一瞬の出来事だった。
「……っ!」
いつの間にか、私の目の前に大きな背中が立ちはだかっている。
「一体、なにをするつもりで、この子に近付いた?」
聞き慣れたはずの声が、低く、響いた。
「お兄さま!」
私に近付いてきていた男の子の腕を掴み、怖い顔で睨み付けているのは、間違えようもなく、私の兄であるセオドアだった。




