状況整理してみます
私が現状について整理出来るようになったのは、3歳になってからだった。
なにせ赤ちゃんといえば、ほとんど寝るか食べるかの時間で一日が潰れるのだ。気付けばいつの間にか寝ていて、の繰り返しだった。
最近ようやく起きていられる時間が長くなってきたので、今日こそは、と、お絵かき道具片手に、考えをまとめ始めたところである。
(さて……)
日本語なら絶対に読み取られることはないだろうと思い、紙に書き起こすことにしたので、早速一番上に「エレニカ・アーレント」と書き込む。
(エレニカ・アーレント、甘やかされに甘やかされて、我が儘で傲慢な令嬢に育つ、と)
随一の公爵家に生まれたおかげで贅沢に困らなかったエレニカは、好きなものを好きなように手に入れてきた。そりゃ我が儘にもなるというものだ。
(問題は、悪役令嬢エレニカ・アーレントの結末よね)
エレニカは、王太子と王太子に近しい攻略対象者のルートだと、大体セオドアに殺されるエンド。他だと国外追放か、厳しめの修道院送りのエンドを迎える。
悪役令嬢の末路なんてこんなものだ。とはいえ、他人ごとではない。なにせ、当の本人に転生してしまったのだから。
(ていうか、セオドア・アーレントに殺されるエンドが確率的に一番多いってところがこの悪役令嬢のヤバいところよね)
義理とはいえ妹なのに、直接手にかけるほど、セオドアにとってエレニカへの恨みは深いのということなのだ。
(まぁ、小さい頃から召し使いみたいにこき使うわ、やりたくないことを嬉々としてやらせるわ、ってなったら恨みも積もるか……)
両親の洗脳からか、エレニカにとってセオドアは小さい頃から「自分のためにある存在」だった。言えばなんでもやってくれる存在は、我が儘令嬢を助長させるには最適だっただろう。
この辺はぶっちゃけ両親のせいじゃないかと思うのだが、まぁ、それはおかしいのだと気付かずに、人殺しをさせるほど人の尊厳をめちゃくちゃにするのだから同罪である。
(……こんなもんか)
私は攻略対象を覚えてる感じで書き連ねて、矢印を書き、それぞれのルートでのエレニカのエンドまでを書き終えた。
ふむ、としばらく紙を眺め、がくり、と膝をつく。
(この悪役令嬢、最終的に破滅しかしない!)
書いている時点で分かってはいたのだが、こうやってまとめたものを眺めているとより実感する。
これが自分の未来なのだ。
矢印の最後が上から、死亡、死亡、死亡、国外追放、修道院送り……。
(詰んだー。ぬるっと入った第二の人生なのに。こんなことってある……?)
せっかく異世界に転生したというのにこの所業は酷すぎる。私、前世でそんなに悪いことしたわけ?
「……エレニカ?」
名前を呼ばれて、絶望ポーズからはっと顔を上げた。
首を傾げていることによって黒い艶やかな髪が揺れ、薄い青色の瞳は丸くなっている。
私をきょとりと見下ろしているのは、セオドア・アーレントだった。
「どうかしたの?」
自分を殺す予定の加害者が、私を見ているこの光景に思わず背筋が震える。
分かっている。この子どもは元から猟奇的殺人犯とかなわけではない。エレニカの死亡エンドは、小さい頃からセオドアが、エレニカへの恨みつらみを貯めた末の結果なのだ。
だから、今、目の前にいる男の子は、全く悪くない。
なので私は、動揺が顔に出ないよう気をつけてふるふる、と首を振る。
声が出なかったけど、これで伝わるだろう。セオドアは静かに「そう……」と言った。
途端に、沈黙が辺りを包む。
(なんでセオドアがここに……?ていうか乳母は?)
状況がいまいち掴めなくて、きょろきょろと辺りを見回すと、私の思ってることが分かったのか、セオドアはおもむろに口を開いた。
「……うばは、エレニカ……きみのおやつを持ってくるっていって出ていったよ。きみを一人にはできないから、ぼくが代わりにここにきたんだ」
(……7歳に3歳のおもり任せるって……)
なにかあったらどうするつもりなのか。まぁ、身体は3歳とはいえ、中身はアラサーなので何が起こるわけもないから、全く心配はいらないのだけども。
乳母としてもそんなに部屋を離れるつもりはないから、セオドアに任せたのだろう。
思ったとおり、私が沈黙に耐えきれなくなる前に乳母は帰ってきた。
「お嬢さま、お待たせしました。今日のおやつをお持ちしましたよ」
いつものテーブルにおやつを乗せたトレイを置いて、乳母は私に笑顔を向けた。
そして振り返り、セオドアへ声をかける。
「セオドアさま、ありがとうございます。もうよろしいですよ」
「……」
セオドアは、なんの感情もこもっていない顔でぺこりと頭を下げると、なにも言わないまま部屋を出て行く。
私はその一連を、ぽかんと口を開けて見ていた。
(ん?一緒に食べないの?)
「にー、は?」
「どうされました?お嬢さま」
(はぁ。3歳のつたない滑舌のせいで言いたいことが全然言えない!)
「にー、も?」
「……まさか、セオドアさまのことですか?」
まさかもなにもないと思うのだが、こくこく頷いた。
おやつの時間にせっかく一緒にいるのだから、ここでまとめて食べてしまったほうが、乳母としてもセオドアの世話とかをしている使用人としても楽だと思うんだけど。と、そう思ったのだ。
だけど乳母は、困ったように笑う。
「お嬢さま。セオドアさまはおやつはお食べになれないんですよ。必要ないということなので……」
「……?」
首を傾げてから、私は急に思い当たった。
(セオドアには必要最低限の食事しか与えられないって描写があったっけ……つまり、おやつとか、そういう嗜好品みたいなものはセオドアにはなしってこと?)
3歳の子どもにはあるのに?
たった7歳の子どもなのに、セオドアにはそれすら与えられないというのか?
「……」
思わず身体が動いていた。
すくっ、と立ち上がって、よたよたと部屋の扉を目指す。
「お嬢さま?どうされたのです?」
乳母の問いかけに答えることなく、扉に手をかけようとすると、私の意図が伝わったらしく、乳母が慌てて扉を開けてくれた。
廊下に出て、小さくなった背中を見つける。
そちらに向かって歩きながら、私は必死に叫んだ。
「にー!」
背中は、振り返らない。
私はめげずに再び叫んだ。
「にー!」
でも、セオドアは全く気づく様子もなく、背中はどんどん小さくなる。
私は追いかけるのを諦めた。3歳の足では、いつまで経っても追い付けそうもない。疲れてきたし。
立ち止まって振り返ると、乳母がおろおろしていた。その乳母に近寄ってスカートを引く。
「……にー、」
「……お嬢さま、セオドアさまにご用事ですか?」
流石に私がなにをしたいのか分かったらしい乳母がそう言った。
私はこれ幸いと頷く。乳母は私を抱き上げた。
「……では、セオドアさまのお部屋へ参りましょうね」
(よし)
ほとんど衝動的な行動だったが、無事目的が達成出来そうである。私は乳母に笑顔を振り撒いた。