令嬢は引っ越す。
「リリエンタ様、おはようございます。」
メイドの一言に目を覚ます。
見慣れない顔とメイド服を着た女がベット脇に立っていた。
「····あなたは?」
あくびをかみしめながら、伸びをしつつ起き上がり問いかける。
「黒曜宮のメイドでございます。」
その言葉に寝ぼけていた頭が一気に覚醒する。
「なぜ黒曜宮の者がここに?」
「ジョシュア様より、本日からリリエンタ様が黒曜宮に住まれるため、移動の手助けをするよう指示され参りました。」
彼女はそういうとわたくしに洗面器を差し出す。
それを受け取りつつ、メイドの言葉に驚く。
「今日からわたくし黒曜宮に住むの?」
昨日の今日で急すぎる。
ハルモニアにも伝えていないし、何より荷物の準備もできていない。
メイドはうなずくとネイビーの生地にふんだんに花があしらわれたドレスを取り出す。
「黒曜宮にふさわしい装いになるよう準備をし、すぐに移動しましょう。」
わたくしが状況に混乱している間、メイドはわたくしの髪を整え服を着せる。
準備が終わるころにわたくしの部屋に訪問者が現れる。
「姉様、黒曜宮に住むって本当!?」
焦った様子で礼儀も忘れて部屋に入ってきたのはジュリアスだった。
ジュリアスはわたくしの傍まで来るとがしりと肩をつかむ。
「兄様の婚約者になったのか!?」
「は!?」
ジュリアスの言葉に驚き、思わず言葉が悪くなる。
この子は何を言っているの!?
半分とはいえ血がつながっているのに結婚するわけないじゃない!
「そんなわけないでしょう!管理するものがいなくなったからわたくしが移動するだけよ!」
わたくしは思わず大きな声でジュリアスに詰め寄る。
そんなわたくしにジュリアスは不服そうな、納得していない顔をしつつ肩から手を離す。
落ち着いた様子のジュリアスをソファへ誘導し、黒曜宮から来たメイドにお茶を入れるよう指示をだす。
「······黒曜宮には、正妻とその子供、もしくは正妻候補だけじゃないか。しかも、それ!!」
恨めしそうにこちらを見ながら、ビシっとこちら、厳密にいうとわたくしの着ているドレスを指さす。
わたくしは自分の着ているドレスを見下ろす。
「そのドレス、黒曜宮用のドレスじゃないか。昨日初めて会ったのに、姉様用の黒曜宮のドレスがあるなんておかしいだろ。」
それはわたくしも少し疑問に思っていた。
昨日突然黒曜宮に来るよう言われたのに、わたくしの体型にぴったりなドレス。
亡きノマ様はわたくしよりも背が高い方であったから、ノマ様のドレスではない。
「どういうことなんだ。」
ジュリアスは鋭い目で黒曜宮のメイドをにらみつける。
メイドはその視線にひるむこともなく、表情はない。
「私も詳しいことは存じ上げませんが、このドレスは1年半ほど前に作成されたものです。」
1年半前ということは、父が亡くなる前にこのドレスを作り始めたということだ。
その時は確実にジョシュアとは会っていないし、そもそも見た目をよく知らないためパーティで遭遇したとしても気づいていない。
「来る未来の公爵夫人のために作っておいたんじゃないかしら。たまたまわたくしを基準に作っただけだと思うわ。」
わたくしがそういうとジュリアスははあっと大きなため息をつき、頬杖をついて呆れたような目でこちらを見てくる。
「俺が言えることじゃないけどさ、姉様は鈍感で危機感がないな。」
「どういうことよ。」
ジュリアスの言葉に眉間にしわを寄せ、むっとして言い返す。
そんなわたくしにふっとジュリアスは笑い、わたくしの眉間を触る。
「そのままの意味だよ。兄様は何を考えているのかよくわからない人だから。何かあったら俺を呼んで。」
ジュリアスはそういうとわたくしの眉間から指を離し、隣に移動してくる。
ぽすん、と膝に頭を預ける。
「姉様が黒曜宮にいってしまったら、今まで通り通うことができなくなるなあ。」
ジュリアスはすねたように言う。
わたくしが黒曜宮に行けば、紅玉宮はハルモニア一人。
ハルモニアのもとに通いつめられたら····。
「黒曜宮は一応、兄様のテリトリーだからね。だから姉様、俺の水晶宮に遊びに来てよ。」
「わ、分かったわ。その代わり、紅玉宮に行くときはわたくしにも声をかけて。ハルモニアに会いたいから。」
「?わかった。紅玉宮に行くことはもうない気もするけど。」
わたくしとジュリアスが話していると、黒曜宮のメイドが時間を知らせる。
わたくしはその声にうなずき、ジュリアスを外まで見送ると、そのまま馬車で黒曜宮に移動した。
黒曜宮につくと、わたくしは宮殿の奥の部屋に通された。
その部屋は黒曜宮の庭園の目の前にあり、すぐに出れるようになっている。
景観の良い部屋であった。
紅玉宮の荘厳なバラ園とは違う、色とりどりの小さな花たちで彩られた庭園は控えめであるが、池や木で技術的に庭を演出している。
わたくしはメイドに一声かけ、一人で庭園に足を踏み入れ散歩する。
メイドは共についていくといったが、それでは気が休まらない。
遠くまではいかないと約束し部屋を出た。
紅玉宮ではいつジュリアスが来るかわからず、ハルモニアが隠れられるよう常に気を張っていた。
この庭園はジョシュアさえ訪れなければわたくしの唯一の逃げ場なのかもしれない。
庭園の奥にいくと揺れる椅子があった。
ブランコ、と言う名前で本に出てきた気がする。
わたくしはそれに座るが、あの本のようにゆらゆら前後にうまく揺れることができない。
「押そうか。」
「きゃあっ!」
苦戦しているといきなり耳元で声がし、驚きブランコから立ち上がる。
耳をおさえ振り向くと、黒色のローブに身を包んだジェラードがいた。
「ジェラード!夕食会のときもそうだったけど、気配をけして話しかけないで。」
「ごめんなさい。癖なんだ。」
ジェラードは表情がないまま謝る。
この宮殿は一応ジョシュアのテリトリーだから、ジュリアスと同じくジェラードも寄り付かないと思っていたが、そうではないらしい。
(唯一の息抜きの場所が····。)
わたくしは少しがっかりしつつもジェラードを見る。
(この子は夕食会の時あまり話せなかったから性格がよくわからないのよね·······。)
夕食会のときも今も、彼は表情がなくどこかボーっとしている。
不思議な雰囲気を持っている。
この子が1年後にハルモニアに執着するとは思えない。
魅了の魔法をいきなり使おうとするところはあるが、ジョシュアやジュリアスと比較するとどこか純粋な感じがするのだ。
ハルモニアの1つ年上で年も近いし、ジェラードとハルモニアが仲良くする分には良いかもしれない。
何ならここで仲良くなってふたりからハルモニアを守るように言うのも良いかもしれない。
「ジェラードはどうしてここに?」
わたくしが問いかけると、ジェラードは星屑の散った夜空色の目をぱちぱちと瞬く。
そして、あぁ、と言うとわたくしをブランコに座らせ背中を押し始める。
「姉上が黒曜宮に入ったと聞いて、会いに来た。翠玉宮は紅玉宮から遠いけど、黒曜宮は比較的近いんだ。」
「そうなのね。」
ジェラードがわたくしの背中を押すとブランコの高さが高くなる。
頬を撫でる風が気持ちいい。
「一応、ジョシュアのテリトリーだから近づかないのかと思っていたわ。」
風に身をゆだね、目をつぶりながら独り言のようにつぶやく。
「今日からは姉上が主だから良いかなと思って。嫌だった?」
ジェラードは揺れるブランコを手で止め、わたくしの顔を後ろから覗き込み問いかける。
その子犬のような、年の離れた弟感にほほえましく思う。
「そんなことないわ。いつでも遊びに来て。」
わたくしがそういうとわかりにくい程度にジェラードは微笑み、わたくしの手をとって立ち上がらせる。
「姉上、疲れた顔をしてる。部屋まで送るよ。そこでリラックスの魔法をかけてあげる。」
彼が指を鳴らすと一瞬で黒曜宮のわたくしの自室に移動した。
(さすが魔法の天才ね。)
わたくしがそう思っていると、彼はベットまで連れていき横たわらせ、わたくしの頭上に手をあてる。
すると無意識にこわばっていた体の力が抜け、眠くなってくる。
「おやすみ、姉上。」
まどろむ中、ジェラードの心地よい声とおでこに感じる柔らかい感触を感じながら眠りについた。




