休みなき人の救済。
こんにちは、私は天使です。
皆さんって天使の仕事を知っていますか? 私はあんまり知りません。
なんせ天使って言うのは生涯『天職』が決まっていて、それをこなすことが生きがいなのです。
その天職は神様が私らに与えてくれるそうです。
もう何千年前の話過ぎて、全く覚えていませんが、私はそう言う事で、あまり同僚の事を知らないのです。
私の仕事は至極単純で、右手を前に出しているだけです。
そこは真っ白い空間で、常に暖かな風が流れています。
話によると、人によってはここが草原に見えるらしいですし、はたまた雨の中で座っている様にも感じるそうです。
ですが天使の私には真っ白い空間としか認知できないようなんですよ。
私的にはこの景色にもいい加減飽きて来たので、少し人が羨ましく思ってしまいます。
そう、この場所には人が来ます。
基本的にやってくるのは小さな人です。
人って言うのは天使と違って、自由に生きることを許された生命体で。
……っていうのは私の勝手な解釈です。
もう随分と経ちますが、この人というのがどこから来ているのか、そしてどこで生活しているのか。
そしてどうしてそんな形をしているのかが全く持って理解不能です。
ただ分かる事と言えば、ここに来る『人』という生命体は。
何故か怪訝そうな顔で私の右手に頭をはめるのです。
はめるというか、私が広げている手のひらに、頭のてっぺんをつけてくるのです。
私は全く持ってこの行動の意味は分かりませんが。
これが私の『天職』ですので、やるしかないのです。
ここへは毎日、何万人も小さな人がやってきます。
人、というか子供ですね。ですが子供の姿をしているのに、ここへやってきた時は険しい顔をしているのです。
ですが頭が私の右手にはまると、彼らは満足したような表情をします。
「――――」
『――――』
私の目の前に広がる子供の列を捌く事、それが私の『天職』となっています。
この行動に意味があるのか。そしてこの仕事がどういった恩恵を彼らに与えているのかが分かりません。
少なくとも分かるのが、彼らがとても満足していると言う事だけで。
それ以外は何も分からないのです。
頭を撫でられて、人は嬉しいのでしょうか?
『――――』
嬉しい。その感覚を私は知りません。
こうして目の前の映像として、嬉しいを触る事があったとしても。
私はこの数千年、その嬉しいを知らないままなのです。
嬉しいが一番近い仕事であるという自負はありますが、それでも、きっと私は天使の中で、嬉しいを一番知らないのでしょう。
そう考えると何だか寂しく思います。
私には右手しかありません。
この空間には鏡がありませんので、私は自分の顔すら見た事がありませんが。
代々天使というのは、とても優れた容姿をしていると記憶しています。
私は、何を想っているのでしょう。
休みなき人の救済。
私は分からなくなりました。
人を救う。救われた。そう言う感覚が間違いなく眼前にあります。
そうだとしても私は、一度も、救われない。
とても寂しいです。
この真っ白い世界がとても恐ろしい。
でも、そうですね、これだけは言わせてください。
私は間違いなく。
右手に伝ってくる暖かさを。
忘れる事はできません。
それだけが唯一の救いの感覚ですし。
それだけが唯一の、孤独の感覚ですから。